第21話 銀座の店

 そんな話をするうちに、電車は銀座に着いた。二人は階段を上って大通りに出た。コロナに因る規制が緩められたこともあって、通りには賑わいが戻ってきていた。

 しばらく人の流れと一緒に歩いた後、一本脇の通りに入った。そこは飲み屋街で、様々な色に輝く看板で飾り立てた雑居ビルが並んでいた。二人は、そのうちの一つ、三階の店に入った。


 大きな店だった。壁や床は赤を基調にした暗い色で統一されていて、照明も落とし気味だった。

 どの座席もアクリル板で仕切られていて、体を寄せ合って座ることなど出来なかった。それでも、ざっと見渡して、五、六人のグループなら、たとえ女性が何人か加わったとしても、余裕をもって座れそうなソファが十台は並んでいた。


 だが、無草と鷹高田が案内されたのは、四人掛けの席だった。それも、奥まった場所と言えば聞こえはいいが、入り口近くから続く長いカウンターの端っこの前で、その先の細い通路はトイレに繋がっていた。だから、客がちょくちょく前を通って行く落ち着かない所にあった。


 無草は席に着くと、差し出されたおしぼりを使いながら周りの様子を見た。無草の席の右手は間仕切りになっていたが、それでも店のかなりの部分が見渡せた。間仕切りの脇からカラオケの舞台が半分ほど見えた。


 三、四組の客がいた。店が混むのはまだこれからだろう。それらのテーブルにはボトル、氷入れにグラスが所狭しと並んでいた。つまみの皿もあって、パイナップルの葉っぱが高い山を作っていた。

 客たちは皆スーツ姿で、サラリーマン風だった。全員が出版業界の人間なのかと、無草は思った。それぞれがグラスやら、つまみを刺したフォークやらを手にして、話に夢中になっているように見えた。


 間もなく無草たちのテーブルに、ビール二本とグラス、それに漬物を乗せた小さな皿が運ばれて来た。女性が無草の隣に座ってビールをグラスに注ぎ、型通りに乾杯をした。

 鷹高田はもっぱら出版業界のことを話した。無草には面白い話だったが、女性にはつまらない内容らしく、空になりかけたグラスを弄んでいた。


 やがて、入り口のドアが開いて、五、六人の男たちが入って来た。やけに賑やかだった。

 男たちは案内されて、店の奥の方に進んだ。無草の隣に座っていた女性は、これを幸いにと立ち上がった。そして、一行を追いながら明るい声を掛けていた。


 その様子を目で追っていた鷹高田が、無草の方に向き直って言った。

 「吉野之木先生です」

 無草は一行に目をやった。無草は吉野之木には合ったことがない。新聞の出版案内にはちょくちょく顔を出しているので、写真は見ていた。あの手の写真は毎回同じものの使い回しで、いつ撮ったものかも分からないが、確かに吉野之木に違いない。お供の者たちに囲まれて、上機嫌のようだ。


 「今日、ここにお出でになるとは意外です。社の吉野之木先生担当からも、そんな話は聞いていません。それに、周りの連中も知らない顔ばかりです。業界の人間のようにも思えません」

 と鷹高田は首を捻りながら話した。

「ちょっとご挨拶だけして、どういうお仲間か見て参ります」

 一人だけになった無草は、自分でビールを注ぎ足して飲んだ。苦味だけが強く感じられた。


 やがて席に戻って来た鷹高田が言った。

 「『岬の先屋敷怪事件』が映画化されることになったそうです。お供は映画会社の人たちでした。挨拶をして、少し話しただけですが、小説のことを絶賛していました。猟奇的な連続殺人事件で観客を惹きつけておいて、最後に、ヒロインは犯人の別人格だった、という展開は観客を驚かせるだろうと。映画化の話は今日正式に決まったそうで、そのお祝いのようです」

 「なるほど」と、無草は答えた。連続殺人事件の、解決される前の部分を書いた吉野之木は映画の原作者になるのか、と思った。


 「それに」と鷹高田が続けた。「ヒロインには瑞和泉今日子さんが内定しているということでした」

 「えっ」と、無草が目を丸くした。「彼女は歌手じゃなかったのか?」

 「はい。それはそうなのですが、瑞和泉さんは、かねてから活躍の場を広げたいという希望をお持ちだったようです。それに、映画会社にとっても、彼女の膨大な数のファンの力は魅力だったようです」

 「なるほど。彼女なら演技をするのも上手いでしょう」


 そう言うと、無草はビールを口にした。ビールの気はとうに抜けていて、ただ苦いだけのジュースだった。そして、無性に胸糞悪く感じられた。瓶にはもうビールは残っていないし、これを飲み干したらさっさと帰ろう、と思った。

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