第六章 影武者

第29話 『ルンバで南並』

 秋になって、無草は南並が新曲を出したというニュースを新聞で読んだ。記事には、三十周年のことと、アバターが可愛くて人気だ、ということが書いてあった。もちろん、無草には曲を聞く気などなかった。


 それから十日ほど経った日の午後、いつもの車の音が聞こえて来た。そして、その後ろからもう一台車が続いて来るのが分かった。珍しいことだ。この時間帯、この辺りを通る車は多くない。

 二台は一緒に止まった。

 チャイムが鳴って扉が開き、賑やかな声が聞こえて来た。鷹高田が何かを持って来たのだろう。声には鷹高田と妻以外のものも混じっていた。


 しばらく声が続いてから鷹高田が入って来た。その後ろにもう一人の男が続いた。丸っこい感じの、南並のマネージャーだった。特段背が低いという訳ではないが、すらりのっぽの鷹高田の脇に立ち、丸っこい顔に丸い縁の眼鏡を掛けているので丸さが際立って見えた。


 「先生。お久しぶりでございます」と、鷹高田が笑顔で言った。「今日は南並先生のマネージャーの粗荒井あらあらいさんをお連れしました」

 粗荒井は「どうも」と言いながら頭を下げた。

 「やあ、どうも」と、無草が答えて言った。「渋谷のスタジオではお世話になりました」

 「とんでもない。却ってこちらこそ」と、粗荒井が答えた。無草は「まあ、どうぞ」と、二人に座るよう促した。だが、部屋には客用の座布団は一枚しか置いてなかった。慌てて押し入れから出すのも何だな。ほこりを立てたくもないし。どうしたものだろうと無草が考えていると、鷹高田は気を利かして座布団を粗荒井に譲り、自分は直に畳に座った。粗荒井は頭を下げ、遠慮がちに座布団に座った。連絡もせずに来るのが間違いなのだよ、と無草は思った。


 「先生」と、鷹高田が声を掛けた。「南並先生の新曲が無事に発売されたことはご存じかと思います。」

 無草は頷いた。

 「大変好評だそうです」

 「それは何よりです」

 無草がそう答えると、粗荒井は深々と頭を下げて言った。

 「秋野原先生。心からお礼申し上げます」

 そして、顔を上げると続けた。

「お陰を持ちまして、三十周年記念曲『ルンバで南並』、大ヒットでございます。南並がこれまでに出した曲の中でも上位の売り上げを記録しております。」

「そうですか」と微笑みながら無草が言った。


「乗りの良い曲ですので、その辺が受けているようです。それに、南並のアバターが話題になっております。踊りが可愛いと、若い女性の間でも人気が出まして、マスコット人形が飛ぶように売れております。これは予想もしなかった嬉しい結果です」

「ほお。南並さんの人形ですか。それは是非とも一度拝見したいものですね」

 無草がそう言うと、笑みを浮かべて粗荒井が答えた。

「今日いくつかお持ちしました。先程奥様にご覧頂きました」

 なるほど、賑やかだったのはそのせいか、と無草は思った。

「それはどうも」と無草は答えた。「すると、今日はそれでわざわざおいで下さったのですか」


「はあ」と言う粗荒井の声はトーンが落ちた。すると、助けるかのように鷹高田が話し始めた。

「先生。本日二人でお伺いしましたのは、お願いしたいことがあるからでございます」

 無草は身構えた。いやな展開だ。

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