元精霊令嬢、溺愛地雷原をうかつに歩く

くすだま琴

第1話 はじまり


「——ええと、シルヴィ・カステールっと……」


 冒険者ギルドの事務所前にかけられた職員の名札の中から、自分のものを見つけて裏返しにした。

 名札が出勤の色へ変わる。

 それからギルド職員証であるバングルを魔導道具の照合機にかざした。


「おはようございますー」


 遮るもののない事務室の前を通る時に声をかけるけど、返事が戻ってきたことはない。

 みんな忙しいんだろうから、仕方がないよね。

 そして持ち場である小さな鑑定室に入る。

 机に向かうのと同時に、今日も部屋の外から声が聞こえた。


「副ギルド長、窓口の方で人手が足りないんですけどぉ。窓口に立ってない人がいますよねぇ?」


 あのかわいらしい声は薄紅色の髪と瞳を持つ男爵令嬢の声だ。


「ああ、いるな。——おい、アレにもやらせろ」

「はっ、わかりました」


 低い不機嫌そうな声に続いて、若い男性が答えた。

 やっぱり今日も呼ばれるらしい。

 わたしは小さくため息をつき、やろうとしていた仕事の手を止めたところで、ガンガンと扉が叩かれた。


「おい、人が足りないんだ。窓口に出ろ」

「……はい」


 人手が足りないなら仕方がないよね。

 立ち上がり、窓口へと向かった。

 長いカウンターはガラスで区切らており、ひとつを除いて職員が窓口に向かっている。

 人が立っていない真ん中の窓口へ入り、カウンターの小窓を開けた。


「俺はB級冒険者のゴメス様だ! って、また、おめぇかよ⁉︎ おめぇみてーな色味も色気もない地味なチビっ子はだめだ! 綺麗で色っぺぇ姉ちゃんを出せい!」


 カウンターの向こうに立つ、頬に傷を付けたいかつい男が怒鳴った。


 また、わたしのところに並んでしまったんですか? と、わたしも言いたいよ。

 たしかにわたしは小さいし、髪は銀色で瞳も水宝玉のような薄い青。色味があまりなく地味なのは否めない。

 けど、他の者と交代とかできるわけないし。


「ゴメスさん、また来てくれてうれしいんですけど、ここ冒険者ギルドの冒険者窓口ですよ? 『残って困っている依頼はあるか?』とか『B級で受けられる緊急依頼があれば片付けるぞ』とか、そういうことを言ってもらえたらうれしいんですけど」


「いつもながら笑顔でやんわりちゃっかりしやがって! でもごまかされないからな! おかしいだろ? いっつもおめぇがいるの!」


「え、おかしいですかね? 見ての通り、今こちらの窓口はわたしが担当してるんですよね。なので、諦めてここで用を済ませるか出直すかしかないんですけど……あの、これはわたしが考えた秘密の方法なんですけどね——食堂で食事したりしながら様子を見て、他の窓口に行ける機会を窺うといいですよ……?」


 とっておきのすごくいい方法を教えたというのに、目の前のいかつい男はカッと目を見開いた。


「くぅ……! そうやってまたふんわり丸め込もうとしやがって! 昨日も一昨日もその前も、ずーっとおめーしか立ってないじゃねーか! 夜は男が立っているし! 昼におめーのとこ以外の窓口はいつ開くんだよ!?」


 え? と改めて周りを見回せば、いくつもある窓口はすべて閉鎖中のようだった。

 カウンターの小窓は閉まっているように見えた。

 表からは見えないけど、閉まっている窓口の裏は、全部職員がいる。


 けど窓口業務って、受け付けの合間に依頼票の処理をしたりいろいろやることあるんだよね。

 こんな騒ぎになっているのに、こっちを見ずにカウンターに向かっている同僚たちはそうとう忙しいのだと思う。


 このB級冒険者が来るタイミングは恐ろしいほど悪く、いつ来てもわたしが受ける。

 本来であれば、わたしは依頼者窓口や冒険者窓口などの業務はやらないんだけど。


 冒険者ギルドに入るにあたって窓口業務は基本。全員習うので、もちろんわたしもできる。

 このゴメスさんのようにゴネたり文句を言うような者もいるけど、わたしは話をするのが好きだから窓口に立つのも嫌いじゃないんだ。


 ただ、夜の窓口担当が来るまでずっとここにいると本来の仕事が溜まってしまうんだよなぁ。今日もきっと残業になる。

 お昼ごはんも食べられないし。


 小さく息を吐き出すと、「こっちの気も知らずにため息なんかつきやがって!」とゴメスさんが窓口へ腕を伸ばした。


「な、なんですか!」


 伸ばされた手を指先で軽く弾いた。

 B級冒険者は吹っ飛ばされ、後ろへ転がった。

 え、そんな強くやったつもりはなかったんだけど。


「あ、ごめん……」

「……フガァッ……! ——な、んだ、今の……」


 呆然とした顔で上半身を起こした厳つい大男は、想定外の魔物でも見たかのように震えていた。

 周りで見ていた人たちが指を指す。


「あいつ、あの小さい子にやられてるぜ」

「B級とか騙りかよ」

「かっこわる」


 大男は我に帰り、涙目で立ち上がった。


「ちくしょーっ!! こんなとこ、もう来てやらねーからな!!」


 あっという間に走り去っていく背中を見送った。

 ちょっと弾いただけだったのに……あたりどころ悪かったかな。悪いことしちゃったよ。


「……そういえばゴメスさん、今日も何もしていかなかったけど、用事はいいのかな?」


 つぶやいたものの、もう姿は見えないし。

 窓口の空き待ちは列になっていて、それにいつまでも構っているわけにもいかない。

 まぁいいや。さぁ、次、次。次のお待ちの方――――……。

 カウンターから声をかけようとしたところ、目の前に『閉鎖』の立て看板が置かれた。

 続けてうしろから出てきた手が、カウンターの小窓を閉めた。


「――――シルヴィ・カステール」


 頭上から降ってきたその低い声には、聞き覚えがあった。

 というか、よく知っている。というか、今、聞きたくなかった。


 ぎぎぎと振り向きざまに見上げると、無表情のガルシア卿が見下ろしていた。

 マキシム・ソル・ガルシア。

 冒険者ギルド運営の中核にいるガルシア侯爵家の次男である。


 赤銅色の髪をうしろに流し、夏の青葉のような瞳が切れ長の目に納まり、鼻筋も顎のラインもきりりとしている。

 冴え冴えとした美貌は、いつだって冷ややかな表情を浮かべていた。


 こちらの上司、まだ20代と若いのに、冒険者ギルド北西部の統括部の凄腕ギルド職員。侯爵家のご令息で、あと数年もすれば北西部長になるのではないかと言われているお方だった。


 どこかからか「ガルシア卿がいらっしゃるなら、もっといい服着てきたのに」「今日も素敵だわ」「なんであの子ばっかり声かけられて」とか声が聞こえる。

 代われるものなら代わってほしいよ。


 いつもは本部にいるかあちこちのギルドに飛び回っているような上司は、時々ここへやって来る。

 今日も何か用事があって来たのだろう。

 冷ややかな視線をこちらに向けていた。


 B級冒険者に逃げられたのはばっちり見られた。現行犯である。

 まずいよね。まずいよなぁ……。


 ちらちらと様子をうかがいながらうつむいていると、上司はおもむろに内ポケットから紙を取り出した。


「シルヴィ・カステール、辞令が出ている。おまえは本日をもって、ここエグランティエ公爵領都パフェシィから、フェアヴィル辺境伯領都レルムへ異動だ」


「……え……」


 思わず顔を上げる。

 上司は紙をパンと広げてこちらに見せた。

 たしかにわたしの名前と、フェアヴィル辺境伯領都レルム冒険者ギルドとが書かれていた。


 周りのギルド職員から「そんな……!」「なんで……」「……ひどい」と小さく声が上がる。

 わたしは顔を上げ、上司に向かって言った。


「へ、辺境に追放なんてひどいです!」


「……いや、待て。追放などと言ってないだろう。なんで辺境伯領に赴任が追放になるんだ。まさかおまえ、まだ“追放された俺の最強伝説”だの“悪役令嬢追放からの溺愛物語”だのどうしようもないもの読んでるのか」


「聖女追放も大好物ですよ! どうしようもないとか作家さんたちに謝ってください! 娯楽小説は最高の甘味なんですからね!」


「どうしようもないものはどうしようもないものだ! 相変わらずおまえが一番どうしようもない!」


 ガルシア卿、実は国立ルフティール学園時代の先輩だ。

 さらに冒険者ギルドの実習時から新任後の研修が終わるまでずっと担当指導者でもあった。


 元々、冒険者ギルドに就職する予定なんてなかったんだけどね。

 それなのに、気づくとギルド職員の道に引っ張り込まれていて、実習生だろうが新任だろうがおかまいなしでいろいろやらされた。

 ひどい横暴な先輩で上司で付き合いはそれなりに長く、趣味もバレバレというわけだ。


「とにかく異動は決定だ。ぐだぐだ言わずに向こうでちゃんと仕事をしろ。今すぐ残っている鑑定の仕事を終わらせろ。そして寮に帰って支度しろ」


 辞令といっしょに駅馬車のチケットまで押し付けられる。


「——明日の夕方の便……」


「独り身の職員の引っ越しなどそのくらいの時間があれば十分だろう。まぁ、間に合わなければ、その後の便で行けばいい。自腹でな」


「横暴……」


 上司の横暴が過ぎるけど、逆らうことはできない。

 これがニンゲン界の社会のオキテというものだ。娯楽小説にもたくさん出てくる。ギルド追放ものなんてそんな上司しか出てこない。


 ガルシア卿はギルド内での地位も実家の爵位も上の上の上。

 子爵家第三子のわたしなど、逆らったらあっという間に家まで潰されてしまう。

 わたしは職員をクビになったところでどうとでもなるけど、実家の優しい父と兄たちに迷惑をかけるわけにはいかないよ。


 カウンターに閉鎖の看板も立ててあることだし、鑑定室に溜まっている鑑定の仕事をやってしまおう。

 それが本来のわたしの仕事なんだから。

 わたしは慌ててホールから裏の小部屋へと向かった。






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※水宝玉=アクアマリン

(アクアマリンの和名になります。藍玉ともいいますが、水宝玉の字面が気に入ってこちらを採用しています!)



ごあいさつ


新連載始めました。

元精霊のギルド嬢が、鑑定無双したり溺愛されちゃったりするお話になります。

しばらく毎日更新です。

どうぞよろしくお願いいたします!



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