第279話 何かの勘違いであってほしい

「――名花高校副理事長”本宮錦”と087騎士団長”八千代郡”、両名による話合いは以上を持って終了といたします。初代四姫花夏姫”桔梗”こと私、上近江美空が立会人として見届けました」


「桔梗殿、場所の提供そして立ち合い役を引き受けてくれてありがとう」


 私に向かって桔梗と呼ぶ人は、学生の頃なら何人もいた。

 けど、名花高校を卒業してから数年も経てばほとんどいなくなった。

 身近な人で言えば、里ちゃんとお酒の入った美緒ちゃんが思い出話もしくは、冗談として話すくらいが精々だ。


 けれども、本宮錦に限っては違う。

 毎週土曜日、夕方17時に決まって来店する常連客。

 そして会計時に決まって『ごちそうさま』『また来週くるよ』『桔梗殿の顔を見にね』と、言葉を残し去って行く。


 初めは、その名で呼ぶなと言って拒絶していた。

 ついで言うなら、心の中で『二度と来るな』と、舌を出してもいた。

 でもこの男は、今も見せている表情を浮かべるだけ。

 だから、拒絶するのも面倒になり諦めてしまった。


 余裕を思わせる笑みを浮かばせ、飄々とした様子で礼を言う姿は昔と何も変わらない。

 どれだけ自分に不都合なことが起きようと、全てにおいてプラスに考え、全力で楽しもうとする快楽主義者。


 自分に都合の良い様に解釈する本宮錦に対しての返事などこれで充分だ。


「お客様の為ではありません。私の大切な郡くんおとうとの頼みだからです。ですから、礼は不要です」


「ははは――怒気を含ませた表情だとしても、桔梗の花の美しさは変わらない。むしろその刺々しさが美しさに磨きをかける。私などでは高嶺の花を手に入れることは叶わないが、観賞できるだけでも毎週通う楽しみがあるというもの。故に、言い方を変え、伝えさせてもらおうか――。桔梗殿、私の目に潤いを与えてくれてありがとう」


 ああ言えばこう言う――こんなのは日常茶飯事。

 長い付き合いのせいか、鳥肌が立つことすらなくなってしまった。


 嫌な慣れだ。


「お会計はカードでよろしいでしょうか?」

「まだ時間はあると思ったが?」


 先週の土曜日のことだ。

 郡くんを通して、この男は場所の提供を求めてきた。

 現存する負の遺産でもある校則『夏のタイツ着用を禁止する』。

 その話合いをするから17時から閉店までの3時間を貸し切りにしてくれと。


 私立ち合いの元、話し合いは雑談を含め約1時間で終了した。

 つまり、残り2時間残されている。

 けれど2時間もの間、本宮錦の相手をするのは郡くんには荷が重い。


「副理事長という肩書をお持ちだけでなく、実業家ともなれば、さぞお忙しいのはないのでしょうか?」


「ご推察の通りだよ。だが、妹も一目置く騎士団長殿そして桔梗殿の為ならば、私はいくらでも都合するさ」


「その……美空さん、巻き込んでしまってすみませんでした……」


「気にしなくていいのよ、郡くん。悪いのは全てこちらのお客様なのだから」


「はは、諸悪の根源みたいな扱いはさすがの私でも傷付いたな」


 やれやれ――と。如何にもといった大仰な仕草を取りつつ、心にもない事を言ってのける。

 本宮錦という男は呼吸するかのように平然と嘘を吐く。


「気を取り直そうか。桔梗殿、コーヒーのお代わりをお願いしても?」


 店を3時間貸し切りにする対価として、事前にお金を受け取っている。

 そのため、どれだけ嫌だと言っても、問題を起こさない限りは追い払うことも難しい。

 一層の事、歯の浮く様なセリフで口説いてくる。

 それが精神的な苦痛。

 そんな言い掛かりをつけて出禁にしてしまおうか。


 乱暴な考えが浮かんでしまったけど、負けた気分になりそうだから思い留まる。

 だから、要求に応じて、コーヒーのお代わりを用意しようと腰を浮かせた時だ。


「錦さん、時間です」

「騎士団長殿と話せる機会などそうはない――」

「だめです」

「せっかくの機会だ。彼には他にもいろいろ訊いてみたいことが――」

「ダメです」

「30分、いや10分くらいなら――」

「駄目です。すでに先方がお待ちです」


「「…………」」


「はあぁ……仕方ない。雪美ゆきみ殿は車をお願いします」


「すでにご用意してございます。支払いも事前に済ませております。後は、その重い腰を上げ、足を一歩踏み出し外へ出るだけです。さ、急ぎましょう」


 駄々を捏ねる本宮錦に対して、毅然とした対応を取り続ける雪美。

 雪美は私や美緒ちゃんの後輩だけど、本宮錦とは面識がなかった筈。

 それなのに2人並んで、しかも本宮錦の秘書として現れた時は驚かされた。


「やれやれ、忙しいのも考え物だね。では、騎士団長殿――秋の文化祭を楽しみにしているよ」


「はい、本日はお時間ありがとうございました」


「桔梗殿もまた会おう。妹君であられる第四代目四姫花夏姫”向日葵”殿にもよろしく伝えておいてくれ」


「お生憎様で、私の大切な妹はキッチン専任ですので。雪美もまたね。今度ゆっくり話そう」


 雪美は返事を戻さず、首を横に振り、そして深く頭を下げてから本宮錦と共に去って行った。


(あの子、まだ気にしているのね)


 囚われる必要なんてないのに。

 ショートヘアがトレードマークだったのに、今は私よりも長くなっていた。

 そのせいか、幼さも抜け、凄く綺麗な大人の女性へとなっていた。

 でも、堅く生真面目で自分にも他者にも厳しい性格は変わっていないのかもしれない。


 あの子もいつか、自分を許せる日が来るといいけど――。


「美空さん、今日は無理を言ってすみませんでした」


「本当だよ、まったく――って! 言いたいけど、あの変な校則を無くす為だもんね。だから仕方ない。そう、思い込むからこの話はおしまい!」


 郡くんが本宮錦と交わした約束。

 それは――。夏のタイツ着用を禁止する校則の撤廃。

 その代わりとして、秋に行われる文化祭で仮称”美脚コンテスト”を開催することだ。


 郡くんの口からとんでもない単語が出た瞬間、

 立会人として話を聞いていた私は軽いパニックに陥った。

 美海ちゃんの肌を見せたくないから校則の撤廃を求めているのに、

 どうして反対の方へ進んで行くのかと。


 けれど、話を聞いて納得した。

 要は、本宮真弓ちゃんを輝かせる場を用意する。郡くんはそう言ったのだ。


 真弓ちゃん本人にも出場依頼を済ませているから、

 本宮錦の許可さえ得れば、後は秋に向けて計画を煮詰めていくだけ――と。

 本宮錦は一つ条件を提示して、それを呑むなら許可するといったものだ。


「はい――ありがとうございます。僕自身……まあ、傷を負いましたが」


『騎士団長殿も出場すること』。それが郡くんの傷であり、提示された条件だ。


「今から入念に準備しないとだね。お姉さんがケアの仕方教えてあげるからね?」


「……ええ……そうですね……」


 心底ごめんだ。郡くんはそんな表情をしている。


「おかげで思う存分、夏に美海ちゃんと制服デートができるんだから頑張らないと」


「致し方ありませんね――」


 と、言いつつ、郡くんは想像でもしているのか、僅かに頬を緩ませた。

 作る表情には、まだまだ硬い部分はあるけれど。

 それでも最近の郡くんは本当に可愛い。

 いろいろな表情を見せてくれるから。


「ふふ、本当に嬉しそうな顔しちゃって。ご馳走様です」


「美空さんも一緒に出掛けましょうね」


「あら、郡くんは私の学生服姿を見たいのかな? 私にコスプレをしろと?」


「そうですね……美空さんならまだまだお似合いになるかと思いますよ?」


 私自身、中々似合うとは思っている。

 でも、年齢を考えたらさすがにちょっと厳しい。

 家の中で着る分にはいいけど、外は絶対に歩きたくない。


「ふふふ、制服で出歩くのは無理だけど、バニーガールと一緒に考えておこうかしらね」


「俄然やる気が湧いてきました」


「鬼ムッツリなんだから」


「冗談ですから鬼ムッツリではないです。まあ、美海のバニーガールは見てみたい気もしますが」


 言っていて気付かないのかな。それは十分に鬼ムッツリだということに。


「美海ちゃんに一筋なことはいいことだね。でも私や美緒ちゃんには興味がないと?」


「美空さんや美緒さんはちょっと」


「なに? まさか似合わないって言いたいの?」


 決めた――もしも似合わないとか、年齢が……とか言ったならば。

 郡くんが1位を逃したとしても絶対に着てやる。

 そして、顔を赤く染めるまで揶揄ってあげる。


 私のちっぽけなプライドが、そう思わせたのだけれど。

 郡くんは全く反対の理由を告げてきた。


「いえ……その、少し刺激的というか煽情的というか、何と言うか……」


「もう……そんなに恥ずかしそうにされたら、私まで恥しくなっちゃうでしょう!」


 目を泳がせながら素直に白状する郡くんに釣られ、恥ずかしくなってしまった。

 その恥ずかしさを誤魔化す様に、鬼ムッツリさんにはキッチンにいる美海ちゃんと莉子ちゃんの元へ、店仕舞いすることを伝えに遣いを出す。


 かなり早いけど、たまにはいいよね。先週から貸し切りの案内は出していた訳だし。

 それで、みんなでご飯にでも行こうかしら。


 私がそう考えて、郡くんが私に背を向けた時。

 お店の扉が開き『チリン、チリ~ン』と鈴の音が店内に響いた。


 入って来たのは高校生もしくは大学生くらいの男の子が1人。

 昼間にも一度来ている子だ。店内に視線を彷徨わせている。

 今日は特に見ていないけど落とし物か何かかな?


 もしくは、お店が気に入ってくれたとか。

 それなら、残念だけどご飯を諦めてお仕事継続かな。


「いらっしゃいませ。お客様、何か――」


 ――お探しでしょうか?

 と、言葉を続けようとしたけれど、郡くんによって遮られてしまった。


「横塚先輩?」


「あー、八千代。やっと見つけた。朝、連絡先聞いておくんだった」


「何かありました?」


「いや、朝の報告がてら……その、なんだ。礼がしたくて。だから、ついでに時間があればメシでもおごる――って、言いたかったけど忙しいか?」


 郡くんは私へ視線を向けてきた。おそらく、送迎を気にしているのだろう。

 でも郡くんのシフトは土曜日が休みだ。


 そのため、元々送迎は無いのだから普段と何も変わらない。

 美海ちゃんという可愛い彼女ができたのだから、


 女性の知り合いばかり増やすのではなく、郡くんには男性との友好も築いてもらいたい。


「今日は時間も早いし大丈夫だよ」


 私がそう言うと、郡くんはキッチンにいる2人へ挨拶してから、横塚くんと一緒に店から去って行った。


 それから、美海ちゃんと莉子ちゃんに横塚くんのことを聞いてみたのだけれど。

 なんでも横塚くんは、美海ちゃんに振られている人で、騎士にしろと迫った人。そして、あーちゃんに対して不遜な態度を取った人。文化祭で、土壇場に裏切った人だと莉子ちゃんが饒舌に教えてくれた。


 もう、気を使って郡くんを送り出したことを後悔した。


「失敗したな……それなら、郡くんは先約済みですって言えばよかったな」


「私もこう君とご飯食べたかったけど……まぁ、それは置いておいて。多分今の横塚先輩なら大丈夫だと思うよ」


「そうなの?」


「私も詳しくは聞かなかったから細かいことは分からないけど、仲直りは済んでいるみたいだから。こう君が許したなら、それはもう問題じゃないってことだと思う」


「なんでしょうか……莉子は今とっても惨めな気分です。久しぶりにミジンコ以下の存在価値が莉子なのか――って、気分となりました」


 うん、まあ……口は禍の元でもあるかな。

 聞いた私が悪いんだけど、他人の失敗談とかは饒舌に話すことじゃないね。


「莉子ちゃん? 何か食べたいご飯とかある? 今日はお姉さんがご馳走しちゃうよ。お時間あれば、3人でご飯食べにいきましょう」


 現金なもので、一瞬のうちに復活した莉子ちゃんは、嬉しいことに私お手製のすき焼きをリクエストした。


 それから手早く掃除を済ませ、ちょっとお高い牛肉を購入してから帰路に就いた。

 途中、美緒ちゃんも合流して楽しく和やかな食事会となった。けれど――。


 夜、21時を過ぎた時間に莉子ちゃんと美緒ちゃんが帰宅した。

 そして、そのタイミングで郡くんから電話が掛かってきて、美海ちゃんは嬉しそうに部屋へ駈け込んで行った。


 その5分後だ、美海ちゃんが部屋から慌てて飛び出してきた。

 その理由は、美波ちゃんから美海ちゃんに届いた一通のメッセージが原因だ。


 その内容が私と美海ちゃんに並々ならぬ衝撃を与えた。


「お姉ちゃん!? どうしよう……こう君が――」

「落ち着いて美海ちゃん。まだ絶対ではないわ。だから――」


 ――慎重に探りましょう。

 と。頭が真っ白になった私は、そう返事するだけで精一杯だった。

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