第284話 はい、やちおんです

 14日の水曜日から翌週20日の火曜日まで行われた後期末試験。

 19日までの期間は、美空さんや他従業員の計らいでテスト休みをいただいた。

 おかげで、勉強に集中することが叶ったし、前期末試験以上の手応えを感じた状態で終わりを迎えることができた。


 テスト結果は、上位30位までの成績者は26日に各教室ホワイトボードへ掲示される。

 個人結果については、同日から始まる三者面談の際に配られるそうだ。

 その説明をされた時、成績に自信のない生徒は悲鳴を上げていた。

 きっと、親に直接知らされることが恐ろしいのだろう――。


「八千代さん、今日は声を掛けたりしてごめんなさいね」


「いえ、とんでもないです」


 20日の今日は第三火曜で営業日だ。


 だが、本来のシフトでは、僕と美海は火曜休みとなっている。

 だけれども、店の従業員は定休日となる月曜に休んだと言っても、連勤で疲労が蓄積されていることだろう。


 そのため、自ら申し出て出勤を代わることとなった。


 そして本日最後のお客様で、僕へ声を掛けてくれた人は、クリスマスパーティにも来てくれた『ヴァ・ボーレ』から追ってくれている夫婦の常連様だ。


 今日は珍しく、奥様一人かと思ったのだが、途中から中学生の娘さんが合流した。

 そしてこれまた珍しく、声を掛けられた。


 何でも娘さんは現在中学3年生で、名花高校への進学が決まっているからとかで、挨拶の為にわざわざ声を掛けてくれたそうだ。


 だが、娘さんはとてもシャイな子なのか、僕が挨拶すると同時に奥様の陰へと隠れてしまった。

 奥様は、呆れた顔して娘さんをしつけもとい叱りつけたのだ。


 そんな場面を見てしまったが為に、種類は違うかもしれないが、三者面談でも似たような光景を先生方は見るのかもしれない。そう思ったのだ。


「ほら、穂筒ほづづ。4月からお世話になるんだから、最後くらいしゃんと挨拶なさい!」


「む――むむむむむむりッッ!!!! そんな恐れ多い!!!!」


「もうっ、困った子ね。反抗期もいい加減に終わりにしてほしいわ」


 恐れ多いとはまた大層な。

 僕はあがめられる様な人物などではないし、年齢だってたった一つしか変わらない。


 だと言うのに、そんな風に言われることが恐れ多い。


「反抗期とか、や……やちおんッ……せんぱいの前で恥ずかしいこと言わないで!!」


 はい、やちおんです――とか言える空気ではないな。


 奥様が僕へ抱くイメージも崩れてしまいそうだし、大人しく成り行きを見守ろう。


「貴女のその態度の方がお母さんは恥ずかしいわよ。穂筒が行きたいって言ったから、連れて来たのに、こんなに恥ずかしい態度取るなら連れて来るんじゃなかったわ」


「だ! だって、だってだって!! まさか、先輩がいると思わなかったんだもん」


 先輩1人にここまで緊張していたら、入学してからやって行けるのだろうか。

 少し心配になってしまう。

 いや、男性の先輩が無理なのかもしれない。

 美海を呼んだ方がいいだろうか、だが、帰り際でもあるから悩むところだな。


「ほんっとに、ごめんさない。普段は挨拶くらいなら、できる子なのだけれど……どうしてかしらね、困ったわ」


 奥様そして娘さん、僕。この場にいる3人全員が困った状況は何とも不思議で混沌としているかもしれない。


「いえ、本当にお気になさらずに。それより、旦那様とまたいらして下さいね。いつでもお待ちしております」


「ええ、ありがとう。また今度は主人とお邪魔させてもらうわね」


「はい、お待ちしております。えーと……若葉わかば穂筒ほづづちゃん? で、いいかな?」


「!? ひゃ、ひゃいっ!!」


 驚かせるつもりなど全くなかったが、声を掛けたことで驚かせてしまい、もの凄く目を見開き背筋をピンと伸ばしてしまった。


 その拍子でサイドポニーテールが揺れた。

 つい目が行ってしまい、エメラルドグリーンの色をした石が付いた髪留めが目に留まった。

 和名だと確か……若竹色だったかな。

 名前にピッタリな装飾だ。本人にもよく似合っている。


 いや、そんなことよりも早く終わらせよう。

 声を掛けた罪悪感に押し潰されそうだ。


「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど」


「と、とんでもないでしゅ!!」


 もう、見てられないくらいに、顔が真っ赤っかだ。


「一応、学校では風紀委員……みたいなものの代表を務めているから、入学してから何か困ったことがあったら、頼ってくれていいからね。僕に頼み難かったら、女性の風紀委員もいるから安心して」


「はい! ありがとうございま……す!」


 あ、うん。子犬のように嬉しそうな表情をしている。

 最後、ゆっくり発音したことで噛まなかったことが嬉しかったのだろう。


 本当にご迷惑を――と、深く頭を下げた奥様……若葉様と、キラキラした目をした穂筒ちゃんが小さく手を振りながら退店して行き、この日最後のお見送りが終了した。


 どこか気疲れを感じつつ鍵を閉め、それからキッチンへ移動する。


「美海、お疲れ。キッチンはどんな感じ?」


「こう君もお疲れ様。こっちはあと少しで終わるところだよ」


「そっか。それなら僕は店内の清掃に入っちゃうね」


「うん、お願いね。それより話し声が聞こえたけど、常連様以外にも誰か来ていたの?」


 美海に常連様が来ていることは伝えたけど、穂筒ちゃんが来たのはその後だったから、まだ伝えていなかった。

 そして会話する声がキッチンにまで届いたのだろう。

 でも、常連様が声を掛けてきたことがあるのは、クリスマスの日に一度あっただけ。


 だから美海は別のお客様が来店したと勘違いしたのかもしれない。


「常連様の娘さんが来ていたんだよ。4月から名花に来るらしくて、そのご挨拶にって」


「あ、そうなんだ。どんな子? 可愛かった?」


「あどけなさが抜けない感じで、どこか小動物みたいで可愛らし子だったかな」


「ふーん、そっか。私もご挨拶したいから、もしまた今度来たら私にも教えてね」


 やきもち妬きである美海のことだから、頬を膨らませる姿を想像したが、大して気にした様子は見せなかった。


 その理由は、おそらく相手の子が年下だからかもしれない。


 いや、単純にお客様だからって可能性もあるか。

 まあ、美海が気にしないならどちらにせよって感じだけれども。


「分かった。じゃあ、お金数え終わったら清掃に入る前に、美空さんへの報告がてら明日のことをもう一度だけ伝えてくるね」


「うん、下は大丈夫だから気にしないで」


 美海にお礼を言ってから、お金の過不足を確認して2階事務所へ移動する。


「美空さん、お疲れ様です。お金の問題もなく、清掃も順調なので定時で終われそうです」


「郡くん、お疲れ様。ご報告ありがとね。2人がお店を回してくれたから、こっちも大丈夫かな」


 今週末に第二回目となる音楽祭が開催される。

 美空さんはその計画の最終チェックを行っていた。


「問題がないようで何よりです。それで、明日なんですけど」


「明日のことは気にしなくていいわよ」


 明日2月21日は父さん、その両親が亡くなってから1年となる。

 父さんは騒がしいことを好まない人だった。


 だから、人や僧侶を呼ぶようなことはせず、家族3人だけで集まり食事をする。

 そのため、昼間の学校には普段通り通える。


 けれど、美空さんや莉子さんに事情を説明して、アルバイトは休みをもらった。

 テスト期間で連休をもらったばかりの為、どこか後ろめたい気持ちとなっていたのだが、美空さんが向けてくれた柔和な微笑みで、少し気持ちが軽くなった。


「はい、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」


「いいのよ。それに、莉子ちゃんが代わりに出てくれるからね」


「頼りになる友達……同僚です」


「ふふ、張り切っている所が心配だけれどね」


 僕の話を聞き、そして頼られた事実が莉子さんのやる気にスイッチを入れた。

 そして、莉子さんはやる気を漲らせるほどに失敗も増える為、美空さんはそれが心配なのだろう。


「それで、美空さんにもう一つご相談したいことがありまして」


「何か話したそうな雰囲気を感じていたけど、それが本題ね。何かしら?」


「3月の……来月末についてなのですが――」


「来月末が――何かしら?」


 どうしてだろうか、柔和な笑顔が一転して頬が強張ったように見える。

 美空さんが発する空気が妙な緊張感を生み、その刺々しい空気が僕の肌を刺してくる。


 今から相談する内容は、美海の誕生日についてだ。

 僕と美海を応援してくれている美空さんなら、快諾してくれること間違いない。

 安易にそう思っていた。


 だが、よくよく考えてみれば、また希望休の申請となる。

 そう考えたら、今の空気もあってか、少し頼みにくい。


「えっと、ですね……」

「ええ、何かしら? 私に言い難いこと?」


 言い易いと感じていたが、今はとても言い難さを感じている。

 だが、美海が清掃を請け負ってくれているのだ、時間も掛けていられない。


「休みの申請ばかりで申し訳ないのですが、美海の誕生日の31日に休みを頂けたらなと。日曜だから厳しいですかね?」


「なんだ、そんなことか――」


 と、息を吐き出す様に美空さんが言って、椅子の背もたれに体を預けた。

 そのことで、緊張で覆われていた空気が霧散したことを感じた。


「……そう言うってことは、お休みを頂けるってことですか?」


「もちろんよ。そもそも初めから、郡くんと美海ちゃんは休みでシフト調整しているわ」


 あ、そうなのか。それはありがたい。

 だがそれなら、先ほどの肌を刺すほどのプレッシャーの正体はなんだったのだろうか。


「ありがとうございます。てっきり、駄目だって言われるかと思いました」


「あら、どうして?」


「いえ……美空さんから発せられていた空気というか緊張感が、言えば怒られるかなって」


「ああ…………3月ってほら、学生だと辞める時期じゃない? それで、つい構えちゃって。変に誤解を与えて、ごめんなさい」


 進学や就職を機に、3月でアルバイト退職者が増える。

 経営者としては悩ましい問題ゆえに、警戒したのかもしれない。


「3年に上がるまでは働かせてほしい。少なくとも僕はそう考えています」


 高校卒業までは働きたいが、2年生からの勉強に付いていけるか不透明だからな。

 ただ、そう言えば美海はいつまで続けるのだろうか。

 大学進学を考えているとは聞いたが、バイトについては聞いていなかったな。


 後で聞いてみよう。


「それはつまり――暫らく辞めることは考えていない。そう捉えてもいいのかしら?」


「ええ、そのつもりです。クビにされない限りは、続けさせてもらいたいですね」


「そっか……良かった――」


 胸を撫で下ろす、そんな風に見えた。


「美空さん?」


「え? ああ、ごめんね。郡くんをクビにする様な間抜けな事は、私はしないよ――だ」


 美空さんは立ち上がり、僕の頬を優しく抓んできた。


「それなら良かったです」


「私も郡くんも悩みが解決したことだし、ちゃちゃっと片付けてしまいましょう」


「あまり遅くなると、美海も心配しますからね」


 この言葉を合図に、事務所の電気を消し、1階へ移動を開始する。


「そうだね、美海ちゃんはやきもち妬き屋さんだから」


「いくら何でも美空さんには妬かないんじゃないですか?」


「ほら、私って美人でしょ?」


 美人は肯定するが、

 僕と美空さんがどうこうなる事など美海は微塵も心配しないだろう。


「少し抜けている所も含めて、魅力的でいて絶世の美女だと思います」


 半分本音、半分冗談。

 そんな軽い気持ちで言ったのだが。


「ふ~ん? 郡くんったら、私のことポンコツだとか思っていたんだ」


「それも含めて可愛いって言ったんです」


「そっかそっか――美海ちゃんに言い付けちゃお~。お姉ちゃんも郡くんに口説かれたって」


「やけにご機嫌ですね? そんなに口説かれたのが嬉しかったんですか?」


 ニコニコ、ニコニコとした笑顔だからな。

 口説かれたという冗談は置いておいて、そのご機嫌な理由が気になった。


「んー? そうね、嬉しいことがあったからかもね?」


 大人の女性というよりは、無邪気な少女のような笑顔を浮かべる美空さん。

 その笑顔の理由は、どうやら教えてくれないみたいだ。


「あ! 美海ちゃん、聞いて! 郡くんったらね、お姉ちゃんのこと口説こうとするのよ」


「はいはい。その話は帰り道にでもゆっくり、聞かせてもらうから早くお仕事終わらせようね」


 さすが美海、よく分かってくれている。

 美空さんが適当な冗談を言っていると。


「え~、つまんな~い」


 唇をとがらせ、いじける美空さんに美海はほうきを持たせた。


「こう君もお姉ちゃん相手だからいいけど、他の女の子には冗談でも口説いたりしないでね。本気にしちゃう子もいると思うから」


「心掛けるよ」

「へぇー?」


「いえ……冗談でも口説いたりしません」

「よろしい!」


 返答を間違えた僕に対して、美海は背筋を正させる声を発したが、ただの脅しだったみたいだ。


 すぐに柔和に笑ってくれたからな。


「でも、お姉ちゃんを口説くに至った理由は気になるから、後で聞かせてもらうからね」


 ありのまま話したとて、美海が怒るような話はない。

 だから、その帰り道。

 話を過剰に盛る美空さんの説明を訂正しつつ、美海に説明したのだが――。


 どうしてか、美空さん同様に美海もニコニコ顔が止まらなくなった。

 その理由を聞いても、おとめの秘密と言って教えてはくれない。

 ただただ、謎に喜び、僕に引っ付いてきた。


 とんでもなくご機嫌な美女、美少女にサンドされるといったご褒美のような状況で、不思議な帰路となったのだ。

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