第280話 先輩にお肉を焼きました
「つかよ、八千代と会えたカフェにいた店長さん……やばくね?」
「僕の義姉さんですから、下世話な話は聞きたくないですね」
「は!? 姉!??」
「ええ、だから手を出さないで下さいね」
美空さんがその気なら構わないが、横塚先輩みたいな人はタイプじゃないだろうしな。
あと、正式には将来の義姉さんだけど――まあ、別にいいだろう。
「似てねー……。とびきり可愛い彼女がいて、その上、美人姉妹にサンドされるお前が憎い。俺は心底お前が憎い。たった今、そう思った」
美波のおかげで嫉妬される事には慣れている。
美海やその他さまざまな人のおかげで、鍛えられもした。
だから怨念がましい目を向けてくる横塚先輩など気にせず無視する。
僕は今、忙しいのだ。
「今さらだけど、なんか悪かったな? 急に誘ったりして」
本当に今さらだ。
それに謝罪するなら、今しがたの発言を取り消してもらいたい。
「いえ――どうなったのか僕も気になっていましたから――」
皮の面を網に乗せカリカリになるまで焼き、きつね色になったら裏返す。
裏返した側の脂の部分は、焼き過ぎると溶けて小さくなってしまうから、さっと焼くだけだ。
横塚先輩へ返事を戻してから、丁寧に育てたホルモンを頬張る――――うん。美味しい。
「お前がそう言うならいいけどよ――つか、八千代お前、焼き肉奉行なのな?」
「ご自身で焼きたかったですか? 一応、先輩に気を使ったつもりなのですが」
お礼と言って焼き肉をご馳走してくれているのだ。
せめて、後輩としてこれくらいはしてもいいだろう。
そう考えて僕は以前の美緒さんばりにトングを放さなかった。
「いや、そう言う訳じゃねーけど。どっちかつーと、加減が分からねーから焼いてくれた方が助かる。レアでもないし焼き過ぎてもいない、お前が焼いた肉はちょうどいい感じだしな」
「それなら良かったです。横塚先輩はホルモン苦手なんですね?」
「ああ、噛み切るの大変だし、味も美味しさもよく分かんねーから。でも……美味そうだな」
「試しに一つ食べてみますか?」
無理強いはよくないけど、興味を示したなら勧めてもいいだろう。
コクッと頷いた横塚先輩の為に、網の上にホルモンを乗せる。
「でも、よかったですね」
「まあな………………(ありがとよ)」
横塚先輩は、人差し指で頬を掻きながらボソッと礼を伝えてきた。
これまでの関係性もあり、素直に伝えるには恥ずかしかったのだろう。
お礼ならハッキリ伝えた方がいい。生意気な後輩らしく、そう苦言を呈してもいいのだが。
焼肉屋に入ってすぐ、礼は伝えられている。
それにご馳走すると言ってくれている。
だから、肉の焼ける音や煙にかき消された声を、改めさせる必要もない。
「いつから働くのですか?」
「来月の頭からだ」
「すぐなんですね」
「ああ、3年は自由登校になるからな。丁度よかった――」
2月に入ると3年生は自宅学習期間となる。卒業式や、その予行演習以外は自由登校になるから、横塚先輩はそのことを言っているのだろう。
「言っておきますけど、美海や妹に触れないで下さいね」
「わーってるよ! 恩を仇で返したりしねーって」
「大須賀さんに念押しをしたいくらいですから」
「信用ねーな」
「大須賀さんに迷惑となるから言いませんが、本当は接触禁止令を出したいくらいですよ?」
「どんだけだよ! 八千代お前、俺にほんと遠慮ねーよな?」
「した方がいいですか?」
「いや――気持ち悪いから今のままでいいや。自業自得だし、しゃーないからな。いや――大須賀さんを紹介してくれたんだ、お前に迷惑はかけねーよ」
元樹先輩、そして横塚先輩本人から聞かされた話を簡単に言えば――。
横塚先輩は、亡くなってしまった叔父さんの影響で美容師を目指している。
そして僕もお世話になっている美容師の大須賀さんは、結構有名な美容師さんらしく、横塚先輩は憧れていると。
だから大須賀さんの経営するお店で働きたいが、お店の募集要項には、指定する専門学校を卒業した者に限定するとされている。
近道などせず進学すればいいと思うけれど、横塚先輩の家には経済的余裕がない。
奨学金を借りれば進学はできたが、複雑な家庭事情があり断念することになったと。
僕が手を貸す義理などないけど――と思ったが、大須賀さんもアシスタントを探していると言っていた。
横塚先輩にアシスタント能力を有しているかは不明だ。
だが、偶然というタイミングが重なった。これも何かの縁かもしれない。
だから髪を切るついでに、大須賀さんには本当に申し訳ないと思いつつ相談をしてみた。
その結果、今日の朝8時に大須賀さんの元へ横塚先輩を連れて行ったという訳だ。
僕は繋ぎ役に過ぎなかった為、すぐに帰宅したら2人の間でどんな話合いが行われたか分からない。
けれど、条件付きで働けるようになったと、横塚先輩から報告された。
僕が知るのはそれで十分だ。
あとで、大須賀さんにお礼を言って、この話はお終いだ――。
「――と、はい。焼けましたよ」
「おう、サンキュ! どれ、いただきます――と」
元樹先輩はあまり噛まず、掻き込み入れる様に食べるけど、横塚先輩はよく噛んで飲みこむ。
食事するだけで、その人の性格が分かったりもするから面白い。
飲みこんだのを確認してから感想を聞いてみる。
「どうですか?」
「……うめーな。前に食べた時とぜんぜん違う……ちゃんと噛めたし、臭くもなかった」
「もしかしたら、以前召し上がった時は焼き足りなかったのかもしれませんね。お腹を下したりしませんでした?」
「そうなのか…………あ、いや、腹は平気だった」
本当に下していたら、病院に運ばれていてもおかしくないからな。
特に豚のレバーは危険だ。
もう少し食べたいと言った横塚先輩の為に、お代わりホルモンをコロコロ焼いていると。
「焼肉まで上手に焼けて、八千代って器用だよな」
「僕は不器用ですよ。器用な人と言うのは、本宮先輩を差す言葉だと思います。焼肉に関しては、前期末試験並びに体育祭の報酬で得たお金で焼肉に行った時に、古町先生に焼き方のコツを教えてもらったんです」
あの時は、お腹がいっぱいでホルモンまで辿り着けなかった。
だからホルモンの焼き方については、お肉屋さんが提供している動画を見て勉強した。
見ておいてよかった、そう思っている。
今度、美海やみんなと来られたら是非焼いてあげたい。
「まー、確かに
首を縦に頷き、全力で肯定しておく。
「八千代は後期末試験も1位を狙うのか?」
「そのつもりです」
「いいことだけどよ。騎士特権があるなら、他の生徒に譲ってやってもいいんじゃね?」
「その言い方ですと、また1位特権が付与されるのですか?」
「知らんが、
横塚先輩の言う通りだ。本宮兄妹なら実施するだろう。
お祭り大好きな2人が、中止させるだけの理由もない。
「だとしても1位を狙います。美海に格好良い所を見せたいので」
「かー……熱々なこって。妬けちゃうね」
「焼肉だけに、ですね」
「つまんな。ドヤ顔がうざい。つか、なんでお前がモテんのかは不思議で仕方ない」
他人から好意的な目を向けられることは増えた。
だが、モテている実感はない。
けれどもだ、横塚先輩に言われるのは何となく癪に障った。
「そっくりそのままお返しします」
そう言い返すと同時にホルモンを裏返す。
「おう、おう、言うねー。お前みたいな生意気な奴は、2年になって苦しめばいい」
「恩人に向かって酷いこと言いますね。でも、やっぱり大変ですか?」
「真面目な話しすっと――選択科目が増えるから当然大変になる。それでいてお前は騎士団長ときた。つまり学校行事の企画、運営側になる。んで、お前はバイトもしてる。大変な未来しか想像できねーな」
生徒会役員でもありバイトもしていた横塚先輩の言葉だからこそ、この言葉には重みがある。
僕は今現在でも、結構アップアップしているのだ。
母さんからは、手伝いを継続してほしいと言われているが――考え直した方がいいかもしれない。
後で電話して相談だな。
「今日一番、参考になりました。ありがとうございます」
「お前、ほんとかわいくねーな!?」
「ありがとうございます」
「褒めてねーよ!!」
男に可愛いと言われても嬉しくはないからな、だからお礼を言ったまでだ。
「あ、でも元樹から聞いたけど、バイトは辞めるんだって?」
「辞めませんけど?」
何をどうなったらそんな突飛な話になるのか。
バイトを辞める話など、元樹先輩に一言だって話していない。
「真弓と八千代がバイトを辞めるどうこう話し合っていたとか言っていたけど――んだよ、ガセか。つか、真弓ってバイトしてたのか?」
ごめんなさい、元樹先輩。僕が間違えていました。
本宮先輩のノリに合わせて、目の前で言っていました。
「アオハル実行委員のことです。本宮先輩が実行委員は暇つぶしのアルバイトみたいなものだと言っていたんですよ。それに僕も合わせて話していただけです」
「なるほどな」
「ええ――と、はい。焼けましたので、どうぞ」
「おう、さんきゅ」
「まだ食べます? 食べるなら網の交換をお願いしようと思いますけど」
「いや、充分だ。ありがとよ――」
最後に注文していた一人前のホルモンを2人で食べ終えると、横塚先輩はデザートも食べていいと言ってくれたが、お腹が一杯だったので遠慮した。
焼肉屋を後にして解散と思ったが、横塚先輩は自転車で駅前に来たと言っていた。
その場所は帰路の途中にあるので、
食後の運動がてら横塚先輩を駐輪場まで送り、別れを済ませる――。
「んー……早い方がいいよな」
1年で一番寒い日でもある
それに満腹で眠気にも襲われている。
早く暖かい我が家に帰りたい思いで一杯だが、お世話になったお礼は早い方がいい。
そう考え、大須賀さんに電話する。
横塚先輩の件で直接お礼を伝えたかったが、営業時間間際に押し掛けるのは逆に迷惑だと考慮して、次回髪を切ってもらう時にもう一度伝える。
お礼の品もその時でいいかな――と考えを決めつつ、もう一本電話を掛ける。
『――あ、母さん。今って忙しい?』
『大丈夫よ。何かあった?』
『何かあったとかじゃないんだけど、先輩に聞いた話だとやっぱり2年になると勉強が大変になるみたいで』
『そう――残念だけれど、仕方ないわね。学業を優先してちょうだい。いつまで働けそう?』
『テスト期間だけ休ませてもらえれば、3月いっぱいくらいなら大丈夫だと思う』
『繁忙期だから助かるわ。メモするからちょっと待ってね。今、手帳を――と。それで、テストはいつなの?』
『2月14日から20日まで』
『それなら10日から20日……21日まで休みにしましょうか。21日は水曜日で定休日だし、それに……一周忌、でもあるから』
父さんが
予め分かっていたことだが、改めて言葉にしたことで、どこか重たい空気が流れてしまう。
『……あっと言う間の濃い1年だった』
『そうね――悪いことばかりが起きた年でもなかったから、捨てた年でもなかったわね』
『別れと出会いの年……まあ、救われた年でもあったかな』
『ふふ――。この話はまた今度にしましょう。ええと、郡は3月末日まで――』
『あ、母さん。31日は美海の誕生日だから、その日まではちょっと』
『あら、そうなの? それなら母さんも何か考えておかないといけないわね。でも、それならそうね……25日の月曜までお願いしようかしら――』
当然のように美海へ誕生日プレゼントを計画する母さんに対して、突っ込みたい気持ちを我慢。そして、ついでに2月から始まる三者面談、その日程が確定したことを知らせてから、通話を終了させた。
2年生から使用する学生証の撮影。後期末考査。父さんの一周忌。進路を決める三者面談。月末に卒業式の予行演習――と。
2月はいろいろと忙しくなりそうだ。
冬になったばかりの様な感覚もあるけど、段々と春が近づいてくる様な、そんな妙な感覚でもある――。
ふと、後ろへ振り返ってみた。
名花高校が組み込まれている商業ビルが見える。
時間は21時を過ぎている為、学校はもちろん、閉まっている店も多い。
そのせいか、窓から漏れる明かりは
大寒の空気と疎らな光が、何となく感傷的な気分にさせた。
けれども、駅前ということもあり、疎らな光の方からは賑やかな声も響いている。
明るく陽気な声のせいだろう。
不思議とどこか――期待が膨らむ様な、矛盾した気持ちを自覚した。
この気持ちをどう表現していいのか分からないが、今は無性に美海の声が聞きたい。
『美海? 声が聞きたくて電話しちゃったけど、今は平気?』
『こう君ならいつでも平気! それに、私もこう君の声を聞きたいと思っていたの』
立て続けに電話しているせいで、手が冷たい。痛いくらいだ。けれど。
美海と美空さん、莉子さん、美緒さんの4人ですき焼きを食べたと、明るい声で話す美海に癒してもらえた。
早く明日会いたいな、そう思いながら家路へと就き、長い1日が終了となった。
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