第286話 春よりも先に夏が来ました

 2月28日の水曜日。放課後。

 僕、八千代郡と担任教師こと古町美緒先生、

 そして母親の千島光の3人で行われた三者面談は10分しない内に終了となった。


 2日前の月曜日に上位30位までが載ったテスト順位が各クラスに掲示された為、結果は知れていたが、前期末試験に続いて、僕は何とか1位の座を守ることが叶った。


 そして、三者面談の場で美緒さんの手から成績表が手渡され、それを母さんにも見せた。

『頑張ったわね』。母さんはその一言だけを僕に贈り、その後は進路について話し合う場となったのだが――。


「国立の大学受験を考えています」


 僕がそう告げると、


「今現在の成績や生活態度を維持すれば大きな問題はないでしょう。騎士特権で推薦も得られますしね」


 と、美緒さんから言われた。

 それに対して母さんはたった一言『そうですか』のみだ。

 2人には初めて進路をはっきりと告げた。


 だから、もう少し質問等があると考えていたのに、やけにあっさりしたもので少し拍子抜けだった。


 まあ、だが。忙しい2人からしたら、時間は大切だ。

 美緒さんは僕1人に多くの時間を使えないだろう。

 母さんはこの後、美波の面談も控えている。

 そう考えたら、これが普通なのかもしれない。

 1時間も掛けた、中学3年時に行われた面談が異常だったのだ。

 そう思うことにした。


 僕の普段の様子を訊いた母さんに、美緒さんが無難な返答をする。

 そして最後に、2人が連絡先を交換してから面談が終了となった。


 はてさて――連絡先を交換する必要はあったのだろうか。


 訊いたらやぶへびになりそうな気もするし、アルバイトにも行かなければならない。

 だから触れないことを決め、母さんそして合流した美波にクロコのご飯をお願いしてから別れを告げた――。


「う、さむ――」


 暖房の効いていた校舎から出てすぐに冬の寒風に襲われた。

 例年の2月に比べたら比較的暖かいらしいが、それでも最高気温は6度にも満たない。

 今年はうるう年のため、2月もあと1日残されているが3月は目の前。

 立春も過ぎ去ったというのに、この町はまだまだ冬の空気に覆われている。


 学生証の撮影から始まった、彼女、友人たちで開催した撮影大会。

 そして、背文字当て伝言ゲーム。後期末試験。父さんの一周忌。つい先ほど終わったばかりの三者面談。


 1月とは反対に、1年で一番短く感じる2月だった。

 ああ、後はバレンタインもあったな。

 テスト前だというのに、佐藤さんや五十嵐さん、白田さんが美海に頼み込み、チョコレート作りを教わったらしい。

 女の子トークができて楽しかったと言っていたし、僕だけじゃなく黒田くんカップルの特別な日にもなったらしいから、よい勉強の息抜きになったかな。


 今からホワイトデーのお返しをしっかり考えておかないといけないな。


「ふー……」


 吐き出した白い息は、空気の中に溶けて消えてしまう。

 別にずっと見ていたくなる高尚なものなどではないが、それがどこか寂しく感じた。


 美海が左側にいないことが少し寂しいのだ。


 上近江家にお邪魔した日以後、美海と一緒に下校するようになった。

 クロコにご飯をあげて、それから一緒にアルバイトへ向かう。

 そんな日々が続いていた。

 美海は月曜日に三者面談を終えている為、先にアルバイトへ出勤している。

 そのため、1人で『空と海と。』へ向かうことが久しぶりで、寂しさを覚えてしまった。


 僕は少し…………美海に依存しているのかもしれない――――。


 世間一般的に3月は別れの季節。そしてそれは僕も同じだ。

 だから少しだけ、苦手な季節かもしれない。


「早く桜が見たいな」


 4月に対して特別な思い入れはないけれど、桜を見ると何かが始まる気がして、前向きな気分となるのだ。


 三春みはるの滝桜が咲いたら美海と観に行きたい。

 あとで誘ってみようか、そう考えながら裏口の扉を開く――。


「あれ、こう君? 早かったんだね?」


 扉を開いたすぐ近くに美海がいた。

 ストック棚を整理しているように見えるから、今日は暇なのかもしれない。


「美海、滝桜を観に行こう」


「え、急にどうしたの? 滝桜って三春の?」


「そう、三春の。4月になって咲いたら美海とお花見がしたいなって考えていたら、美海が目の前に現れたから、つい」


「ふふ、そっか。それじゃあ、私は頑張ってお弁当作るねっ」


 最高に可愛い彼女、そして彼女が作る最高に美味しいお弁当。

 最高のお花見が確定したな。

 ただ、お弁当を食べられる場所はあるだろうか。

 それが心配だけど、三春町は町内あちこちに枝垂桜シダレザクラが植えられているから、どこか公園を探して、ベンチを借りたらいいか。


 よし、決まりだ。そうしよう。


「それなら僕は頑張って、てるてる坊主を作るとするよ」


「ふふ、間違えても逆さ吊りしたりしないでね?」


「大丈夫。手先は器用な方だから」


「そうだったね。こう君は、手先は器用だもんね?」


 僕から振ったのだが、手先以外は不器用だと強調するように言い放つ美海。

 その美海の頬を軽く抓み、そして撫でてから、最初にされた質問へ返答する。


「三者面談は10分しないで終わったよ」


 美海はお返しとばかりに、僕の頬を両手で挟み、押し潰してから返事を戻してきた。


「そっか。でも、私もお母さんと美緒さんが世間話しなければ、それくらい早く終わっていたかも」


 美空さんと美緒さんは幼い頃から一緒に過ごしている。

 だから、陸美さんと美緒さんが知り合いということは何も不思議でない。

 だが、美空さんの事で2人の間には多少の確執があると美海から聞いていた。

 けれど、それも今は解消されており、昔話に花を咲かせたのかもしれない。


「僕も美海も成績優秀で生活態度も良好な優等生だからね。おまけに進学と答えたら、話すことも少ないか」


 僕が約束を守ったように、美海は見事に有言実行して今回2位の成績を収めた。

 誇らしげに、かつ、どこかはにかむ様子で『独占しました』と言った美海が、とても愛らしかった。


 バカップルなのに、学年ツートップ。


 その変な矛盾を揶揄う生徒には、美海が2位を狙った理由などけして言えない。

 理由からしてすでにバカップルそのものだからな。


「ふふ、自分で言わないのっ!」


 おっと、桜が咲くよりも先に向日葵が咲いたようだ。


「それより今日は暇な感じ?」


「そうなの! 凄く暇でね、お客さんもいないからって、お姉ちゃんが明日の棚卸に備えて店内の棚を整理しだしてね、だから私も始めたところなの」


「そっか。じゃあ、今日は僕の出番ってことか」


「えっと……ほどほどにね?」


 美海はきっと大変だった年末の大掃除を思い出しているのだろう。


「とりあえず、着替えてくるよ」


「あれ、こう君? ほどほどにだからね? ね!?」


 慌てた様子を見せる美海の頭をコック帽の上から軽く撫でてから、更衣室へと移動する。


 手早く着替えを済ませ、事務所に寄ってから1階へ下りる。


「美空さん、おはようございます。遅くなりました」


「郡くん、おはよう。早かったのね?」


 美海と全く同じ質問をする美空さんに、美海にした返事と同内容のものを戻すと、美海の手伝いをしていいと言われた為、中へとんぼ返りすることに。


 それから約30分間、美海と一緒に棚を整理しつつ商品のカウントと棚の拭き掃除をしていると、『チリン、チリ~ン』と鈴の音が鳴った。


『お客様かな?』そんな目で美海と視線を重ねたら、僕と美海の2人揃って美空さんから呼ばれた為、そのまま店内へ出ると――。


「あれ、美波に幸介? どうしたの? 2人は幸介の家に行くんじゃなかったっけか?」


「ピアノ――」


「って、美波が聞かなくてよ。まあ、なんだ? 俺もさ、郡と上近江さん、後はりこりこか、3人が働く店に行ったことなかったから寄ってみたんだ」


 つまり、美波がピアノを弾きたいと駄々を捏ね、幸介が折れたという訳か。


「そういうことか。でも、ピアノは美空さんの許可がないと――――許可が下りました」


 返事を戻しながら美空さんへ視線を向けたら、柔和な笑顔で頷いてくれた。


「美空――ありがとう――」


「どういたしまして、美波ちゃん。でも、お客様がいらしたら止めてね?」


「うん――」


「なら、何も問題ないわ。美海ちゃん、郡くん、ここは2人に任せて、お姉ちゃんは事務所に行ってもいい?」


 美波と幸介だけなら、僕ら2人だけでも何も問題ない。

 それに、見た感じ棚の整理も終えているようだから尚更だ。

 美海と2人で美空さんに問題ないと返事をして、美波と幸介の2人を席へと案内する。

 それから、『バナナの天ぷらバニラアイス添え』を2人分と、ココアとコーラの注文を受ける。


 僕が考案したメニューだった為、せっかくだし僕が作ることにした。

 美海には2人の応対……と言っても、美波の演奏を聴く時間となるだろうが、まあ、2人を任せ、僕はキッチンへ移動する。


 店内から聴こえてくる演奏に耳を傾けながら、約10分で注文の品を作り、再び店内へと戻ると、タイミングよく演奏が終了となった。

 いや、美波のことだから時間を合わせた可能性も考えられる。

 現に、僕が『お待たせ』と言って、配膳する頃にはテーブルへ戻って来ているからな。


「ほえー、美味そうだな! これ、郡が考えたのか?」


「そうだよ、幡くん。こう君、考案、当店イチオシ人気メニューだよ。見た目だけじゃなくて、味も抜群だから食べてみて」


 僕が返事を戻すより先に、

 表情をニコニコとさせた美海が返事を戻してくれた。


「はは、上近江さん自分のことのように嬉しそうに勧めてくんのな」


「だって、自分のことのように嬉しいから」


「言われてんぞ、郡?」


 どこかニヤケ顔でパスを投げてくる幸介。

 揶揄っているつもりなのだろうが、それくらいはそよ風程度にも感じる。


「可愛い彼女でしょ?」


 僕が臆面もなく言い放つと『ふふふ』と相好を崩しながら腕を取る美海。


「俺、これから甘いもん食べんのに、その前に砂糖突っ込まれた気分なんだが?」


 自ら突っ込んできた――の、間違いじゃないだろうか。


「はいはい、お詫び……それと、後期末試験30位を取れたお祝いに、今日は僕がご馳走するから、とっとと召し上がれ」


「お祝い、か……でもま、ありがとな」


 微苦笑、幸介にしては珍しいそんな表情を浮かべた。


「気にしているの?」

「そりゃーな? ちっとは気にすんだろ」


 四姫花、そして風騎士委員団に所属する者は、1人を除いて30位以内を達成した。

 幸介も騎士条件ラインのギリギリで危うい所であったが、前回順位65位から一気に駆け上がった。それを考えたら十分見事な成績だ。


 そして、幸介が競っていた相手の国井さんは唯一あぶれた1人となった。

 結果は惜しくも31位だ。

 前回順位98位を考えたら、幸介以上の頑張りを見せたかもしれない。

 幸介と競っていなければ、騎士の資格を手にしていたのは国井さんだった。

 大躍進と言っても過言でないだろう。


 だけど――結果は結果だ。


 過程も大切だけれど、今回は結果が全てなのだ。

 誰かを蹴落とし自分がその立場を奪う。

 2人は、顔を合わせればいがみ合う関係だった。

 けれど、言い争えるだけ身近な者だったからこそ、

 性根の優しい幸介だからこそ、

 心にかすみをかけたのだろう。


「双方、分かったうえでの勝負だから、幸介が気にする必要はないんじゃない?」


「そうだけど、あいつほど俺は真剣だったかなって思うとよ」


 美波の騎士になりたい。

 その真剣さを比較することは、正直言って難しいだろう。

 心や魂を覗き見ることができなければ、比較など到底かなわない。

 だが、幸介が勉強に一生懸命となるのは、今回初めてのことだ。

 僕としては、それだけで十分誇っていいと思う。


「結果が示しているでしょ」


「それはちっと、郡にしては冷たくないか?」


 表情をムッとさせた美海が反論しようとするのを抑える。

 でも、その直後、『いてっ』と幸介が呟いた。

 幸介の対面に座る美波が、テーブルの下で幸介の足を蹴ったのだろう。


「わりぃ、別に郡を責めたわけじゃないんだ」


「いい、大丈夫。分かっているから」


「……うし! 俺が言うのも何だが、暗い話は終わりにして、ぱーっと食っちまうか! 美波の我慢も限界に近いみたいだしな」


 美波はハイライトを消した目で幸介を見ている。

 爆発一歩手前って感じだ。


 好物を前にして大人しく待っているのだから、美波にしては頑張った方だろう。


「そうそう、その調子。それにさ、国井さんはそんなことで落ち込む玉じゃないから、きっと何か考えがあって休んでいるんだと思うよ」


「さすが――兄さん――」


 うんうん――と、頷き僕を肯定する美波。加えて美海。

 張り出された結果表に名前が載っていないことを確認した国井さんは、翌日から学校を休んでいる。


 悔しい思いはあるだろうが、国井さんはそれを励みにするタイプだろう。

 と言うか、酷い言い草だけど、僕はあの子が落ち込む姿を想像できない。

 たとえ落ち込んだとしても、一晩でケロッと復活するタイプだ。

 そう言った、妙な信頼感を僕は国井志乃に抱いている。


「まあ、美波が気にする素振りも見せずに過ごしていることが何よりもの安心材料かな」


「……だな、確かに。そりゃそーだ」


「ふふ、兄妹愛と友情の確認が取れたみたいだし、一件落着だね」


「美海の言う通り――ってことで、今度こそ召し上がれ」


 僕の言葉を合図に、美波がすぐさま『いただきます』と言って食事を始める。

 待たせたことを美波に謝罪した幸介が続いたことで、少し遅い時間のティータイムが始まることとなった。

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