第5話 年齢の問題

 無草は腕を組んで目を閉じ、顔をいくらか下に向けていた。どうしたものかと、思いあぐねた。

 鷹高田は目を落として、黙ってじっとしていた。

 そんな鷹高田の様子を窺いながら無草は考えた。こいつも彼女の話が怪しいことは十分に分かっているな。だから、下手に俺に声を掛け、そのことが切っ掛けとなって、その点を突かれることを恐れているのだろう。


 それにしても、この娘の話は荒唐無稽もいいところだ。まあ、始めからフィクションだと思っていれば、面白い話なのだろうがな。波乱に満ちた女の半生といったところだ。映画にでもすればヒットするかもしれない。だけど、これは自伝なのだ。真実の話だ。ところが、その話に確かな名前が一つも出て来ない。そんなことがあっていいのか。

 だけど、そのことを鷹高田にぶつけても無駄だろう。話を逸らされるに決まっている。


 無草は顔を上げて言った。

「随分と色々な経験をして来られたようだね。それで、彼女は、今おいくつですか」

「この春、二十四になったところです」と鷹高田が答えた。

「えっ」と無草が声を上げた。そして、目を丸くして鷹高田の顔を見た。

「はい、彼女のプロフィールにそう記載されています。それに、色々と探しましたところ、成人の日の着物姿がSNSに投稿されているのを見付けました。投稿の日付は分かっておりますので、そこから推しても、その年齢に不自然なところはありません」


 これだったのだと、無草は納得した。これが問題の根っこだったのだ。今や、無草にはすべてのことがはっきりと理解できた。二十四年の人生で、今聞いたことの全てを経験することなどできるはずがない。

 すでにエッセイを物にしている娘だ。自伝が書きたいのなら書けばいい。最後まで自分で書き上げるのが無理だとしても、何らかのものは書けるだろう。そうしておいて、誰かに見てもらえばいい。それが難しかったら、せめて大筋だけ箇条書きにして、それから助けてもらえば済む話だ。それを初めから投げ出して、他人を当てにするというのだから何か理由があるはずだ。


 鷹高田は説明を始める前、色々なところから手に入れた情報を継ぎはぎした、と言った。だから、話に多少の違和感を覚えたとしても、それは仕方のないことだ。だが、この娘の話の場合、つなぎ合わせたパッチ自体に問題があるのだ。きっとこの娘は、ファンを前に毎回その場の雰囲気に合わせた話をしていて、それがだんだんとエスカレートしてしまったのだ。そしてその結果、話を膨らませ過ぎてしまったのだ。だから、これまでに話して来たことをまとめてみたら、はちゃめちゃな内容が盛り沢山になってしまったのだ。これだけの内容をこの娘の人生に詰め込むのは無理がある。自伝を書くと宣言したのはいいが、自分でも困っているのに違いない。

 どこかを端折って短くするという手もあるかも知れない。だが、今の話を、鷹高田は記録から拾ったと言った。そうだとすれば、どこにせよ一部分を捨て去るのは無理だろうな。熱心なファンがそれに気付いて、騒ぎ立てるに決まっている。さて、どうすればいいのだろう。


「経験が豊かであるだけではなく、相当に濃い生き方をして来られたようですね」

 と無草が言った。

「はい。バイタリティーが彼女の活動の源泉かと思います。それが歌を通してファンに伝わり、皆さんの気持ちを明るくし、勇気を与えているのではないでしょうか」

 鷹高田が場の雰囲気に合わせた返答をした。無草が尋ねた。

「さっき君は、彼女も書きたい気持ちはあると言ったけれど、彼女自身はいくらかでも書いているのですか」

「はい。『原稿用紙に、名前と題名を書いたよ』というメールが先週届きました」と、鷹高田が答えた。

 まあ、そうだろうな、と無草は思った。本人も書けずにいるのだ。人に任せたくなる気持ちは理解できる。


 しかし、これは難題だ。

 この娘が大学に入ったのが何歳のときだったのかははっきりとしないが、普通なら十八で、大学を卒業するのは二十二だ。教授に振られたのは卒業間近の頃と言っていたから、二十二のときには日本を離れたと考えていい。ヨーロッパを回っていた期間は短かったとしても、音楽活動を始めてから、チャートに載るようになって、有名な賞にノミネートされるまでにはどれくらいの時間がかかるのだろう。

 曲を作り、演奏に合わせて歌う。そうしてから、CDを作って販売するなり、ネットで配信する。それだけのことがちゃちゃっとできるものなのか。

 賞にノミネートされるにしても、普通、賞は一年に一回のことだろう。それに、日本に戻ってからの活動だけに絞っても、もう何年も歌っている。美咲にチケットをねだられたのは確か去年だった。そうなると、まず五年は時間が足りないというのが妥当なところだろう。


 無草は再び腕を組んだ。

 そこまで短くするのは無理だろうから、せめて三年、いや、二年半でいい。それだけでも話を縮めることができれば、ぎこちないかも知れないが何とか説明を付けられるだろう。しかし、どうやって縮める。SFものなら当たり前のようにタイムスリップを使えるのだが。


 昨今じゃあ日本でも、高校二年が終わった段階で大学に進学できる制度があるらしい。それを使えば一年は縮められる。だが、ろくに高校に通っていない彼女にそれは無理というものだ。

 鷹高田は、ぴくりとも動かない無草を黙って見つめていた。

 無草のようにニッチな仕事を、それも長いことしていれば、怪しい依頼に出くわすことも珍しいことではない。でたらめにしか思えない話を、何とかそれらしくまとめたことも何度かある。だから、時間の問題を除けば、その他のことは何とかする自信があった。

 一時期グレて少年院に入っていたとして、それは褒められたことではないが、それでもそれなりに、彼女の生き様が世間には理解されなかったのだと説明することはできるだろう。あるいは、彼女は『巻き込まれた』と語っているのだから、彼女の方に大きな責めはなかったのだ、というような感じに持ち込むこともできる。いや、いっそのこと誰かを庇った結果だったということにすればいい。そうすれば、かえって美談のようにすることができるのではないか。

 大学のことは単に『大学』とか『学校』としておけばいい。イニシャルがKの大学ならいくらでもあるが、『K大学』というのはいかにも拙い。自伝では考えにくい書き方だ。まあ、もし彼女が学校の名前を出してもいいと言うのなら、そのときは書き直せばいい。教授にしてもそうだ。『教授』、『先生』としておけばいい。そんな人が実際にいたとしての話だが。

 だから、彼女の話がどんなに荒唐無稽であったにせよ、それなりに話をまとめることはできる。だが、年齢の辻褄を合せるのは容易ではない。


 映画なら、本人が過去を回想する形にして時間を行ったり来たりさせ、その隙に時間をごまかすこともできるだろう。だが、その手は使えまい。自伝というのは時の流れに沿って書くものだ。さて、それならどうすればいいのか。

 そのとき、無草は気付いた。○○書店のような大手が手を引いて、鷹高田のところのような小さな出版社に話が回ってきたのは、この辺りのことが関係しているに違いない。それなら説明が付く。こいつ、分かっていながら黙っていたな。そう思いながら冷ややかな目で鷹高田を見た。

 鷹高田は、突然無草に見据えられ一瞬身を固くした。さっと目を逸らし、平然とした顔を保って手にした資料を無草の方に差し出した。そして言った。

「先生、これを」


 無草は膝の前に出された資料に目を落として考え込んだ。

 この資料を手に取ったら仕事を請けた、と取られてしまうだろう。それは拙い。この年齢の問題に見通しを付けないまま、この話を引き受けるのは危険だ。職としてライターをしている以上、一旦引き受けておいて、後になって出来ませんでした、では通らない。

 だがそうかと言って、いちいち依頼の選り好みをしていたのでは、自分のようなフリーランスの場合、仕事はすぐになくなってしまう。

「うーん」と自然に唸り声が出た。

 無草は黙ったまま考え込んだ。鷹高田はそんな無草を見守った。

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