第27話 三十周年記念曲

 週が明け、いつもの車の音が聞こえ、鷹高田が来た。

「先生。先日はお疲れ様でございました」と鷹高田が言った。

「うん。どうにも不思議な依頼だったけど、まあ、先方が言ってきたことだし、あれで良かったのかなと思うよ」


「先生。今日はお願いがあって参りました」

 鷹高田が話し始めるのを聞いて、無草は、今度はどんなものを書くことになるのだろうか、と思った。そして、「伺いましょう」と答えた。

 「実は、南並さんからのお話なのです」

 鷹高田はためらいがちに話し始めた。

 無草は驚いて尋ねた。

「何かクレームでもありましたか? あれでもう終わったのだと思っていたんだけどね」

「クレームなどとは、とんでもない」と、鷹高田は慌てて言った。「全く逆でございます。南並さん、先生の歌を絶賛なさっておいでです」

「じゃあ、何だと言うのかね?」


「はい。それが、これまでお話しして来なかったことがございまして……」

 と、鷹高田は再び口ごもった。無草は眉を顰めた。

「これは、是非とも内密にして頂かないといけないのですが、実は、南並さん、三月ほど前にコロナに罹ってしまわれたそうなのです」

「それは……」と、無草が声を出した。鷹高田は慌てて付け加えた。

「幸い症状は重くありませんでした。高熱が出たという訳でもなく、入院には至りませんで、自宅療養で済みました。ですが、喉に症状が現れまして、一週間ほどは苦しまれたようです」

「そうでしたか」

 無草は頷いた。話してなかったことと言うのはコロナのことだったのか、と思った。まあ、進んで話すことではないだろうし、当然と言えば当然のことかも知れないな。


「元々、舞台やコンサートは中止になっていましたので、幸いというと変な話になってしまいますが、お仕事の方に影響はなかったようです。ただ、喉の痛みが治まって、歌の練習を再開しましたところ、今一つ本調子ではない、とお感じになったそうなのです。特に、『こぶし』を利かせるところで違和感が強くなるようです」

 「なるほど」と無草は答えた。


 「それに、もう一つ事情がございます。南並さんは今年、芸能活動開始から三十周年を迎えられます。そこで、この秋には記念の曲を発表して、それを引っ提げて全国ツアーを展開するという計画が準備されています。計画の方は、もう二年以上前から検討が進められております。南並さんクラスの歌手ですので、南並さんが冠番組を持っておられますテレビ局やスポンサー企業を始めとして、大勢が関わっております。そんな中でコロナが襲って参りまして、計画の方は一旦白紙に戻すことになりました。コロナの先行きがはっきりしないことを考えますと、計画自体を危ぶむ声も一部にはございます。しかし、三十周年というのは一度切りのことですので、南並さんサイドとしましては、そう簡単に諦めるという訳には参りません。そこで、ごく少数の関係者だけで進められていた計画がございます。その計画と申しますのは、こうです」


 鷹高田がひと息付いた。

「元々、三十周年記念曲はこれまでとは曲調を変えようということで進められておりました。これまでより少し明るい感じで行こうということです。今回のことを機にそれを一歩先に進めまして、いっそ演歌からは離れた感じで行こうということになったのです。それなら『こぶし』の必要もありませんので、喉への負担も少ないだろうと踏んだのです。それに、もう一つ、まだ以前のように大規模なコンサートは開くことはできませんので、この曲は、インターネットでの配信を中心にしていこうということになったのです。それですと、一旦ビデオに収めておけば南並さんは喉を使う必要がなくなるわけです。


 ただ、そうしますと、『こぶし』がない分インパクトに欠けてしまいます。そこで、南並さんには踊りを交えて歌って頂いてはどうかという案が出て来ました、南並さんも面白そうだと了解されました。南並さんはコロナで休養していたこともありまして、筋力が多少落ちていたようです。そのため、体力を戻す目的もあって、現在そちらの練習をなさっておいでです」

「ほう。あの人が踊るのですか」と、無草は少し驚いて言った。南並が、曲に合わせて手を差し出したり、力こぶしを作ったりする姿は思い描くことができた。だが、踊るとなると話は別で、そんな様子は全く想像できなかった。


「はあ、南並さん、結構乗り気だと聞いております。ビデオの中では、歌の途中で背景や衣装を変えてみようと話を進めておりました。若手グループのビデオクリップなどではよく見掛ける方法です。南並さんのイメージを変えるには持って来いだと判断されました。そんなふうに話を進めるうちに、それならいっそのこと南並さんのアバターを登場させて、もう一段のパワーアップを図ってはどうかという案が出まして、その方向で進めているようです」

「それは、あの人がアニメになって出て来るということですか」と、無草が聞いた。

「そうです」と、鷹高田が答えた。「スケッチを拝見したのですが、なかなか愛嬌のある姿に仕上がっておりました」

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