第11話 神ノ御子様

 グラスがスレダ辺境伯領に着任してから一年が経ち、初めて迎える欠けのない月が現れる夜。

 この日は、神ノ御子様を迎えてから一年が経つ日でもある為、フルール王国が都”ハーギ”にある王城では、それを祝う夜会が催されていた――。


「のう、エリオントよ。大臣がのう、実は私様を驚かす贈り物があると申しておったのじゃが、そのぉ……まだかのう? ここまで焦らさずとも、良いのではないか? 私様はそれが気になって、気になって、気が気じゃないのじゃ――誰にも告げぬから、その贈り物とやらをこっそり教えてたもう」


「ふふふ――御子様を驚かせる贈り物の正体でしょうか?」


「そうじゃ! エリオントなら知っておろう? 私様は知らぬふりをして、驚いた振りをするから……じゃから、先に教えてたもう。私様とエリオントの仲じゃろう?」


 二人の歳は同じであるが、二人が持つ雰囲気は正反対である。

 大人美しいエリオントと対比する様に、神ノ御子様はそのあどけなさが抜けない守りたくなる顔で、潤ませた翡翠色の目で、神聖さを思わせる純白色に染まる髪の毛先をいじりながら、エリオントへ懇願する様に見上げている。

 純粋で何の計算もない神ノ御子様がする渾身のお願いという名の絶対要求。

 大人から子供まで、男から女までをも魅了する絶対要求おねがいは回避不可能である。が――。

 エリオントもまた絶対要求おねがいの心得があるゆえ効かない。そのため、エリオントは柔和な笑顔を崩さずもう一度『ふふふ』と含みのある声を出し、神ノ御子様を見つめる。

 この一年間で何度も行われている。

 何人なんぴとにも立ち入ることができない見つめ合い。

 純粋に濁りない目でただエリオントを見つめる神ノ御子様。

 反対にエリオントの脳内は目まぐるしく次々と考えを巡らせている。


 大臣が言ったとされる贈り物の正体、実のところそれはエリオントに知らされていない。

 だがその正体が、盛大に催されている一年を祝う夜会ということは容易に予想が付く。

 それにも拘わらず、神ノ御子様は贈り物の正体に気が付かない。

 あどけない容姿をしていようと、その頭脳は優れている。

 普段の聡い神ノ御子様なら、気が付ける筈だった。

 けれども――。

 外交経験が乏しいゆえに気が付かない。

 それ以上のものを期待していたゆえに気が付けない。


 エリオントには神ノ御子様が期待していたものの正体を当然に察している。

 可能ならば、エリオントとしても用意したいとさえ考えるものだ。

 だが、それは叶わない。故に――。


(困ったわね……)


 と。問題も起きずつつがなく進行した夜会も終わりに近い時間。

 とんだ罠が作動したことに、エリオントは頭を悩ませ、

 どうやって神ノ御子様を誤魔化す……ご納得いただこうかと瞬きの間に思考を巡らせた。

 カンゾウ島では、神ノ御子様の絶対要求おねがいは文字通り絶対。

 何が何でも叶えなければならないものと定められている。


 数百年前に世界を襲い、東の海洋大陸に住む生物を絶滅寸前にまで至らしめた隕石鉄群。

 当時、その犠牲は天照大神アマテラスオオミカミの子孫の命をも奪うものだった。

 だが――。

『行かなければならない』というただの勘。

 その勘に従った事で難を逃れた子孫が一人いた。現在で呼ぶカンゾウ島に逃れており、また、唯一このカンゾウ島だけが隕石鉄群の被害を免れていたのだ。


 未曽有の大災害。人々には希望が必要だった。

 故に、この子孫を神に愛される者と崇め、祀った。

 難を逃れた子孫の第六感は継承されて行き、

 人の身では考えられない超常の力へと移り代わる。

 いつしか子孫は神ノ御子様と呼ばれ始め、同時に超常の力は”祝福”と呼ばれ始めた――。


 そして現代より数十年前のことだ。

 当時、神ノ御子様が帝国へ留学中に行方不明となった。

 必死に探すも発見には至らず、見つかった物が神ノ御子様の身に着けていた――血に染まった衣服のみであった――。

 その数日後に帝国領へ隕石鉄群が堕ちた為に、『帝国の仕業だ』と人々の間で流布されたが、確かな証拠は何も残されていない。

 分かっていることは天照大神アマテラスオオミカミの子孫、その血脈が途絶えたということだけなのだ――。


 現代、神に仕える一族が住まうカンゾウ島では、鮮やかな緑色と廻り還りを表す白色が神聖化されている。

 植物や昆虫、動物が住まう森。

 人間にさまざまな恵みをもたらす、命がめぐる森の色。

 廻る命は一度、天へと還る。その天を表す色。

 自然を大切にする一族だからこそ、緑と白が崇められている。

 いつか、天照大神アマテラスオオミカミの子孫が再びこの世に生まれることを信じている。

 その中で――。翡翠色ひすいの目と純白色の髪を持って生まれた子供が、今エリオントの目の前にいる神ノ御子様となっている――。


「――御子様にひとしくフェリス様も楽しみでいらしたのでしょうか?」


 エリオントはひと先ず、神ノ御子様の付き人であるフェリス・イタス・イヨンへ問い掛けた。

 神ノ御子様のわがままを諫めてほしい、そんな思いもあったが、エリオントが抱く僅かな期待など、すぐに否定される事となる。


「神ノ御子様の御心ねがいを察し、それを叶える事がやつがれの努めでしょう。しかしながら、やつがれはまだまだ若輩である身。恥ずかしながら、察する事も難しい時がございます。おいては神ノ御子様唯一のご友人であらせられるエリオント第一王女殿下にその願いの一助を担っていただきたく。厚かましい願いではございますが、やつがれはそう乞うたく存じます」


 要は、この面倒の発端はフルール王国の大臣なのだから、エリオントが責任を負って何とかして下さい。付き人フェリスはそう言っているのだ。

 そしてこの時――付き人フェリスは首を振り、頭を下げたことで、色付きが揃わない灰色のまだら模様に染まる長髪が、付き人フェリスがする大仰な動きに合わせて揺れ動いた。

 一色が当たり前のフルール王国では珍しい特徴のある、まだら模様に染まる髪。

 普段は頭部から首まで隠れる絹の布で覆い隠されている為、エリオントの後ろに控える双子の妹ルクスがつい視線を向けてしまった。

 それを、同じくエリオントの後ろに控えている侍女アイビーと護衛騎士ローレア・クスノキ・オーレアが目で諫める。


「フェリス様、わたくしの配下がとんだご無礼をいたしました」


「ご配慮下さりありがとうございます。ですが、やつがれは盲目もうまく。視線には鈍いですので、どうぞお気になさらずに」


 これにエリオントがもう一度謝罪してから神ノ御子様へ向き合った。


「大臣が、御子様を思い用意された夜会ものです。それをわたくしが、それも御子様のお楽しみを奪う様な真似など――恐れ多い事です」


「よい! 私様が全て許す! じゃから早く――の英雄、グラス・氷海コウミ・イヴェールに会わせてたもう!!」


 エリオントは柔和な笑顔の下で、『そうよね、わたくしも会いたいわ』と呑気に考えている。

 それと同時に、会えないと答えたら留学当初のように部屋に引き籠ってしまうのだろうとも考えている。

 神ノ御子様は留学初日から機嫌を損ねてしまい、公務以外の時間は引き籠ってしまった。

 フルール王国は当然に焦った。何か不手際があったのではないかと考えたが、付き人フェリスは一貫して『こちらの事情です』としか答えない。


 数十年ぶりにこの世へ顕現けんげんしてくれたとする神ノ御子様。

 カンゾウ島から出ることはない――と、されていたのにも拘わらず、神ノ御子様が世を学ぶための留学先としてフルール王国を強く望んだ。

 それは、東の海洋大陸全土を驚かせる発表となったのだ。

 表向きの理由は、どの国よりも治安が安定しており、また神ノ御子様がフルール王国の花を好んでいるといったものだ。

 そして裏向き――ただの本音は、詩に聴く英雄グラス、幼き頃より憧れているグラスに会いたいから、フルール王国を選んだのだ。

 にも拘わらず、いざ留学に来ると当のグラスは北海の未開拓地イヴェールへ旅立ち、王都と比べて治安も安定していない為、会うことが叶わないと言うではないか。

 連れ戻そうにも、北海の未開拓地イヴェールで新たに見つかった人種族の反乱で、グラスを動かす事ができない。

 エリオントがようやく聞き出した神ノ御子様の本音を伝えられたフルール王が、機運の悪さに天を仰いだのは一年前のことである――――。


「まぁ、グラス様がこちらへお戻りになられているのですか? わたくしもグラス様とお会いしとうございます。御子様の後で構いませんので、その時は是非にわたくしへもお声がけをお願いしたく思います」


「もしや……エリオントも知らぬのか? 彼の英雄はエリオントの護衛騎士だったのじゃろう? なのに知らされておらぬのか?」


「ええ、わたくしはそのような事を一切聞かされておりません。大臣が本当にグラス様をお連れしているのでしたら、素晴らしい事ですわね」


 エリオントすら知らない、

 驚く様子を見せたエリオントを見た神ノ御子様は明らかに落胆する。

 自身が勘違いしていたことに、大臣が一言もグラスの名を言っていないことに、贈り物がこの盛大な夜会であることに、興奮から覚めた神ノ御子様は気付いたのだ。


「私様の勘違いじゃったのか……」


 神ノ御子様が期待するグラスを呼ぶことができていない。そもそも手配すらしていないのだから、来ているわけがない。

 そしてそれを認める訳にはいかない。

 認めてしまえば、贈り物の正体が『グラスと会わせる』が真になってしまうから。

 故に謝罪するわけにもいかず、とぼけるしかできなかった。

 エリオントは発端となった大臣に責を負わせたい気持ちもあったが、それではフルール王国全体の責となってしまう。

 そのため、神ノ御子様自ら勘違いに気付いて欲しかった。そして気付いた。

 神ノ御子様を引き籠らせない為にも、待っていたその言葉が出たところで、エリオントは一気に畳み掛ける。


「グラス様とお会いできた時に、御子様は何かしてもらいたいことはございますか?」


「……してもらいたいことかの?」


「ええ、そのとおりです。御子様が抱く姿勢から察するに、ただお会いしたいだけでフルール王国へいらしたとは思えず、何か他にグラス様へお願いでもあるのかと、失礼ながら邪推してしまいました」


「そうよのう……先ずはグラス・氷海コウミ・イヴェールより直接話が聞きたいかのう」


「ええ、ええ、よいと思います。間違いなく、時間を忘れる程に夢中となるでしょう――。他にはおありですか? この機会です、是非わたくしエリオントにお聞かせください」


 神ノ御子様の手を取り、エリオントは自身の胸へと押し当てた。

 カンゾウ島では神ノ御子様に触れる行為は恐れ多い事とされており、許されているのは付き人であるフェリスのみである。

 その行為を平然と行ったエリオントの気配を察した付き人フェリスの眉尻が、ほんの僅かに反応したが、咎めることはしない。

 友好の証として、エリオントにも許される特権となったからだ。

 そしてエリオントは手を繋ぐことで『友人』を強調して、自信の心臓に当てることで『信頼』を訴え、話を聞かせてほしいと願い伝えた。


「そうようのう、伝えるに少々こっぱずかしいのじゃが……私様とエリオントの仲じゃからな、仕方ないが特別じゃぞ?」


 エリオントの気持ちを素直に受け取った神ノ御子様は、口では仕方ないと言うがその表情はやはり素直だ。

 つま先で立ち、その嬉しそうにニコニコとさせた顔をエリオントの耳元へ近付け、小声で誰にも明かしていない望みを打ち明ける――。


「(伝えに違わぬ一角ひとかどの御仁とあらば、私様に名付けをしてもらいたいと思っておるのじゃ。じゃが、よいか? フェリに知られれば、間違いなく止められるゆえ内緒じゃぞ?)」


 エリオントから離れ満面の笑みを浮かべる神ノ御子様へ、エリオントは崩れそうになる柔面えがおを必死に維持している。


「う……ふふふ、ふふ――御子様は大胆なことをおっしゃられるのですね?」


 否。すでにその牙城は崩れかけである。エリオントの頬が引き攣り始めている。

 普段から口癖のように言っている、『直接会話したい』『共に狩りをしたい』『向日葵畑を見たい』などを希望すると予想していた。

 それがまさか、名付けを希望するとは――と。


 フルール王国では、三歳を迎えた子に親が和名を名付ける。

 だが、神に仕える一族が住むカンゾウ島では、

 神ノ御子様へ名付けする権利は伴侶にしか許されていない。

 それは広く有名である。

 つまり、神ノ御子様はグラスを伴侶に迎え入れることも視野に入れている。

 東の海洋大陸全土を揺るがすほどの発言。

 その不意に放たれた強力な一矢がエリオントの牙城を崩したのだ。



「お、おいエリオントや! 内緒じゃと申したじゃろうに!!」


 焦ったようにエリオントの手を取る神ノ御子様。

 二人の麗しき花姫がじゃれ合う様子を遠目に見ている者達は、微笑ましいものを見るかのような眼差しを向けている。

 だが、近くに控える侍女アイビーとルクス。そして付き人フェリスは二人のやり取りを見たり聞いただけで、どんな会話がなされたかを察していた為、その内心は穏やかでなく、生暖かい眼差しを向けるなと到底できなかった。そしてそれと同時に――。


『――これ以上の面倒が起きる前に有耶無耶にしてしまおう』


 と、空気の読める優秀な配下達の心が同じ方向へ揃った瞬間でもあった。


「「姫様」」

「神ノ御子様」


「「「そろそろ、よいお時間にございます――」」」


 と、声を揃えて、夜会の終了を告げる侍女と付き人。

 それによって落ち着きを取り戻したエリオントが側近に命じる。


「騎士オーレアとアイビーは御子様を送って差し上げて」


「はい、姫様――」と、臣下の礼を取るアイビー。


「命に従うのが臣下の務め。ですが、私は姫殿下の護衛騎士にございます。お側を離れる訳にはいきまする」


「わたくしの大切な友人へ礼を欠いたルクスを付ける訳にまいりません。分かって下さい、騎士オーレア」


「……は」と渋々な様子で命を受け取った騎士オーレア。

 これに居た堪れない気持ちとなった神ノ御子様が不要だと告げようとするが、付き人フェリスが側近を預ける心遣いを受け入れるのも友好の証と耳打ちする。


 最後に握手を交わし、エリオントがそれを見送る。

 夜会はまだまだ継続されるが、それは大人たちの時間となる。

 故に、エリオントもルクスを引き連れ寝所へ移動を開始する――。


「まさか、御子様があのような事をおっしゃるとは……予想の範疇を飛び越えてきました。わたくしとした事が失策もいいところです」


「ええ――危うく世界を滅ぼすまでの方法を考えてしまいました。ルクスにその様なことをさせないで下さい、姫様」


「貴女は本当に――グラス様のことになると見境がないわね」


「恐れながら――姫様もルクスと似た人種かと確信しております」


「ふふ、ああ言えばこう言う――貴女との会話は、どこかグラス様を彷彿させるわね。懐かしい気持ちになります。グラス様は、ケガや病気もなく元気にお過ごしでしょうか」


「トールやマリー様と共に、ルクスを忘れ楽しくお過ごしのようです――」


「ふふ、酷いお義兄様ですね――」


 ここで会話は途切れ、無言のまま寝所までの内廊下を進んで行く。

 そして、寝所へ到着したところで。


「それで、ルクス――いつも完璧なルクスが、不躾な視線を送るような礼を欠く行動を取った理由、それを聞かせてもらえるのかしら?」


 常にそばに控える、侍女アイビーと騎士オーレア。その二人にも聞かせたくない話がある。

 ルクスはエリオントと二人きりになりたい。

 そんなルクスからの訴えを、グラスに関わる何かだとエリオントは察していたのだ。


「姫様――最愛の義兄、グラス・氷海コウミ・イヴェールより大切な言伝を預かってございます。本日、欠けのない月が最も高く昇る頃に、ルクスと二人だけのお時間を頂戴したく存じます」


 第一王女殿下エリオントの寝所で誰にもはばかれることない時間の要求。


(これが騎士様のおっしゃっていたこと――)


 心で呟き、そっと目を閉じた。

 そして深呼吸してからゆっくりと開き。


 これを静かに頷き了承した。

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