第287話 ご挨拶しました

 棚から下ろした物を元に戻す為、僕と美海は裏へ移動した。

 それから、店内へ戻ると幸介から質問が届く。


「ところで郡は1位の特権を何に使うんだ?」

「何に使おうね」

「なんだ、決まってないのか」


 騎士団長に任命された僕は、四姫花と同等の特権を与えられている。

 そのため、新たに願うものがないのだ。

 保留で――と、本宮先輩にお願いしたが、それは駄目だと言われてしまった。

 だから、何とか絞り出したのだが。


「では、3年生にはお世話になったので、卒業式の予算に加えて、華やかな卒業式にしてください」


 こうお願いしたのだが、これも却下された。

 そもそも卒業式は間近に迫っている。

 今から計画も準備も何も間に合わない。


 それに、特権を学校行事の添え物にする前例を作ってしまうと、次に学年1位や、何かの企画で特権を得た生徒が、気を使うことになってしまう。


 それを避ける為に、何か自己の欲望を叶えるものに考え直せと言われてしまった。

 故に、特権の使い道に頭を悩ませている。


「贅沢な悩みだな」

「僕もそう思うよ。幸介だったら、たとえばどんなお願いをする?」

「俺か? んー……そうだなあ……」


 四姫花や騎士団長ほどではないが、正式な騎士となった幸介にも似たような特権が付与されている。


 だから何か参考になるかもしれない。


「俺なら、そうだな――歴史のテストを無くしてくれとか?」


 あ、うん。残念ながら、大した参考にはならなかった。


「それはさすがに……無理じゃない? 精々、免除が……いや、それも駄目だろうね」


 名花高校では、2年生から歴史総合が必修科目に入ってくる。

 必修でなく、選択科目なら免れることは願わずとも叶っただろう。


「だよなー……」


 ため息を吐き出し、カフェオレの入ったカップへ手を伸ばす幸介に美海が質問を送る。


「こう君から聞いたけど、幡くんは暗記とか苦手じゃないよね? でも歴史は苦手なの?」


「ん? なんつーか歴史ってさ、せっかく覚えた内容が変わったりすんだろ? 覚える意味あんのかなーって考えると、やる気が削がれるというか、頭に入っていかないんだよな」


 歴史の内容が間違えていたことで有名なものは鎌倉幕府の設立年についてだ。

 他にも誤解や訛伝かでん、つまりは間違えて伝わったことでおこる内容違いや誇張表現、歴史的事実と解釈の違いによる評価の見直しなど、様々な理由で歴史が変わる……いや、4年に一度見直される。


 それはきっと、新たな発見や研究が進むことで、これからも変わり続けることだろう。

 だから、幸介の気持ちも多少は理解できる。

 かと言って、歴史をないがしろにしていい理由にはならない。


 年を重ねるにつれ、やがて当時の想いが風化して色褪せてしまったとしても、その想いや歴史の積み重ねで、現代があるのだから――。


「いや、分かった。俺が悪かった。だから郡、今は勘弁してくれ」


「歴史の解釈としては素敵な話だけど、こう君は何かを語る時って早口で饒舌になるよね」


「そう――昔から――」


「だな、昔からだ」


「間は空いたけど……私が一番こう君との付き合いは長いもん」


「あ、いや別に俺は上近江さんと張り合うつもりで言った訳じゃ――」


「ふ――だから――?」


「おい、美波! 無駄にマウント取るなって」


「へー? 幡くんは美波の方がマウント取れるくらいにこう君を知っているって言うんだ?」


「あ、いや、今のは言葉の綾というか――」


 僕が口を挟む間もなく、僕を置いてけぼりにして、僕との付き合いの長さや密度で盛り上がる3人。


 ちょっと寂しい。

 そしてちょっと嬉しい。

 でもちょっと恥ずかしい。


 そんな、ちょっと複雑な気持ちを誤魔化す様に視線を3人から外すと、入口の外に人影が見えた。

 直後、『チリン、チリ~ン』と鈴の音が鳴った。


「いらっしゃい、ま、せ――って、母さん? 千恵子さんも。それと……」


 僕と美波の母さん、そして幸介の母親。

 加えてもう1人、僕らの母親と同じくらいとても若々しいご婦人がいる。

 僕が、この組み合わせはまさか――と、考える間もなく美海が答えを言った。


「え、お母さん!? 帰ったんじゃなかったの!?」


 と。

 まあ、一目見て察した。


 背丈は美空さん寄りだが、丸い目や顔の造形が美海そっくりだからな。

 美空さんと美海を混ぜ合わせた様な人で――本当に、とても綺麗な人だ。


 そして、美海のお母さんは、今朝ほど家に帰って行ったと聞いていた。

 それなのにこの場に居ることが不思議だけれど、どうして面識のない母さんと千恵子さんと一緒にいるのだろうか。


「そのつもりだったんだけどね、やっぱり挨拶もしないで帰るのはちょーっと、かなって?」


「それなら連絡くれたらよかったのに」


「そうよね、ごめんね。お母さんうっかりしていたみたい」


「絶対うそ。お母さん、私たちを驚かそうって敢えて黙っていたでしょ」


「うふふふふ――それより、美海? ご紹介してもらえないかしら?」


 美海から、お母さんはすぐに揶揄う人の悪い性格をした人物だと聞いていたが、一癖も二癖もありそうなお母さんだ。


 メッセージのやり取りでは堅そうなイメージが伝わってきていたが、今のやり取りでそのイメージが崩れた。

 気を引き締めて接した方がいいかもしれない――。


 僕が心の紐を締め直したところで、むすっとした美海が紹介してくれる。


「こう君、それと美波と幡くん。私とお姉ちゃんの母です」


「どうも初めまして。上近江かみおうみ陸美むつみです。美海と美空の母をしております」


 挨拶を受けた僕ら3人が頭を下げると、美海は次に美波、幸介の順で紹介した。

 2人が陸美さん同様に名を告げてから。


「えっと、彼がその……八千代郡くんです」


 恥じらう様に僕を陸美さんへ紹介してくれた。

 その様子に、陸美さんはニヤニヤと厭らしい表情を浮かべている。

 陸美さんの後ろに立つ母さんと千恵子さんは、聖母の様な顔をして美海を眺めている。


 まあ、今の美海もかわいかったからな。

 頬が緩くなる気持ちには共感したい。


「八千代郡です。美海さん、そして美空さんのお母様とお会いできて光栄です。2人には、常日頃から大変お世話になっております。それと、美海さんとお付き合いをさせて頂いております。今後とも、よろしくお願いいたします」


「うふふ、話に聞いていた通りに郡くんはお堅いのね。それとね、お母様だなんて言わずに、メッセージでやり取りする時と同じ様に名前で呼んでくれていいからね? 末永いお付き合いになるのですから」


「では、お言葉に甘えて、これからは陸美さんと呼ばせていただきます」


「あらあら、美海と違って郡くんは隙がないのね? もう少し、からかいがいがあると予想していたのにな、ちょっと残念」


 気を引き締めたばかりだからな。

 それに、挨拶する場面を予習しておいたから、今はまだ想定の範囲内だ。


「虚勢を張っているだけです」


「ふふふ、そっかそっか。さすが――書初めの字に明鏡止水めいきょうしすいを選ぶだけあるね。見直しちゃった」


 おっと、想定外の内容が飛び出てきたな。

 しかも明鏡止水、か――。嫌な流れだ。

 隙がないなら隙を作ればいい。そんな考えが見え隠れしている。


 あと、母さん。訝し気な目で僕を見ないでくれ。


「……まだまだ未熟者です」


「そんなことないわよ? 私が郡くんや美海くらいの時は、もっともっと子供だったからね」


 きっと、小悪魔な意味でやんちゃしていたのだろうな。

 何となく想像がつく。


「そうなのですね」


「うんうん。郡くんと私にどんな精神性の違いがあるのか知りたいから、郡くんが明鏡止水を選んだ理由を聞かせてほしいな?」


 美海の魅力に負けて、勢いのままに押し倒さないように。

 我慢できる、そんな精神力を身に付けたい――などとは口が裂けても言えない。


「……今、答えた通りまだまだ未熟者だからです」


 僕の考えなどお見通しなのだろう。

 陸美さんは、もの凄く悪い笑顔を浮かべている。

 これ以上突っ込まれたらまずい。

 そろそろ襤褸ぼろが出てしまうぞ。


 そうなる前に――誰か陸美さんを止めてくれ。


 隣に立つ美海を見るが、巻き添えを食らわないように俯いており目が合わない。

 次に母さんへ顔を向けるが、その前に陸美さんの口が動いてしまった。


「私はてっきり、18歳になったらどうのこうの――」


「陸美さん、私の息子をいじるのはそろそろ勘弁してあげてちょうだい。美海ちゃんへ千恵子さんの紹介も行いたいから」


 ありがとう、母さん。心の中で、心から、こころ一杯に感謝を叫んだ。

 そして、初対面となる美海と千恵子さんの為に、母さんが代表して2人を紹介する。


 やっとこさ、母さんたち3人をソファ席へ案内、それから飲み物の注文を先に受けた。

 食べ物はメニューを見て決まり次第に呼ぶと言われた所で、ようやく解放される。


 飲み物を配り、食事の注文を受けてからは、新たなお客様もいらしたことで、母さんたちも大人しくなり、平和なアルバイト時間が過ぎていった――。


 そして最後に美波が4人で写真を撮りたいと言ったことで、記念撮影を取る流れに。

 母さんたちに見守られながら写るのは気恥しいが、断るほどでもない。

 だから、キッチンから美海を呼んで、僕と幸介、美海と美波の4人が揃ったところで、母さんに写真を撮ってもらった。


 母さんに礼を言って4人で写真を確かめていると――。


 店内とバックヤードを繋ぐ扉の窓から、美空さんが手招きしている姿が見えた。

 僕と目が合った美空さんは、何か書類のような物を見せてきた。

 おそらく、明日の棚卸関係のものだ。


 直接呼びにくればいいものを――と思ったが、面倒を察したのだろう。

 美空さんは両手を合わせて『ごめん!』と訴えてきた。


 仕方ないので、僕はひと足先にみんなに別れを告げて、この日、不意にやってきた七者面談が終了となったのだ――。


 ▽△▽


「ママ――」

「どうしたの、美波?」


「兄さん――3月の――25日――?」

「あら、郡から聞いたの?」


「ママの――手帳――」

「悪い子ね」


「ん――ごめんなさい――」

「郡から怒られたのでしょ?」


「うん――」

「それならママから言う事はもうないかな」


「ん――お祝い――?」

「ええ、そうね。そうしましょうか。頑張ったってことで、退職祝いに、どこか食べに行ってもいいわね。郡に伝えておいてちょうだい」


「わかった――」


 ▽△▽


「美海ちゃん、今日はいきなりお邪魔して悪かったわね」

「いえ、光さんならいつでも大歓迎です」


「そ、それなら良かったわ。郡が働いている姿は初めて見たけど、楽しそうに働くのね」

「いつも一生懸命に頑張ってくれていますよ。私もお姉ちゃん、他の従業員もこう君に頼りきりです」


「ふふ、それなら良かったわ」

「はい。あの……こう君って、もしかしてバイト辞めるんですか?」


「あら、あの子から聞いたの? 美海ちゃんには内緒にしてって言っていたけど」

「あ、えっと……盗み聞くつもりはなかったのですけど……」


「ああ、私と美波の会話が聞こえたのね」

「はい……それで、こう君が辞める理由とかって? 何か不満とかあったんですか?」


「そうね――勉強が大変になるってことが一番かしらね。あと、秘密にしている理由は、美海ちゃんの為にあの子なりに考えただけだから怒らないであげてね」

「はい……それはもちろんです。こう君って――」


「美海――ママ――ダメ――」


「ん? そうね、喋り過ぎたわ。美海ちゃん、あとは直接2人で話すといいわ」

「そうですよね……お話、ありがとうございました。こう君と話してみます」


「ええ、それがいいと思うわ」

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