第二章 「戦争準備」

第8話 女騎士はグラスへ剣を突き刺す

 、グラスが組んだ旅程より一日遅れで、養父が治めるスレダ辺境伯領に到着したグラス。そしてマリーと保護された幼子。

 先の知らせが届き、グラスが数年ぶりに里帰りした理由は知っている養父だが、経緯までは知らない。

 そのため、到着して体を休める間もなくグラスは一通りの説明を行った。

 労いの言葉を掛けられた後。

 夕刻までの時間、旅で疲弊した体を休ませる事を許されたグラスたち一行いっこう

 そして、その晩に、歓待という名の宴会が催されることとなった――――。


「――して、マリー殿。その時の話をもう少し詳しく教えてはもらえぬか」


 お猪口ちょこを片手に持つ、グラスの養父『ダウゼ・大地アスタ・スレダ』が、すでに顔を赤らめ始めているマリー・ユズリハ・ロズへ訊ねた。


「お任せ下さい、閣下!! 不肖、この私めが! 細部まで語らせてもらいますぞ!!」


「おい、マリーよ。うぬは酒で散々失敗したのだから、それくらいに――」


「黙らぬか、愚息よ。ろくに顔も見せぬどころか、手紙すら送らぬ親不孝者の話をマリー殿が語ってくれようとしておるのだ。何を言っているか要領は得ないが、筆忠実ふでまめなトールをお前とルクスは見習うといい。分かったなら、お前は隅の方で明日以降のことでも考えておれ――」


 護衛騎士の任に就いたのだから仕方ないではないか――と、グラスは愚痴をこぼしたくなるが、護衛騎士の任に就く前なら時間はあった。

 にも拘らず、グラスは一度も帰らなかった。

 そうする内に護衛騎士へ選ばれ、帰ることができずにズルズルと――。

 今回、約十年ぶりの帰郷となったのだ。

 故にグラスは口を噤み、部屋の隅へと移動する事しかできなかった。


(やれやれ……人へ語る程に格好良い話などではないのだがな――)


 むしろ情けない話かもしれない――と、グラスは内心で付け加えながら酒をあおる。

 それから、どこか遠慮がちにグラスへ視線を向けるマリーに対して、グラスは頷くことで、語る許可を出す。

『ぱあっ』と、眩さを感じさせる程に明るい笑顔の花を咲かせたマリーによって、語られる盗賊退治の話。


「私はあの時、こう思ったのです――!!」


(それにしてもトールは筆忠実ふでまめだったのか。知らなんだ――)


 と、グラスが内心で呟くと同時に、今宵の酒のさかなが決定したのだ。


 ▽△▽


(ああ――私は今、騎士として正しき行いをしている)


 囚われた女子供を救出すべく、盗賊どもがねぐらとしている拠点へ立ち入ったマリー・ユズリハ・ロズは高揚していた。


(やはり、騎士として育ってきた私にとっては盗賊など相手にもならない)


 扱いに慣れているのは弓だが、盗賊相手なら剣でも通用する。

 立ち塞がる盗賊たちを次々に切り伏せ、進み行く。


(何を怖がる必要があったのか――)


 人を斬ることは初めてだった。初陣にも等しかった。

 だが、迷いはなかった。


(やはり、私が正しかった――)


 大義名分から、罪悪感や躊躇を覚える必要がなかったのだ。

 民を救いに来たマリーは、自分のことをまるで英雄の様だと錯覚していた。

 故に、マリーは罠に掛けられたとも知らず、真っすぐに突き進む。


「助けに参ったぞッッ!! 待っておれ、今、こやつらを亡き者にしてやろうぞッー!!」


 手首、足首を縛られ、自由を奪われた子供たち。

 人の皮を被った獣に、今にも食い物とされそうとなっている女たち。

 囚われた民を見たマリーは高らかに叫んだ。

 蜘蛛の子を散らす様に逃げ惑う盗賊たちを無視して、民の元へと駆けつける。

 女を子供たちの元へ導き、守るべき民を一個に固め集める。


「もう――大丈夫だ」


 声を掛け、民の前に立ち、振り返った時にようやく――。

 マリーは誘い入れられたことを悟った。


(な……なんだ、この人数は……)


 路に残されていた足跡は十人分。

 故に、囲まれさえしなければ一人でも十分に救出できる算段だった。

 実際、切り伏せた六人は大した腕を持っていなかった。

 残すは四人。これなら女子供をひと固めにしておけば守れる――と、考えたのにだ。

 振り向けば盗賊の数は元通りになっていたのだ。


(だが……半数以上が手負い。他のやつらも同じくらいの腕前なら――)


 一対一なら負けようもない。

 複数で来られても、傷は負うだろうがギリギリ切り抜けられる。

 マリーがそう考えて、近くの盗賊へ剣を構え直した時。


「おっと、動くな。すぐに仲間がやってくる。おいらたちはそれまで耐えればいい。諦めて剣を捨てろ。そしたら――へへ、命だけは救ってやってもいい」


 何という厭らしい、下卑たる顔だ。歪ませる表情の何たる気持ち悪さ。

 さらにイヴェール卿の読み通り、増援まで来るのか――と、内心で舌を打つ。

 マリーは、首から背中へ、背中から腰へ流れる冷たい汗の正体に気付けないまま、盗賊たちと対峙し続ける。


「へっへっへ、こっちまで出張ってきてよかったぜ。こーんなベッピンな騎士さんと知り合えたんだかんな。――よっと、昔の言い方だと一本釣りって言うのか?」


「高潔な騎士さんだ、きっと初もんだぜ」

「マグロの一本釣りってか!?」


「おいおい、上手い事いうじゃねーか? だが、マグロなら……料理のしがいがあるな――」


 下衆ゲスな会話が続く。あまりにも不快。それ故、マリーは条件反射に盗賊の男を睨み付けてしまう。


「ああ――っと、大人しくしろ? な? おいら、人の顔を覚えんのは苦手だが、騎士さんの顔は忘れらんねー。一目惚れってやつかもな。だからな、従順にしてくりゃ、なにも酷い扱いはしねーぜ? おいら専用にしてやってもいい。なんなら女子供あいつらの待遇も考えてやってもいい」


(……私に傷を付けたくないのか。それなら――)


「言っとくが、少しでも抵抗するなら容赦しねー。剣を捨てねーなら、ガキから殺す。さ、どうする? 最後だ、答えろ」


 マリーの希望をすぐさま圧し折った盗賊の言葉は脅しではないのだろう。マリーと会話する盗賊が目配せすると、配下らしき者たちが一斉に剣や槍を前に構えた。

 弓を持つ者は矢をつがえた。その狙いはマリーではなく子供へ定めている。


(くっ……もはやここまでか――)

 騎士の教えを受けている。だから命を惜しんだ訳ではない。

 けれども、マリーは足、それに剣の柄を握る手も震えている。

 絶望の色が心に沁み、剣を放そうとした時。


「ワオオオォォーーーーンッ」と、狼の遠吠えが聞こえてきた。

 空気を伝わり、その振動が耳だけでなく体全部にぶつかり、言いようのない戦慄を覚えさせた。

 それも一匹などではない。何匹もの狼が、威嚇する様に、狙いを定めたかの様に声を上げ、恐怖の旋律を奏でている。


「チッ――どこの馬鹿だッ!?!?」


 焦った様に叫んだ人物はマリーと対峙している男だ。

 次に、周囲を囲む者たちが男へ質問を投げ掛けていく。


「でもよお、お頭おかしら? 俺たちにゃあ関係ないんじゃあ……?」

「それに確かここいらの狼は人を襲わねーって……?」


「ああ、その通りだ。だが、縄張りへの侵入者は別だ。ここいらの狼は侵入者を絶対に許さない。疑わしき者も皆殺しだ……チッ、くそがぁーーッ!!!!」


 マリーと対峙するお頭と呼ばれた盗賊の男は、怒りを咆哮して地面を蹴飛ばした。


「ど……どうしやす!? おかしらぁっ!??」


「すぐに荷をまとめろ! 幸い、狼どもの狩りはまだ終わってねー。それに……女子供おとりもいる。おいらたちが逃げる時間くらいは――」


 お頭と呼ばれた人物がマリーたちをおとりとして残す事を決めた時だ。

『助けてくれー!!』と叫びながら、一人の男が駆け込んできた。

 逃げてきた男の正体は、増援に来るはずだった盗賊の仲間だそうだ。

 そしてその男は言った。

 ここに来る途中、身なりの良い一人の男を襲った。

 その男の手荷物から、何かを示す地図が見つかった。

 脅し訊いたところによると、身なりの良い男は、帝国で見つかった製鉄技術の様な古代物を求める探検家。

 これから宝の眠っている可能性がある、地図の地点に向かうところだった。


 場所は遠くない。ちょっと確認するだけ。増援組はそうほくそ笑んだ。

 けれど、この辺り出身のお頭から狼の縄張りには侵入するなと厳命されている。

 だが――。

(本当に古代物が見つかったら?)

 それを売れば。盗賊家業から足を洗える。一生生活に困らない程の財が手に入る。


 結果、狼の怒りを買い、狩られる立場に至ってしまったというわけだ――――。


「んで、他の奴らはどうした? どうしてお前だけ逃げ果せられたんだ?」


 盗賊の頭がした質問に、男は懐からある物を取り出し理由を説明した。

 身なりの良い探検家は腕が立つ訳でもないのに、狼の縄張りに侵入するつもりだった。

 だから何か考えがあるのではないかと疑い、問い詰めた。

 結果、薄荷ハッカの臭いを嫌う狼の習性を利用して、探検家は全身に薄荷の臭いを擦り付けるつもりだったと。


「んでお前が分捕ったと?」

「へ、へい……」

「なら、そいつをよこせ」

「いや、これはあっしが逃げる為の――」

「いいか? よく聞け。てめーは仲間を見捨てて一人で逃げ出した裏切り者だ。その裏切り者は本来殺してやりたいところだが……薄荷を差し出せば見逃してやるっていってんだ。な、あとは分かるだろ? だから寄こせ」


(仲間割れなどしている暇はないだろうに。醜い――)

 マリーがそう思った時。


「こんの――くそやろーがぁーーッッ!!」


 盗賊の頭は薄荷の入った布袋を受け取ってすぐに、逃げてきた男を殴り飛ばした。

 殴り飛ばされた男は、マリーの目の前まで転がってきて、頭を隠す様に体を縮み込ませた。


「てめぇーら、喜べ!! あの下っ端のおかげで薄荷は手に入った。だが、あの馬鹿が来たせいでおいらたちまで狼の標的に確定されちまった。荷はいい、今すぐ撤収だ!! とんだ大損だッッ、くそッッ!!!!」


「に、逃げるってどこへ!?」


「川だ!! この先に川がある……そこまでは薄荷で臭いを隠し、あとは川を利用して逃げる!! 運がよけりゃあ、誰かしらは生き残れんだろ」


 村から盗んだばかりに見える重い荷を諦め、肩に背負える荷だけを持つ者や、武器以外の何も持たず、一目散に頭の男が指さした方へ走り出した者。

 事の成り行きを、ただ、唖然と眺めているマリーに対して、頭の男は声を投げ掛けた。


「ここに残っても狼に食い殺されるだけだ。助かる方法はおいらたちと一緒に来る道しかない。どうするよ?」


「……私は最期の一瞬まで騎士の役割をまっとうするまで」


 一度は凄惨な未来を想像し絶望に染まりそうになった。

 だが、もう二度と屈したりしない。

 マリーは最後の最期まで女子供たみを守ると、そう決意した。


「残念だ――あばよ、ベッピンの騎士さん。一度くらい味わいたかったが……ま、おいらは命の方が大事だ。精々、最後まで足掻いて、おいらたちが逃げる時間を少しでも多く稼いでくれよな――」


 盗賊の頭は、吐き捨てる様に言うと、薄荷の葉を体に擦り付けながら森の奥へ姿を消して行った。

 その姿を見送ったマリーは、縮み込んでいる男へ一瞥も向けず、子供の自由を縛る縄を切る為、男へ背を向けた。が――。

 男が立ち上がる、その気配を察したマリーは、すぐに剣先を男へ向けた。


 うすら笑いを浮かべる気味の悪い男と反対に、マリーは油断しない。警戒を解かない。

 首元へ突きつけた剣先を下げぬまま、どうしてか既視感を覚える男へ怪訝な目を向けた。

 いかにも盗賊の風体。乱れた頭髪。汚れがこびりついた顔。つぎはぎだらけの衣。長年の垢が固まり付いて、紺とも紫ともいいようのない奇妙な色合いに変化した上着を纏う男に見覚えなどない。


「一体、お前は……」


「マリーよ。助けに来たのだが、ひと先ずはその剣を下してくれないか? 時間が惜しい」


 男は、向けられた剣先になど目もくれず、飄々とした様子で言った。

 そして、自身の名を呼ぶその声に聞き覚えがある。

 マリーがそう思った時、男は自分の名を明かした。


「分からぬか? ワレだ、グラスだ」


 名を聞いた途端、マリーは目をかっぴらいた。そして――。


「イ…………イヴェール卿!?!?」


 と、驚愕のあまり、足を一歩前に進め、さらには首元へ向けている剣を突き出しながらマリーは素っ頓狂な声を上げたのだ。


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