第24話 歌の依頼

 週が明けた。いつもの車の音が聞こえて、鷹高田がやって来た。

 主任になれば新しい車になると鷹高田は言っていたが、そのことはどうなったのだろう、と無草は気になった。だが、鷹高田に聞くのは止めておくことにした。車の手配が遅れているだけなのかも知れないし、あるいは、会社の約束など所詮そんなものなのかも知れない。後の方であれば、そのことを話題にするのは鷹高田には酷だ。


 鷹高田が部屋に入って来ると、無草の方から声を掛けた。

「この前は有難う」

 それに対して鷹高田は頭を下げ、それから出された座布団に座った。

「先生」と鷹高田が話し始めた。「今日は、先生に可能かどうかご考慮願いたい事案があって参りました」

 無草は怪訝に思った。鷹高田の話しぶりが妙に大袈裟だったからだ。『可能かどうか』などと言ってきたことなど、とんと記憶がなかった。


「可能かどうかって、何がですか?」

「はい」と鷹高田は答えた。「あの翌日、南並さんのマネージャーが会社の方に来られました。あの夜、帰りがけに声を掛けて来られたのは、やはり単なる挨拶ではなかったと分かりました。彼の話を聞きますと、先生にお願いしたいことがあるということでした。本来ならば、すぐにこちらにお邪魔して先生にお話しするべきだったと思うのですが、社として検討しなければならないことがございまして、お伺いするのが今日になってしまいました」


「なるほど」と無草は落ち着いて答えた。南並が頼んできたというなら歌詞を書いてくれということだろう。確かに俺は、歌詞や詩というのは書いたことがない。だから、『可能かどうか』などと尋ねてきたのだろうが、まあ何とかなるだろう。

 だけど、鷹高田は『社として検討』と言ったな。鷹高田のところも詩集の一つや二つは出しているだろうから、今さら何を『検討』することがあるのだろうか。

 それに、待てよ。俺が物書きであることを、南並はどうやって知ったのだろう。


 すると、鷹高田が続けた。

「それがです。南並さんからのご依頼と申しますのは、先生に歌を歌って欲しい、ということなのです」

「何! 歌うだって」と無草は眼を丸くした。その後の言葉が見つからなかった。

「はい」と答えて、鷹高田が説明を始めた。「南並さんは、先日、先生が歌うのをお聞きになりまして、ひどく心を揺さぶられたのだそうです」

「ふむ?」と無草は訝った。『心を揺さぶられた』だって?あの大物歌手が、素人の歌に何を感じたというのだ。まあ、俺は音痴ではないし、声には多少自信があるが。


「はあ。あの歌は元々、鄙村ひなむらなつみさんの持ち歌で、鄙村さんと言えば『こぶし』を利かせた歌い方で有名です。ところが先生は、彼女の歌を、力んだり声を濁らせたりせずに歌われました。南並さんは、これがあの歌かと、新しい魅力を感じ取られたようで、大変興味をお持ちになったようです。」

「ほう」と無草は答えた。玄人の歌手から褒められたと聞いて、悪い気はしなかった。


「南並さんは、この度デビュー三十周年を迎えられまして、それに合わせて新しい曲を発表なさる予定でいらっしゃいます。そして、その曲はこれまでにない感じを持つ、新しい演歌にしたいとお考えなのだそうです。そんな折に、ちょうど先生の歌をお聞きになったのです。それで、閃かれて、先生の歌い方を新しい歌い方の一助にしたい、ということで相談に来られたのです」


「なるほど」と答え、無草は黙り込んで考えた。どう返事をしたものだろうか。話はもっともらしく聞こえる。だが、鷹高田が今話したことをそのまま受け取って良いのだろうか。何と言っても相手はプロ中のプロだ。そんな大物が、素人の俺に歌ってみてくれと頼んでくるなんて。歌うことを頼む相手なら、他に誰でもいるだろうに。何か裏があったりするのではないか。


 そう考えながら、無草は鷹高田のほうに顔を向けた。が、鷹高田は脇の鞄に目を落としていて、鞄の中に手を入れながら話し続けた。

「先方のご意向はこうでございます」と言って、鷹高田は紙束とCDケースを差し出した。「これが新曲になります。譜面はこちらですが、それだけでは分かりにくいでしょうからと、先方が旋律をピアノで弾いたものを作ってくれました。これをお聞きになって、譜面にある歌詞を歌って頂きたいということです」


「ふむ」と言って、無草は譜面の紙束を手にした。そして、表紙をめくって譜面を見た。素人の無草には、音符から音を感じ取ることはできなかった。

 無草は歌詞に目をやった。義理とか人情、それに生きる辛さを感じさせるような言葉はなかった。歌われる情景にも冷たい雨や雪は降ってなくて、耐え忍ぶ姿を歌い上げる演歌ではなさそうだ。却って爽やかな秋の風がモチーフの、軽い感じの歌だった。

 なるほど、新たな方向を模索しているようだな、と無草は思った。


「先生にはこの歌を十日ほど練習して頂いて、その後、スタジオで歌って頂きたいということです」と、鷹高田が言った。「歌い方についての注文はございません。先生がお感じになるままに歌って頂きたいと。それに、稿料のほうも、十分にご用意できる契約になっています」

「なるほど」と無草は答えた。この対価を『稿料』と呼ぶのは妙な気がしたが、無草自身、『稿料』の他には適当な呼び方を思い当たらなかった。


 何かがおかしい、という気持ちは拭えなかった。だが、単に妙な依頼をされて戸惑っているだけのような気もした。

 仮に、まだ何か俺に話していないことがあるとして、俺にとって不都合なことが起こりうるだろうか、と無草は考えた。

 ないな。無草はそう結論付けて、引き受けることにした。まあ、滅多にない経験だと思って楽しんでみよう。面倒なことはきっと起きないだろう。

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