第32話 旅

 翌日、無草と鷹高田は新幹線でまず名古屋へ向かった。

 南並サイドが用意してくれたのはグリーン車の席で、至極快適だった。ときおり、車窓から海が見えて、澄んだ青い空の下、波が輝いていた。


 二人は早めの昼食に弁当を食べ、ビールを飲んだ。名古屋までは時間があったから、二人は色々と話した。

 無草は前日の妻の様子を語った。

「参ったよ。余程の土産を持って帰らないと、しばらくは大変だろうと思う」

 そう言って、ちらと鷹高田の方に目をやった。鷹高田は表情を変えず、ビールの缶を口に持っていった。メッセージはきちんと伝わるだろうか、と無草は思った。


 それから、無草は旅のことを話した。

「列車の旅は良い。私はこの振動が好きなんだ。車輪が、地面と一体になったレールの上を転がりながら進んで行く。その感じが伝わってきて、なんとも良い。横を見ると景色が動いて、自分が空間の中をスーッと移動しているのが分かるんだ。車の場合どうしてもスピードにむらがあるから、その分いま一つという感じがするね。


 飛行機はいけません。あの振動は穏やかじゃない。一度北海道へ行ったとき乱気流に出くわしてね。酷い目に合ったよ。

 飛行機が飛んでいくのを見て、大空を鳥が優雅に舞う様子を思い浮かべる向きもあるけれど、あれは全くの間違いだよ。あれは濁流の中を揉まれながら流れて行く木っ端だよ。飛行機が揺れるときというのは、一瞬のうちに数十センチ、場合によってはメートル単位で上下、左右に振られているんだ。それがたまたま上空で起きているから大丈夫なだけで、地上付近で起きれば墜落だよ」

 無草は鷹高田の様子を窺うと、鷹高田はやはりビールを飲みながら黙って聞いていた。頬に見える仄かな笑みから、無草の言い分を大袈裟と捉えているようだった。


「一度そのことが分かるとね、もう恐ろしくて飛行機なんかには乗れなくなるよ。落っこちるなんてことは、そうあることじゃないと頭では理解していてもね、体の方は納得しないんだよ。体がこわ張ってね、拒否反応を起こしてしまうんだ。PTSDなんて言うと、ちょっとオーバーだけどね。北海道からの帰りは大変だったよ。もう二度と御免だね。」


 ビールのほど好い酔いに包まれているうち、二時間ばかりで名古屋に着いた。

 名古屋駅からホテルまでは直通のバスが出ていると聞いていたので、二人はバスターミナルで乗り場を見つけ、それに乗った。


 バスは出発するとすぐに高速に入った。車窓に見えるのはコンクリートの壁とその奥に覗くビルばかりで、一向に面白みがなかった。そして、そのまま三、四十分も同じ景色が続いた。やがてビルの群れが途切れてしばらくすると、大きな川をいくつか渡った。そうしてバスは三重に入ったらしかった。すると、遠くの方に海が見えて来た。


 無草が海とそこに浮かぶ大きな船を眺めていると、パフレットの表紙にあった写真と同じアングルのホテルが見えて来た。巨大だった。遊園地の目玉らしいジェットコースターはホテルの建物と同じかそれ以上の高さがあるように見えた。こりゃテーマパークだなと、無草は思った。


 ホテルに到着し鷹高田がフロントで名を告げると、少し待つように言われた。間もなく、粗荒井が顔を見せた。

 粗荒井は「遠い所までおいで下さり有難うございます」と礼を述べて、「道中いかがでございましたか」と尋ねた。

 「快適でした」と無草が答えると、

 「昼食はお済みですか」と聞いてきた。

 「お気遣いをどうも、済ませて来ました」

 無草はそう答えた。そして、弁当よりはここの食事の方が良かったかなと思って、少し悔やんだ。


 部屋へ案内しながら、粗荒井はその後の段取りを説明した。

 「演芸場では今日も夕方から公演が予定されています。ですから、明日のためのリハーサルは、バンドが集まる三時頃から四時過ぎまでの予定で行われます。南並はその場に参ります。時間になりましたらお迎えに上がりますので、それまでお部屋でお休み下さい」


 部屋は九階にあった。入るとすぐに座敷で、その奥に障子を隔てて応接セットを備えた板の間があった。その壁は一面ガラス張りの窓になっていて、部屋が高い所にあるので遥か遠くまで海が見渡せた。

 他に和室と洋室の寝室があった。そこで、無草と鷹高田は部屋を分けて眠ることにした。その方が、互いに気を使わなくて済む。

 二人が落ち着くと、先程からずっと腕時計のことを気にしていた粗荒井は「それでは後ほど」と言って出ていった。


 俺のような代打がこんな良い部屋に泊まるのなら南並はどんな部屋に泊まるのだろう、と無草は気になった。

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作家 秋野原無草の執筆記 堀久男 @faria

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