第八章 大臣の演説

第40話 演説原稿の依頼

 それがしばらく続いた。

 そんなある日、鷹高田がやって来た。鷹高田は部屋に入ると、襖を閉める前から話し始めた。

 「先生、やはり継続は力でございますね。新聞でのお仕事を続けてこられた事が切っ掛けになりまして、先生をお名指しでのお仕事の依頼が参りました」

 無草は振り向いて鷹高田の顔を見た。顔は明るく溌剌としていた。


 「新聞が切っ掛けというのはどういうことかね?」と無草は聞いた。

 鷹高田は答えた。

 「はい、先生の投稿をお読みになった方の中に、是非とも先生に演説の原稿を書いて頂きたいとおっしゃる方がいらっしゃいます。」

 無草は訝って聞いた。

「演説の原稿ですか? それは変わった依頼だね。どんな人物からの話ですか? それに、君は私の投稿を読んだ人と言ったけれど、最初の頃に投稿したものはともかく、新聞社に頼まれて書くようになってからのものは、読んだところで私が書いたものだということは分からないと思うんだがね」


 「はい、今の二つのお尋ねへの答えは一つです」と鷹高田は答えた。「ご依頼の主は国会議員の先生なのです」

 「国会議員だって?」と、無草が驚いて声を出した。

 「はい。衆議院議員の後権田ごごんだ武三たけぞうさんです。先生、ご存じの方だと思いますが」

 「後権田武三というのは、ゴゴンタケのことかね? 彼ならもちろん知っているよ。この辺の代議士だからね」

 「ゴゴンタケ、ですか?」と、鷹高田がおうむ返しに言った。

 「ああ。この辺じゃあ、後権田武三を縮めてゴゴンタケと呼ぶんだよ。本名で呼ぶなんて、本人が近くにいる時ぐらいのものだよ」

 「なるほど、そうですか」


 「今のは確か四代目のはずだよ。私が知っているのは先代からなんだけどね。代々名前に『武』の字が付けてあるんだよ。それなら、ずっと『ゴゴンタケ』で通じるからね。それが選挙の時には随分と役に立つそうなんだ。何でも、息子二人の名前にも『武』の字が付けてあるそうだよ」

 鷹高田は唖然とした様子で聞いていた。

 「選挙の時は大変だよ。『ゴゴンタケ、ゴゴンタケ』って大声を出しながら、選挙カーが我が家の前も通って行くんだよ。こんな住宅街、昼間家に居る人間の数なんて高が知れていると思うんだがね」


 「はあ」と、気の抜けたような返事をして、鷹高田が言った。

「そうすると、後権田さんがこの前の内閣改造で入閣なさったことは、ご存じでいらっしゃいますね?」

 「ああ、それはもちろんだよ。新聞の一面に顔写真付きで載るんだからね。でも知った時には随分と驚いたよ。何せお騒がせの人物だからね」

 「話題には事欠かない方のようですね。舌禍事件が多かったと聞いています。新聞社で聞いた話ですと、サービス精神が旺盛な方でその意味では一部に人気もあるようなのですが、ついつい言い過ぎることが多くて酷く嫌う向きもある、ということでした。何でも、環境大臣就任会見の席で場を和ませたかったのか、『私みたいな神経痛の人間にとっては、暖かくなる地球温暖化は好都合だよ』と話して、逆に顰蹙を買ってしまったそうです」


 「ほう。そんなことがありましたか。新聞やテレビは見ていたけれど、気付かなかったな」と無草が含み笑いを浮かべて言った。「それで、いったいどんな原稿を望んでおられるのですか」

 「はい」と、畏まって鷹高田が話し始めた。「来月、京都で環境問題に関する会議が開かれることになっております。世界各国のNGOやNPOの代表、それに研究機関の専門家が集まります。国が主催する会議という訳ではありませんが、ホスト国として環境大臣が会議の冒頭で講演をすることになっております。これは後権田さんが大臣に就任される前から決まっていたことです。今回先生にご依頼したいのは、この講演の原稿なのです。」


 鷹高田はここで一息つき、無草の顔を見て言った。

 「こういう場合、大臣が出席することで、日本政府が会議に重きを置いているのだ、ということを示すことが大切になります。ですから、大臣の講演といっても実際には簡単な挨拶程度の内容で済ませることが普通です。ですが、今回環境省としましては、これを機会に環境問題の解決において日本がイニシアチブを取ることを目指しています」

 「なるほど。環境省の人ならそう考えるかも知れませんね。でも、そうだとすれば、原稿は役所の人間が書いてくれるのではないかな」


 「はい。普通ならそうです。でも、今回はそれが敵わないのです」

 「それはどうしてですか?」

 「後権田さんとお役人たちの間に軋轢があるというのが理由です」

 「軋轢ですか? 何があったのです?」

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