episode2.3.4 足踏み

 夜中。毛布にくるまったツキは、ふと目を覚ました。まだ重たい瞼を擦りながら、焚き火のパチパチという音を聞く。……それとは別に、もう一つ音が。

「……4……」

 耳をすましてみれば、何か聞こえる。

「3……5……」

 アカゲが、何かしている……? 何だ、こんな夜中に。

「36……」

 何の数字だ? 何を数えている……?

「37……」

 いや、本当にアカゲなのか? この声は。よく聞けば、少し息遣いが荒い。何かに苦しんでいるような……。

「……38……」

 もしかしたら、アカゲの声をしたアカゲじゃない何かが……。そうなるとまさか、幽……。

「3……9……」

 こ、怖い! 考えたくはないけど……そしたら本物のアカゲはもう───!! ……頑張れ、私。───アカゲの仇、私がやるしかない!!

「悪霊退散─────────ッ!!」

「4……0……?」

 勢いよく起き上がったツキは、腕立て伏せをするアカゲと目が合った。お互い硬直したまま見つめ合う。

「……いきなりどうしたのよ、怖い夢でも見ました?」

「……ふざけんな!! 何してんだお前!!」

「筋トレです」

「紛らわしいことすんな!! 悪霊め!!」

「悪霊はアンタだろ……。ビックリしたわ」


 ……鋭い目つきのツキがいる。

「で、理由を聞こうか。変人筋トレ男」

 腕を組みながら理不尽な不機嫌をぶつけてくる、悪霊暴力娘。アカゲは座って壁に寄りかかりながら話し始めた。

「それぞれ戦い方が違うんだ」

「あ……?」

「ヴァンキッシュとの戦闘を思い出して……自分なりに分析してたんです」

 ツキ、しばらく悩んで口を開く。

「よく分からないけど、筋トレで分析できるってこと?」

「いや違う。筋トレで分析はできない。まあまずは聞いてくれ」

 回りくどいな、と腕をまた組み直して話を聞く体勢のツキ。

「───ツキの戦い方は、直線的だ。破壊力はあるんだが、隙が多くて悟られやすい」

 身振り手振りで説明するアカゲ。

「ヴァンキッシュは最初こそお前の蹴りを喰らってたが、その後は動きを読んで完璧に対応していた。たぶん、相当な戦闘訓練を受けた軍人のハズだ。その眼の力が無きゃ、勝ち目も無かったと思う」

「悔しいけど、まあ、確かに……強かった」

 頭を捻ってアカゲは言う。

「変なこと聞いていいすか」

「だめ」

「もしかして、蹴り以外の技が無かったりします……? 見てる限りじゃ、全部直感と動体視力で動いてるイメージだけど」

 うーんと悩んで口を開くツキ。

「……あるには、ある。でも使うことないし、忘れた」

「忘れた?」

「……うん。技を習ってた、刃道じんどうってやつ。師匠のジジイがいたんだけど、すげー怖いヤツでさ」

「なるほど。あの蹴り技は確かに我流じゃ会得できんでしょうね」

「蹴りもよく分かんないから適当にやってるんだよな。今ジジイに会ったらボコボコにされると思う」

 ふむ、と考えるアカゲ。

「いいかツキ、よく聞いてくれ」

「やだ」

「今度またヴァンキッシュに会うことがあれば───。その時は、確実に負けます」

 ツキは、むすっとアカゲを睨む。

「そんなことない。覚醒モード? も使えるようになったし、次は完璧に勝つ」

 ボロい天井を仰ぎ見るアカゲ。

「いいや、無理だな。当然向こうも対策をしてくる。ツキが善戦出来たのは、相手が初見だったからに過ぎない」

 ツキの険しい顔。

「結局、何が言いたい」

「───お前は戦術を覚えるべきだ。……頭を使って戦えってことよ」

 露骨に嫌そうな表情をするツキ。真面目な顔のアカゲ。

「ヴァンキッシュは戦闘マシーンみたいなもんで、恐らく戦術のプロだ。だからお前も、それに負けず劣らずの戦術を身につけようって話」

「無理。戦いながら考えるとか、できないし」

 ツキの言葉を聞いて、待ってましたと言わんばかりにアカゲが鼻を鳴らした。

「そのために、オレがいるんです。───ツキの頭脳、司令塔として、これからはオレが指示を出します」

 苦渋を飲み干したような顔になるツキ!

「絶対やだ、マジで。死んでも嫌」

「と、言われることも折り込み済みで、筋トレをしてました」

「?」

「アンタはオレのこと足手まといにしか見てねーみたいだし、実際その通りだから。こうして体力つけて、実戦で動けるようになっときたいんです。───そしたら少しは見直されるかもだし、オレの言うことも聞いてくれるようになるかなって」

 ツキは、なるほど……と考えた後、顔を戻しアカゲを見た。

「あっそ。いい心がけじゃん」

「でしょ!やっぱりそう言ってくれると思いましたよ」

「で、何の筋トレしたの」

「腹筋200回、スクワット200回、腕立て伏せ……が、40回ですね」

「ふーん。それで、明日動けるんだ。痛いと思うけどな? 筋肉痛」

「あー。それは、予想してなかったかなぁ……ハハ」

「ぜってー動けねーじゃん!! バカだろお前!!」


 翌朝。

「い、いてて……痛い痛い痛い」

「───バカだわ……」

「無理やり起こすなって、おいやめろ痛い痛い痛い痛い」

「荷物あるから担げねーぞ、どうすんだ今日」

「スンマセン……。ちょっと、今は、動けそうにないかな……。ひとまず今日のところは、そうだな……。昆虫採集でもどうです?」

「置いてくか」

 ごそごそと出立の準備を始めるツキ。定規を右手に縛り付けて立ち上がる。ずしゃ、ずしゃとほぼ炭になった焚き火を踏み付け消火する。

「じゃな、バイバイ」

 絶望の表情を浮かべるアカゲ。

「あ、待って!! 置いてかないで〜!!」

 彼はここで、死んでしまうのだろうか。デカいリュックをドサリと背負い、アカゲに持たせていた鹿革のショルダーバッグと肉の包みを担ぐ。

「重いな……」

 なんとか全ての荷物を背負い、歩き出す。

「……え、マジで行くんすか」

「うん。死なないといいね」

 残すアカゲに容赦もなく、ビルの残骸を後にするツキ。ザク、ザク。枯れた土を踏み締めて去っていった……。

 唐突に取り残されたアカゲ……。壁にもたれかかって座りながら、呆けた顔をしていた。事態を理解することができない。そんな調子で、しばらく待っていたが。何分か経っても、ツキが戻ってくる気配はなかった……。

「……ドッキリだな」

 肩を少し持ち上げようとして、イテテと呟く。

「出てきてくださいよ〜!! 死んじゃいますって〜!! ツキ? ……」

 呼んでも、静かなままだ。

 ドッキリにしては、いい加減長い気もする。壁の裏にでも隠れているのだろうと、アカゲはそう思っていたが……。どうやら本当に一人にされてしまったみたいだ。みるみるうちに顔が青ざめる。

「誰か〜〜〜〜!! 助けて〜〜〜〜〜!! 殺される〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! ───……」

 か細い叫びはひんやりと朝の空気に吸い込まれ消えゆく。誰の元にも届かず、ただ虚しく項垂れた。微睡むような仄暗い世界の中で、彼は一人思う。ああ、終わった───。冬崎アカゲは死ぬのである。


 しばらくして。ザク……。ザク。項垂れて座る筋肉痛男は、近寄ってくる人の気配を感じた。ツキか? なあんだ、やっぱりドッキリだったのか。でもなんか、アイツの足音って、もっと、こう……。アカゲは瞬時に察知した。これはツキじゃない。だとすれば……!!

「(───まさか……)」

 小さい声でアカゲが呟く。そうだ、忘れていた。アカゲは今一人。身動きも取れない! だとすれば、狙うには絶好のタイミングだ!! ビルの残骸にその人物は、ゆっくりと足を踏み入れる。アカゲは黙って息を呑んだ。頭フル回転。今すべき行動は……。いいや出来ることは何もない!! ザクリ……。足が、見えた!! ボロボロになったスニーカー。脚は……。くたびれたジーンズ……。マントのようなガサガサの外套を首元まで巻いて、その顔が。姿を見せる……。───男だ、若い。

「いらっしゃい!」

 気が動転して訳も分からず挨拶するアカゲ! こちらをじっと見つめる男。歳は20代前半。額の真ん中で分けた黒髪。疲れ切った目元。冴えない雰囲気の塩顔。まるで人生に、全てに絶望したような虚ろな表情……。

 2人はじっと互いを見つめ合う。ツキが感じていた気配の正体は恐らくこの男。しかしコイツが何者か、何が目的か、何を考えているのか分からない。どうすればいいのか。話しかけた方がいいのか。今のところ怪しい素振りは、無い。5メートル前に、ただ突っ立っているだけだ。男の次の行動に身構えながら、アカゲは息を呑む。そして、しばしの沈黙を破り……。

「───あの……光る、剣の……女の、子……」

 不意に男が言った。

「光る剣……? えっと……よく分かりませんが、ツキのことですか……ね」

「ツ……キ、さん……」

 何だ? ツキに何か用事があるのだろうか。しかし、残念ながらツキはここにはいない。なぜならアカゲは見捨てられて、こうして一人でいるのだから……。その時、男が泣きそうな声で言った。

「どうか……お願い、します。お願い……します……」

「?」

「僕、を……」

「僕を?」

「───僕を、殺してください」

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