第3話 怪しい生い立ち

 「それでは、分かっている範囲で、彼女の生い立ちについてお話し致します」

 と言いながら、鷹高田は、今度は鞄からホチキスで綴じられた数枚の紙を取り出した。

「このほとんどは、コンサートとライブで語られた内容です。残されている映像とSNSへの投稿から拾いまして、古いものから順にまとめたものです。瑞和泉さんの事務所の方と弊社の若手が作りました。


 瑞和泉さん自身も、自分で書きたいというご意向はお有りのようなのですが、公演の日程が詰まっておりまして、時間を作るのに苦労なさっておいでのようです。ですから、これを元にして自伝を書いて欲しいと仰って言います。」

 そうして、その表紙をめくると、目を落として説明し始めた。


 「瑞和泉さんは埼玉のお生まれです。彼女が生まれた直後に両親は離婚致しまして、母娘の二人暮らしでございました。ですが、小学生になってから母親が再婚致しました。」 

 無草は目を閉じて黙って聞いていた。

 「この新しい父親とは上手く行かなかったようです。DVめいたことがあったようにも話しています」

 無草は、暗く冷ややかな目で鷹高田を見た。

 「それでも、小学生の間はなんとかなっていたのですが、中学に入りますと我慢できなくなったのか、それとも新しい友人に影響されたのか、ぐれ始めてしまったようです。『進路指導室に呼ばれて、先生に叱られた』ということもちょくちょくあったようです」

 無草はゆっくりと頷いた。


「高校に入りますと、家に帰らないことも度々になりまして、『学校でないところで先生でない人に叱られた』こともあったようです」

 「学校でないところで先生でない人に?」と無草が呟いた。さっきの『進路指導室で先生に』というのを捻っているのは分かる。だが、どういう意味だ。警察にでも補導されたということかと、無草は考えた。


 鷹高田は、無草の怪訝な顔に気付いて言った。

「これらは、いずれも彼女自身の言葉です。その頃は、『世間を斜めに見ていた』とも話しています。そうして、最後にはとうとう何らかの事件に巻き込まれてしまいまして、彼女によれば、『陽性判定を受けて隔離になった』ということです」

「陽性判定で隔離?」と、今度は無草がはっきりと声に出した。新型コロナのことでないことは明らかだ。すると何だ、少年審判でも受けて、少年院かどこかに入れられたということか? それは穏やかではないな。

「はい。これも彼女自身が語っている言葉そのままです。それがどういうことなのか、具体的なことは触れられておりません。ですから、はっきりとは致しません」

 鷹高田が言った。そして、無草の難しい顔を見て言い訳を始めた。

「何分プライバシーに関することでございますし、内容から察しますに相応の配慮が必要なことのように思われます。それで、詳しいことを聞くのは何とも憚られまして……。それに、彼女の事務所の方もこの辺りの話になりますと、途端に口が堅くなりまして……」

 無草は目を閉じた。しばらく間があった。まあ、どうしようもないと言えば、どうしようもないところだろうな、と考えた。しかし、自伝と言うのは、人生の赤裸々な部分も含めて有りのままに語るものだ。過去の大きな問題を隠していたりしたら、たとえ出来上がったとしても、人の心を動かすような立派な作品にはならないだろう。浅薄で、せいぜい履歴書に毛の生えたようなものになるのが落ちだろうな。


 無草が納得したものと見て、鷹高田が続けた。

「そこで、彼女の人生を変える出会いがございました。彼女自身は『施設のお父さん』と呼んでいます。ですから、入った施設の人間かと思われますが、その方の言葉に強く打たれたようです。その方はこれまで彼女が出会った大人とは違いまして、頭ごなしに大声で叱るのではなく、落ち着いて彼女を諭したようです。それで、この方が実際どういうふうに話したのかなのですが、この話をするときになりますと、彼女自身思うところが多いのでしょう。いつも決まって涙ながらに話すのです。それで、私ども何本もビデオを見たのですが、聞きとれるのはほとんどが嗚咽でして、細かなところは確認ができておりません。ただ、毎回、その言葉は『ハートのど真ん中を通って行った』という言葉で終わっております。ファンの多くもそこで涙しているのが分かります。」

 どうもはっきりしないことが多いようだ、と無草は思った。それでも、黙って聞いていた。


「その後、彼女は勉強をやり直しました。その『施設のお父さん』の奥様が、小学校の先生をなさっていたということで、いろいろと教わったようです。彼女によれば『分数からやり直した』ということです」

「なるほど」と無草は頷いた。

「彼女の努力は実りまして、見事、私立の名門K大学に合格致しました」

「ほう、それは立派だ」と、無草が声を出して言った。

 しかし一方で、無草は考えた。こうゆう言い方をするとき、名門K大学といえば一つしかない。だが、それならどうして名門K大学などというのだ? 立派な大学なのだから、わざわざ隠す必要もないだろうに。

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