episode2.3.7 最後の砦

 明け方、森の入り口で暗闇の中光るのは、松明の灯火……。ではなく、各員に取り付けられた暖色の照明だ。男どもが装備を着込み、およそ30名。リーダーを務めるのは、サガミ。

「サガミさん。4台とも、整備完了です」

 シンバシがそう言えば、列になって4台、乗用車がゆっくりと現れた。

 30名の男どもの隣に、2列に分かれて停車する。

「ふむ、頼もしい限りじゃ」

「……そういえばシンバシよ。アレからハナビはどうした」

「篭りっきりですよ。あの子への恨み口を一晩中……。いざその時になって、殴りかかったりしなきゃいいんですが」

「ヤツの古傷が開かんうちに、落ち着かせてやってくれ」

「たぶん大丈夫ですよ。アイツは何だかんだ言って、内と外との区別を付けるのが得意です。自分の仕事はちゃんとこなせるでしょう」

「ほほほ、そうじゃったな。───留守の間、町はお前達に任せたぞ」

「分かりました。サガミ先生」

 鉄のメットをガサリと被って、サガミは薙刀の石突を地面にトス、と刺した。

「では、出発と行こうかの」

「───皆の者、用意はいいか!」

 男どもは意気込みの込もった掛け声を各々口にする。彼らの任務は、ツキが討伐したフデオリの運び込み。4台の乗用車にはそれぞれ運搬用の積み荷を載せている。往復100キロメートルの旅。戻るまで3日は掛かるだろう。シンバシに向き直り、メット越しのこもった声で告げる。

「ワシの勘じゃが……あやつらがここを訪れるのは、留守中になりそうじゃな。冬崎アカゲに、よろしく伝えとくれ」

+

 森の中に聳える、要塞化されたダム。かつての埼玉県秩父市に拠点を構えるのは、下界連合本部。全国の支部を統括するその場所は、浦山要塞とも称される、いわば下界における最後の砦。ダム湖を中心に発展した町は、さくら町と呼ばれ親しまれています。ダム施設内やダム湖周辺には無数の木造家屋が建ち並び、5000人もの住民が密集して現在も暮らしているのです。連合内は、生活部・教育部・技術部・情報部・防衛部からなる5つの部署に区分けされ、18歳以上の住民はいずれかの部署に所属しています。


 生活部は、衣食住や物資の管理、その他広範囲の作業を担当する部署です。

 配属先:農業所・炊事所・建設所・仕立所・事務所・寄宿舎・浴場


 教育部は、子ども達への初等・高等・専門教育から配属試験までを担当する部署です。

 配属先:初等部・中等部・高等部・専門部・下界連合教育委員会


 技術部は、インフラや施設管理、様々な機械の整備を担当する部署です。

 配属先:水道局・水力発電所・窃電管理所・整備所・研究所・武装開発工房


 情報部は、支部への情報伝達、連合所属地域・未所属地域への広報派遣活動、上界無線の傍受・解析等を担当する部署です。

 配属先:無線通信所・腕木通信所・広報派遣所・解析所


 防衛部は、あらゆる脅威からの浦山要塞防衛、町内の自治警備、補給遠征、武装開発、保護した上界人の管理までを担当する部署です。

 配属先:防衛隊・作戦隊・警備隊・支援隊・上界人管理所


 生活部長:湯川ゆのかわトヨコ

 教育部長:金森 《かなもり 》悟

 技術部長:新橋しんばしユウ

 情報部長:五ノごのかみ瑞穂みずほ

 防衛部長:佐上さがみ直樹


 そして、5つの部署全てを執り仕切る統括署。その最高責任者は、下界連合総長とも呼ばれ、皆の希望に、生きる活力に、抗う意志そのものになっています。そう、彼の名はハナビ。2年前……先代の死から後を任された、眼帯の青年。今では彼がその身を焚べて人を護り、そして導いているのです───。

 ───以上、情報部発行のパンフレットより抜粋。


「着いたぞ、アカゲ。そろそろ起きろ」

「アレ……随分早かったですね……」

「感謝しとけよな、コイツのおかげだ」

 アカゲを背負うのは、ユクエ。肉のカバンは、アカゲとは逆側に背負っている。しばらく歩いた木漏れ日の道を抜け、向こうの方には門が見えた。

「……僕なら、平気、ですよ。……眠れましたか」

「おかげさまで! いやあ、まさかオレを乗っけたまま50キロも歩いちゃうなんて、流石ですよ」

「ただ歩いたんじゃないぞ、早歩きだ。コイツ、私より体力あるかもしれない」

 ツキは荷物を背負い直して、思い返すように言った。

「……にしても、一匹も見かけなかったな。炭化人間。少ないとはいえ、こんなに見ないのは珍しい」

「へえ、どうりで熟睡だったワケだ、そんなこともあるんですね」

 その言葉にユクエが少し考え込み、口を開く。

「───それはきっと……僕が、原因かも……しれません」

「分かってますってば! 揺れも少なくて、快眠でしたよ!」

「いえ、そうじゃ、なくて……」

「いいかアカゲ! ユクエの力はヒミツだぞ。ここの奴らは良くも悪くも閉鎖的だから、自分達の知らないモノを怖がる」

「百も承知です。こう見えて口は堅いんでね」

 アカゲは真下のユクエと、ツキを見た。

「しかし、例え黙ってたとしても、アンタら結構怪しいですよ。すんなり通して貰えるとは限らないんじゃ……」

「明らかに一番アヤシイのはお前だけどな……。まあ心配すんなって、私が説得してやる」

「あー……そういえばアンタここの英雄でしたもんね。それなら安心だ。いやあ、ワクワクしてきたな。下界で目覚めてからこのかた、一度に3人以上と会ったことないですからね」

 ツキが済まなそうにユクエを見る。

「悪いなユクエ……。コイツどうせまだ筋肉痛で動けないだろうからさ、ゆっくり休めそうな場所に着くまでは、そのまま背負っててやってくれ」

「アカゲさん、本当に、軽いですから……。僕のことなら、大丈夫です……」

「いや軽くはねーだろ絶対……」

「───そして、これまた重そうな扉ですよ皆さん」

 気付けば、町の入り口である大きな門の前までやって来た。

 そびえ立つ壁。……ノックでもしてみようか。と思えば、門の横にインターホンを見つけるアカゲ。ユクエに近くまで運んでもらい、ボタンを押した。ユクエがしゃがみ、ちょうどいい位置にアカゲの頭が来る。

「もしもし、冬崎です」

 ……反応がない。

「もしもし、冬崎アカゲです。冬崎アカゲ、29歳です」

「通してくれるワケねーだろそれで。ああもう、いいから私に代わ───」

『……冬崎アカゲさんですか?』

 インターホンのスピーカーから男の声がした!

「はい、冬崎アカゲです。29歳です」

『今伺います』

 そう言って、インターホンはプツリと通話を切った。

「ほらね。大人のチカラですよ」

「絶対うそだ!」

 すると、インターホン上部の鉄製窓がガシャリと開いた。中から男の目線がこちらを覗き、注意深くアカゲ達を見た。やがてツキと目が合うと、ハッとした様子で窓がガシャリと閉まる。そして、大きな扉が軋む音がして……。

「なんか、行けたっぽいですね」

 ───ギ、ギギギギギ……。ユクエは姿勢を戻し、開く門を避けるようゆっくりと後退りした。ドン、と扉は固定され、開け放たれた門はアカゲ達を招き入れる。防衛隊の制服に身を包んだ男が、帽子を脱いで敬礼した。

「お待ちしておりました。冬崎アカゲさん、長火鉢ツキさん、それと……」

「あ、僕は……ユクエ、です……」

「ユクエさんですね。統括署長には話を通してあります。ぜひ中へ、私がご案内いたします」

 アカゲを背負うユクエ、あくびをするツキ。3人は言われるがまま門の内側に足を踏み入れた。ユクエが真上を向いてアカゲに言う。

「えっと、僕は……。アカゲさんを、送り届けたら……すぐここを出て、どこかへ……」

「それは困りますね。約束したじゃないですか、オレ達に着いて来てもらうって」

「はい……だからここまで」

「───ずっとですよ。アンタの目的を果たすまで、ずっとです」

「まあまあ、遠慮すんなって。コイツが動けなくなった時は、またお前に運んでもらうからさ」

「でも……。僕は、人の多い場所には……その……恐くて───」

「それなら心配ありませんよ。一人の場所を確保できないか、後でご老人に相談しましょうか」

 何やら思い詰めた様子のユクエ。一行は防衛隊員の後に続き、さくら町内を歩いていく……。

 前時代的な木造建築が建ち並び、建物の間を丈夫な紐があやとりみたいに駆け巡っているのが見えた。おそらくこの紐に大きな布を引き伸ばして、道を覆う笠にするのだろう。歩いていくにつれ、人がちらほらと見え始め、建物が増え、青空が眩しくなる。待てよ、青空……?

「空だ!」

 アカゲが年甲斐もなく驚くと、ユクエもツキも空を見上げた。ずっと森の中を進んでいた2人にとっても、これが初めて見る空であった。見れば、ハイブエンの傘の淵、そのちょうど真下ぐらいにアカゲ達はいた。空の半分以上を青が埋めて、太陽の光が降り注いでいる。

「陽の光を浴びるのはね、精神的にもいいですよ。空が覆われてちゃ心も窮屈なんでね」

 アカゲはユクエにそう語る。

「確かに……なんだか……少し、楽になった気がします」

「そりゃよかった」

 ほんのりと笑顔を見せたユクエ。安心した様子のアカゲは、隣のツキを見る。

「……私も空見るのは半年ぶりだ。ずっとハコネガサキにいたから」

「やっぱり人間、空が晴れれば心も晴れやかになるもんだとね、オレはそう思いますよ」

「───うん、確かにな」

 そんな時、小学生ぐらいの女の子がこちらへ向かって駆けて来るのが見えた!

「ツキちゃんだ!」

 そのままダッシュでツキに飛び込み抱きついた!!

「う、うわ! あぶねーぞ! これ刃付いてるから!」

「えへへ、ツキちゃんおかえり!」

 アカゲとユクエはきょとんとしてその光景を見る。すると、ツキの存在に気付いたのか、他にも子供が沢山集まり始めた。

「ツキだ!」「灰のお姉ちゃんだ!」「帰ってきた!」

 子供は口々にそう言いながらツキに駆け寄る! あっという間にツキの周りには人だかりが出来て、どうやら子供だけでなく大人も大勢、ツキをひと目見ようと訪れているようだった。

「アイツ、やっぱ有名人みたいですね。サイン会でも開けそうな勢いだ。……って、アレ、どうかしました?」

 ユクエの顔を見ると、彼は何だか具合が悪そうだ。顔は青ざめ、口を結んで、肩が震えている。

「大丈夫ですかユクエさん。流石にちょっと、人が多過ぎますよね。息苦しいようだったら、すぐオレを降ろして下さい」

「だ、大丈夫……です。ぼ、僕の……こと……なら」

「いやあ、そうは言っても。見た感じアンタが思ってる以上に、身体に負担が掛かってると思います。無理はしないでくださいよ、オレのことは───」

「オジサンだれ? なんでおんぶされてんの?」

 アカゲは男の子に話しかけられた。男の子は興味津々な顔でユクエに近づく。自分より年下の青年に背負われた顎髭のおじさんは、うーんと唸りながら頭を掻く。

「おじさんはね、実は全治2ヶ月の怪我を負ってしまったんだ。そこでこちらの逞しくも心優しい好青年、ユクエくんの背中を借りて……」

 と言ってる間に、男の子はツキのところへ。ふう、と溜息をつくアカゲ。しかし何やらユクエの様子がおかしい。

「ちょっと、ホントに大丈夫ですか。救急車呼びましょうか」

「……う……ッ……ぐ……」

 顔は更に青ざめ、眼はぐるぐると虚ろになって、息は荒く、何かに苦しみ耐えているようだった。

「あ、あの!」

 アカゲが急いで先ほどの防衛隊員に声を掛ける。防衛隊員はすぐにこちらへ駆け寄り、状況を確認した。

「さっきから気分が優れないみたいで、どこか一人になれそうな場所で休ませてあげられませんか」

「分かりました、ユクエさんは生活部の寄宿舎へお連れいたします。代わりの案内役をご用意しますので、少しお待ち下さい」

「よかったですね、さあ、降りるんでしゃがんでください」

 アカゲの言葉に強がる余裕もなく、ふらふらとユクエはしゃがみ込んだ。

「いてて……」

 アカゲはゆっくりと地面に降りて石畳に座る。防衛隊員は胸元のトランシーバーで連絡を取っていた。

「こちら南門駒沢、繰り返す、こちら南門駒沢」

『こちら本部、用件送れ』

「南にて急病人一名、寄宿舎へ送り届ける、自分の後任として冬崎アカゲ、長火鉢ツキ両名の案内をそちらの───」

「その必要はねーよ」

「!」

 何者かが遮った! 突如現れた黒髪の男……! アカゲが見上げる。左眼に黒い眼帯、目つきの悪い青年が、そこに立っていた───。

「案内なら、俺がやる。ボケっとすんな。その人連れて、さっさとユノカワさんとこ行けよ」

「統括署長!! 分かりました!」

 防衛隊員は肉のカバンを持ち上げ、ユクエに肩を貸し、向こうの方へ歩いていった。気付けばツキに出来ていた人だかりは消え、子どもたちは眼帯の青年へ一斉に駆け寄る。

「ドクロ兄ちゃんだ!」「ドクロ兄ちゃん!」「遊んで遊んで!」

 ドクロ兄ちゃんという愛称で呼ばれながら、あっという間に子どもたちの輪に巻き込まれるドクロ兄ちゃんの目つきは鋭く、一瞬……ツキを睨んだ。懐を見れば構って欲しそうな子供たちが、足や腕にしがみ付いてくる。一見、子供とは相性の悪そうな彼だったが……。

「お前ら、そろそろ昼休みも終わりの時間だろ。すぐ教室戻れよ。また明日遊んでやるからな」

 見かけによらず、優しい声色のドクロ兄ちゃん。頭を撫でられた子供たちは聞き分けがよく、元気に返事をしてすぐに帰っていった。……残されたのは、遠くからこちらを窺う大人たちと、アカゲ、ツキ、ドクロ兄ちゃん。もう一度ツキを睨みつけると、アカゲを見下ろして彼は言った。

「冬崎、アカゲだな。ジジイから話は聞いてる」

「はい、冬崎アカゲです。29歳です」

「───俺はハナビ。歳は20歳」

 アカゲは座り込みながら、どうも、と会釈する。

「……とりあえず、立てよ」

「ちょっと厳しいですね」

「そうか」

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