第277話 子猫を愛でました

 本宮先輩と元樹先輩、2人の先輩とアオハル実行委員会議を開いてから1週間近くが経つ今日は、本宮錦副理事との食事会の前日。

 1月19日の金曜日である。


 勝負の日の前日ということもあり、

 多少の緊張感を胸に抱くものの、普段と特別変わったことはない。

 だから今日も教室を覗いてから図書室へと向かう。

 そこまでは普段と同じ行動だったのだが。

 7階から6階まで階段で下りたところで、異なることが起きた。


「あっ、おはよう! こう君!」


 エレベーターの扉が開き、図書室にいる筈の美海が降りてきたのだ。

 偶然の遭遇、それだけで嬉しいと言うのに。

 美海は僕と目が合うと同時に表情を『パァッ』と明るくさせ、

 挨拶を送りながらトコトコと小走りで近寄ってきた。


(何この可愛い生き物)


 僕は内心でそう呟いた。

 小動物のような可愛さだとも思った。


 あまりにもの可愛さで、目が会うと同時に小さな耳と長くて綺麗な尻尾が一瞬にして現れた様に錯覚した。


「おはよう、美海。今日は遅かったんだね?」


「うん、ちょっとお姉ちゃんとね――んん、えへへ」


 美空さんと何だろうか、気になる所だが今の僕はどうしても。

 どうしても、この可愛い子猫の頭を撫でたい。

 その欲求へ赴くままに、僕は返事を戻しつつ目の前まで来た美海の頭を撫でたのだ。


 すると可愛い子猫こと美海は、これでもかってくらいに相好を崩し、さらに可愛くなってしまった。


 手に吸い付く様な感触。毛先まで指が引っ掛かることない髪質。

 絹の様に柔らかな髪は

 本当に撫で心地が良くて癒される。


 可愛い美海の髪を撫でる行為は、僕にとっていい事ばかりだというのに。

 美海からは嬉しそうに喉を鳴らす幻聴まで聞こえてくる。

 このままもっと撫でていたい、けれどその気持ちを我慢しながら撫でる手を止める。


『あ……』と、声を漏らす美海。

 どこか物足りなさそうな表情をしている。


 けど、僕が手を繋ぐとすぐにギュッと握り返し、嬉しそうな表情を見せてきた。

 嬉しい、その気持ちは僕も同じだ。


 だけど、これまで幾度となく手を繋いでいるのに、今も嬉しそうに頬を緩めてくれると、僕はもっと嬉しくなってしまう。


「……図書室行こっか」

「うんっ!」


 一歩進むと、美海は頭をすり寄せるように、近い距離を目一杯に縮めてきた。

 全身で『好き』を表現してくれる美海。

 朝からとんでもなく可愛いが溢れている。


 本音を言えば歩きにくいけど、そんなことは最早どうだっていい。

 寄せられてきた美海の頭に僕の頭を重ねて、

 もっと歩きにくい状況を作りながら廊下を進み歩く。


「こう君? このままだと鍵開けられないよ?」

「そうだね、困ったね」


「こう君がかわいすぎて困っちゃう」

「僕は美海がかわいすぎて困ってるけど?」


 重ねていた頭を正しい位置に戻す。

 代わりに視線を重ねると、美海はクスクスと笑った。


「変なこう君。今日はやけに甘えん坊さんだね?」

「そうかな? そんなことないと思うけど」


「5分くらいなら膝枕してあげられるなぁって、思ったけど?」

「今思い出したけど、今日の僕は美海お姉さんに甘えたい気分かもしれない」


 笑いながらも、どこか満更でもなさそうに『お姉さんに任せなさい』と美海は言って、胸を張っている。


 大人ぶり、お姉さん風を吹かせる美海もやはり可愛い。


 可愛いの連鎖が止まらないのは、美海の存在そのものが可愛いからだ。

 その可能性しかない。


 だが、美海が言ったように僕もどこかいつもと違っているのかもしれない。

 19日の今日は、やけに美海とくっついていたい気分だからな。


「先に本を――今日は全然ないみたい」


 美海のお仕事は返却本を元の本棚に戻すこと。

 それが今日は1冊も返却本がなかった為、お仕事はお休みとなった。


「それはラッキーだ」

「ふーん? どうしてラッキーなの?」


 答えなど分かっているだろうに、美海はイタズラな表情で聞いてきた。


「5分が7分くらいに伸びたからだよ」

「ふふふ、もう! 仕方ないなぁ――――はい! おいで」


 横になれるように、椅子を並べてから美海は着席した。

 そして膝をポンポンと叩き、僕をダメ人間の道へといざなってくれる――。


「どうですか?」


 初めは耳や頬に当たるスカートがヒンヤリしたが、その冷たさもどこか気持ちよく感じた。


 その理由は、美海の太ももから伝わる体温、それに僕の髪を撫でる手が心地良いからだ。

 目や頬を柔らかくさせ、僕を見下ろす美海の顔も理由の一つかもしれない。

 このまま美海に身を任せて、夢の世界へと旅立ちたい誘惑が襲ってきた。


 天上の如く心地良い時間。


 体育祭の時に膝枕をしてもらってから、僕は美海の膝枕の虜になっている。

 故に返答など決まっている。


『至福』。それ以外の答えなど見つからない。


「――至福です」

「ふふ、よかった」


「僕専用の枕だからね?」

「もちろんっ! でもその代わり、こう君の”左腕”は私専用だからね?」


「左腕だけなの?」


 何なら右腕や他も全て差し出したい。

 そう考えての返答だったが、甘えん坊な美波、もしくはクロコに配慮したから、美海は左腕を強調したのかもしれない。


「こう君の右腕の占有権はクロコと美波にあるでしょ?」


 予想は正しかった。

 そう思うと同時に、髪を撫でる手が僕の頬へと噛み付いてきた。

 僅かに痛みが走ったけどアフターケアは万全だ。

 噛み付いた直後に、頬を撫でる手が最高に気持ちよかったからな。


「……甘えさせてくれる人がいるっていいね」


 そう返事を戻しながら、頬を撫でる手も握ってしまう。


「私、今なんかダメかも。どうしよう……こう君が凄くかわいくて、さっきから胸のキュンが止まらないの」


「んー?」


「それ反則!」


「てことは、僕は何かペナルティを与えられるのかな?」


「えっと、何がいいかな? 甘やかしの刑とか?」


 これ以上どう甘やかすというのか。

 今より甘やかしてくれたら、ズブズブに堕ちてしまいそうだ。


「何て凶悪な罰なのか」


「ふふ、私抜きでは生きていけなくなるくらい甘やかしてあげるね?」


 まさに骨抜き、骨の髄まで沁み込ませようとする発言だ。

 だが、僕はすでに美海無しの人生など考えられない。

 つまりそれは、すでに陥っている状況でもある。


「最凶最高だね」


「もう、変な言葉作らないの。……こう君? 何かあった?」


「何もないよ」


「ほんとうに?」


 本当に何もない。

 ただ少し――3月……それと2月も当て嵌まるかな。

 この2カ月間は、僕にとって良くない事が起きている月なのだ。

 だから少し、不安になってしまった。


「本当に――でも、美海には話しておきたいかな。僕の話、聞いてもらってもいい?」


「うん、聞かせて」


「ありがとう。でも、今は時間がないから……そうだな、遅くなるけどバイトの後、美空さんを送ってから時間をもらってもいい?」


「分かった。お家で待ってる」


 小指で約束を結ぶ。それから名残惜しいけど、上体を起こして美海に改めて礼を伝えた。


「挨拶週間、今日で最後だよね?」

「そうだね。来週からは朝の勉強会に参加できると思うよ」

「そっか。それなら美波も喜ぶね。寂しがっていたから」


 今週の月曜日から始まった挨拶週間。

 朝の7時45分から1階と2階にある校門前に立ち、登校してくる生徒に挨拶を送る活動だ。


 基本的に僕は毎朝。

 そこに風騎士委員団のメンバーと、

 生徒会の亀田さん、広野入さんを加え、ローテーションで行っている。

 そして勉強会のメンバーは、僕と美海、美波、幸介、莉子さん、佐藤さん、国井さんと。


 ほとんどが風騎士委員団に所属している為、今週は美海と美波2人だけの時間が多かった。


「美海は違うの?」


 少しの時間でも僕と一緒にいたがる美海が寂しくない訳ない。

 そんな事は、普段なら聞かずとも当然に分かっている。


 それなのに――。


 無意識にそう聞き返してしまったという事は、

 美海の気持ちを言葉として確認したがったという事は、

 今の僕は自分で思っている以上に不安定なのかもしれない。


 そんな僕を思ってか、美海は返事を戻さず抱きしめる事で返事をくれた。

 さらに、僕を見上げながら小さく言った。


「……寂しいに決まっているでしょ」

「愚問ってやつだったかな?」


「ばか」


「――ありがとう。じゃ、今度こそ行ってくるね」

「いってらっしゃい。また後でね――」


 手を振り見送ってくれる美海へ背を向け、図書室を退室。

 そして校門へ移動する前に風騎士委員団室へと向かった。

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