第8話 新しい自伝の依頼

 「自伝の内容の内もう一つの点、彼女が入った施設の『お父さん』が語った言葉についてですが」

 鷹高田が話題を変えた。


 「あの瑞和泉さんを諭したときの言葉です。先生は、『親や先生をうっとうしいと思うのは、親や先生のことを気に掛けているからです。君たち若者は、親や先生たちとはもう関係がないかのように話すけれど、それは逆に、君たちが親や先生たちとの関係を保とうとしていることの現れなのですよ。もうそんなことからは卒業しなさい。自分を持つのです。そうすれば、親や先生たちのことをもっと客観的に見られるはずですよ』と、語らせました。それが、若い人たちの心に響いているようです。彼女のファンには未成年の子も多くおりますので、皆、何かしら同じような悩みを抱えているようでして、この言葉に考えさせられるものがあるようです」

 「なるほど」

 「あれ以降、彼女は、コンサートで話がそのことに及びますと、自伝の表現をそのままに語っているようです」

 「丸く収まったのなら、何よりです」


 無草が答えると、鷹高田は背筋を伸ばしてから言った。

 「それにしましても、今回の作品、全くお見事でございました。改めて御礼申し上げます。今の調子で行きますと、弊社の売り上げ記録更新も視野に入って参ります。それにお陰様で、私、今回、営業部主任代理の内示を頂きました」

 鷹高田が深く頭を下げるので、「それは何より」と無草は応じた。そのとき気付いて、聞いてみた。

 「ひょっとすると、そのことと、車が変わったことに関係があるのかな?」


 「はい」と、頭を掻きながら鷹高田が答えた。「主任代理になると車がワンランク上になります。実際の配車は、手続きの都合でしばらく先になるそうです。それで、今回のご褒美ということで、配車までの間社長の車を借りることになりました」

 「なるほど」と応じてから、無草が言った。「で、今日は、新しい車のドライブがてら、わざわざ報告に来てくれたのですか?」


 「いえ。実はでございます。今回の瑞和泉さんの自伝成功は、弊社だけではなく、出版業界全体で広く話題になっております。先生の存在は弊社では社外秘扱いですので、当然、先生のお名前は伏せられております。ですが、『すごい書き手がいるらしい』という噂で持ち切りでございます」

 別に名前を出してもらっても構わないのだが、と無草は思った。だが、たとえおべっかが混じっていたにしても、『すごい書き手』と言われるのは気分が良かった。


 「衝撃は出版業界に留まりませんで、芸能界の方にも広がっているようです。先週、都内の経営者が集まるパーティーがございました。弊社社長も参加したのですが、その折、とある芸能事務所の社長が近づいて来まして、『自伝の出版を考えているグループがいるので、手伝ってもらえないか』という打診がありました。実は、それは大手J事務所の社長でして、何でも、『デビューを控えた若手ユニットがあって、メンバー全員の自伝をデビューに合わせて出版したい』とおっしゃったそうです。そして、『その手直しを頼みたいのだが、瑞和泉今日子の自伝を書いた作家に頼めないか』と、先生をお名指しでの依頼でした」

 「ほう」と、無草が驚きの表情を見せた。長いこと書いてきたが、名の知られていない無草を指名してくるような依頼は初めてだった。

 「これも長年に渡る先生のご活躍の結果と存じます」


 あの自伝の評判が良いというのは結構なことだ。俺にとっても有り難いことだと、無草は考えた。だが、待てよ。あの自伝の評判を聞いて今回の話が来たのだとすれば、この話もあの話と同じように何か胡散臭いところがある、ということではないか。喜び勇んで、後先も考えず簡単に引き受けるというのは得策ではないだろうな。

 そう考えて鷹高田の方に顔を向けると、鷹高田は何やら落ち着かない顔付きをしていた。

 こいつ、と無草は思った。さっきからずっと俺をよいしょするような口ぶりだったし、俺を『名指し』での依頼だと持ち上げたな。なのに、俺が手放しで喜ばないので戸惑っているのに違いない。

 やはり、この話、慎重に聞いた方が良さそうだ。

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