第7話 女騎士の頭はお花畑

「――まさか本当に降るとは」


 陽が昇る時刻。滝の様な雨が降った夜が明けてから、到着した宿の一室。

 マリーは、濡れた髪や体を拭きながら、そう呟いた。

 彼はどうして雨が降ると分かったのだろうか。

 訊いてみたいが、その機会は逃してしまった。

 彼の読み通りに進んでいたら、雨に打たれる事もなかった。

 気を使い『気にするな』と言った彼の引きつった笑顔を見ずに済んだ。

 彼の御仁は本当に雨が苦手なのだろう。

 それが確信できる程に、彼は顔を歪ませ、渋々といった様子でマリーの我儘を叶えてくれた。

 そしてそのことが、マリーに大きな溜め息を吐き出させた。


「はぁぁー……ご迷惑を掛けてしまった――」


 だが、マリーは見過ごせなかったのだ。

 盗賊に襲われた民を見過ごすなど、騎士としては到底許せなかった。

 彼は『管轄外だ』。『代官に報告して対応させるのが筋だ』。『何より二人では危険だ』。と言って拒絶した。

 マリーは衝撃を受けた。

 民を見捨てる様な、こんな人物が第一王女殿下の護衛騎士を務めていたのか――と。

 やはり、護衛騎士が最も似合う人物は、敬愛する兄様――ローレア・クスノキ・オーレアしかいなかったのだ。

 故に、補佐役という立場を忘れ、名ばかりの上役を見限り、連れ去られた女子供を取り戻すために、単独でも向かうと訴え出て、彼が離れた隙にそれを実行した。


 その結果は――盗賊の命を奪い、民を取り戻すことが叶った。

 だがそれは、マリー単独ではけして達成させる事のできなかった勝利である。

 彼が応援に駆け付けなければ。

 彼が策をもって盗賊に相対していなければ。

 マリーの命はなかった。いや、むしろ命を失うよりも惨い、騎士としての矜持や尊厳を失う様な目に遭わされていた可能性だって十分に考えられる。

 盗賊を侮り、自身の能力に自惚れ、無鉄砲に正義感を暴走させ、上役の命令に逆らった結果迎えていた本来あるべき未来。

 一歩間違えていたら、今こうして反省することは叶わなかった。

 自分だけでなく彼までをも危険な目に遭わせてしまった。

 そして、自分自身の悲惨な結末を想像したマリーは、今頃になって身を震わせる。

 でも――。


「凛々しかったな――」


 救出に現れた彼は、第三者から見たらとても凛々しい登場ではなかった。

 盗賊を打ち倒した方法も運任せに近いもので立派ではないかもしれない。

 けれど、マリーからは格好良く見えてしまったのだ。


「大きな借りを……」


 続きを呟く事はできなかった。”借り”などではぬるい。

 命の恩人に向かって、マリーは貸し借りなど言い切る事などできなかったのだ。

 生涯を賭しても、恩に報いなければならない。

 マリーは本心でそう思っている。


 だがしかし、それ故にマリーは困った状況に陥ってしまった。


 マリーはロズ子爵家の三女である。そして、そのロズ子爵家は、第一王女殿下の護衛騎士となった『ローレア・クスノキ・オーレア』の父、オーレア侯爵家の分家にあたる。

 そして今回、マリーはオーレア侯爵から密命を受けている。

『グラス・イヴェールを監視しろ』。『可能なら篭絡しろ』。『それが無理なら排除しろ』と。

 監視くらいなら、不器用な自分でも可能だろう。

 だが、篭絡は難しい。そもそも、女としての作法など何も学ばず男として過ごしきたのだ。そんな自分が男を篭絡させる事など無理だ。マリーはそう考えている。

 すると残されたものは『排除』となる。

 排除といっても、方法は一任されている。

 故に、『最優の騎士』と呼ばれるローレア兄様に憧れる、

 騎士道を重んじるマリーは物騒な方法は頭から切り捨てた。

 要は、王都に戻らせず五稜の地に縛り付ける何かを作ればいい、そう考えたのだ。


 だと言うのに――。

 マリーはグラスに頭が上がらなくなってしまった。

 篭絡するどころか、反対に身を捧げてもいい――いや、求められるなら、喜んで身を捧げたいとさえ思っている。

 けれど、オーレア侯爵の密命を無視することなど許されない。

 まさに板挟みの状況となってしまった。

 自らが招いた結果に、マリーは苦悩している。


「私は一体どうしたらよいのだろうか……」


 そう呟くと同時に、『トントントン』と扉が叩かれた。


「ワレだ、グラスだ。ちと時間はあるか、マリーよ」


 手拭いを投げ捨て、直立姿勢を取り、返事を戻す。


「は、問題ありません!」


 返事を戻した直後、マリーは下着すら身に纏わない自分の姿を思い出す。

 せめて手拭いで隠そう――ない。たった今放り投げたばかりだと、焦るマリー。


「入るぞ――」

「お、お待ちを!!!!」


 その願いは叶わず、マリーはグラスの前に裸体を晒してしまった。

 マリーは体や思考を硬直させ、顔を一気に染め上げた。

 今だけは向日葵の明かりが憎いかもしれない。

 暗闇でならば、彼の目に裸体を晒さずに済んだのにと、マリーは八つ当たり気味に向日葵へにらみを利かせた。

 それに対してグラスは、内心どうであれ、それをおくびにも出さず、冷静な態度を努め、マリーのつま先から頭へと視線を動かし、それから飄々ひょうひょうと言い放った。


「しなやかでいて引き締まっておる。して、出るところは出ている――うむ、良い体だ。だが、マリーよ。何も纏わぬ状態で出迎えるには感心しないな。それとも、もしやワレを誘っておるのか?」

「お…………お求めとあらば!!」


 彼はどうして冷静でいられるのだ。

 そして私は一体何を言っているのだ――と、マリーは心の中で叫んだ。

 グラスはその反対に、ワレの首を飛ばすつもりなのか――と、文字通りの意味で叫んでいる。


「……先の件を気にしておるのか? 反省すべき点はあるが、騎士として当然の精神を見せたのだ。ワレに対しては気にせずともよい」


「は、しかし――」


「マリーは確かに魅力的だ。ワレが軽い身であるならば、気持ちとしては今すぐにでも押し倒してやりたい。だが今は話がしたい。マリーの裸体はワレにとっては目の保養となるゆえ、このまま話合いをしてもよいが、この幼子には少々刺激的すぎるだろう」


 魅力的、押し倒したい、目の保養――と、グラスが自分に女としての魅力を感じている。

 そう捉えることのできる発言がマリーの頭の中をグルグルと巡らせ、反芻はんすうさせた。

 成人を迎えたばかりでいて、女として扱われてこなかった初心うぶなマリーには、グラスの太ももに抱き着き顔を隠す幼子同様に、少々刺激的な言だったのかもしれない。

 そして、口をアワアワと波揺らせ、マリーが一杯一杯になっている事はグラスにも見て取れた為、グラスは仕切り直しを提案する。


「腹も空いた。朝食を馳走するから、三十分後に下の酒場に来てくれ」


 グラスがそう告げると、幼子が顔をひょっこりと現した。


「あんちゃん! ワーも腹が空いた!」


「安心せい、うぬにも食わせてやるから。それより、何か思い出さぬか?」


「ワーのおっとうとあにぃ! 立派な戦士! ここに羊飼ってる!」


 幼子はひたいに掛かる前髪をどかし、全開にさせて何も描かれていない額をグラスへ見せる。


「ほー、そりゃまた格好良いのう」


「あんちゃんの首にあったやつもな!! 牙か何かかー?」


 体を拭くのに、幼子の前で裸になったグラス。

 幼子が指差す場所はグラスの首元であるから、昔討った狼の牙を首から下げているのを見られていたのだろう。

 そう結論付けたが、グラスはこれに返答しない。

 反対に幼子へ親の特徴を質問しながら、マリーへ手をヒラヒラとさせ幼子と共に退室していった。


 暫し――放心状態となったマリーも多少の落ち着きを取り戻し、着替えを済ませる。

 そして考えた。話合いとは何だろうか。

 もしや――あ、いや、彼のことだ。

 話す内容については幼子、もしくは旅程の変更に違いない。

 でも、イヴェール卿は褒めてくれた。

 だからもしかしたら――――と、普段より身嗜みに気を使い、足取りを軽くさせ、期待を胸に膨らませながら、酒場へ下りて行った。


 マリーは愚直で素直な性格の持ち主だ。

 監視者としては不向きな性格をしている。人選違いもいいところだろう。

 そして監視対象に窮地を救われた脳内お花畑の女騎士は、まだ知らなかった。


 勇気を振り絞り誘うも、部下と体を結ぶつもりはないと言われる未来を。

『冗談です』などと見え透いた嘘を付き、羞恥の心を誤魔化す様に、ローレア・クスノキ・オーレアについて語り、グラスに勘違いされる未来を。

 グラスの静止を振り切り朝からしこたま酒を浴びる未来を。

 飲んだ挙句、密命をペラペラと話してしまう未来を。

 酔い潰れて、旅程を丸一日ずらしてしまう未来を。

 翌朝、後悔と羞恥にむしばまれて、頭を抱え悶絶する未来を。


 マリー・ユズリハ・ロズは知らなかった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る