第2話 故郷……?
鑑定室の棚には、魔法遮断布で作られた魔遮袋が並んでいた。中には鑑定の依頼品がそれぞれ入っている。
毎日の帰りが遅くなってもその日の鑑定は当日中に終わらせていたけど、それでも領内全部の依頼が届けられるので、一日分が結構ある。
依頼内容は、全部簡易鑑定だった。呪いがあるかどうかだけを見る鑑定だ。
ここエグランティエ公爵領は隣国に近い平野にあり、近くにダンジョンもない。
領主の私財と貴族の寄付で運営されている私立の貴族学院があり、治安が良く栄えている都会。
呪いの魔道具なんてめったに見ることがないんだよね。だいたい弱い加護がついた魔道具なんだよ。
結界板の上で袋の口を開けて確認していくけど、今日もやっぱり呪いの品はなかった。
続けて魔石鑑定を大急ぎで終わらせた。
よし、帰ろう。
今日で最後だし挨拶をしようと思ったのに、事務所には誰もいなかった。
窓口に立っている人たちはいるけど、みんな対応中。
ギルドマスター室の扉をノックしても返事がない。
会議室はガルシア卿が使うって言っていたから触らないでおくとして、もう一度事務室へ戻ると副ギルド長がいた。
なんか忙しそうに机に向かっているけど、わたしも早く帰らなきゃならないので声をかけた。
「あの、短い間でしたけどお世話になりました」
「あ、ああ……」
焦ったように首をかくかくしながら返事をされた。
いつもはエグランティエ貴族学院を出ていない者は見もしないのに、最後だからかな。珍しいこともあるものだね。
特に親しい者もいないのでそのまま出口に向かい、三ヶ月ほど在籍していた冒険者ギルド・パフェシィ支部を後にした。
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ギルド舎を出て急いで帰り、部屋へ着くころには日が沈みかけていた。
馬車が出る時間まであと一日ない。急がないと。
狭い職員寮の部屋を片づけていく。
貴族の娘とはいえギルド職員寮の服や生活雑貨の量など、たかがしれている。
狭いからドレスとか持ってこなかったし。元からそんなに持っていないけど。
ただ、趣味の娯楽小説だけは棚からはみ出し山となり一部雪崩を起こし、気軽に引っ越せる気配ではなかった。
明日の便に間に合わなかったら自腹。
馬車代は高いに決まっているよ。国内最北の————フェアヴィル辺境伯領だもの。
行きたくて行きたくなくて胸がぎゅうっとなる。
でも、それについて考えている時間はない。
馬車の時間に間に合わせないと。
ううん、間に合う間に合わない以前に、この本をどうやって持っていこう?
実家は遠い。フェアヴィルを越えたさらに西にある。荷運び便もあるにはあるけど雑で高い。
思わず腕組みしたまま天井を仰いだ。
……里で預かってもらうか。
解決法はそれしかないかも。
窓を見れば、ちょうど月明かりが差し込んでいる。
わたしはその光のベールをさらさらとかきわけて、向こう側へ顔を出した。
目の前に広がるのは職員寮の狭い部屋ではなく、月明かりが美しい森だった。
葉の一枚一枚が光に濡れ、艶やかに木々が輝いている。
その絵画のような景色の中心に、光り輝く姿があった。
枝葉と同じように光を帯びているが、反射ではなく自らが発光している輝き。
色味は少なく、石膏の彫像のようだった。
「精霊王様ー、精霊王様ー。荷物を預かってください~」
わたしは顔だけだして、精霊王様が座る玉座の方へ顔を向けた。
万里の鏡を見ていた精霊王様の金色の瞳がこちらを見た。
なんでも見透かしてしまいそうな大きな目。悪いことはしていないのに、なんだか言い訳をしたくなってしまう
女性にも男性にも見える美しい顔はニンゲンと似ているのに、印象は全然違う。
圧倒的な美しさは大自然の美しさに近い。
精霊は自然に生まれてくる。
最初は小さい光の粒で、そこで無くなってしまうのも多い。それが少しずつ大きくなり、ある時に力がついて生き物の姿を得る。
そんな精霊たちの頂点、精霊王様がいらっしゃるここは精霊の森。わたしは里と呼んでいる。
今現在のわたしはニンゲンで、故郷はカステール子爵領。なのでこの精霊の森は、前世住んでいた場所になる……と思う。精霊の生を前世と呼ぶのなら。
そこそこ長い時間を精霊として存在していたわたしは、ある時、好きなニンゲンを助けられなくて精霊でいることをやめた。
魔法そのものである精霊は自分では魔法を使えないから。
ニンゲンであったなら、きっと彼を助けられたんじゃないかなって思ったのだ。
もうあんな自分の無力さを嘆きたくないし、好きな存在を守りたい。生まれ変わりの輪の中にいる彼ともう一度会えたなら、今度はちゃんと助けたい。
その一心で精霊王様にお願いして、ニンゲンの生の中に入れてもらったのだ。
けれども精霊王様いわく、わたしはすぐ死んでよく死んですぐに精霊の森に帰って来ると。
どうも無意識のうちに精霊の時のクセで高い所から飛んだり、壁に激突したりしてしまうみたいで。
精霊に戻ると、精霊だったことも精霊だった時のことも思い出すんだけど、ニンゲンの赤子になってしまうと全部忘れてしまうんだよね。
だから精霊王様が、今回は精霊の時の記憶を残してニンゲンに転生させてくれたのだ。
ニンゲンの時の記憶を残した方が死にづらいのではと思ったけど、いつも物心がつく前に死んでしまうではないかと精霊王様に呆れられた。
今回の生は生まれて数ヶ月後くらいに精霊の記憶が戻ってきたので、成人を過ぎた18歳でも生きている。
おかげで娯楽小説にも出会えたし、精霊王サマサマである。
その偉大なるお方はわたしを見て金色の瞳を細め、呆れたように眉を上げた。
「顔だけしか出さないとは、とんでもない横着者だね」
立ち上がった精霊王様は重さを感じさせない動きで、わたしの近くへ来た。
「ごめんなさい〜。今、引っ越しの荷物まとめていて忙しくてですね」
「引っ越すのだね。どこへ行くんだい?」
「……フェアヴィルです」
少しの間の後に答えると、精霊王様は心配そうに見返した。
「そう……。あそこへ行くのだね」
「はい。仕事ですから」
わからないんだよ、自分でも。行きたいのか、行きたくないのか。
あるべき場所へ戻っていくのか——そう精霊王様が小さくつぶやいた。
「で、精霊王様。本置いていってもいいですか?」
「……シルヴィ。精霊の森は物置ではないのだよ?」
「でも、困ってるんです。少しの間だけお願いします! 大事な宝物ですけど特別に精霊王さまも読んでいいですよ」
「本当に仕方のない子だ」
精霊王さまは眉を寄せたあとにふっと微笑み、頭だけ出しているわたしの頭を撫でた。
「その辺にまとめて置いておきなさい」
そうでしょうそうでしょう。
わたしの娯楽小説はなかなかのコレクションですからね。読まない手はないですよ。
慈悲深き精霊王様のお言葉に甘えて預かってもらうことにして、部屋に戻って片付けを再開する。
本は月明かりが差し込んでいるうちに向こうへ突っ込んでおく。
これなら馬車の出発時間に間に合うだろう。
紙を作る技術が進み量産されるようになったので、本の値段は昔よりずいぶん下がった。とはいえ、まだまだ高級品。引っ越しの荷物として雑に持っていくのもイヤだった。
家具や便利魔道具は備え付けなのでそのままでいい。向こうの職員寮でも揃っていることだろう。
本以外のものはたいしてないので、荷造りはなんとか朝になる前には終わったのだった。
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