第9話  馬鹿垂れが

「ほうほう――それで、マリー殿は我が愚息をったのか?」


 スレダ辺境伯は、自慢の口ひげに触れ、嫌味な表情を浮かべながらマリーに訊ねた。

 グラスは『それならここにおるワレは何だと言うのか』と小さく呟いた。


「聞こえておるぞ、馬鹿息子」


 そうであった。養父ちちは地獄耳の持ち主だった。

 グラスはそう心の中で呟く。


「地獄耳で悪かったな」


 的確に心を読まれたグラスは、居た堪れなさから頬を掻きつつ返事を戻す。


「ワレは夜風に当たって来ます」


「で、あるならば私も御伴いたします!!」


「いや、面倒を掛けて悪いが、マリーは養父ちちと幼子の相手を頼む」


 目を明るく輝かせ、ひたすらに肉を頬張る幼子。

 目を怪しく光らせ、ひたすらに養子グラスで遊ぼうとする養父。

 グラスは自身の手には余ると考え、部下へ押し付けようとする。

 グラスの傍にいたい、だが、命令には従いたい。そう思い悩むマリーへ、スレダ辺境伯が、グラスにとってはありがたくない文言の援護をくれる。


「マリー殿、愚息は恥ずかしがり屋でな。自分の話をされるのが苦手なのだよ。触れてやらないで欲しい。困った男が立ち去るのを静かにそっと見過ごすのも、淑女おいては良い部下の務めだと思わぬか?」


『淑女』そして『良い部下』。そのたった二言でマリーは陥落した。

 水面に反射する輝きみたいに目を爛々とさせ、浮かび掛けた腰を落としたのだ。

 今ばかりはありがたいが、やはり単純だ。もしかしたら阿呆かもしれない。

 オーレア侯爵は、密命を授ける人選を間違えたのではないだろうか。

 グラスは『ふー……』と溜め息を付き、陽気に盛り上がる宴席の場から退室する――。


「――みすぼらしい姿とは反対に、そこからのイヴェール卿は、それはもう――格好よかったのです!! 何せ、策を持って凶悪な狼を引き連れて盗賊どもを打ち果たしたのですから!!!!」


 と、扉襖の奥から聞こえてくるマリーの快活な声。

 合いの手が入り、さらに盛り上がる宴席と違って、グラスの心は冷めていた。

 それもそのはず。

 引き連れた訳ではなく、侵入者を許さないという狼の習性をただ利用したに過ぎないのだから。


 グラスはマリーと共に村で聞き取りを行い盗賊について調べた。

 この村も含め近隣の村々は、収穫も安定しており、穏やかな生活が続いているという話を聞いたグラスは、ひと先ず盗賊がこの辺の者でない可能性を疑った。

 自ら助けることはできない。だが、せめて正確な人数等の情報を調査して、代官へ報告しようと決めたグラスは、マリーにその旨を説明して村の警固を任せ、一人調査に出た。


 盗賊がやって来た方面を調べたことで、村人から聞いた倍の足跡と、川を越えた先にある別の村を襲うために下見に出ていたと見られる一団を見つけたグラスは、急ぎ村へと戻ったがマリーはすでに姿を消していた。


 グラスは頭を抱えた結果、一か八かの賭けに出る決断を下す。

 金を持っている――と、見える身なりに整えたグラスは鴨を装い、増援組と遭遇する場所へ身を出した。

 予定通り襲われることに成功。グラス持つ地図を古代物の地図だと偽り、これを奪わせた。

 盗賊に襲われた男の末路は、大抵が命ごと刈り取られる。

 だが、グラスは薄荷の粉末が入った布袋を盗賊に投げ、目を潰した隙に、森へ駆け込み逃げ果せた。


 その後は、狼の縄張りに入ったことで混乱に陥った盗賊たちのどさくさに紛れて、荷物持ちの下っ端を殺し、これに扮してマリーが囚われた場所へ向かうまでが事の顛末となっている。


 マリーと再会してからは、盗賊たちが逃げた方向と反対にある小さな洞穴ほらあなにマリーと女子供に身を潜めさせて、マリーが得意とする弓と矢を数本預け、グラスは洞穴の様子が見える近くの森で一夜を過ごし、朝になってから、川の手前で横たわる盗賊の亡骸と、狼が縄張りへ去ったことを確認した。


 幼い頃に危険な森で過ごした経験がグラスを活かしたのだ。

 薄荷の臭いを纏った侵入者と同じ臭いを纏った盗賊へ、狼が狙いを定める算段は付けていた。

 川の存在を知っていると仮定して、風上にある川へ逃げると――運に身を任せた。

 雨が降ることで、マリーそして女子供の臭いが消せると考え、風下にある洞穴ほらあなに隠した。


 駆け付けるよりも先にグラスが殺されていたら、盗賊が川でなく洞穴に逃げていたら、盗賊が予定よりも早く狼に狩られていたら、風向きが変わっていたら、雨が降らなければ――。

 どれか一つでも掛け違えていたら、救出どころか、危うく全滅に陥ることになったものなど、マリーが褒め称えてくれる策とは呼べない。こんなものは――。


「――博打のようなものだ」と、誰に聞かれることもない独り言をグラスは自傷気味に漏らした。

 格好良いと誇っていいのは、助けるべき部下や民草を危険に晒す様な、一か八かの賭けなどしない。自らの手で狼や盗賊を討てる者のことだ――。

 グラスは鬱屈とした心ごと飲みこむ様に、持ってきた徳利とっくりに直接口を付け、酒をあおり、嘆息する。


「ふう……」


 それから、こっそり忍び寄ろうとする者へ声を掛ける。


養父あなたも若くないのですから、悪戯心はほどほどになさって下され」


「ふん――つまらん男よのう」


「我が武勇伝は聞き終わったのですか?」


「はっはっはっ――」


 身内の前にだけみせる特徴のある『はっはっはっ』という、大きな笑い声を上げながらスレダ辺境伯はグラスの隣へ並ぶ。

 そして二人は徳利とっくりをコツンとぶつけ合う。

 笑い声にどこか懐かしさを覚えつつも、笑われている理由が己自身の為、グラスは居た堪れない気持ちでいる。


「――話を聞いたフルール姫がまた詩を作るやもしれんな?」


「……勘弁――してくれ」


 心から吐き出す本音を誤魔化す為に、話を変えることを決めたグラスはスレダ辺境伯へ問う。


「で――どう思われた?」


 主語のない質問に対して、スレダ辺境伯はひとしきり笑ってから、あっけらかんと答える。


「白だ。マリー殿はただの飾りだ。良い意味でも悪い意味でも純粋過ぎる。子供のようにまっさらで真っすぐなあの子には、密偵の真似事など無理だろうって」


「ま、だろうな――」


 人を見る目が確かな養父が言うならそうなのだろう――と、グラスは納得して徳利へ口を付ける。


「お前はどう考える? 聞かせてみよ」


「陛下がワレをこの地に送ったことへの警戒。もしくは単なる嫌がらせか……あるいはマリー殿が言ったように、ワレがマリー殿へ手を出すことをあわよくばと考えている――ことくらいしか思い付かなんだ」


 グラスが生まれるよりも昔から、養父スレダ辺境伯とオーレア侯爵の二人は政敵同士だ。

 戦で功を立てた平民の養父が、前フルール王の覚えも良かった為にオーレア侯爵が何かと突っかかっていたと聞いている。

 それを億劫に感じたスレダが、北海の未開拓地イヴェールからの防衛と開拓を自ら願い出て、辺境伯の位を得ている。

 異例の出世となったが、損な役回りから反対する者などおらず、そのままこの地が与えられることになった。


 そして、フルール王国とアントリュー帝国が技術同盟を結んだ年。

 グラスが十二の頃、その後十五の頃に参加したとある夜会で、グラスはオーレア侯爵からマリーを嫁にどうかと訊かれている。

 その目的は定かではないが、排除したはずの政敵が古代種”向日葵”の利権を得た事や、スレダの双子などの才を囲っている事への嫌がらせなのだろう。

 第一王女殿下からの覚えもいいグラスを派閥に取り込むことで、あわよくばそれらをまとめて奪い取ろうと考えたのかもしれない。

 当時、第一王女殿下がこれを阻止したことで事なきを得たのだが、またもやよからぬ事を考えて、マリーを部下に付けたのだろう――と、グラスは考えており、スレダ辺境伯へ返答した。


「ま――妥当だろう。だが、あいつが確実性のない中途半端で温い手を打つとは考えにくい。故に、マリー殿にも知らせていない何かしら重要な目的を付している可能性が大と考えておくのが無難だろうな」


「まあ――その辺は残してきたルクスに探らせている。ワレは何か分かるまでの間は『根』の可能性を模索するつもりよ」


「ふん――ところでお前は本当に子供を拾ってくるのう? マリー殿から聞いた話によると、あの幼子は北海の未開拓地イヴェール出身らしいじゃないか。間違いなく厄介を呼びよせるぞ?」


 そんなことは分かっている。

 けれど、盗賊から救出した女子供を村へ届けたはいいが、幼子だけは村人でなかった。

 目が覚めるとすでに盗賊に捕まっていたと幼子が言った事により、マリーの正義感が発揮され送り届けることになったのだ。

 故に、双子を拾った時と今回は違うとグラスは返答したのだが――。


「部下の行いは全てお前の責任だ、馬鹿垂れが――言い訳などしおって、情けない」


 ごもっともすぎる言葉と一緒に、数年ぶりとなる養父の拳が脳天へ叩き落とされる。

 危うく徳利を落とすところだった。

『ふん』と鼻を鳴らし去って行く養父へ、チカチカさせた目を向けると、養父とすれ違うようにこちらへ向かって歩く、どこか呆れ笑うマリーの姿がグラスの目に映ったのだ。


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