第5話 レルムという町
冒険者ギルドの食堂は、表側は冒険者相手の酒場食堂で、厨房を挟んだ裏側が職員専用食堂となっているところが多い。
ここフェアヴィル辺境伯領レルム冒険者ギルドも、その形式だった。
さっきのパン、美味しかったな。夕食も期待できるよ。
魔力を使うとお腹が空くので、パンも夕食もぺろりだ。
二人といっしょにシチューの皿を厨房のカウンターから受け取り、三人で丸テーブルを囲んだ。
こんな風に友人と食事するの久しぶり。
学園を卒業して以来初めてだな。エグランティエ公爵領ではそういうことが全くなかったもの。
ブラウンシチューの仕上げにのせられたバターの香りが鼻をくすぐる。一口食べると、野菜と牛肉の甘みと豊かな味が口いっぱいに広がった。
「ん〜、美味しい〜」
思わずニンマリと顔が緩んでしまう。するとクレアもつられて笑った。
「それはよかったわ。それにしても、シルヴィはさすがね。普通なら照合機の修理って一日仕事よ」
「そうですよね。シルヴィ様の仕事の速さに、本当は壊れてなかったんじゃないかと思いましたよ」
「昔から魔法関係のことはずば抜けてたわ。こんなのんきな顔して、次代の魔法庁技術総監候補って言われていたから」
ふたりは盛り上がっているけど、そんなたいしたものじゃないんだけどなぁ。
「すごいじゃないですか! そんな方がなんでこんなところに」
「こんなところは聞き捨てならないわね。冒険者ギルド職員だって国で上位の難易度よ。でも、たしかに本部のエリートコースでもおかしくないくらいよね。……よくアレがここに配属させたわね……」
最後の方の言葉がよく聞こえなくて聞き直すと、クレアはあいまいに笑って「なんでもないわ」と言った。
わたしはずっと気になっていたことを、ふたりに聞いてみた。
「ところでここの前任の鑑定士はどうしたの? こんな時期に異動ってめずらしいよね」
「旅に出ちゃったのよ」
「ほほう?」
「隣のタムリン聖公国だそうですよ。聖地巡礼って言ってましたよね?」
「言ってた言ってた。たしかにここレルムはタムリン聖公国へ続く道があるけれども、すごい山超えて行かないとならないのに。修行僧の道って言われてるのよ」
タムリン聖公国!
精霊が大好きな国だ。
精霊のことを好きな者たちが多くて、だから精霊もあの国が大好き。
ニンゲンはいつも精霊様に感謝をと、言ってくれる。
わたしも精霊の時はよく行っていた。
クリスタルの塔とか雫花の大草原とか、楽しいものいっぱいで精霊の夢の国なの。
そうか、ここから山を越えればタムリン聖公国に行けるのかぁ。
地図は見ていたのに、ピンときてなかったよ。
「いいなぁ、わたしも行きたい」
「ちょ、ちょっと! やっと来てくれた鑑定士を逃さないわよ⁉」
「なんですかね。鑑定士はタムリン聖公国に惹かれるんですかね」
「まぁ、そんな感じかも?」
鑑定士は鑑定をするのが仕事なんだけど、まずは魔石の鑑定ができないと下級鑑定士にもなれない。
魔石の鑑定は精霊が教えてくれる部分が大きいので、好かれていればいるほど鑑定しやすいのだ。
だから鑑定士というのは精霊のことが好きなニンゲンばかりだと思うんだよね。
そういうニンゲンにとって国を挙げて精霊を愛し敬うタムリン聖公国は、惹かれてやまない国になるってこと。
でも、ここもいい町だよ。————昔と変わらず。
クレアとヘンリックが笑う周りを、精霊たちがふわふわくるくると漂っている。
『クレアうれしいから~うれしい~』
『シルヴィきてくれてうれしいから~うれしい~』
『ヘンリックたのしい~うれしい~』
領都レルムは、精霊が好きな心地よい気に包まれている。
感謝の気持ちとかうれしい楽しい気持ちとか。
ガルシア卿が現れないのをいいことに、クレアといっしょにギルド舎を出て職員寮へ向かった。
案内された職員寮は、ギルド舎からほど近い三階建ての建物だった。
太い木の梁に石張りの壁で随所に木製の洒落た彫刻が付けられているアパートメント。
「素敵な建物……」
澄んだ気が流れている。
精霊はニンゲンにくっついていることが多いけど、建物に棲んでいるものいる。
この建物には、棲んでいる精霊が多い。
というか、わたし、ここを知ってる……?
「そうでしょう! あの有名な建築士エーリック・エークルンドが手掛けた建物なのよ。元は商家のお屋敷だったんだけど、手狭になったからってギルドに売ったんですって。ここに住めるだけでもここに来た甲斐があったってものだわね。何部屋か空いているんだけど、どこがいいかしら」
クレアが空室の場所を挙げているのを聞きながら、思い出していた。
――――ああ、エーリックのだ……。
昔、精霊だったわたしが好きになった建築士。
わたしに限らず精霊はみんな好きだった。好きになってしまう。
彼の手がけた建物はフェアヴィル辺境伯領に多い。
エーリックのことはもちろん覚えているけど、手がけた建物に関しては少し記憶があいまいだった。
でも、建築時に見たことがあったかもしれない。天井裏の
あんなところに彫刻があっても、ニンゲンは見ることができない。
エーリックは精霊に喜んでもらうためだと言って、彫っていた。いつも自分を助けてくれる精霊のためだけの彫刻だと。
精霊のことなんてまったく見えないくせにね。周りにたくさんいて、みんなすごく喜んでいたというのに。
今はもう見ることのできない彫刻を思い出して、わたしは目を細めた。
・━・✧・━・✧・━・✧・━・
エーリック・エークルンドはヘーゼルの瞳に焦茶色の髪の、見た目に目立つところがないニンゲンだった。
ただ、いつも笑っているように見える細められて下がった目尻と笑い皺が、わたしは好きだった。
出会ったのはたまたま通りがかったフェアヴィル領で。
やたら精霊が集まっている場所があって行ってみたら、中心にエーリックがいた。
彼は精霊にたくさん感謝をするけど、周りにいるニンゲンたちにも同じようにしていた。
その気持ちは伝わるのだろう。周囲にはニンゲンもたくさんいたのだ。
ひょろっとして頼りなさそうなのに、彼のために何かしてあげたいとみなに思わせる。
彼が設計して作り上げる建物は職人たちの心も入ったし、精霊に愛された。
彼はとにかく仕事が第一で、あとは仲間たちと仕事の後のエールで乾杯するのを楽しみ。
そんなエーリックを見ているうちに彼を気に入り、わたしはいつもついてまわった。
建物の実際の施工はその道の職人がするのだけど、装飾はエーリックが直接手がけることもあった。
あの時に彫っていたのは、羽のついたニンゲンのような姿。
「——これは君たち精霊への感謝だよ。いつも僕の力になってくれてありがとう」
そう言って、何もないあたりに顔を向けて笑った。
いつもいつもそうだった。
精霊が見えないのに、澄んだ柔らかで甘い感謝の気持ちがわたしを包む。
わたしも彼に何かしたいのに、力になれることはそうはなかった。
魔法使いであるならば、わたしのたくさんの魔力を使ってもらえたんだけど。
代わりに、エーリックが手がけた建物には加護を付けた。
彼が精霊たちに弱らされないよう簡単に魔力を使わないよう言い、時には追い払った。
そして怪我がないように護った。
それなのに————。
ある日魔法遮断の魔法陣で巡らせた馬車が彼をさらった。
どれだけ力を出しても入り込めない馬車。
次に扉が開いた時、どさりと打ち捨てられたのは酷い姿になったエーリックだった。
まだかろうじて息は残っていた。
願ってくれさえすれば、わたしの魔力すべてを使ってそのケガを治したのに。
最後に少しだけ開いた目が、わたしを捉えたような気がした。
そして彼は逝ってしまった。
精霊は自分では魔法が使えない。
精霊という存在は、たくさんの魔力を持つというのに、いざという時に護りたい人を護れないのだ。
そしてわたしは精霊王様にニンゲンになりたいと願ったのだ。
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