第四章 推理小説の結末
第17話 『マダムX』の正体
その後、無草は、『マダムX』の恋愛物を第四回配本まで書いた。全部で二十冊のシリーズになった訳だ。
鷹高田は、毎回名前と職業のリストだけは持って来た。だが、第三回目の配本辺りになるとどうやら周りの人間の名前も尽きたようで、どこぞの人気グループのメンバーの名前を写してきているように思えた。
鷹高田が名前のことなど何も気にしていないことははっきりしていたので、無草は好みで名前と職業を決めて書いた。鷹高田が、そのことに気付いていたかどうかは怪しかった。だが、たとえ気付いたとしても言いはしなかっただろう。
無草は、姪と同じ美咲という名の女性をキャリアウーマンにして書いた。そして、期待を込めて、財閥御曹司とのシンデレラ物語にした。もちろんジェイン・オースティンばりに、誤解と言い争い、その後の和解、それに二人の前にはだかる障壁は、きちんと入れておいた。
この話はシリーズの中でもよく売れているらしい。
妻と同じ名の女は平凡で面白みのない主婦にした。もっとも、妻がそのことに気付けばきっと文句を言ってくるだろうから、漢字は別のにしておいた。それに、『良い男と恋をするのだからいいだろう』という言い訳まで用意しておいた。
しかし、第四回配本まで来ると、さすがにネタが尽きた。どんな名前の二人が、どんな場所で、どんな出会いをしたのか、ごっちゃになってきた。似たようなのもいくつかあったと思う。まあ、軽い恋愛小説で、読者は毎回同じようにドキドキしたがっているのだろうから、それでいいと言えばいいのかもしれない。
でも、もう『マダムX』はこれ切りにしようと、心に決めた。
そう心を決めてから二、三日経った日の午後、聞き慣れた車の音がして鷹高田がやって来た。鷹高田は、今回は妻の出迎えを素通りせずに来た。妻の明るい声が聞こえた。何か手土産でも持って来たのだろう。
「先生」と声をかけながら入って来るなり、鷹高田は両手を付いて言った。「毎々のことで恐縮ではございますが、今回も先生にお助け頂きたく参上致しました。」
無草はゆっくりと鷹高田の方に体を向けると、予め決めていた通りに話し始めた。
「『マダムX』の件でしたら、もう勘弁頂きたい。ネタが尽きました」
「はい。その件でしたら、ご懸念なく願います。あのシリーズは第四回配本で一旦幕を引くことになりました」
初耳だった。無草は驚いて聞いた。
「何か不都合なことでもありましたか」
「いえ。先生がお書き下さったものは最高でございました。シリーズ全体の売り上げも順調に伸びています。ただ……」
「ただ、何ですか」
「はい。『マダムX』の正体がばれてしまいました」
「正体? それがばれたからといって問題があるのかね?」
鷹高田が口ごもりながら答えた。
「あの『マダムX』ですが、実を申しますと、社長が通い詰めていた店の女性だったのです。この春から少々入れ込んでおりまして、歓心を買おうとして『マダムX』に仕立てたようなのです」
なるほどと、無草は思った。あの社長ならやりそうな話だ。それに、シリーズを始めたときの、あの機動力も理解できた。最初に見せられた『マダムX』の写真の背景は、けばけばしいものだった。あれは店の客席で撮ったものだったのだ。社長は最初から狙っていたのだ。
「二週間ほど前ですが、彼女、お店で少々酔い過ぎまして、大勢の前で『あれ、私なのよ』と、ばらしてしまったのです。それも品に乏しい高笑いと共にです。それを週刊誌に知られまして、今週号で暴露されるという情報が入ってまいりました。
その中で、女性についての周りの評判も披露されるようなのですが、『あの子に書ける訳がない』とか、『まともな言葉も話せないわよ』などの証言が並ぶようなのです」
無草は黙って聞いているよりなかった。
「それに」と鷹高田が続けた。「あの女性、仮面を着けると、きりっとした感じに見えるのですが、仮面を外した写真が撮られてしまいまして、その、言いにくいのですが、多少たれ目気味なのです。それに、どちらかというと目と目の間が開いておりまして、全体としては緊張感に欠けると申しますか、多少間の抜けた感じがするのです」
鷹高田は頭を掻いた。
「それで、その写真が出回ってしまっては、もう『マダムX』は続けられないだろうという判断になりました。それに、社長の方も気持ちが冷めてしまったようでして、最近は別の店に足繁く通っていると聞いております」
「なるほど」と言って無草は頷いた。ますますあの社長らしい。
「もっとも、シリーズの売り上げへの影響は小さいだろうというのが私どもの読みです。今でこそ、帯に『マダムX』の写真が載っていますが、もう差し替えの手配をしております。そうなれば、『マダムX』の名は表紙と背表紙に残るくらいですし、作者の名前など気にして買う人は少ないようですから」
確かに、あの手のシリーズ物で、作者の写真のことを気にする者などいないだろうな、と無草は思った。そして、尋ねた。
「すると、今日やって来た用件というのは何なのかね」
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