第15話 ちぐはぐな会話

 次の日、昼近くになって聞きなれたエンジン音が聞こえて来た。やがて、玄関のチャイムが鳴ると同時に扉の開く音がして、すぐに鷹高田が書斎に入って来た。今日も妻の出迎えは素通りしたようだった。


 「先生」と、入ってくるなり座った鷹高田が、両手を付いて言った。「この度は誠に有難うございました。お陰様で私の首、繋がりました」

 無草は、目をしょぼつかせ、うっとうしそうに言った。

 「君、ちょっとトーンを落としてくれないかね。こっちは朝まで掛かったのだよ。少し寝て、それから風呂に入ったんだけど、まだ駄目だ。何かを口に入れる気力もない。もう一度寝ようと思っているところだよ」


 「それは失礼しました」と鷹高田は言った。だが、声はまだ大きかった。「ごもっともとは存じますが、私の方はあれから社へ戻り、捻子を巻きなおして営業会議を一つ熟して参りました」

 鷹高田が大仰そうに言うので、無草はむっと来た。

 「君は寝袋に入って高鼾を掻いていたじゃないか。一緒にしないでくれたまえ」

 「はい。恐縮でございます」とは言ったものの、鷹高田には気にしている様子はなかった。「それに致しましても、先生、上手く行きました。企画、承認されました」

 鷹高田は深々と頭を下げた。


 「いつもながら感服致しました。文系女子と理系男子の掛け合い、お見事でした。

 武志が『じゃあバグを探さないと』と言うと、沙耶香が『バッグならここよ』と言って投げるように鞄を渡す。ここから二人の関係が始まりました。

 その後も『クラウドがいっぱいだから整理しないと』に対しては『クラウドが一杯って、人込みなんてどこにもないわよ。お店は閑古鳥が鳴いているわよ』と、ちぐはぐな言い合いが続いて、武志が『フォルダをどこにしまったのか分からなくなってしまって』と言うと、『赤いのでいいなら貸してあげる』と言って沙耶香が紙挟みを渡しました。こうしてだんだん二人の関係が近くなって行く様子、わくわく致しました」


 鷹高田が一息吐いた。

「会議で使うために、手分けをしてタイプに打ってもらったのですが、担当した女性たちは、皆にやにや笑いながら作業をしていました。もっとも、最後の部分を打った女性一人だけはほろっと涙しておりました」

 無草はこめかみを揉みながら頷いて聞いていた。


 「会議では、社長以下原稿に目を通しまして、絶賛の嵐でございました。その場で今回の企画にGOサインが出まして、私、担当に任じられました。社長からは一気にシリーズ化するようにとの指示が出ました。これも私が担当でございます。もちろん、馘の話はなくなりました。そればかりか、このシリーズが軌道に乗った暁には、私、営業部主任を任されることになりました。今回は、『代理』なしの主任でございます」

 鷹高田は背筋を伸ばした。


「社長には既に腹積もりがあったようでございます。この『マダムX』シリーズの企画は昨日、私がこちらにお邪魔している頃にはもう動き始めていたようです。『マダムX』の人選も既に済んでおりまして、今週中に宣伝用の写真撮影を行い、来週には関係者向けの発表会を行うという段取りで進んでおります」


 「『マダムX』、それは誰ですか?」と、初めて聞く名に無草が尋ねた。

 「はい。このシリーズの著者でございます」

 無草は呆気に取られた。書いたのは俺だぞと、むっとして言った。

 「じゃあ、私は何なのだね」

 「もちろん、先生は作者でございます」

 当たり前のことを聞くなとばかりに、鷹高田の方も不機嫌そうに答えた。

「弊社にとりましては、屋台骨をお支え下さる大切な存在です。特に、今回の『マダムX』シリーズでは全作品の執筆を先生にお願いしたい、と考えております。」


 そう話してもまだ不満そうな無草の顔を見て、鷹高田が続けた。

 「昨日お願いしたばかりでしたのに、今朝は素晴らしい原稿を頂きました。それを拝見し、このシリーズは上手く行くという手応えを社内全員で共有致しました。そうでなければ、いくら社長が事を進めようとしても、皆が納得するはずがありません。それでシリーズの全作品の執筆を先生にお願いし、その際、先生に対してはこれまで以上の稿料をお支払いすることに決しました」


 稿料の話を聞いて、無草の頬がピクリと動いた。鷹高田の方は話しているうちに無草から目を離し、ポケットから取り出したスマホを操作していた。そうして写真を画面に出すと、それを無草に見せた。

 「これが『マダムX』でございます」

 もう写真があるのかと、無草は怪訝そうな顔を鷹高田に向け、それからスマホに目を落とした。


 画面には、顔の上半分だけを仮面で覆った女が映っていた。顔立ちは細目で、口元がきりっと締まった鋭い感じの女だった。

 鷹高田が恋愛小説の話を持ち出したのが昨日の午前で、それからまだ丸一日経ったかどうかだというのにこんな写真まで出来ているのかと、無草は驚いた。そして、どうすればそんな簡単に適当な女性が見つかるのだろうと不思議に思った。


 よく見ると、写真には多少おかしなところがあった。仮面の素材はどう見ても厚手の紙のようだし、その黒い色はマジックか何かで塗ったような斑があった。それに、女が座っているソファも、背景になっている壁もけばけばしい感じがして、どう思っても写真スタジオや、応接室とか事務室のようには見えなかった。

 話は、俺が考えるよりもずっと先まで進んでいるようだ。もう止めるのは無理だろう。名より実を取るか、と無草は考えた。確かに、恋愛小説の著者が『無草』では相応しくない。恋の花が咲くとは思えない。

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