第290話 嫌な噂話が流れている

 14時に入場の受付を開始。


 そして15時になったところで、田村先輩による開会宣言がなされた。

 幹事を務める横塚先輩の挨拶、そして乾杯の挨拶によって、謝恩会が始まった。

 今は会食……と言っても、立食形式で各々が好きなものを皿に取り、担任の先生や部活動の先生、恩師などと歓談している。

 卒業式着姿のままの人もいれば、着飾っている人もいる。

 友人同士で固まっている人もいれば、1人黙々と豪勢な食事を頬張っている人もいる。


 装いや行動に違いはあるが、皆共通して良い笑顔だ。


 この後の流れとしては、定番のビンゴゲーム、そして卒業生がダンスを披露するなどの余興が行われ、卒業生、先生の挨拶を経て閉会となる。


 田村先輩率いる真面目な3年生らしいプログラムだ。


『悪くはないが、面白みに欠ける』と、本宮先輩はぼやいていた。

 来年の謝恩会は一体どうなることやら。

 今から覚悟しておいた方がいいかもしれない。


 遅れてやって来る人も途切れ、受付の仕事も落ち着き、1人そんなことを考えていると、食事を取りに行っていた、莉子さんと山鹿さんが戻ってくる。


「どうぞ、郡さんの分もお持ちしました。はふはふと一緒に、郡さんの好物を詰め詰めしましたよ」


 好物は好物だけれど、全体的な色合いが茶色で盛られている。

 まあ、お昼も抜いていてお腹も空いているし、好物を選んでくれた気持ちも嬉しい。


「ありがとう莉子さん、山鹿さん」


「いえいえ。ところで、郡さんはどうしてはふはふを苗字で呼び続けるので? 昔みたいにあだ名で呼ばないのですか?」


 その答えは簡単だ。山鹿さんに禁じられているからだ。


「僕は昔みたいに呼びたいんだけど、どうも恥ずかしいみたいで」

「うるさい。八千代郡、それ以上言うな」

「なるほど、納得です」

「りこりこも調子にならない」

「ふへ~、はふはふの沸点低すぎやしません?」


 仲良く言い争いを始める2人を眺めつつ、から揚げを口に入れる。

 うん、少し冷めているけど、それでも美味しい。


 冬休みに美海が作ってくれたお弁当、その時に食べたから揚げには敵わないけどな――と考えつつ、莉子さんと山鹿さんから視線を外し、美海の姿を探す。


 今は意識的に探しているが、離れると無意識に美海の姿を探してしまうことも暫し。

 目で探している事に気付いた時は内心で呆れ笑ったりするものの、美海を探してしまう新たな癖は自分でも好きだったりする。


 まあ、美海には聞かれるまで内緒だけど――と、居た。

 美海と佐藤さんは、3年生の先生と話す一団に混ざり会話しているようだ。


 美愛さんや鈴さんは相変わらず女性に囲まれていて、美波と幸介は生徒会の冨久山先輩や欅さんと一緒に回っている姿が見えた。


 最後の1人、月美さんは――と思ったら、こちらに向かって歩いてきている。


「郡きゅん、月先輩が人酔いしちゃったから、ちょぴっと外すネ~」


 確かに月美さんの顔色が悪い。心配させないようにしているのか、僕へニヘッと笑い掛けてきたが、それが逆に弱々しく見えてしまった。


「山鹿さん、悪いんだけど――」

「分かっている。私も付きそう」


 察していた山鹿さんは席を立ち、白岩さんと一緒に月美さんに肩を貸し、体育館の外へ出て行った。


「秋姫様の体調はまだ安定されていないのですね」


「そうみたいだね」


 月美さんは、冬休みが明けてから学校を休みがちになった。

 むしろ登校して来る方が珍しいくらいで、今日も久しぶりに姿を見かけた。


 修学旅行で無理をさせて、体に響かせたのかと心配になったが、月美さんは毎年冬になると体調を崩すということを五色沼先生が教えてくれた。


「心配ですね」


「……だね。早く春が来るといいけど」


「はい……そう言えばですよ、郡さん!! あなたの頭の中はすでに春満開のようですね!? まさか莉子は、後期末試験で得た特権の使い道をあんなことに使用するとは考えてもいなかったです」


 莉子さんは、どこか暗い空気を払拭しようとしてくれているのだろう。

 冗談めかしに、僕が特権で願った『美海と同じクラスにしてほしい』を揶揄い始めた。


 贅沢だ、勿体ない。いつも一緒にいるのだから、たとえ同じクラスにならなくてもいいだろう――と、僕が特権を公表した途端、莉子さんだけでなく、様々な人に言われた。


 まあ、その通りだと一瞬だけ考えた。

 だが、美海の嬉し恥じらう姿を見られたから、僕としては最高の特権の使い方をしたと思っている。

 それに同じクラスなら、修学旅行でも同じ班になれるかもしれない。

 だから、莉子さんにはそう反論させてもらった。


「本当に素敵なバカップルですこと」

「今ではそれすらも褒め言葉に感じるよ」


「莉子は素直に褒めているのですよ」

「あ、そうなんだ。じゃあ……ありがとう?」


「はいはい、ごちそうさまです! 莉子は少しお手洗いにいってきます」

「いってらっしゃい」


 莉子さんを見送り1人になった為、中途半端に食べ止めていた食事に手を付けていると、今度は田村先輩、元樹先輩、横塚先輩の3人がやって来た。


 僕からは卒業を祝う言葉を贈り、3人からは横塚先輩の就職の件について礼を言われた。

 続けて雑談をしている内に莉子さんが戻り、それを機に3人も先生方の元へ戻って行く。


 入れ代わる様に美愛さんと鈴さんもやって来た。

『褒めて、褒めて!』と言わんばかりの美愛さんに、桃色のドレスがよくお似合いですとシンプルな褒め言葉、そして卒業を祝う言葉を贈ると、満足したのかすぐに引き返していった。


 あっさりしているようにも感じたが、週明けの月曜日に美愛さんの就職祝いをするから、その時にでも、またゆっくりと話す時間を設ければいいだろう。


「郡さんは男性からも女性からも相変わらず人気者ですね」


「人気者とは違うよ。でも、こうして挨拶に来てくれるのはありがたいよね」


 本来なら僕から出向いて挨拶すべきだけれど、この場から離れられないからな。

 本当にいい先輩方に思う。


「ええ、本当に。それは否定しません。ですが、莉子には見覚えのない綺麗な先輩がにこやかな笑顔を浮かべてこちらへ一直線に向かってきているようにお見受けできます。これは人気者のなせる所業なのではないでしょうか??」


 莉子さんは続けて『また新しい女ですか』と言って、肘で僕の脇腹を突いてくる。

 濡れ衣もいいところだ。


 そして怖い事を言わないでくれ。


 にこやかな笑顔を浮かべている内の1人は栢木かやのき先輩だ。

 栢木先輩の笑顔はある意味信用ならない。

 加えて、腐れ花ことラブレシアの会長に向かって好きだの何だの言ったりするのは、あまりにも危険だ。

 そして残りの1人は僕にだって見覚えがない。


「莉子さん聞いて。1人は知らない。でも、綺麗に髪を巻いている先輩は腐れ花の会長だよ」


 冬休みに茶会へ招いてくれた栢木先輩や菜根さいこんさん、久留米くるめさんからは、メンバーを探る真似は止めろと忠告されているけど、3人が腐れ花に所属していることは口止めされていない。


 だから、茶会が終わった当日中に美海には話した。

 そして後日、莉子さんにも話そうとしたが、どこか危険な臭いを嗅ぎ取ったのだろう。

 莉子さんは巻き込まれたくないと言って、聞いてくれなかった。

 故に莉子さんは――。


『何てことを教えてくれるのだ』と、言った形相で僕の横顔を睨みつけてきた。


「いや、莉子さんが聞いてきたからさ」


 キッと僕を睨む莉子さん。

 自分でも思う。何て意地の悪い返答だろうかと。


「あ、莉子は少しお手洗いに――」


 さっき行ったばかりだろう、そう思ったが女子に向かってそんな事は言えない。

 けれど、僕が止めずとも莉子さんは席を立つことは叶わなかった。


「こんにちは、八千代さん。それと平田莉子さん。お二人とお話する時間を少しだけでいいので、私たちに頂けないでしょうか?」


「栢木先輩、こんにちは。僕は見ての通り暇をしておりますので大丈夫です」

「り……私も大丈夫です」


 莉子さんは返事すると同時に、中途半端に浮かせた腰を元に戻した。


「うふふ、それでしたら良かったです。平田莉子さん、私は3年A組の栢木かやのき明日香あすかと申します。気軽に明日香とお呼び下さいね」


 栢木先輩は柔和な表情を作り、莉子さんへ微笑みを送った。

 あれは多分、莉子さんが逃げようとした事は気付かれているな。

 付け加えるなら、逃げようとした理由まで察している可能性もある。

 分かったうえでの微笑みなのだろう。


 どこか緊張する莉子さんが栢木先輩へ自己紹介を返してから、僕と莉子さんはお祝いの言葉を贈る。


「改めまして――栢木先輩、ご卒業おめでとうございます」

「お、おめでとうございます」


 隣に並ぶ、もう1人にも言葉を贈りたいけれども、いかんせん名前も知らないため贈るに贈れない。

 そして、当然に栢木先輩はそんな僕の視線に気付いた。


「ふふふ、ありがとうございます。可愛い後輩に祝されることは、この上ない喜びに感じるものですね。それで、お話についてですが――」


「明日香、大丈夫。ありがとう。後は私から」


「ふふふ。ええ、ええ――それでしたら、私は先生方の元へ戻ると致しましょう」


「ありがとう、明日香。無理言って繋ぎをしてもらって」


「私と筒音つつねさんの仲じゃないですか。ですからお礼はこれくらいで結構でしてよ」


 綺麗なお辞儀をしてから去って行く栢木先輩へ返礼しつつ、たった今知ったばかりの名前について考える。


 ツツネ……ツツネ……どこかで聞いた覚えのある名だ。


 そして思い出す。

 修学旅行、竹林散策をしている時に月美さんが言ったことを。


 ――筒音に聞かせたいです。

 と、言っていたことを。それに対して僕は誰ですかと訊ねた。

 すると月美さんは、僕が訊き返さなければよかったと後悔する返事を戻してきた。


 ――3年です。配下です。幹部です

 と。珍しい名前だから、おそらく同一人物だろう――。

 僕が心当たりを付けると、ツツネさんは『若葉わかば筒音つつね』と名乗ってくれた。


「急にごめんね。本当は挨拶するつもり何てなかったんだけど、両親だけじゃなく妹まで世話になったなら、礼くらいするのが筋かなと思ってさ」


「若葉先輩のご両親……それはもしや、お店によくいらっしゃる仲睦まじいご夫婦の方でしょうか? でも妹さん?」


 若葉先輩は莉子さんに向けて話をしているから、莉子さんが聞き返してくれた。

 そして莉子さんにも『若葉』の姓に思い当たる人物がいたのだろう。

『空と海と。』によくいらっしゃる常連のご夫婦の姓と同じということを。


 そして、僕らの目の前にいる若葉先輩の髪形は、穂筒ほづづちゃんと同じサイドポニーテールだ。

 髪留めにはエメラルドグリーンの色をした石が付いた物を使用している。

 ここまで共通点があるなら、僕の予想はほぼ確信で間違いない筈だ。


「先日、奥様と一緒に中学3年生の子がいらしたんだよ。多分、その子が若葉先輩の妹さんに当たるんじゃないかな」


 なるほど、と言って頷く莉子さんに若葉先輩が肯定の返事を莉子さんへ戻す。


「ああ、彼の言う通りだよ。その時に妹の穂筒が礼を欠いた態度を取ったと母から聞いてね。今さらになってしまったが、謝罪したくて――迷惑を掛けてすまなかった」


「いえ、私は……と言うか、お店にも迷惑になっておりませんし謝罪は不要ですよ若葉先輩」


「はい、莉子さんの言う通りです」


 穂筒ちゃんが1人、落ち着きなく焦っていただけだからな。

 大した迷惑にもなっていないのだから、若葉先輩が謝るほどの出来事でもない。


『ありがとう』と言って頭を上げた若葉先輩に、莉子さんは『今度は若葉先輩もお店に来て下さい』と営業を掛けてくれている。


 それから、若葉先輩と莉子さんが当たり障りのない会話を繰り広げていく。


 僕はその横で相槌を打ちつつ考えた。

 お店にいらっしゃる若葉夫婦は五色沼家の関係者か何かなのだろうか。

 そして、穂筒ちゃんは新たな幹部なのだろうかと。

 訊きたいけど聞きたくない。

 いや、若葉先輩が話題に触れないということは聞かない方がいい事なのかもしれない。


 そう考えている内にビンゴゲーム開催のアナウンスが流れ、それを機に若葉先輩は妹が入学したらよろしく頼むと言い残し、去って行った。


「つ……疲れました……」


「お疲れ、莉子さん。会話を任せきりにしてごめんね」


「いえ……仕方ありませんよ」


「そう言って貰えると助かるよ」


「どうして若葉先輩は莉子をずっと見ていたのでしょうか……休まる瞬間が1秒もなかったですよ」


 そう、若葉先輩は僕と一切目を合わせない――いや、それどころか、顔も一切向けてくれなかった。


 ただ、ひたすらに莉子さんへ熱視線を送っていたのだ。

 だから僕は会話に混ざることができず、莉子さんが話しを振った時に相槌を打つくらいしかできなかった。


「若葉先輩は莉子さんのファンだったりしてね」


「身に覚えがなさすぎるのですが? ですが、ファン……ファンですか――」


 そう呟き、莉子さんは何かを考え込み始めた。

 僕が『莉子さん?』と呼び掛けても返事はない。

 身動き一つ取らないから、僕は莉子さんを放置して、すでに冷めた食事を再開させた。


 何品か食べ進めたとこで、莉子さんが僕の名を呼んだ。


「どうしたの?」


「若葉先輩は熱狂的なファンなのかもしれません」


 男子の一部には、莉子さんの熱狂的な信者がいる。

 でも、自分で言うんだ? と思ったが、莉子さんの言葉には続きがあった。


「莉子のではないですよ。郡さんの熱狂的なファンってことです」


「いやいや。莉子さんも言っていたけど、僕にも身に覚えがなさ過ぎるんだけど?」


「いえ、郡さんあなたは名花高校一番の有名人ではありませんか」


「まあ……一番はともかく、有名ってことは否定できないね」


 前期末試験から始まった騒動の末、今の僕は有名人バカップルで知れ渡っている。

 だからこそ女性のファンなどいない。

 そう否定したのだが、莉子さんは僕の考えを否定した。


 曰く、若葉夫婦は郡さんを追っかけてくる程のファンである。

 曰く、その夫婦の娘が若葉筒音先輩だ。

 曰く、推しも行き過ぎると、恐れ多さから目すら合わせられなくなってしまう人もいる。

 曰く、恋愛と推しは必ずしも一致しない。それどころか、2人の仲を推す人もいる。


 莉子さんは人差し指を立てながら、懇切丁寧に説明してくれた。

 そして最後に、僕が不快に感じる理由を莉子さんは言った。


「郡さんと美海ちゃんはバカップルで有名です。ですが、一部の人からはお二人の不仲説を問い合わせる声が莉子に届いております」


「は、不仲説って? 何それ?」


「目下調査中です。まぁ、ですが――美海ちゃんもしくは郡さん、2人に嫉妬する人が流布している可能性が高いでしょう。当然、莉子や望さん、はふはふなどへ訊ねてきた人には全力否定しておりますよ」


「そっか……ありがとう」


 噂話をきっかけに仲を拗らせた男女の話を幸介から聞いたばかりでもある為、変な噂話を流布した人へ嫌悪感を抱いてしまった。


 そして、その気持ちが表情に出てしまったのだろう。

 莉子さんはフォローするように『信じている人なんてほとんどおりませんよ』と言ってくれた。


「それに、お二人の仲を引き裂く様な真似などされても無意味でしょう?」


「……莉子さんの言う通りだ。そんな話は無視するに限るね」


「ええ、そうですとも。その意気ですよ、郡さん」


 美空さんを思わせる優しい微笑みをする莉子さんに励まされたところで――。

 山鹿さんと白岩さんが戻り、加えて余興が始まったことで役目を終えた美海と佐藤さんや、美波と幸介も合流した。


 体育館の隅で賑やかに、でもひっそりと、謝恩会が終わるまで過ごしたのだ。

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