第276話 美海は褒めてくれました

 幸か不幸か――。


 いや、僕には判断が難しい。

 だが昨年11月に、1年生3人が起こした通称”1128事件いいにーはいじけん”。

 その3人から話を聞き調書を取ったことで、人よりも詳しくなってしまった。


 また、僕は元樹先輩からも聞いている。

 つい先日、幸介や順平、優くんと勉強会を開いた時にも3人に聞いてみた。

 勉強の合間、軽い息抜き程度の気持ちで投げ掛けた質問だった。

 それが思いもよらぬ具合に白熱してしまい、

 もはや何の勉強会になったのか言葉にもしたくない。


 それらの結果によって、

 僕は人よりも脚フェティシズムの考えに詳しいと自信をもって言える。

 そして、そんな自信など絶対に他言しないことを、僕は自信をもって断言する。

 恥でしかないからな。


「――と言うことですので、目的が達成された後は、この脚フェティシズムの考えをまとめた資料は、アオハル実行委員会の解散と共に破棄して下さい。また、一切の他言も禁じます。写真等のデータに残すことも禁じます。お願いします――いえ、これは委員長八千代郡からの命令だ」


「いやはや――」


 本宮先輩ですら頬を引きつり言葉を失う程の資料だ。

 こんな物を作成したと知られたら軽蔑されるどころではない。

 女性陣から総スカンをくらうこと間違いない。

 だから、絶対の絶対に漏らしたくない。

 いや、漏らしてはならないのだ。


「いや、郡。あのさ――」

「駄目です。元樹先輩とて例外は認めません」

「でもよ? 捨てるには惜しいと……」


 目を半開きにして、元樹先輩へジッとした視線を送る。

 美海からジと目を向けられることが多いから、僕もジと目ができるようになってしまった。


 つり目がするジと目は、さぞ威圧感が発生しているに違いない。

 だからか、僕が放つ無言の圧力に元樹先輩はたじろいでいる。


「なんか……あれだな。その目で見られてっと、踏まれたい気持ちが湧いてくるな。郡はいい脚してたし」


 ドン引きだよ、元樹先輩。


 話合いの場所に喫茶店を選ばなくてよかった。

 本宮先輩が学校の使用許可を取って置いてくれてよかった。

 騎士団室を使用できたことで、誰に聞かれることもなかったからな。


 けれど――。


 貴方のすぐ横には、貴方が好意を寄せている本宮先輩がいるのですよ。

 それなのに、そんなことを言うなど……素直で正直者、裏表のない性格を持つ元樹先輩のことは好きです。


 が、もう少しだけ発言した後に起こる事を想像してもらいたい。


 目頭を押さえ、目を瞑る本宮先輩を見たら、そう思わずにはいられなかった。


「すまないが――私は必要か? 帰ってもいいだろうか?」


「駄目です。お願いします。帰らないで下さい」


 元樹先輩と2人切りになりたくないが為の、懇願に近いお願いかもしれない。


「しかし千代くん、卑猥な資料を見せられ、幼馴染の性癖を強制的に聞かされ……目や耳を通して脳を汚された私の身にもなってもらいたい」


「……お察しします」


「それにだよ――夏姫と騎士団長の砂糖振り撒くイチャイチャバカップル振りは、この三日間で名花高校の名物と化したけどね? どうして休みの日まで、しかも別の男性とイチャイチャしている所を見せられないといけないのか……堪ったものじゃないよ」


 始業式のあった水曜日から、昨日の金曜日まで、僕と美海はやらかしまくったからな。

 バカップルと呼ばれても致し方ない――が、僕は元樹先輩とイチャイチャなどしていない。


 断じて、否だ。全力否定だ。


「私はこれでも忙しい身でね、貴重な土曜日を潰すようなことはしたくないのだよ」


「……貴重なお時間を頂戴しありがとうございます」


「ふー……まぁ、いいさ。生意気な後輩ちよくんのしおらしい姿を見られたことで、多少の鬱積も晴れたからね。それで、千代くんはどうしてこんな資料を用意したんだい?」


 田村元生徒会長を含む3年生の先輩方から、生意気な後輩と呼ばれている本宮先輩。

 その本宮先輩から生意気な後輩呼ばわりされるのは、中々に堪える。

 それに資料とて、僕が好きで用意した訳じゃない。

 本宮錦もとみやにしき副理事長攻略の糸口と考えて用意した。ただ、それだけだ。


 誰が好き好んで脚フェティシズムの考えをまとめたりするものか。


「えっと、失礼ながら本宮先輩の兄、錦副理事は究極の脚フェチなのですよね?」


 本宮先輩は怪訝な表情を浮かべた。

 それから、口元へ運ばれる筈だったコーヒーの入ったカップを再度、テーブルへ置き直した。


「そうだけれど……あー、なるほど。これは、私がいけなかったね」


「それはどういった意味でしょうか?」


「失礼した。勘違いさせたようだ。兄は究極の脚フェチで間違いない。だが、それは『私の』と枕詞が付く」


 なるほど、女子高生の生足が見たいが為の校則ではなかったのか。

 けれど、まだ本宮先輩が幼い頃にその校則を制定させたことを考えたら、やはり副理事に対して抱く”予備軍”という評価が変わることはない。


 そして、僕が苦しみながらまとめた資料、その努力が無駄に終わったということだ。


「僕が言えたことではないですが、シスコンなのですね」


「本当に千代くんが言えたことではないね」


「ええ……。元樹先輩も巻き込んですみませんでした」


「あ? いや別に。真弓と郡の珍しい顔も見れたかんな。なんかそれだけで楽しかった」


 元樹先輩は『ニカッ』と眩しい笑顔をさせながらサムズアップした。

 おかげで、どこか毒気が抜かれた気がした。

 そしてもやが晴れたことで、新たな疑問が湧いた。


「でも、それなら校則にする必要がないのでは?」


「と言うと?」


「こう言ったなら何ですが、本宮先輩1人にだけタイツ着用を禁止すればいいのですから」


「もっともな疑問だ」


「ですよね。何か他に理由があるのですか?」


「自ら理由を語るに恥ずかしいけれど……兄は自慢したいのだよ。妹の脚が一番綺麗だってことを」


「…………」


 もはや黙ることしかできなかった。

 呆れて物が言えない。

 そして僕が黙ってしまった代わりに、元樹先輩が笑い声を上げた。


「はは、錦さんは頭いいのに、やっぱバカだな!! 別に同じ土俵? に揃えなくても真弓の脚が一番綺麗だってわかんのにな」


 それが答えか。タイツを禁止することはつまり、条件を揃えることに繋がる。

 元樹先輩の言葉を借りるなら、

 同じ土俵に立たせることで、強制的に比較させているのだろう。


 どうだ、妹の脚は素晴らしいだろ――って、具合に。


「――だそうですよ、本宮せんぱ、い……?」


 本宮先輩の頬が僅かに染まっている。これはもしや、もしかするのではないのだろうか。


「どうしたのですか本宮先輩?」


「その憎たらしい顔をやめたまえ」


「普段通りだと思うのですが……」


「つまり千代くんは存在が生意気ということか」


 それはいくら何でも――と、反論したいけど生意気な態度を取り続けて来たから、身から出たさびなのだろう。


「けどよ、真弓? 郡は生意気なところがかわいくないか?」


「良い様に捉えれば、そうなるね」


「だろ? そこが真弓とそっくりだ」


 全力で否定したいけれど、今はそれどころではない。

 どこか彼方へ目を逸らし、

 明らかに動揺した様子を見せている本宮先輩から目が離せないのだ。


「本宮先輩の弱点を見つけてしまった気がします」


「はぁ……口の減らない後輩だ」


「失礼しました。本宮先輩相手だと、つい」


「そもそも私そっくりに捻くれている千代くん。素直なもっくん。2人が放つ言葉に対して、どちらがスッと入り込んでくると思うか。女心の分からない鈍感な千代くんにも、分かるのではないかい?」


 本宮先輩の口から初めて『もっくん』が出た時ほどの衝撃はないが、未だに聞き慣れない。


「確かに……元樹先輩の言葉は何も疑わず、スッと入り込んできますね」


「そう言うことだよ」


「なんだ? 俺はディスられてんのか?」


「「褒めているんですよ(だよ)」


 本宮先輩と言葉が被ってしまったことで、僕ら2人には気まずい空気が流れる。

 元樹先輩は1人、楽しそうに笑顔を浮かべている。


「ところで本宮先輩は彼氏とか作らないのですか?」


「私を好いてくれる人がいれば考えなくもないが、その前にだ。自分に可愛い彼女ができた途端に恋話を振るのは、少し浅慮が過ぎるのではないかい」


 聞いた理由はそれだけじゃないが、概ね本宮先輩が言っている通りだ。


「少し浮かれているのは事実かもしれません。失礼しました」


「想いが通じ合ったばかり。浮かれてしまうのは理解できるから、反省してくれるなら構わない。けれど、いい加減に兄を打倒する対策を進めたいところかな」


「そのことなのですが」


「ほう、何か策を思い付いたのかい?」


 本宮先輩、元樹先輩、2人との会話で閃いた策。

 策というより提案に近いかもしれないが、その考えを説明する。

 その提案は、副理事に借りを作る結果になるかもしれない。

 それに、本宮先輩の協力も不可欠だ。


 五割にも満たない期待だったのだが――。


「なるほど、いい案だ。絶対ではないが、これなら兄も認めるかもしれない。少なくとも、何かしら譲歩してくれる可能性もある」


「錦さん好きそうだし、いけんだ――ろ!?? わりい。優次から電話だ。ちと外す」


 元樹先輩の言葉を遮るように、大音量で鳴り響いた電話。

 自分で設定しているだろうに、肩をビクッとさせて元樹先輩が一番驚いていた。


 テーブルの角に膝をぶつける元樹先輩の退室する姿を見送ってから、本宮先輩へ返事を戻す。


「副理事に近しい2人のお墨付きが貰えて嬉しいのですが……いいのですか?」


「私にとってアオハル実行委員は暇つぶし程度のアルバイトみたいなもの。けれどもだ、自ら兄打倒について全力で協力すると言ったからね。その責任は負うさ。それと、千代くんの心配も杞憂だよ」


 協力してくれるお礼を言いつつ、その理由を聞き返す。


「もっくんを待つ必要はないだろう。先に説明してしまうが――」


 僕は文化祭において、一時的にブラック校則を復活させた。

 鈴さんが被っていた汚名を学校側に移し、責を被ってもらった。

 そのことがあり、僕は副理事長に借りを作っているとばかり考えていた。

 だが、実際はその反対だった。


 本宮先輩は学校に貸しを作っていたのだ。


 文化祭が始まるより以前から――正確に言うならば、前期末考査の頃だ。

 本宮先輩は生徒会副会長として、学校から相談を受けていた。

 今年の1年生の学力、生活態度が目に余る。何とかならないか――と。

 その結果、学年1位に特権が与えられることになった。


 そしてその時から僕、八千代郡が頭角を現し始めた。

 注視もとい監視する内に、興味が惹かれていき――。

 下剋上される夢、それを叶える為に僕を巻き込む計画を立てた。


 僕と本宮先輩の2人の勝負が始まると同時に、

 可能性の一つとして、船引鈴を通して僕がブラック校則に目を付けると先読みした。


 夏姫、そして冬姫を守る選択をするのではないかと。


 パワーアップさせた校則案を提出することは予想外だったらしいが、学校から相談されていたことを利用して、ブラック校則の復活は事前に根回しを済ませていた。


 故に、初めから学校が責を被る手筈になっていたらしい。


「……僕はとんでもない人を相手にしていたのですね」


「千代くんは勝者なのだから、胸を張るといいよ」


「勝ちを譲ってもらった感、満載ですけどね」


「確かに――私が君を潰すつもりで本気で動いていたら、勝負が始まる前に終わっていただろう。けれど、最後は私の予想を超えたのだ。誇っていい」


 クスクスと笑う上機嫌な様子は、今日一番、本宮先輩らしい表情に見えた。

 この場に元樹先輩がいないことも理由かもしれない。

 そう察したが、今の本宮先輩はさっきまでと違ってどこか怖い。

 だから触れずに黙っていた方が無難かもしれない。


「……元樹先輩には改めて感謝ですね」


 諸刃の剣作戦には元樹先輩の協力が不可欠だった。

 あ、いや――協力は誤りか。

 強制的に巻き込んだのだから。


「それとだね、千代くん。今の内に言っておくけれど、余計なことはしないでくれ」


「余計なこと……ですか?」


「私が駆け引きや過程を好むことは知っているだろう?」


「ええ、それなりには」


「デートの下見に付き合うくらいは構わない。だが私は、もっくんがどの様な手で私を篭絡するのかを楽しみにしている」


 本宮先輩は最初から元樹先輩の気持ちに気付いていたということか。

 その上で、どんなアプローチをされるのかを楽しみにしている。

 そして僕がしていることは野次馬根性丸出しのようなもの。

 望まれてもいないのに、他人の恋路に首を突っ込むなど不快な行いそのものだろう。


「……おじゃま虫な真似を働いてしまい、すみませんでした」


「いいさ、もっくんの事を思っての行動だろう?」


 本宮先輩が元樹先輩の気持ちに気付いているとしても、僕がそれを肯定する訳にはいかない。


 それに元樹先輩が戻る気配もあるから、話題を変えた方がいいかもしれない。

 数名の先生が校内にいるものの、そのほとんどが職員室で仕事をしている。

 だが、この話合いが行われている騎士団室が所在する9階には、僕ら以外誰もいない。


 静かな廊下から響いてくる、元樹先輩の歩く足音が本宮先輩にも聞こえたのだろう。


「意地悪なことを聞いたね。もっくんも戻って来たようだし、この話はお終いとしよう」


 言い終えた直後、元樹先輩が戻ってきた。


「わり、待たせたか?」


「いえ、すみません。先にいろいろ話しちゃいました」


 元樹先輩は大仰な仕草で手を上げ『気にしなくていい』と言って、そのまま元の位置へ着席した。


「もっくんが気になるなら、私から後ほど説明しておこう。ところで千代くん、来週の土曜日は空いているかい?」


「ええ、バイトも休みですし特に予定はありません」


「それなら空けておいてくれ。兄との面会をセッティングする」


「分かりました。何から何までありがとうございます」


「生意気で可愛い後輩の頼みだからね」


 普段はどこか大人びて見える本宮先輩。

 けれど、イタズラに笑う今の本宮先輩は歳相応に見えた。


 欅さんや冨久山先輩。

 それに亀田さんや広野入さん、多くの人が本宮先輩に付いて行きたくなる気持ちが、ほんの少し分かった気がする。


「今年は開女を含め、面白い子たちが入学してくる。飽きのこない年になりそうだ」


「……平和が一番ですよ」


「はは、何を今さら――と、私は生徒会室に所用がある。後はお願いしても?」


「はい、部室ここは片付けておきます。今日は忙しい中、ありがとうございました」


「頼んだよ。帰りはそのまま学校を出て構わない。それと、時間や場所については追って連絡するよ」


「承知しました」


「思いのほか、アルバイトが片付きそうで何よりだね」


「はい、本当に。面倒なアルバイトなんて辞めたいですね」


「はは――。では千代くん、またね。もっくんもまた」


 本宮先輩はそのまま騎士団室から出て行った。


「元樹先輩も今日はありがとうございました」


「大したことできなかったけどな」


「いえ、居てくれて助かりました。それに、話が聞けて参考にもなっています」


『ならいっか』と、元樹先輩おなじみの笑顔、歯を見せるように笑った。

 そしてその後は、元樹先輩の進路の話を聞いた。


 美愛さんは就職で決まっているが、

 元樹先輩は田村先輩と一緒に国立大学を受験するそうだ。

 生徒会を務めていただけに、成績優秀なんだよな。元樹先輩。


 もう1人の横塚先輩はと言うと、何やら事情があるとか……聞かなければよかった。


 最後に、諸刃の剣作戦に巻き込んだお詫びとして、某ケーキバイキングのチケットをプレゼントして、この日は解散した。


 これもまた、余計なお世話かもしれないが、これくらいなら許してもらいたい――。


 今日最後の予定は美容室で髪を切ることだったのだが。

 元樹先輩の話を聞いたことで、思わぬおまけ的な用事もできてしまった。


「まあ、なるようになるか」


 美容室のあとに『空と海。』に行こうかな。

 一目でいいから美海に会いたい。


 髪を切った姿を褒めてくれるかな。


 いや、きっと――美海ならニコニコとした笑顔で褒めてくれるに違いない。


 そんな想像をしながら学校を後にした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る