第五章 大物歌手の声

第20話 『新犯人』

 二月半が過ぎた。風はまだ冷たいが、日差しは暖かい。


 『岬の先屋敷怪事件』の最終回を載せた『小説フロンティア』が出版されて半月ほどが経っていた。一昨日鷹高田から連絡があって、銀座に誘われた。待ち合わせの場所は、出版社に近いという理由で神田の本屋になった。


 家を出るのには少々てこずった。今日出掛けることは、妻には昨日のうちに話しておいた。次の仕事の打ち合わせだと言い訳をしてみたのだが、家を出るのが夕方近くで帰りは遅くなるから晩飯はいらない、と言われれば察しは付くだろう。妻が不満なのは、無草だけが出掛けて良い思いをすることにあった。自分は除け者にされ、留守番をしながら一人寂しく食事をすることになる。そのことに我慢がならなかった。妻は、朝から顔を合わせる度にぶつぶつ言っていた。

 何か持って帰らないと拙いかな、と無草は思った。後々まで不機嫌を続けられては困る。


 無草は早めに家を出た。何か腹に入れておかないと悪酔いしてしまうと考えて、駅でそばを掻き込んだ。それから、中央線で神田に出て本屋に着いたが、約束の時間までにはまだ間があった。


 大きな本屋だった。無草が正面から入ると、右手にレジがあって、その前に丸いテーブルがあった。そこには新刊の書籍が並んでいて、その中に『小説フロンティア』が平積みにされていた。小さなのぼりが立ててあって、『岬の先屋敷怪事件堂々の完結』と記されていた。

 無草はテーブルから少し離れた棚の前に立って、本を見ながらテーブルの方に気を配った。何人かが『小説フロンティア』を手に取って、ページをめくっていた。この分なら買ってくれる人もすぐに現れるだろう、と思った。


 「売れ行きは好調です」

 鷹高田が脇の方から現れて、挨拶もなしに話し始めた。無草は驚いて、さっと顔を向けた。鷹高田は明るい笑みを浮かべていた。

「読者の最終回への期待が高いことは、読者アンケートやSNSなどから分かっていました。それで、いつもの三割増しの部数を印刷したのですが、この分ですとすぐ増刷することになりそうです」

「それは何よりです」と、無草は答えた。自分の関わった物が売れるのは有り難い話だ。


 二人は店を出て、地下鉄で銀座へ向かった。無草はてっきりタクシーを拾うものと思っていたので、意外だった。『社を上げての』接待のはずだが、と思った。


 地下鉄で席を見つけて座ると、鷹高田が話し始めた。

「先生。今回もお見事でございました。一人生き残った娘が実は二重人格者だったという設定、社内一同感服致しました。娘の人格の一方は純情可憐な令嬢で、もう一方は悪魔のように残忍な女であることになさいました。そして、そっちの彼女は、敷地をうろつく猫に操られていて、その猫には、かつての屋敷の使用人で屋敷に恨みを持ちながら死んだ女の魂が乗り移っていたのだと」


 鷹高田は無草の方に目をやった。無草が黙って聞いているのを見ると続けた。

「元々、屋敷は暗くて不気味な雰囲気がありました。そこの住人達も、令嬢を除けば影のある人物ばかりで、その住人たちが順に奇妙な姿で殺されていったのです。ですから、連続殺人は呪いによるものだったという、先生の説明は自然に感じられました。それに、彼ら一人ひとりの不気味な殺され方が、かつての使用人が受けた仕打ちに似せたものだったという説明には、なるほどと納得させられました。そして、犯人の令嬢ですが、家族が殺される様子を見る度に酷く動揺して、体を震わせながら『なぜ』と疑問を投げ掛けていました。これは、実は自分がしたのではないかと疑っていたのですね」

 無草は微かに笑みを浮かべて頷いた。

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