第8話 ◆精霊を追って 1


 この辺りでは珍しい黒髪黒瞳を持つアデルハード・セイは、夕暮れ時の賑やかな領都レルムで倒れかかった。

 長めの黒い前髪が顔を覆う。


「ちょっ……アデルハード! 大丈夫?」


「ごめん、眠くて……」


「ちょっとそこで待ってなよ。辻馬車つかまえてくるから」


 従兄弟であり側近であるカールに返事ができたのかも定かではない。

 通りにあったベンチにどさりと座り込む。

 アデルハードは万年寝不足ではあるのだが、先ほどダンジョンから出てきたばかりで疲労も溜まっていた。

 頭も重く暗闇に落ちそうなところで、ざわざわと肌を撫でられてはっと起きる。それの繰り返し。

 さすがに今回はもうすぐ寝落ちしそうではあるが、こんな街中では困る。

 そんなことを遠くなりかける意識の中で思っていた。


「——あの、大丈夫ですか?」


 ガラスを小さく鳴らすような涼しげな声が降ってきた。

 起こされて顔を上げると、精霊が覗き込んでいた。

 白い肌、銀色の髪、微かな青色を浮かべた瞳、小さな口。薄いベール越しに見ているような儚い色味の存在。

 夢の中にいるようでどう受け答えしたのかよく覚えていないのだが、眠れていないのかと問われて答えた気がする。

 すると彼女は持ち物を探り、なんてことないようにそれを手渡してきた。

 アデルハードの手に載せられたのは、動物のような形をした木片だった。


「これ、よかったらどうぞ。悪夢を食べるバクという動物なんですよ」


 この木彫りの人形はお守りらしい。

 受け取った途端、爽やかな風が体の中を通り抜けた。

 重かった頭がすっと軽くなる。


 ————これは一体、なんの魔法だろう…………?


 やっと眠りから目が覚めたというように、世界に鮮やかな色彩が戻る。

 夕焼けに染まった鮮やかなレルム市街。

 それを背景にした精霊は、色味が薄く相変わらず現実感もないけど、薄く輝いていた。


「――寝やすくはなると思いますが、魔法はちょっと使いづらくなるかもしれません。必要がない時は魔法遮断袋に入れておいてくださいね」


「……頭が軽くなった……。これ、もしかして魔道具? 君、こんなによく効く素晴らしいものを、見ず知らずの者に渡してはだめだよ」


 時々、ダンジョンの中の宝箱の中からこういう地域特有の工芸品のようなものが見つかることがある。

 多分魔道具なのだろう。

 こんなすぐに効果が出るのであれば希少で価値の高いものに違いないのに、彼女はただの木彫りのバクだからとアデルハードにくれた。


「本当にただの木彫りの人形なんです。鑑定に出しても木彫りの人形としか出ないですよ。大したものではないので、どうぞ」


「——それなら、ありがたくいただくね。今晩はゆっくり眠れそうだ」


 感謝の印を結ぶと、驚いたような顔をしたのがやたら人間っぽい仕草だった。


 ——可愛い……。精霊もこんな顔をするのか。


 どこまでも感謝の気持ちを捧げたくなる。

 喜ばせたいし、もっと驚かせて困らせてみたいなんて。


「君の名前を――――」


「シルヴィ! なんでちゃんと待っていないんだ! 行くぞ!」


 彼女の連れらしき男が乱暴に連れ去っていく。

 アデルハードにそれを止める術などなかった。

 それでももう少し意識がしっかりしていれば、そんな乱暴をやめさせるくらいはできたかもしれないと、姿が見えなくなってから思った。


 少女のように若く見えたが、もしかして夫に虐げられている妻なのだろうか。それよりもメイドなどのおつきの者の方が、しっくりくるような気がした。

 どちらにしても、男の態度はひどい。

 けれども、不本意ながら聞きたかった名前は知れた。


「……シルヴィ」


 口にしてみると不思議としっくりくる。


「——アデルハード、大丈夫か? 馬車拾ったよ。待たせて悪かったな。まったく、目の前で先に拾われちゃってさ」


 いつの間にか戻ってきたカールに話しかけられ、我に返った。


「あれ? なんか顔色よくなった?」


「今、親切な人がこれを」


「何? 木片? ——って、魔力が!」


 カールは手にした途端、魔力がなくなることに気づいたらしく慌てて手放した。


「木彫りの人形だと言っていたよ。魔法は使いづらくなるから必要がない時は魔法遮断袋に入れるようにって」


「え、触れた感じすごい強力だったけど、高かったんじゃないの?」


「無償だった」


「逆に怖いよっ! 多い魔力を減らす魔道具ということかねぇ」


「魔道具ではないと言っていたけど、どうかな。——もしかしたら精霊の干渉を抑えるものかもしれない」


「しっ。この国ではあまり知られてないんだから」


 魔法先進国では最近の魔力と精霊の研究で、魔法は人の身にある魔力だけではなく精霊の魔力が足されて成されていることがわかってきた。

 魔力が多い魔法使いと思われていた者は、自分の魔力が多いわけではなく、精霊をたくさん従えている者であったのだ。


「とにかく屋敷に戻って鑑定士に見てもらおう」


 得体の知れない魔道具を寄越せと言わんばかりに差し出された手を無視した。


「これは悪いものではないよ」


「アデルハードが言うならそうかもしれないけど、おまえは大事な身なんだからさ。慎重すぎるくらいでいいと思うよ」


 木彫りのバクは持っていると温かさが手から伝わってくる気がした。

 頭だけでなく心も軽くなるのだ。

 これはもう手放せない。

 握りしめて渡さないでいると、カールは困った顔をしたが何も言わなかった。


「——お礼をしたい。シルヴィという名の少女……若い女性を探してほしい」


「わかった。戻ったら住民台帳をあたってみようか」


 カールが少し寝なよと続けたので、言葉に従って目を閉じる。

 あっけなく訪れた眠りは、いつもより優しくアデルハードを包みこんだ。





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