　４日前。森に伸びる道から、２人が歩いて来た。サガミとアサノ。高く堅牢な門の前にやってきて止まる。

「出迎えご苦労じゃったな、２人とも」

　鉄のメットを脱いで、サガミが言った。

「町の端まで歩いただけで、出迎えたことになんのかよ」

　黒髪の青年がぶっきらぼうに答える。

「ほほほ、当然じゃ。のうシンバシよ」

　笑うサガミ。シンバシと呼ばれた長髪の青年も口を開く。

「ハナビも、サガミ先生が無事に戻られて安心してるんです。コイツなりの照れ隠しでしょう」

　サガミを出迎えた２人は、ハナビとシンバシ。左眼に黒く眼帯を着けた、何というかガラの悪そうなイケメンがハナビだ。腰まで伸びたストレートな長髪、額を出すように短い前髪に、目つきが悪く不健康そうな色白がシンバシである。

　サガミは、ふむ、と顎に手を当てた。粗暴な口調のヤツと、それを嗜める敬語のヤツ……。最近なんだか、コイツらと似たような雰囲気の二人を見た気がする。既視感を覚えて、少し微笑む。

「ヘラヘラ笑いやがって、ついにボケたか？」

「その言い方やめなさい。サガミ先生怒ると怖いんだから」

「ちょっとばかし似ておるなぁ。まあ、お主らの方がだいぶマトモじゃがの」

「……あ？　マトモだとかマトモじゃねえとか、何の話だ」

「何でもないわい。そんなことより、ミズホは今どこにおるかな。電話でも話したが、彼女の面倒を頼みたい」

　そう言ってアサノに目を向けた。シンバシが伝える。

「あの人なら、たぶん腕木のメンテです」

「それならちょうどいい、先にそっちを済ませておこうかの」

　サガミが先頭に立ち、４人は門の中へと入っていった。

　腕木通信とは、アナログな通信方法の一つだ。大きな木材を組み合わせて作られた模型。人の上半身にも似た腕木を手旗信号のようにクネクネ動かして、遠くの人とやり取りをする。というものである。腕木塔の麓にいるのが、ミズホ。眼鏡をかけた、活発で温厚そうな女性だ。

「サガミの爺ちゃん！　おかえりなさい！　もしかして、そちらの綺麗な人が？」

「アサノじゃ。色々あっての、立川で保護し連れ帰った。世話を頼めるか」

「あらぁアサノちゃん！　私ミズホです！　どうもね。この町、男女比偏り気味でさ〜。女の子大歓迎だから！　これからよろしくね！」

「よ、よろしく……お願いします」

「あんまグイグイ行くな、怖がられんだろ」

　ハナビが横から口を挟む。

「アハハ！　ね聞いたアサノちゃん！　怖がられんだろぉだってさあアハハ。アイツの顔のがよっぽど怖いよね〜、そう思わない？」

　鋭い目つき、左眼には海賊みたいな眼帯、無愛想な表情、粗暴な言葉遣い。これは確かに。

「えっと、ちょっと……怖い……」

「な……ッ」

　アサノの言葉に狼狽えるハナビ。

「ね〜！　やっぱ怖いってさ！」

「調子乗んなよテメエ───」

「やめてあげなさいって、怖いのは事実なんだから」

「お前までアイツの肩持つ気か？　あ？」

「───戯れもよいが、ワシの用事を忘れてもらっちゃ困るのう。そう思わんか？　ガキども」

「チッ……分かったよ」

　サガミの言葉に、不服そうに向き直るハナビ。

「アハハ……あー。ささ、皆さん上へどうぞ！」

　ミズホに案内され、一行は石造りの塔に入る。３階建ての腕木塔は、１階が腕木の操作スペース、２階は通信職員の休憩スペース、３階は眺めの良い監視窓に双眼鏡、腕木補修用の資材置き場も兼ねている。階段を上り、３階に辿り着くと。

「皆さんお疲れ様です」

　通信職員の男が挨拶した。昼夜、交代でここから他村の腕木を見張っているわけだ。傍らにはガタイの良い同僚も控えている。

「腕木、使いますか？」

　ガタイの良い方が言う。

「うむ。急は要さんが、秘匿性の高い情報じゃ。こういう場合、アナログが役立つからのう」

「分かりました、動かします」

　ガタイが良いのを遮ってミズホが喋った。

「まあまあまあ！　高橋さんは休んでてくださいよ！　さっきも点検で動かしたばっかりなんですから、ね。ここは私がやりますんで、アサノちゃんもぜひ見てってよ！　ほら皆さん上がって上がって〜」

　やる気のミズホに気圧されて、一同は屋上まで上がってきた。真上を見ると、大きな腕木が迫力ある。屋上床から伸びるパイプの蓋をパカリと開く通信職員。

「配置よし送れ」

　声を送ると。

『配置よし導通よいか送れ』

　パイプを通って一階から、ミズホのかしこまった声が返ってくる。通信職員は持参した双眼鏡を覗き込んで、じっくりと周囲を見渡す。

「導通よし視界良好腕よいか送れ」

『腕良好呼び振りよし送れ』

　一同は様子を静かに見守る。

「腕入る、呼び振り───はじめ！」

　すると、腕木がグオンと動き、グナングナンと一定の周期で手を振り始めた。１階ではミズホがレバーを操作し、ロープを引っ張って腕木を動かしている。アサノは頭上で動く腕木を見上げて、すごい、と静かに呟いた。通信職員は双眼鏡を除き、腕木の正面、北西の方を遠く見る。どうやら、向こうの腕木から反応があったみたいだ。

「呼び振り、やめ！」

　合図で、腕木の動きはゆっくりと止まる。

「サガミさん、お願いします」

　そう言われ、サガミは咳払いした。

「───フデオリの灯火消えて、骸はタチカワ三七番」

「クロ、ヒトマル、オツ、モノ、サンナナタチ」

　通信職員がその場で訳し、ミズホに伝える。

　ミズホはロープを巧みに動かし、指示通りの動きを腕木に伝えた。グオングオンと腕木が動き、やがて止まる。

「───ツワモノ求む、明後日、明朝六時、骸の搬入」

「チカラ、キテ、モノモテ、ミョウゴ、ロク、サクラ」

　グオングオンと腕木が動く。やがて止まる。

「以上じゃ」

　サガミは言った。

「シメ」

　グオンと腕木が動いて、これで終わり。双眼鏡で向こうの様子を見る。どうやら上手く伝わったみたいだ。

「シメよし腕終われ！」

　腕木の角度は最初の位置に戻って、ピタリと止まった。

「腕位置よし終わり！」

　パイプの蓋を閉めた。無事、腕木通信は終わったらしい。真上から差す日光に照らされて、現場の緊張感も消え去る。

「みなさ〜ん！　どうでした？　格好よかったですか？」

　階段を駆け登ってミズホがやってくる。

「ほほほ、腕は衰えておらんようじゃな。見事なもんじゃ」

　ガタイの良い職員も、静かに頷く。

「いやあ、それにしても凄いですよ！　あのフデオリを倒しちゃうなんて。倒したって報告聞いた時は皆驚いたんですから！」

　サガミの炭化イノシシ討伐に興奮気味のミズホ。

「サガミさん単騎での偵察も、元はと言えばフデオリへの対抗手段を講じるための実地調査でしたもんね。見かけによらず、案外何ともなかったですか？」

　シンバシも気になる。

「……いや、カネクダキの時と同じく、アレはやはり人間が相手しちゃいかんヤツじゃ。ワシもあと一歩で食い殺されるトコじゃった。いやあ、手も足も出んかったわい」

　サガミの口から出たのは意外にも、随分ネガティブな感想だ。どうやら自虐や謙遜といった類のものでもないらしい。それで倒してきてしまったというんだから、全員なおさら不思議がる。そんな語りの武勇伝は聞いたことがなかった。

「ほほほ。黙っとったが実はな、ワシが討ち果たした訳ではないんじゃ」

　一同驚いた。倒したのがサガミでないというのなら……。

「じゃ、じゃあ、一体誰が」

　ミズホが尋ねると、これまた勿体ぶってサガミが言う。

「さっき言ったハズじゃ。カネクダキの時と同じとな。ヤツを倒したのは……。───灰の娘じゃ」

　灰の娘！　そのワードに皆が驚きを隠せない。

「そっか、あの子が……。半年前のアレを見てたら、フデオリを倒したって言われても確かに納得できます」

　シンバシがゆっくり頷いた。そんな中、どう見ても様子のおかしいヤツが一人いた。

「───のか」

　ハナビ。

「……会ったのかよ。アイツに。あの、裏切り者に……!!」

「ああ、会った。そして恐らく近いうち……再び訪れるじゃろうな。この町に」

　ハナビが歯を食いしばる。これはなかなか、尋常じゃない様子だ。裏切り者、彼は確かにそう呼んだ。

「ちょっと、裏切り者って……何か恨みでもあるの？　ツキちゃんは半年前私たちを助けてくれたんだよ？　確かにちょっと不器用な子だけど、命の恩人に向かってそんな言い方ってないよ」

「恨み……？　あるに決まってる。何が命の恩人だ。誰も救わなかったクセに……。───許さねえ、絶対に……アイツだけは」

　激しい憎悪。溢れ出る憎しみが伝わってくる。一体何が彼をそうさせるのか。

「アイツのせいだ、全部、全部アイツのせいで───。最低のクソ女だ」

「ハナビ！」

　ミズホが止めた。

「これ以上言ったら、私、許さないからね」

「……お前の」

「……？」

「お前のクソ兄貴と同じだ、ミズホ。正義の味方を装ってるが、結局同じ裏切り者なんだ、最低のな!!　クソ野郎なんだよどいつもコイツもがッ!!」

「！」

　感情を昂らせるハナビ。ミズホは……。

「……もう、いい。行こう、アサノちゃん」

　戸惑うアサノの手を引いて、階段を降りていってしまう。

「何だよ……クソ……」

　項垂れるハナビの肩に、そっと手を置くシンバシ。

「言い過ぎだ。短気なのは後遺症のせいだろうが、ただな……」

　シンバシは躊躇って。ようやく言葉を口に出す。

「半年前あの子が現れた時から、悪いけどお前は変だよ……ハナビ。もしかして関係あるんじゃないか？　その───５年前のことと」

　肩を優しく叩いて、言葉を続けた。

「じゃなきゃお前がこんな取り乱し方する訳ない。誰よりも心の強いお前が」

　ハナビは黙ったままだった。見かねたサガミは通信職員の２人をそっと外させる。……風の吹く屋上には、３人だけが残った。

「アイツは……。アイツは、半年前……シカを殺った。それで町の英雄になったつもりか知らねーが。俺は許せねえ。……傷一つない、苦労のカケラもして来なかったアイツがのうのうと讃えられてんのが許せねえんだ。善人気取りの澄ました顔に腹が立つ。誰一人として、救おうとしなかったクセに。アイツの正体は、性根の腐った臆病者のクズだ。……周りの奴らのことなんて考えず、人の心すら持ち合わせちゃいない。───守る力を持っていながら、助けを必要としている人達に手を差し伸べない。保身の為にしか使わない」

　憎しみの顔を浮かべながら、左眼の眼帯を手でそっと覆った……。

「……だからアイツは、５年前。───村の皆を、見殺しにした」