第283話 僕は決意しました
夏に来ると言っていた美海のお母さん
タイミングが合えば僕にも会いたいと言ってくれているから僕も楽しみではあるのだが、好きな人の親との対面は緊張する。
美海も
あんなに仲良さそうにしていたのに?
と不思議に思った。
美海でそんな状態だったのだ。
それなのに、僕は大丈夫だろうか。
緊張のあまり、変なことを口走らないか心配でもある。
僕はそれでよく失敗しているからな。
だから、受け答えのイメージトレーニングをしておこう――と、心の中で決めた。
そして、後ろ髪惹かれる思いをふり切り、美海にまたねと言う。
「じゃあ、また明日ね。美海」
美海は僕の手を離さず、どこか遠慮がちに上目遣いを向けてきた。
「……えっとね。お姉ちゃん、今日はお出掛けしていて夜までいないんだけど……久しぶりに少しだけ上がっていかない?」
美海ともう少し一緒にいたい。
そう考えていた僕の本能へ訴えてくる、何とも魅惑的なお誘いだろうか。
「えっと……いいの?」
時間はまだ18時にもなっていない。
1時間くらいならクロコも怒らないだろう。
「うん……それにほらっ! こう君が朝言っていた膝枕、まだできていないから!」
「それならお言葉に甘えてお邪魔しようかな」
断られると予想していたのか、美海は『ぱあっ』と顔を輝かせた。
さらに『うん!』と元気な返事を戻して、玄関の鍵を開錠させた。
「どうぞ、上がって!」
「お邪魔します――」
美海が用意してくれたスリッパに履き替え、美海より先にうがい手洗いを済ませる。
それから、美海の指示で先にリビングへ移動する。
心の中で再度『お邪魔します』そう呟き、リビングの中へと進む。
約半年前と変わらない家具の配置に、どこか懐かしさを感じた。
これまで美海の家に来たことは何度もある。
だが、リビングまで通されたのはこれで4回目となる。
初めは6月のカレー作り。そして公園で過去を打ち明けた帰り道。
3回目は7月。美海が部屋に引き籠った時だ。
あとは、上がる理由もなく、僕も遠慮していた為に玄関の内側までが常だった。
だから懐かしさを覚えつつ部屋を見回していた。
当然だけれど、部屋の中は美海、それに美空さんの匂いで溢れている。
相変わらず、鼻翼をくすぐる良い匂いだ。
美人姉妹の住む部屋、これまでも特に意識しないよう心がけていた。
けれど、感情が豊かとなり、さらには彼氏として好きな人の家に上がっている。
そんな特別感を自覚してしまい、今さらながら妙な緊張感が襲ってきた。
「ふふ、こう君ったら前と一緒。座っていてって言ったのに、立ち止まっている」
「いや、なんか……今さらだけど、美空さんの許可とかって平気?」
「大丈夫だよ。連絡も入れたし、それにお姉ちゃんはこう君ならいつでも上げていいって言ってくれているから」
「そっか、それなら平気か」
「うん! それよりお茶入れるから、こう君は先にソファに座っていてね」
「あ、うん。ありがとう。でも、おかまいなく――」
「ふふっ、変なこう君」
僕を見てクスクスと笑う美海から視線を外し、首を掻きながらソファへと着席する。
そうだな、凄く――――――緊張している。
場所が変わるだけで、こんなにも違うのか。
不思議だ。
いつもより背筋が伸びて、姿勢だって綺麗だ。
僕が緊張していることは、間違いなく美海に気付かれているだろう。
揶揄われる事間違いなし。
むしろ緊張をほぐす為にも揶揄ってほしいとさえ思う。
「お待たせしました――」
美海はそう言って、目の前のローテーブルにゆらゆらと湯気が立ち昇るお茶を置いてくれた。
色合いから判断するに、ほうじ茶だろうか。
ありがたい、緊張を紛らわせるのにもちょうどいい。
そう考えつつ、お礼を言って手を伸ばす。
「いただきま――――あつっ」
そりゃそうだ、湯気が立っているのだから熱いに決まっている。
それなのに、注意を払わず飲めば熱いに決まっている。
「わ!? こう君大丈夫!? 舌とか火傷してない? 平気?」
「あ、うん。そこまでじゃないから大丈夫。平気だよ」
「それならいいんだけど……ねぇ、こう君? もしかしてだけど緊張しているの?」
「まあ、そうだね。正直に言うなら、もの凄く緊張していたかな」
「緊張していた? 今は平気ってこと?」
熱に与えられた衝撃のおかげで、少し緊張が解れた。
怪我の功名ってやつだな。
「彼女の家に招待されたって考えたら、変に緊張しちゃってさ。でも、ほうじ茶のおかげで少し落ち着けたからもう大丈夫」
「いつも一緒にいるのに変なの。でも、こう君が緊張するの珍しいね?」
「そうなんだけど……なんかね?」
美海は何かを疑う様な、そうだな、尋問を始める顔付きになった。
「あ~や~し~い~?? 緊張した理由を包み隠さず正直に言ってください」
つい、目を逸らしてしまった僕を正す様に、美海は繋いでいた手を離し、両手で僕の頬を挟み、目を合わせる様に矯正した。
おそらく今の僕は、間抜けな顔を彼女に晒している情けない彼氏で間違いないだろう。
正直に話す、そんな意味を込めて美海の両手首を軽く握ると、間抜けな顔を少しまともな顔に戻すことが叶った。
「えっとですね……」
「はいですね?」
言うに恥ずかしいなあ、僕の頭の中はそんな思いで一杯だ。
僕は美海に言った通り、美海に対して何一つと不満を抱いていない。
好きな人と思いが通じ、普段一緒にいられるだけで毎日幸せを感じているから。
けれども――。そう思っていたのに――。
人間とは強欲な生き物だと自覚してしまう。
順平と交わした会話で、
強欲にも自分が欲求不満に陥っていると自覚してしまったのだ。
「そのですね……最後にしてから1カ月近く経っている訳でして」
あ、美海の顔が急激な勢いで赤く染まっている。
「それって…………キスのこと?」
冬休みが明けてからは、美海が僕の家に上がることもなかった。
美波は年末年始と一緒にいたから、お泊り会が開かれることもなかった。
交際1カ月記念も放課後に駅前デートを楽しみ、その後送迎して解散した。
故にタイミングがなかったのだ。
「ええ、その通りです。だからその……多分、期待してしまい、その結果、急に恥ずかしくなり緊張したのかと」
すんっごく、恨めしそうな顔をして睨んでくる。
その理由は、美海自身も意識してしまい恥しい思いにさせられたからだろう。
「こう君の男の子な部分が知れて嬉しいけどっ! なんか……なんかだよ!! 私が誘ったみたいで……はしたない子みたいで……恥ずかしい……」
そうだよな――美海はきっと、一緒にいたい。
その思いだけで家に上げてくれたのだ。
それなのに、僕は浅ましくも期待してしまった。
自分の愚かさを猛省しなければ。
「美海が恥ずかしがる事は何もないよ。でも――なんか……ごめん」
何て軽い謝罪だろうか。自分で言ってそう思ってしまった。
「ううん、いいの。私が正直にって言ったから。それに――私も多分、どこかで少し期待……していたと思う。だから……だからおあいこっ!」
律儀な美海は、僕に言わせただけでなく、自分の気持ちも正直に教えてくれた。
けれども、恥ずかしい思いが限界を超えてしまったのか、美海は僕の胸の中に顔を隠す結果となった。
今の状態で目を合わせるには僕も恥ずかしかったから、僕としてもありがたい。
下へ視線を向けると、真っ赤に染まる美海の耳が見えた。
僕は赤面していないが、代わりに心臓がバクバクしている。
きっと、激しい心音は美海に聴かれているだろう。
だが、僕は開き直り、激しい心音を落ち着かせる為に美海の頭を撫でさせてもらう。
撫で心地の良い美海の髪は僕の精神安定剤かもしれない。
暫し――堪能させてもらい、心音が落ち着いてきたタイミング。
美海が顔を上げ、目を合わせてくる。
「…………する?」
僕の服をギュッと握りしめる手、上目遣い、うるっと湿らせた瞳、上気させた頬。
ああ、なんて、とんでもない。
瞬く間に陥落させる最強の組み合わせだろうか。
「…………する」
僕がそう返事を戻すと、美海は体勢を整え、目を合わせ直してからゆっくりと、目を瞑った――――。
▽△▽
多分5分くらい……いや、ほうじ茶が冷たくなっていたから、もう少し時間が経過していたかもしれない。
時間を忘れた僕と美海は約1か月ぶりの逢瀬を繰り返した。
おかげで膝枕してもらう時間がなくなってしまったが、それ以上に、最高を超える息抜きとなった。
息が苦しくなる時間もあったが、息抜きになった。うん――。
「じゃあ、美海。今日はありがとう。帰ったら連絡するね」
「……1時間って、あっと言う間なんだね」
『お姉ちゃん、今帰っても平気かな?』と。
美空さんから美海に届いたメッセージのおかげで、僕と美海は時間を思い出せた。
5分くらい、それは大袈裟か。
けれど、10分や20分くらいかな、そう思ったのに、1時間近く経過していた。
まさに浦島太郎になった気分だった。
というか、1時間も美海を求めてしまった自分が自分じゃないみたいで恐ろしい。
「まあ……そうだね、不思議だね」
「うん……」
「美空さんにもよろしく言っておいてね」
部屋に上がる許可をくれたこと。
気を使い、2人の時間を作ってくれたこと。
感謝してもしきれない配慮だ。
そう思っていたら、美空さんが帰ってきた。
「ただいま――って、ごめん。ちょっと早かったかしら?」
「いえ、もう帰るところでしたので。今日はお邪魔しました」
「お姉ちゃん、お帰りなさい」
「うん、ただいま美海ちゃん。郡くんも、気にせずいつでも来ていいからね? それより、私こそお邪魔じゃない? お姉ちゃん、美緒ちゃんのところ行ってようか?」
美緒さんなら、構わないと言ってくれるかもしれない。
だが、さすがにそれは迷惑になる。
後期末試験は来週に迫っており、教師は多忙を極めていることだろう。
優しさに甘えることは悪いことではないが、圧し掛かる訳にはいかない。
「いえ、充分な時間をもらえましたし、クロコも待っています。帰ったら勉強もしないとなので、今日はこの辺で失礼します」
僕の気のせい、見間違い。
そう思えるくらいの一瞬だけ、姉妹揃って表情を硬くさせた。
「何か気に障ること言ってしまいましたか?」
「え、あ、違うの。郡くんは、お勉強頑張っているんだなぁって思っただけ。シフトはいつでも相談に乗るから気にせず言ってね?」
「ええ、ありがとうございます。美海は? 何か気になった?」
「えっとね、朝も伝えたけど……うん――。1位とってねって言ったけど、無理はしないでね?」
なるほど、美海が気にしている正体はこれか。
そのお願いが、僕の重荷となっている。美海はそれを心配しているのだろう。
ただな、何というか――心配は掛けたくないが、俄然やる気が湧いた気がする。
絶対に1位を維持する。
僕の中で、たった今、そう覚悟を決めさせた。
要は、美海に期待されていないことが悔しかったのだ。
心配してくれることは嬉しい。
でもそれ以上に寂しかった。
だからそれを裏切りたい。僕ならできる。約束は守る。格好良い所を見せたい。
僕にそう決心させた。
「分かった。絶対に1位とるから」
宣言した僕に驚く姉妹へ別れを告げ、やる気を漲らせながら帰路に就いたのだ。
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