第10話 マタギをどこに忘れてきましたか


「——ご令嬢!」


 解呪後に早足で中庭を横切り、ギルド舎に入ったところでそんな声を聞いた。

 ほう、こんな冒険者ギルドにもご令嬢がいらしてるんだ。

 なんて思っていると、目の前に麗しい顔が現れた。

 揺れる黒髪に黒曜石の瞳。


「ご令嬢」


「って、わたしですか⁉︎」


「あなたに決まっているよ」


 にっこりと微笑まれて、思わず見惚れた。

 美しい花が舞う。華やかに開いている喜びの花。

 周りの精霊たちもふわーっと沸いた。


 ああ、昨日のマタギだ!

 って今日はマタギじゃない。

 仕立ての良さそうなスーツ姿で一瞬誰かわからなかったよ。


『アデルハード すき すき!』

『アデルハード うれしいとうれしい!』

『シルヴィとあえて うれしい!』

『シルヴィ いじわるなのにね〜』

『みるめない?』

『そこもいい』

『アデルハードはかっこいいニャ!』

『あっ! コロネいる!』

『ひさしぶりニャ!』


 ねぇ、なんかどさくさに紛れて失礼なこと言ってない?

 まったく、少し大きくなった精霊たちは一筋縄ではいかないよね。

 青年は沈黙のバクを持ち歩いているのだろう。小さい子たちはそばにいなかった。

 これならちょっとはマシかな。大きい子たちはちゃんとわかっているから、ちょっと願うくらいじゃ魔法発動させないものね。


「昨日はありがとう。おかげで休めたよ」


「それならよかったです」


 ベンチで座り込んでいた時とは見違えるような顔色だった。

 本当にしっかり眠れたみたい。

 明るい顔色の整った顔が、にこりと微笑んだ。


「それで、お礼に食事でもどうかな?」


 ————えっ、そんなこと言われたの初めて…………!


 娯楽小説の主人公たちが出会いの時に交わす会話のようじゃない⁉︎

 そんなの物語の中だけで、実際にあるなんて思わなかった……。


 しかも、こんなに精霊に好かれるニンゲン。わたしだって無条件に惹かれてしまう性質の者からそんな言葉を向けられるなんて。

 精霊だった時は、どれだけ惹かれて好きになっても、その視線も思いもこちらに向かってくることはなかったのだ。


 それが直接声をかけられてまっすぐ向けられることの破壊力よ……!

 胸がばくばくするし、奥歯がぎゅーっとなる!


『シルヴィ どうよう!』

『もっとすればいい!』

『アデルハードも どきどき!』

『あまずっぱい!』

『もっとやれ!』


 ああああ! 精霊たちはうるさいし!

 覗き込んでくる黒曜石の瞳を見たまま固まっていると、一歩さらに近づいてきた。


「ダメかな? 美味いチーズ料理を出す店が近くにあるんだ」


「あっ、いえ、でも、その、まだ仕事が……!」


「終わるまで待っているよ」


「うっ、でも……その……」


「——シルヴィ、もう夕方になるわよ。それにどうせ今日は休みの予定だったんだから、終わりにして行っらっしゃいよ」


 後ろから声をかけられて振り向くと、クレアがにんまりとしている。


「え、でも、処理が」


「伝言帳を飛ばすだけでしょ? 3ミンあれば十分よね。今ささっとやってしまえばいいじゃない」


 そうだけど。そこまで言われたら、ささっとやりますけど!

 2枚綴りの伝言帳へ『鑑定完了【緊急解呪済】』と書き込み、1枚を手に取って四つ折りにする。

 指でつまんで空へ飛ばすと、光を放って消えた————と思いきや、すぐ目の前で紙は姿を現した。

 向いに立つ青年の前に、ふわりと伝言帖が舞い降りる。


「えっ……?」


「え……?」


「ああ、そういえばアレ、アデルハード様が持ち込んだものだったわね」


 クレアの言葉を聞きながら、わたしとマタギ青年は目を見開いて顔を合わせたのだった。



 ・━・✧・━・✧・━・✧・━・



 さざめく周囲の声を聞きながら、わたしたちはロビーから奥へ進んだ。


「ねぇ! 今そこにいた黒髪の方、素敵!」


「やたら顔がよかったね。あんな男、見たことないよ。依頼人かね?」


「黒髪って珍しいわよね、どこかの特級ランク山奥狩猟族と同じだわ」


「いやだ、あのクマ頭巾とじゃ陽と火の粉ぐらい違うじゃない」


「たしかに!」


 クマ頭巾!

 山奥狩猟族って!!


 やっぱりマタギは不人気だった模様。

 噂話が聞こえてるんだか聞こえてないんだか、横目でこっそり見上げると当の本人は涼しい顔をしていたよ。


 周囲から見えない半個室へマタギ青年を案内した。

 ここは魔道具の受け渡しやちょっとした会談などができる場所になっている。

 音は聞こえるけど内容はわからなくなる音声阻害の魔法陣が目隠しの壁に描かれていて、盗聴対策もばっちり。

 悲鳴や緊急ベル音は外に聞こえるようになっているので安心だ。


 ただ、精霊たちには少し苦手な場所となるので、中までついてこれたのは少ない精霊たちだけだった。もちろん上位精霊のコロネは平然としている。


「音声阻害の魔法陣があるので、ちょっと頭が痛くなる方もいらっしゃるのですが、大丈夫ですか?」


「ああ、頭痛には慣れているから。気にならないよ」


 なんて気の毒な……。

 テーブルをはさんで向いに座る青年に、軽く頭を下げた。


「改めまして、解呪を担当しましたシルヴィ・カステールと申します」


「挨拶をありがとう。私はアデルハード・セイ。一応、冒険者ギルドの会員だよ」


 セイというのは精霊教の僧であるということ。祈祷院で教えを説く立場の者が名乗ることが多い。

 解呪師もセイを名乗れるので、わたしもシルヴィ・セイやシルヴィ・セイ・カステールと名乗れる。ギルドで鑑定士という肩書きを持つから名乗らないけどね。


 昨日見た美しい祈りの印を思い出す。

 所作は余計なところも足りないところもなく綺麗に整っていて、放たれる気は爽やかで心地よく甘かった。

 あれを見たら僧というのは納得だ。


「それでは、猊下。まずは緊急解呪についてなのですが——」


「カステール嬢、猊下ではなくアデルハードと呼んでほしい。仕事自体は考古学者のようなものなんだ」


 礼儀上、上位の僧に対する猊下という呼びかけをしたのだが、否定しなかったということは、やっぱり相当上位の僧なのだろう。

 精霊教の僧というのは、要するに精霊を敬う熱心な魔法使いということである。

 遺跡やダンジョンを調査するのに魔法は必須。考古学者であってもおかしくない。


 それより、マタギを脱ぎ捨ててきたかと思ったら、いきなり令息になって熱心に見つめてくるんですけど! 何これ!


「えっと、あの、では……アデルハード様。わたしもどうぞシルヴィと」


「許可をありがとう、シルヴィ」


 いちいちにっこりと花が咲くように笑うのでわたしはドキドキするし、コロネはニャーニャー大騒ぎするし。

 話がなかなか進まないんだよ!

 くぅー! と奥歯を噛みしめて、向き直った。


「それで、緊急解呪についてはご存知ですか?」


「一応。進行性の呪いがかかった魔道具は、ギルドの権限で即座に解呪できるってことだよね?」


「その通りです。呪いの内容などで衝撃を受ける方もいらっしゃるので、引き取りをどうされるか確認したいのですが」


「ああ、なるほど。私は考古学者だからね、呪いの魔道具はよく見ているんだ。どんな呪いであっても説明は聞きたいし、解呪料が高額になっても全て引き取るつもりでいるよ。こちらにいくつか詳細鑑定を依頼しているんだけど、どれが緊急解呪になったんだろう」


 なるほど、あのネックレスは出土品とかダンジョンの宝箱に入っていたものなのかもしれない。

 それなら説明しても大丈夫かな。


「こちらが今回緊急解呪した魔道具です」


 魔遮袋の口を開けて呪いがもうないことを確認してから袋のまま差し出した。


「アデルハード様が預けたものでお間違いないですか?」


 ネックレスについていたコロネが『やっぱりアデルハードの近くがしっくりくるニャ〜』と言うから、間違いないのはわかっているんだけど。


 袋の中から蒼玉をネックレス持ち上げたアデルハード様は、信じられないものを見ているといった表情で固まった。


「————こ、れ————……」


「お預かりしてから時間が経ってしまったのは、ちょっと難しいものだったので解呪できる者がいなかったみたいです」


「そう……。君が解呪……」


「元々あった加護は心を安らかにするものだったのですが、悪意・・を加えられていました。それを取り除きましたので、加護だけついています」


「……そうなんだ……」


 蒼玉がアデルハード様の手の上で輝いている。まるで喜んでいるみたいだった。


『マドリーヌの形見なのニャ』


 コロネの言うマドリーヌが誰なのかはわからないけど、アデルハード様にとって大事な者だったのだろう。

 うるんだ目は懐かしげにじっとネックレスを見ていた。


「……ありがとう。この解呪が難しいものだというのはわかっていたんだ。私の伝手では解呪できる者が見つけられなくて、最後の手段としてギルドに預けたんだよ」


「そうだったんですね。解呪できてよかったです」


 呪いについては聞かれれば詳しく説明するんだけど、解呪の方法については説明しなくてよいことになっている。個人の技の域だから、それを財産として秘匿できるの。

 アデルハード様もそれ以上聞いてくることはなかった。

 ネックレスを自分の首にかけ、大事そうに服の中へしまった。


「このお礼は後日必ずするから、とりあえず昨日のお礼として食事に行かないかな」


「解呪についてはギルドで規定料金をいただきますし、仕事なのでお礼はいらないです。食事は、その、うれしいです……」


 なんか最後は小さい声になってごにょごにょ言っちゃったけど、アデルハード様はまだほんのりうるんだ瞳を横に逸らして「かわいい……」と言った。


 なんか舞う花に胸がぎゅっとなるよ!

 くぅ!


 わたしはよくわからない衝撃に、奥歯を噛みしめた。





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