episode2.3.8 燃え残り

 ユクエが案内されたのは、しっかりとした造りの病室。古い小学校の教室を、5畳程度に縮小したような部屋だ。適度な寝台と、適度な椅子、机、本棚、枕元のナースコール。

「その子だね、さっさと寝かせておやり」

 頑固そうな老婆が、しわがれた声で防衛隊員に呼ぶ。ユクエを白のベッドにゆっくり座らせ、横になれるよう手を貸した。汗だくのユクエが動悸に合わせて身を強ばらせるのを見て、老婆は歩み寄る。

「どれ、婆さんに顔を見せておくれ」

 そう言って、手元のタオルで顔の汗を拭ってみる。眉間のシワが少し緩んだユクエが老婆の方に瞳を向けると……。老婆もユクエを見た。顔を見た。老婆は、ユクエの顔を見た。ユクエの顔を見て、目が開く。老婆は、時間が止まったように、動かなくなってしまった。

「ユノカワさん……? どうかされましたか」

 付き添いの防衛隊員が心配そうに声を掛ける。ユノカワと呼ばれた老婆は、その声でふと我に返った。

「───ババアの心配は無用だよ。それよりも、この子。名前はなんて言うんだい」

 しわがれた声を取り戻し尋ねる。尋ねる間に、ユノカワは触診を始めた。手首や腹部に触れ、異常がないかを見極めている。

「ユクエさん、と伺っています」

 黙って聞きながら、触診を続ける。

「坊や、痛みはないかい」

 ユノカワの呼び掛けに反応し、ガクガクと震わせる顎で声を絞り出すユクエ。

「いい痛みみは……な、無い。無ないい、です……。くる、苦しい、頭のな中に、みみみみんなが……い、い、い」

 ガタガタと身体が震えて、寝台の金具が軋む。

「落ち着いとくれ、落ち着いとくれ、もう喋らなくていい……。あたしが何とかしてあげるからね」

 溢れ出すユクエの声は次第に栓が締まり、落ち着きを取り戻していった……。動悸も和らぎ、インフルエンザの時のような鋭い悪寒だけが……ユクエの身には残っている。

「こりゃ……尋常じゃないねえ。ミナグロ病の初期症状にも似ている」

 ユノカワは震えるユクエをなだめ、下瞼の奥を覗いた。同時に髪の生え際を指で押さえ、これもよく観察した。

「……しかし、見たところはミナグロ病じゃないね。眼球にも生え際にも変化は無し。不思議だねえ」

 防衛隊員が再び声を掛けた。

「彼、大丈夫でしょうか」

「大丈夫さ。ミナグロ病じゃない。雨の周期と症状の進行具合が合致しないからね。初期炭化も見られないから、極度の緊張と環境の変化によるものだろうねえ」

 肩で息をするようなユクエに、ユノカワは呼び掛ける。

「今、湯たんぽ持ってくるからね。その間何かあれば、そこのナースコールを押してちょうだい。押せばあたしじゃなくとも、足の速い看護婦がすっ飛んでくるからね。分かったかい」

 ユクエは枕元のナースコールを見てから、ゆっくり頷いた。部屋を出ようとしたユノカワは振り向いて、防衛隊員に言う。

「それとアンタ、駒沢さんトコの坊やだろう。ここはもう大丈夫だから、さっさと職場に戻りなさいな」

「は、はい、分かりました!」

 ……2人が出ていって、ユクエは一人になった。知らないお婆さん。それなのに、なぜだか懐かしい気分になるのは一体どうしてだろう。……どうしてなんだろうか。


「……つーのが、この町の大体のアレだ、概要だ。理解したか? 冬崎アカゲ」

 ハナビの後ろに歩くツキ、その背中にはアカゲが乗っている。2人の荷物は全て、ハナビが担いでいた。賑やかな町並み、時折子どもが食いついたようにまとわり追いて来るが、ハナビは追い払うような仕草でそれらを退散させる。

「ご老人って、防衛部長だったんですね。どうりで強かったワケだ」

「……ああ、サガミのジジイか。アイツは軍師みたいな人だ。先頭で戦うよりも、後ろで指示出す方が実は向いてる。あのジジイは、そんぐらい頭がキレる」

「なるほど、知略で戦うタイプね……。それで、今どちらに?」

「ジジイは昨日町を出たぜ、明後日には帰って来るだろうな」

「あー、入れ違い……。それなら、当分の間ゆっくりさせてもらっちゃいましょうか」

 アカゲはそう言ってツキの頭をポンポンと撫でる。ツキはアカゲの顔を見て、すごい嫌そうな顔をする。そういえばツキは、ユクエが運ばれていってから一言も喋っていない。いつもなら出しゃばりそうなハズなのに。

「統括署の部屋を用意してる。気が済むまでいればいい」

「ユクエさんがいるのは、確か生活部の寄宿舎でしたっけ。そことは違うんですか」

「ああ、寄宿舎とは名ばかりで、あそこの役割は病院だ。医者は寄宿舎に常駐してる。介護の必要な奴らの寝泊まりも兼ねてるからな、出来るなら寄宿舎には迷惑掛けねえようにしたい」

「なるほどね、そこに医療が集中してんのか……。ともあれ、統括署直々に部屋を貸してくれるなんて、いやあ、ありがとうございます」

 ツキは相変わらず黙ったままだ。

「ホラ、アンタもちゃんとお礼言いなさいよ。そこのお兄さんにありがとうは?」

「……んな」

「?」

「……子供扱い……すんな」

 か細い声で、ヒソヒソとアカゲに喋った。

「どうしてそんな小声なのよ……。いやあスミマセンね、うちの子が。無愛想なんですがね、優しい子なんですよ! ぜひ仲良くして頂ければ……」

 ハナビが急に歩みを止める。気付けば町の裏路地へ3人はやって来ていた。重たい声で口を開く。

「気が済むまでいればいいって、さっき言ったな」

「言いましたね」

「嘘だ」

「嘘なんですか」

 背負っていた荷物をドサリと落として、言う。

「───速やかに出ていって欲しいと思っている。特に、その女にはな」

 ハナビは振り返って、ツキを指差した。

「俺はジジイの言葉に従ってただけだ。ソイツとは話さない、顔も見たくない。さっさと消えてくれりゃいいと、そう願ってんだ。……でなきゃ、俺がソイツを殺すかもしれねぇ。俺はもう冷静じゃいられねぇんだ、消えてくれ」

「なんかめっちゃ言われてますよ、何したんですか」

 ……ツキはひとしきり考えた後、呟いた。

「知らん」

「───テメエ……知らねえだと? その口で、その眼で……ッ、よく言えるよな……長火鉢ツキ」

 憤りを露わにするハナビ。いきなりの展開に困惑するツキを、アカゲは見た。

「……私への殺気はずっと感じてた。だからアカゲに迷惑かけないように黙ってたけど。私に何の恨みがあるんだ? なんでさっきから妙に馴れ馴れしいんだ」

 怒りと恨みを抑え込み、静かに、耐え忍ぶように、目の前の女に言ってやる。

「───5年前、イナ村、そして……この傷」

「……!」

 その言葉に、ツキが反応する。それは滅ぼされた故郷の名だった。ハナビは、左眼を塞ぐ眼帯を自ら外していく……。するりとほどいた黒の眼帯、そのまま髪を掻き上げると、痛々しい傷が姿を現した。その、あまりに醜い傷に、2人は息を呑む。

「奴等の放った弾丸は俺の左眼を抉り、脳を撃ち抜き、頭蓋骨を突き破った。答えろ。あの日、お前は───何をしていた?」

 左眼から斜め右上にかけて、大きな窪みが、その顔を貫いている。

「まだ思い出さねえのか、そうやって全部忘れちまったのかよ。───アカリのことも」

 アカリ、その名を聞いてツキは珍しく狼狽える……。

【───私ね、20歳になったらハナビ君と結婚するの。向こうのお家と約束してきたんだ。まだ5年もあるけどね───】

 ツキの幼馴染だった女の子の名だ。思い出さないようにしていた村の記憶が、いきなり鮮明に蘇る。彼女は、唯一ツキと仲良くしてくれた心優しい子だった。

【───格好良くて、優しいでしょ? で、ちょっとドジなとこもあってかわいいんだ───】

 思い出が繰り返す。アカリの声が頭に響く。青い顔をしたツキは、アカゲに呟いた。

「ごめん、ちょっと、降りてくれ……」

「あ、ああ……」

 アカゲは言われるまま地面に降ろされる。

 優しく降ろしてくださいね、とも到底言えない……冷たい空気が場を支配する。薄暗い路地裏で、アカゲは口を閉じた。ハナビに向き直ったツキが、静かに、告げる。

「変わったな。……気付かなかった」

「変わったか。そんなこと言えるヤツは、この世にお前しか残ってない」

 ハナビは少し笑ったような顔をして……。その後憎悪を滲ませた。

「あの村は燃えた、人も全て燃えた……ッ。───俺はお前を、燃え残りとは認めねえ。絶対に……!」

「燃え、残り……」

「もう一度訊く。……あの日お前は、何をしていた?」

「私は……あの日。……私、は」

 ツキが言い淀む。弱々しい声で、言葉を絞り出す。

「隠れ、てた……。家の、クローゼットに……」

 返事を聞いて、ハナビが浅いため息をついた。

「……そうか。刀を持って来なくてよかったぜ。お前を殺すとこだった」

「でも、私は……!」

「───もう一つ聞く。お前は今まで、どこで何をしていた?」

 またツキは俯いて、言葉に迷った……。

「剣の……修行……」

 ハナビは頭を抱える。

「ああ、そうか。そうかよ。……お前がアカリの幼馴染じゃなけりゃ、殴り殺してた」

「さっきから……なんだよ……。私に、何が言いたい」

 ツキが問いかける。震え気味の声で、何かに怖がっている。そんな彼女に、ハナビは言った。

「───テメエ、人を救う気無いだろ」

 身体の内側に怒りが赤く滲んで、失くした左眼はツキを睨んだ。

「村で誰よりも……! どの大人よりも強かったお前が! 村の皆が死に物狂いで戦ってる時、クローゼットに隠れてた? ……ふざけんなよ。村の燃える音を聞いたか? 人が死ぬ音を聞いたか? 聞いてるはずだ、聞いたら耳から消えねぇハズだ。ならどうして……。どうして、お前は戦わなかった」

「わ、私は……。私……は」

「挙句の果てに剣の修行だ? 笑わせんなよ。テメエが一人強くなってどうなる。……下界には他にも大勢村がある。上の奴らがいつ攻めてくるかも分からねえまま、怯えて暮らしてる。もしテメエが後悔してるんなら、人を守るためにその力を使えよ。力を持つヤツには、力を持たねえヤツを守る義務がある。自分勝手な復讐は正義でも何でもねえ。テメエのやってることはな、誰を救うわけでもない。……だからムカつくんだよ、たかだか一回町を救った程度で英雄気取り。頼む、死んでくれ」

 ……ツキの眼に涙が滲む。滲む涙を、アカゲは見ている。今ここで横槍を入れるべき、そう思った。

「───あんまりうちの子イジメないでやってくださいよ」

 座り込んだアカゲにハナビが目を向ける。

「考えてもみてください。コイツ二言しか喋ってないじゃないですか。それも、アンタの質問に答えただけだ。恨みで焦る気持ちも分かりますがね、まずは話を聞いてやってください」

 俯いたままのツキをアカゲは励ますが、ハナビの言葉は予想以上に深く突き刺さったようだ。ツキの口から弱々しい言葉が溢れ出る。

「やだ……私は、話したくない……。コイツの言ったことが、全部、本当……。本当のこと、言われて、何にも……言い返せないよ……」

「だとよ」

 話は終わったと言わんばかりにアカゲを見つめるハナビ。すると、アカゲが自信満々に口を開く。

「なら、オレが言い返します」

「あ? お前には関係ないだろうが。当の本人が認めてんだよ、お前の言葉はコイツの首を更に絞めるだけだ。話聞いてたか?」

 ハナビの正論。しかし……。

「大丈夫です。───オレには全部分かりますよ、全部ね」

 アカゲは、道端に座り込んだまま、ハナビに向かってそう告げた。

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