第14話 特級鑑定士 2


 人目のない場所までくると、ふたりはふぅと言って頭巾を外した。

 解放されたというような清々しい顔をしている。

 認識阻害がある部屋までついて来れた精霊たちも、くるくる回って気持ちよさそうだ。


『アデルハード すっきり〜』

『すっきり きもちいい〜』

『おのれのかいほう〜』

『ふたりともなんぎだニャ〜』


 ふうん、どうも頭巾は好きで被っているわけじゃなさそう。

 事情があるなら気の毒だなぁ。


「ええと、アデルハード様。あの詳細鑑定の方はまだ途中でして、この後も出てくるんじゃないかと思うんですけど」


 わたしがそう言うと、クマから脱皮した美形の青年は、よく見えるようになった美しい黒い瞳をきらめかせた。


「ああ、構わないよ。出来上がっている分だけもらっていくから。ゆっくりやって」


『なんどもこれて いい』

『アデルハード さくし』

『シルヴィ かわいい!』

『シルヴィ かわいい!』


 だから! 同胞たちよ、どうしたのかな⁉︎ なんか悪いものにでもあたったの⁉︎


「ねぇ、シルヴィちゃんだっけ? あの木彫り——」


「カール、ご令嬢に馴れ馴れしく声をかけないように。だいたい名前で呼ぶ許可ももらっていないだろう? ちゃんとご令嬢と呼んで。もしくは鑑定士殿」


「シルヴィでいいですよ?」


「だめだよ。私が許可しない。ああそうだ。シルヴィ、この者はカール・セイという者でね、私の従兄弟でありパーティを組んでいる仲間なんだ」


「そうなんですね。猊下、シルヴィ・カステールです」


「俺のことは猊下じゃなくてカールって呼んで。銀の髪の麗しのご令嬢」


「うるわし……! なん、ですか、それ……!」


「ご令嬢って呼ぶならいいみたいだからさ——いて! いたいぞ! アデルハード!」


「ああ、足があったんだ? 気づかなかったよ。悪いな」


『アデルハード ふくざつ!』

『アデルハード こころせまい』

『アデルハード さいりょう』

『そこもいい』

『カール いたい!』

『カール かわいそう!』


 突然の美辞麗句に驚いたけど、カールマタギも精霊に愛されているなぁ。いい人そうだもんね。

 アデルハード様から伝言帳を預かり、裏から鑑定済みの魔道具を取って来た。


 魔遮袋をふたつ机に置いて、口を開けて怪しい呪いがかかっていないことを見せてから魔道具を取り出す。


「こちらがお預かりしていたものと、鑑定書になります。どちらも悪い呪いではありませんでした」


 アデルハード様がまず手に取ったのは浅鍋だ。焼いたり炒めたりするのに使う鍋。


「これらはダンジョンから出たものでね。一応、知り合いの鑑定士に見てもらったんだけど、よくわからないらしくて。呪われるような悪いものではないということはわかっていたんだ。——こちらは浅鍋だよね。私たちが野営の時に使っているものと人ている。これに何かの呪いがついているんだよね?」


「そうですね。これで料理を作ると、ちょっと美味しそうに見える呪いがついています」


「美味しそうに見える呪い……」


「なんだそりゃ。おもしろ過ぎるだろ!」


 目を丸くするアデルハード様と、笑うカール様。

 精霊たちは、してやったりというようにはしゃいでいる。


「呪いは精霊たちのいたずらなので、意味とか考えると鑑定がむずかしくなっちゃうんですよね。きちんとした鑑定士さんには向いていないんです。そちらの浅鍋は料理人が普段使いにしてもいいんじゃないでしょうか」


「それじゃ今度からそれダンジョンに持って行こうよ。俺たちのひどい料理もちょっとは美味くなるかもよ?」


「カール様、すごく美味しそうな料理がすごく不味くて、頭がびっくりしてもいいのなら止めませんけど……」


「却下だな。——問題はもうひとつの方なんだ」


 その手元にあるのは古い木の板だ。

 ぱっと見は大きめなまな板の様なんだけど、一部分に溝が何本も入っておりぎざぎざとしている。


「問題ですか……? ええと、確かにこちらは少し強力な呪いというか魔法がかかっています。分類は呪いになりますが、加護に近いしっかりした魔法で”泡立つ”ようになっていますね」


「泡立つ?」


「はい。石鹸が少なくてもよく泡立つ魔法です。綺麗な泡が立ちます」


「綺麗な泡」


 マタギたちはぽかんとした後、カール様がぽんと手を打った。


「わかった! 理髪店のヒゲを剃る時の泡だ! その板なら大きいからたくさん泡立てられるってことだよな⁉︎ 綺麗な泡で気持ちよく剃れる!」


 なるほど。これが何かわからないってことか。

 呪いの鑑定を難しくしているのは、道具自体の用途がわからないせいでもあるのかも。


「カール様、惜しい感じです。これは洗濯板といいまして洗濯の時に使う板になります」


「洗濯……?」


「シルヴィ、私たちの知っている洗濯にはそのような板の出番はないんだけど」


 魔法を使う国では大きな樽に洗濯物を入れて水魔法で洗ってしまうから、洗濯板の出番はない。

 でも遠い東の国などでは少し前まで普通に使われていたのだ。


「そうですね。この国では魔法でざばざば洗ってしまうので知らないと思うんですけど、この板の上で手を使って洗う国があったんですよ。石鹸をこすりつけて服をもんだりこすったりして」


「アデルハード、そんな話聞いたことあったっけ?」


「いや、私が知っている限りはないな」


「ええと、遠い東の国の古い文化なので、知られてないんだと思います……」


精霊の時に見て来たとは言えない。

どこかで読んだ古い文献で押し通そう。


「あ、王都の国立図書館の片隅で読んだんだったかなぁ……?」


『シルヴィ うそつき』

『シルヴィ わるい』

『でも うそへた』


やかましい! ニンゲンにはつかなきゃいけないウソもあるんだよ!


「そうか。この国の書籍には興味深いものがあるんだね。いつか王都に行く機会があれば、図書館に行ってみるよ。それで、その板を使って石鹸の泡立ちがよくなると、洗濯するものが綺麗になるって魔法なんだね」


「いえ、泡立ち具合で汚れ落ちはそんなに変わらないんじゃないでしょうか」


「……え……? では、なぜそんな魔法が……?」


 不思議そうにするマタギたちのまわりで精霊たちがクスクスと笑っていた。

 わたしも精霊っていうのはまったく仕方がないよねぇと思いながら、苦笑した。


「それは、楽しいからですよ」


「楽しい…………」


「さきほど呪いは精霊のいたずらですと言ったのは、こういうことなんです。街角の手回しオルガン弾きがシャボン玉を吹いて、子どもたちが喜ぶじゃないですか。あれと同じです。泡がふわふわもこもこ出たら楽しいなと思った精霊が、呪いをかけてしまったということです」


「それで、綺麗によく泡立つ呪いか……」


「石鹸が泡立つと滑りがよくなりますから、もしかしたらちょっとだけ洗濯が楽になったかもしれません。あまり褒められたものじゃない精霊のいたずらですけど、大変だった洗濯がちょっと楽になって楽しくなったなら、ニンゲンも精霊もよかったですよね」


 精霊たちはニンゲンが喜んでいる幸せな気が好きだ。

 だからきっと意図せずに出た笑顔に、精霊たちも喜んだだろう。


 わたしがそう言うと、マタギたちはまたもポカンとした顔で見返してきた。

 その後に、ふたりは「あ〜……」とうめいてそれぞれ違う方向を見た。


「俺、呪いについてこんなにすとんと納得したの、初めてだよ……。道具の勉強もしてるし。鑑定士ちゃん、すごい」


「どうしたらこんな風に育つんだ……。連れて帰りたい……」


『シルヴィかわいい! かわいい!』

『かわいくて かしこい!』

『かしこくないよ ふつう』

『もとせいれいだからふつう』

『シルヴィ つれていきたい!』

『シルヴィかわいい! かわいい!』

『シルヴィ すき!』

『シルヴィ すきすき!』

『いいニャ! いいニャ! さいこうのてんかいニャ!』


 マタギたちの声をかき消すほどの精霊たちの声が、今度は好きとか言いだした!

 今までそんなこと言ったことあった⁉︎

 憎まれ口たたくくらいだったのに、精霊が好むようなニンゲンの近くにいて性格も清らかになっちゃったの⁉︎


「シルヴィ」


 アデルハード様がさっとわたしの手を取った。

 ひぇっという声は喉の奥に押し込めた。


「素晴らしき特級鑑定士どのに敬意を」


 わたしの手の甲へ黒髪が揺れて落ち、額がそっと寄せられた。

 精霊教の敬愛の印だけど、王宮とか教主殿で尊い身分のお方にすることであって、こんな冒険者ギルドの一角で一介の鑑定士にすることではないよ!!


 というか、冒険者ランクじゃないんだから鑑定士に特級なんてないんだけど、そういうことじゃないっていうのは元精霊にもわかるよ! でもこんな風に言われることではないし、こんな位の高そうな僧の身分をお持ちの方に、こんなことをさせるほどのことはなんにもしてないというか!


 なんか言いたいのにとっさに言葉が出なくて、口をパクパクさせてしまう。

 長く持っていたわたしの手を名残惜しそうに離したアデルハード様は、懐から取り出した封筒を差し出した。


「シルヴィは休息日が休日だって言っていたよね? この間の約束、次の休息日でいいかな?」


「……え……あ、エーリックの建物! はい! 大丈夫です!」


「それでは楽しみにしているよ。ああ、これからダンジョンに行くから少しの間来れないんだ。だから本当に私の預けた解呪はゆっくりでいいからね」


「わかりました。お気をつけて行ってきてくださいね」


「……こんなかわいい見送りがあるなら、ダンジョンに行く前にはいつも来ないとならないな」


「な……な……なに、を……言って……」


「これじゃアデルハードじゃなくてもやられるわ……」


 熱くて顔があげられないよ!

 ふたりをまともに見れずに封筒に目をやっていると、その封蝋に気づいた。


 ——この紋章知っている。フェアヴィル辺境伯家の紋章だ……!


 はっと顔を上げた時には、もうふたりの姿は部屋からいなくなっていたのだった。





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