episode2.3.5 死にたがり

「───え」

 男の口から出た予想外の言葉に、思わず固まってしまう冬崎アカゲ。男も口を閉じ、ただじっと、真摯にこちらを見つめていた。と、その瞬間!

「そこだ─────────ッ!!」

 突如弾丸のようにすっ飛んできた灰色の閃光!! 凄まじい勢いで側面から男を掻っ攫う! ズガガガガガガガガと砂土を抉りながらブレーキをかけ、男を組み伏せ取り押さえた!! ギィっと右手の刃を喉元に押し当て、威圧するツキ。静かな空間に土埃がサラサラ舞う。

「テメー、そこの筋トレ男に何するつもりだ、ああ?」

「う……うう……」

 男は突然の出来事に萎縮して怯えている。抵抗する素振りはない。

 アカゲは目を丸くしてその様子を見る。

「ツ、ツキ。お前……」

「アカゲは黙ってて。コイツ捕まえたから、尋問する」

 アレ、まさか、囮に使われた? オレが動けないのをいいことに。アカゲは、この謎の追跡者を誘き出すための……エサ。なんだ、いい作戦じゃないか。取り押さえられた男は、沈んだ目で言葉を発する。

「僕は……僕、は……」

「なんだ! 言いたいことあんならハッキリ言え!」

「あ、あなた、に。殺して、欲しい……。僕を……」

「なんで!」

「そ……そ、れ……は……。あ……あ、あぁ……! あぁ……!!」

 何か嫌な光景がフラッシュバックしたようで、謎の男は酷く狼狽えていた。

 尋常でないその怯え方に、ツキも若干調子を崩す。

「えっと……。ま、まあ……落ち着けって、な?」

 少なくとも敵意を持った人物では無さそうだと悟って、ツキは彼を解放する。身体を支えながらその場に座らせ、休ませた。

「どうも、オレは冬崎アカゲです。こっちは長火鉢ツキ……って、さっき教えたな」

「あんま教えんなって人の名前を」

 男は、俯きながら黙っていたままだった。しかし、ボソリと言葉をこぼす。

「……です……。───ユクエ……です」

 男の名は、ユクエ。

「や、どうもね、ユクエさん。その……なんだ、言える範囲で全然構わないんで、殺して欲しいな〜と思う理由をね、教えてくれると嬉しいです」

「……あ……あの……。え、っと…………」

「ゆっくりでいいんだぞ。コイツどうせ筋肉痛で動けないから、時間は沢山ある」

「そうですよ、話したくないことは話さなくていいですからね」

 これはなんだか、取り調べみたいだ。

「ぼ、僕は……。許されない、こ、こと……を……。ひ、人を……。人、を……殺し……。大事な、あ……あ、あぁ……!!」

 また嫌な記憶を思い出したみたいだ。アカゲが必死に背中をさする。

「あー、お前。人殺しか。そんで死にたがってんだな。なんとなく分かった」

「あのねあんまり追い詰めるもんじゃないですよ、思い出したくないコトだってあるんだから」

 泣くユクエをなだめるアカゲ。アカゲを指差してツキが言う。

「大丈夫、コイツだって人殺したくせに見ろよこんなに笑顔だぞ? そんなに気負うことじゃないって」

「オレの場合、記憶がないんでね。……まあでもツキの言う通りです。こんな世界なんだ、殺し殺されも下界じゃ日常茶飯事でしょうからね」

 ゆっくりと落ち着きを取り戻すユクエ、アカゲとツキの懐の深さ、心の余裕が彼をじんわり温めた。

「耐えられなくて……死のうとしたんです。でも……どうしても死ねなかった……」

「無理もないですよ、死への恐怖なんてね、そうそう乗り越えられるもんじゃありません」

「……確かに、自分から死ぬのは難しい。誰かに殺される方がよっぽどマシだってのは分かる」

 納得する二人と裏腹に、彼の口から出たのは予想外の言葉だった。

「違うんです……。僕は……。───死んでも、死なない……。死ねないんです」

 その言葉にアカゲは頭を悩ませる。

「死ねない……? 言葉通りに受け取っていいなら、不死身ってことですかね」

「いやいや受け取んなよ言葉通りに。死なない人間なんていないんだから」

 そう言いながらユクエに目をやると彼は。───自分の喉元に指を思いっきり突き刺していた!! ズシャ、グチョグチョ……。2本目も、3本目の指もその根元まで突き刺さり、惨たらしい音を出している!!

「「オイオイオイオイオイオイオイオイ」」

 状況が飲み込めない2人!

「いくらなんでも急ぎすぎだ! 心の準備ができてないから! 私が!」

「……えっと、あー……。よしツキ、介錯してやってください! このままじゃ痛いですよたぶん! ホラ、血もこんなに流れて───。……って、アレ」

 ユクエの指が深く突き刺さった彼の首元からは、一滴の血も……。

「流れてないぞ、どうなってんだ? 痛くないのか?」

 気道の塞がりかけた喉から息を絞り出してユクエは言う。

「───し、ぬ、ほ、ど、い、た、い、で、ふ……」

「痛いじゃねーかやめとけって!」

「指抜きましょう! 一旦! ね!」


 ユクエの喉から指は引き抜かれたのだが……。なぜかそこには、穴どころか傷跡すらなかった。一瞬で塞がったようにも見えた首の傷。

「よ、よかったですね! 危うく死んじゃうところでしたもんね」

「そうだぞ、無事でよかったな!」

 ユクエは深く息を吐いて、吸った。

「───傷が、塞がります。これが……僕の、呪われた身体」

 2人は顔を見合わせる。どうしたものか……。

「僕は……消えなきゃいけない。生きてちゃ、いけないんだ……。だから、あなたの……その光る剣で、僕を殺して欲しいんです」

 まただ、彼が口にする「光る剣」という言葉。確かに金属の反射で輝くように見えないこともないが……。

「さっきから気になってたんですが。そんなに光って見えますか? こんな薄暗いところで大した光源もないでしょうに」

「あなた方には……見えないんですか、この波打つ光が。三途の川の冷たい波紋のような、恐ろしい光が。……本能的に恐れてしまうその剣なら、僕の命を……絶てるやもしれない」

 2人して顔を見合わせた。ツキの右眼も、そのような光が見えているわけではないらしい。

「アンタの身体の不思議な力。目の当たりにしたからこそ、今はアンタの話を信じましょう。この刃から、光の波が漏れているように見えるんですね」

 ユクエは頷いた。

「ツキ、右眼借りていいか」

「まあ、いいよ」

 そう言って、右眼を隠す包帯を解いていく。

「えーと、電機義眼さん。オレの声、聞こえてますかね」

『-認証成功-』

「大丈夫っぽい」

「じゃあ、この定規から漏れ出る光をアンタの機能で可視化することはできますか」

 そうアカゲが問いかけると、カシャ、カシャとツキの右眼が次々にモードを切り替える。

「さーも。赤そと線。ねおめにあ……?」

 そう呟いたところで、何かが見えたようだ。ツキは自分の定規をじっくり観察する。

「確かに、なんか見える。ゆらゆら広がって……消えてく」

「どうやら、ユクエさんには実際に特殊な光が見えているようですね。そして、その光がとにかくコワいと」

 また、頷いた。

「それなら、試してみる価値はありそうだ。何か言い残すことがあれば、今のうちに聞いておきます」

「言い残すこと……。───もし叶うなら、故郷に残してきた姉に……最後に一言謝りたかった。一人にして、ごめんなさい」

 ユクエが言い終わると、アカゲはツキに目配せした。彼女は意図を読み取り立ち上がる。手には定規の刃。

「───恨むなよ」

 ザシュ─────────ッ!! ツキの動きを捉える前に、その刃は……。ユクエの首を斬り刎ねていた。ドサッゴロゴロゴロ……。首は地面に転がって……壁で止まる。死んでしまった、そう思った次の瞬間。

 残されたユクエの胴体が、サラサラと流れて消失していく……!! と同時に、向こうを向いた首から下が、物凄いスピードで再生を始める。消えた肉体が次から次へと首の方へ流れて繋がっていくようにも見える。その状況を2人は驚いた表情のままじっと見ていた。程なくして……。壁を向いて横たわったユクエの、無傷の裸体がそこにはあった。

「マジか……」

 そう呟いて、アカゲは筋肉痛に痛みながらも、ユクエが着ていた衣服やマントを放り投げ、彼に被せる。

「アイツ……マジで死なないのか?」

「みたいですね、見た限りは。アンタの定規でも無理だったようです」

「───うう」

 向こうの方でうずくまったまま、ユクエは静かに泣いていた。


「不死の存在」

 服を着たユクエを前に、アカゲはそう呟いた。不死の存在だと、そう考えるしか……さっきの現象を飲み込むことができない。しかしそんなもの、フィクションでしか見たことがない。だが実際に、そこにいるのだ。目の前に。そしてその彼は、切実に死にたがっている。不死への絶望みたいなありがちなものではなく、彼を死への欲求に駆り立てたのは、殺人を犯したという罪の記憶。ユクエの抱える罪についてはよく分からないが、彼の心を芯まで蝕む程の絶望が、その内に巣食ってしまっている。それだけは強く伝わってくる。一体、どれほどの痛みだというのか。まだこの時は、分からなかった。

「頑張って、受け入れる……。お前は、死なない。私、受け入れる……」

 ツキは何とか目の前の事象を現実のものとして咀嚼すべきと試みているみたいだった。そして、アカゲが不意に口を開いた。

「気になっていたことがもう一つあります。……アンタは奇妙だ。その不思議な力がどうとかじゃなく、アンタの声色や表情」

 ユクエは顔を上げ、アカゲを見た。

「ただ自暴自棄になっているワケじゃない。その目に映る、怒りの感情。己に向けた憎悪の怒りだ。大した精神状態です。アンタの精神は随分と成熟しきっているみたいだ」

 そう、これはまさに。

「───自分自身に対する復讐。アンタのコアが見えました。生憎あいにくオレは復讐の幇助ほうじょにためらいがありません。だから、これから言うことをよく聞いてください」

「……はい」

 ユクエの返事を聞いて、真剣な顔をした。

「どんなに痛くても、死ぬ為なら、我慢出来ますか」

「───はい。我慢、できます」

 よほどの覚悟だ。……背負っている後悔、そして憎しみの重さが計り知れない。その揺るがぬ決意をアカゲは受け取り、ツキを見た。ツキは言葉を受け取らずとも、自分が次にどうすればいいのかというのを、大体把握した……。

「今からコイツがアンタに、恐ろしくむごい事をします。それでも死ねなかった場合、オレ達と一緒に来てください。アンタはきっと願いを果たせる。それはオレが保証しますよ」

「───分かりました。お願いします」

 刃を強く握った。

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