第七章 新聞の投稿

第38話 出版不況の波

 年が明け、何度か寒気が押し寄せて来た。最後のはとても強くて、都内でも随分と雪が積もって大変だった。

 そうして、さすがにもう酷い寒気は来ないだろうなと思い始めた頃、いつもの車の音が聞こえて、鷹高田がやって来た。チャイムが鳴り妻の低い声がして、鷹高田は部屋に入って来た。今日は手土産はないようだ。


 文机に向かっていた無草は、振り向きながら声を掛けた。

「やあ鷹高田君、随分と久しぶりだね」

 そうして、鷹高田の方を見たが、その顔は沈み、目には力が感じられなかった。

「どうしたんだね。元気がないように見えますよ」と無草は尋ねた。


 鷹高田は座りながら言った。

 「先生、いけません。最悪です。出版不況の大波が我社にも押し寄せて参りました。出すもの、出すもの、全く売れずにそのまま帰って来てしまいます。倉庫も会議室も返品された本で溢れかえっています」

 鷹高田は肩を落とした。


 「秋に新企画として猫カレンダーと犬カレンダーを出しました。しかし、あの手のは競合が多いですから、全くぱっとしませんでした。それで、今度はクリスマスに合わせて、ブランドムックと呼ぶと分かり易いでしょうか、プレゼント用の小さなペンダントを付けた恋愛ものを出したのです。しかし、これが全く売れませんで、大量に戻って来てしまいました。そこで、クリスマス向けからバレンタインのお返し向けにと、表紙だけを変えて出したのですが、これもさっぱりでした。今はサンジョルディの日に合わせてもう一度出そうと計画しているのですが、こちらは始めから望み薄です」

 ここで鷹高田は深いため息を吐いた。


 「この夏のボーナスは現物支給だと、社内ではもっぱらの噂になっています」

 あの社長ならやりかねないな、と無草は思った。

 鷹高田の様子を見兼ねて、無草は何か声を掛けようかと思ったが、元気付ける適当な言葉が見つからなかった。仕方なく黙っていると、鷹高田が机の上の原稿用紙を覗き込んで聞いてきた。


 「先生。先生の方は新しいお仕事ですか」

 無草は鷹高田の目を見た。鷹高田は、自分が持ち込んではいない仕事を無草が引き受けたのだと考えて、気を悪くしているように見えた。無草は答えた。

 「ああ、これね。これは新聞への投稿ですよ」

 鷹高田はいくらか驚いて言った。

 「先生、投稿なんかをしておいでなのですか?」


 「いやね」と照れながら無草が答えた。「一度、暇を持て余しているときに、家で取っている新聞に投稿したことがあるんだよ。そうしたら、それを気に入ってもらったようでね。ときおり、話題を決めて賛成、反対の立場から論じ合う企画があるでしょう。それに書いてくれないかと頼んできたんだよ」

 鷹高田は驚いたような目付きで聞いていた。無草は続けた。

 「それで、そんなのをしばらく続けていたんだけれどね、しばらくしたら、賛成、反対と分からない、の三つの立場で書いてくれないかと言ってきたんだよ」


 鷹高田が目を見開いた。

 「そんなことがあるのですか」

 「いやぁ、こっちも驚いたよ。でも、あの業界も昨今は結構苦しいらしくてね。事情を聞いてみると、投稿がなかなか集まらなくて困っているらしいんだ。」

 「そうなんですか」

 鷹高田が言った。同病相憐れむといった感じだった。


 「皆が本を買わなくなっているのと同じで、新聞も取る家が減っているでしょう。若い人が独立したところで、新聞を頼む人はそれほどいませんよ。テレビにしてもそうでしょう。まあ、どちらも固定電話を取り付ける人よりは多いと思うんだけど。この三つはどれもスマホ一台で済んでしまうからね。そんな訳で新聞への投稿自体が減っているらしいんだよ」

 「あちらもお困りなのですね」と、鷹高田が同情した。


 「それよりも拙いのはね、投稿内容の偏りだそうだよ。若い人は何かを伝えるなり訴えるなりしたければ、写真や動画を録ってSNSに上げますからね。勢い、新聞に投稿するのは年配の人が多くなる訳です。すると、投稿の内容も健康のことと、孫の自慢話ばかりになってくるそうなんだ。そうして、投稿する人の年齢が高くなるとね、時々の話題に対する賛否も偏ってきてしまうから、中立を旨とする新聞としては都合が悪いようなんだよ」

 「なるほど」


 「それで私の所に、賛成、反対、分からない、の三つで書いて欲しいと頼んできたらしいんだ。まあ、どんな問題でも、三つの立場で書けと言われれば何とかなるんだけれどね。困ったのは文体だよ。三つがどれも同じ文体じゃあ可笑しいからね。そうしたら、先方がいくつか実際の投稿を送って来てくれてね。特に若い人の文章なんかは随分と参考になりました。やってみるとそこそこ面白いし、それにこれからの仕事に役に立つかもしれないと思ってね、続けているんだよ」

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