第17話 ◆甘かった
「ワルシュ様! 辺境伯を継ぎますので、カステール子爵に結婚の申し入れを!」
アデルハードが居間に入ってすぐにそう言うと、フェアヴィル辺境伯であるワルシュが立ち上がった。
「任せよ、我が孫よ! シルヴィは性格もよくてかわいいだろう? リッテンダールの妻にどうかとずっと打診していたのだ」
アデルハードは亡くなった母方の従兄弟の名前を聞いて少し面白くないと思ったが、結局は自分が申し入れるのだと気持ちを納めた。
「継いでくれるのであれば、お祖父様と呼ぶべきではないか?」
「そうね、わたくしのこともお祖母様と呼んでちょうだい」
盛り上がる三人とは対照的にため息をついたのは、父方の従兄弟であるカールだった。
「あー、アデルハード、決めたんだな」
「ああ。だが、継ぐのはあちらを片付けてからだよ。放り出したりはしない」
「いや、おまえが幸せになるならさ、あっちは放っておいてもいいよ? 俺としては大公がアデルハードでも兄貴でもどっちでもいいし。あっちは兄貴がなんとかするでしょ」
「殺されかけた分はやり返さないと、私の気が済まないよ」
シルヴィに解呪してもらったネックレスを服の上から触る。
装飾品の管理をしていた侍従が呪われたネックレスを手にして、アデルハードに襲いかかってきたのだ。
持っていたナイフにはご丁寧に猛毒が塗ってあった。
荒事に慣れていない侍従は、アデルハードの抵抗にあって刃で自分を傷つけ亡くなった。
シルヴィがネックレスに悪意がついていたと言っていたということは、人の手で書かれた呪いだったということ。
侍従がその悪意を持つ者を招き入れたのか、不運にもその毒牙にかかってしまっただけなのかわからない。
わかるのは大事な母の形見が、侍従を殺し、アデルハードを殺そうとした凶器に使われたということだ。
今は、清浄な気を発している。
元々ついていた加護だけになったとシルヴィは言っていたが、少し違うとアデルハードはわかった。
今、新しくついている加護は、よく知っている加護と似ていた。
そう。辺境伯邸の中庭にある奉納院の気だ。
腐ってもタムリン聖公国の次期大公。精霊教の一番偉い僧であるといっても過言ではない。
精霊を見ることはできないけど、気を感じることくらいはできるのである。
わかるようでわからない謎。
わかってはいけない謎なのかもしれない。
アデルハードの周りはそんなことばかりだ。
・━・✧・━・✧・━・✧・━・
「——シルヴィ」
夕方に冒険者ギルドの裏口で待っていると、銀色の髪がたなびく愛しい顔が現れる。
ちょっと照れた風に、でもうれしそうに笑っている。
「シルヴィ、少しだけ抱きしめてもいい?」
「な、な……だ、だ、だきっ……こ、ここ道ですよ⁉︎」
「ははは。かわいい。それじゃ、手を繋ぐのでがまんするよ」
顔を赤くしながらそっと差し出された手を掴んで引き寄せた。
「本当はキスしたいんだけどね」
「〜〜〜〜‼︎」
慌てて離そうとする手をぎゅっと握って、その甲にさっと唇を落とす。
非難と照れが半分半分というような顔で見上げてくるのが、たまらない。
————私は悪い男になってしまったよ。こんなに愛おしいのに困らせたくてしょうがないなんて。
アデルハードは自覚しながらも止められず、小さな耳に口を寄せて「好きだよ」と告げた。
シルヴィに会いに夕方の冒険者ギルドへ行き、いっしょに食事をし、ちょっと困らせたりと夢のような日を送っていたアデルハードに、フェアヴィル辺境伯ワルシュが難しい顔をして告げた。
「——シルヴィに他から結婚の申し入れがあったらしいのだ。うちはほんの少し遅かったらしくな……」
「————っ! どういうことですか⁉︎」
なんの憂いもない幸せな日は二日で幕を閉じたらしい。
「ガルシア侯爵家の次男だそうだ。なんでもシルヴィが国立ルフティール学園の基礎科のころから世話をしているとかでな。調べさせたら、こちらの冒険者ギルドへもいっしょに来たと」
————————あいつか‼︎
木彫りの人形をくれたシルヴィを、乱暴に連れ去った憎い男。
思い出すと、頭が沸騰しそうになった。アデルハードは未だかつてないほど激昂した。
シルヴィはアデルハードの結婚してほしいという言葉に頷いたのだ。
その男ではなく自分に。
絶対に諦めない。
ここのところ着ることのなかった毛皮を全身に纏っていく。
遠くの方で「誰か止めてくれ!」という声が聞こえた気がした。
慌てて駆け込んできたカールが、引き止める。
「アデルハード⁉︎ どこに行こうっていうんだよ! もう夕方だぞ⁉︎ ダンジョン行くには遅いだろう⁉︎」
ダンジョン、迷宮。たしかに迷宮なのだろう。
アデルハードが入り込んでいるのは。
「————行ってくる」
「うわぁ! 早まるな! 待て! 俺も行くから‼︎」
カールがうしろから追いかけてくるのを待たずに、
歩いてもさほどかからないが、もうどうにも我慢できなかった。
待った。
再び会えるまで100年近く待った。
前世の精霊の加護のせいで、生きていた倍の年数を死者の国で過ごしたのに記憶はなくならず、そのまま転生することになってしまった。
普通の生であれば、生きていた同じ年数で記憶は薄れ転生できるのだと、死者の国の番人が言っていた。
アデルハードは深く強く愛されていたらしい。
本当は見えていた。
現世では見えないけれども、前世で精霊は見えていたのだ。
ただ直視できなかった。
成人した直後に現れた精霊は、あまりに無垢で綺麗でかわいい少女だった。
少し年下くらいに見える少女に恋をするのは、簡単なこと。
現れてから体調はよくなり、怪我は減った。
ずっとそばにいて力付けてくれて、そんなの好きにならずにはいられないだろう。
若いうちは恥ずかしくてまっすぐ見れなかった。
そのうち自分だけが歳をとっていき、30歳も過ぎるとくたびれたおじさんがそばにいる申し訳なさで、ずっと目を逸らしていた。
シルヴィはあの精霊にそっくりだ。
初めて会った時からあの精霊だと思った。
理性が、前世いっしょにいたのは精霊で、シルヴィは人だと言っている。けれども、怒りで火がついて焼き切れた。
前世で焦がれて、でもまっすぐに見ることもできなかった存在を、一度手に入れかけてしまった。
もう手放すなんてできない。
冒険者ギルドの厩に馬を預け、入り口の前で木彫りのバクを魔遮袋へ入れた。
途端に戻ってくる莫大な魔力。のしかかる頭痛、頭重、全身の緊張。
アデルハードはきらめきを映さないただの黒い瞳で、その入り口を潜っていった。
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