第273話 恋文言。

 歯を磨き、教室を後にした僕らは居た堪れない空気を纏いながら図書室へ戻った。

 そしてそんな空気など女池先生に気付かれた。


 まさか学校で不健全なことをしていないかと疑われたが、当然に否定した。

 事故で頬に唇が当たったくらいで、キスなどしていないからな。

 疑念を晴らした後は、午前中の続きとなる。


 僕と美海以外にもチラホラ生徒が図書室にやって来たが、皆、短い時間で退室して行った。


 僕と美海は約2時間、図書室で過ごし、それから焼菓子屋さんへ向かった。

 コートがあるとはいえ、さすがに寒い。

 そのため、ここで久しぶりに僕のブレザーが戻ってきたのだが。


 僕のブレザーは、たった数時間で美海の匂いに包まれていた。

 美海には恥ずかしいから嗅がないでほしいと頼まれたが、その願いを聞き入れることはできない。断固拒否だ――。


 美海は無事に焼菓子屋さんでくだんの店員さんと再会できたのだが。

 その店員さんは、僕がお店を利用した時に対応してくれた当時冷房に凍えていた新人さんだった。


 綺麗な人だと記憶はしていたが、とうに顔など忘れていた。


 だから美海。そんなに頬を膨らませないでほしい。


「あーあ、まさか私の知らない間にこう君が神道寺かんどうじさんと知り合っていたなんて」


「お店で一度買物しただけだよ。それに、美海には言ってあったと思うよ」


 まさかそれで知り合いだとは言えないだろう。

 名前すら今日まで知らなかったのだから。

 それに内緒にしていた訳でもない。と言うより、美海から聞き出されていたから知っているはずだ。


「確か――愛嬌ある笑顔をした人とか言っていたよね」


「多分、そんなことを言ったかも。美海は記憶力がすごいね」


 今、美海から聞くまで何て言っていたかも忘れていた。

 けれど、美海は正確に覚えていた。

 記憶力というか地頭の差なのだろう。そう言うことにしておこう。


「昔のこう君にちょっと妬いちゃうけど……もう、いいかな」

「それならよかった。危うく美海への気持ちを叫ぶところだったよ」


「き、切り上げてよかった……」

「美海は僕に叫ばれるのがそんなに嫌なんだ?」


「嫌じゃないけど、ちょっと駅前で叫ばれるのは恥ずかしいなって」

「嫌じゃないなら――」


「そう言えばね、神道寺さんと会った日にアティの前で撮影か何かしていたんだよ。クリスマスのインタビューか何かだと思うんだけど」


 言葉に被せて話を変えたということは、よほど叫ばれたくないのだろう。

 当然に僕も叫びたくない。羞恥の目に晒されるのはもう懲り懲りだからな。


「そうなんだ。誰か有名人でもいた?」

「こう君はテレビとかあまり見ないから知らないと思うけど」


「そうだね、本当に有名な人くらいしか知らないかも」


「だよね――新光しんこうあやさんって知っている? 新潟出身の人なんだけど」


 一瞬――。時が、いや、呼吸が、心臓が止まったかのように錯覚した。


「お母さんが同級生で――こう君? どうしたの?」


 呼吸はできている。心臓も動いている。脈も速いくらいだ。

 けれど、驚きのあまり足は止まってしまったようだ。

 美海はそれを不審に思ったのだろう。


「ああ、ごめん。確か、アナウンサー出身の女優さんだよね。芸能活動を休止していたのに活動再開していたんだね。知らなかったな」


「うん、そうだけど……望ちゃんと莉子ちゃんも知らなかったのに、こう君はどうして知っているの?」


 情報に明るい2人が知らないということは、そこまで著名でもないのか。

 失敗したな。急に飛び出してきた話題で動揺してしまった。

 その結果『疑い』。いや、違うな『心配』。

 美海はそんな表情をして僕を見ている。


(いずれにせよ……)


 不審な挙動を取ってしまったのだから、隠し通せる訳もないのだが。


「……こう君? 大丈夫? お顔……真っ青だよ?」


 心配掛けたくなかったけど。

 顔色にまで表れてしまったら、もう正直に話すしかないか――。


「少し……場所変えようか」

「――うん」


 恋人らしい甘い空気など、肌を刺す冷たい風と共にどこかへ霧散してしまった。

 まるでこれから別れ話をするかのような、暗くて重い空気を纏いながら僕らは無言のまま、いつもの公園へ移動する。


 ブランコは雪で埋もれているせいで乗ることはできない。

 そのため、その手前で立ち止まり、僕が顔を青くした理由を告げる――。


「――母親、なんだ。昔の」


 今の僕が『母さん』と呼ぶ人は千島ちしまひかり、その人だけだ。

 そして僕が今、昔の母親と呼んだ人は新光文。つまり。


 その人に、思い出の写真を燃やされた。

 その人は、僕と父さんを捨てていなくなった。

 その人が、僕に無表情と言う仮面を植え付けた。


『その人』。そのものだ――。


 さっきまでは僕の顔が青くなっていたのだろう。

 今は少し落ち着いたから、血の気が戻ったような感覚もある。

 もっと引きずると思っていた。けれど良い意味で僕の予想を裏切った。

 思ったよりも冷静なのだ。


 その理由はクロコや幸介、美波や光さんかあさん。美空さん、それに友人たち様々な人らのおかげなのだろう。


 でも一番はやはり、隣に美海がいてくれるからだ。


 けれど。僕が感謝すべき美海は顔を真っ青に染めてしまっている。

 もしかしたら。

 氷点下に近い気温のせいかもしれない。

 公園を照らす薄発色の街灯、その明かりが美海の顔を蒼白に見せているのかもしれない。


 けれど美海の性格を考えたら、街灯の光は影響していないと考えられる。

 恋人だとしても。

 聞いてはいけない。踏み込んではいけない。デリケートな話題。

 まさに爆弾のような話題に触れてしまった。

 だから美海は血の気を引き、固まってしまったのだろう。


 確かに僕は言いたくなかった。

 相手が美海でも言いたくなかった。

 でも聞かれたら答えるし、美海に踏み込まれたくない心内などない。

 ではどうして言いたくなかったかと言うと。

 そんなことは簡単だ、言えば美海がこうなることを知っていたからだ。

 それなら黙っていればよかった。そう思う気持ちもある。


 否、黙っていることなどできない。

 下手に誤魔化せば美海を不安にさせてしまう。

 それは避けたかった。


 それなら、どうするのか。それも簡単だ――。


「気にしないで、美海」


「で……でも、私――」


「大丈夫。僕はもう大丈夫だから。急だったから、ちょっと驚いただけ。だから僕こそごめんね」


「こう君が悪いわけじゃ…………」


 言葉は続かない。美海は下唇を噛み、何かを堪えるようにしている。

 納得していないのだろう。

 もしくは、自分を責めている可能性もある。


 そんな必要もないのに。


 美海の唇は柔らかいのだから、あまり強く噛んだら血が出てしまう。

 今すぐにでも止めさせなければならない。

 止めるために、人差し指を美海の口へ当てる。


「はい、噛んだりしたらダメ」

「ん!?」


「美海の口を噛んでいいのは僕だけ」

「……噛んでくれたこともないのに」


「じゃあ、予約ってことで」


 凄く不満そうに僕を見ている。

 と言うよりも、噛むことを許容してくれるのか。そうか、なるほど。


「僕はさ、美海――前までは確かに引きずっていた。触れてほしくない話題でもあった」


 返事はない。だが、美海は俯いたりしない。

 今は『最後まで聞こう』。美海の目からはそんな意志が伝わってきている。


「今はさ、正直どうでもいい――ってのは言い過ぎか。でも、それくらいに思うことができる。どうしてだと思う?」


「……こう君が大人になったから?」


「大人だったら、今すぐにでもお揃いの指輪を選びに行かないとだ」


「ん――それなら……光さんや美波と家族になれたから?」


「それも正解だね。あとは?」


「あとは…………わ、私? とか?」


 美海は自信なさげに言ったけど。


「正解。大正解」

「そ、そっか。よかった?」


 トラウマを克服できた理由として、自分を挙げるのは中々に難しかったのだろう。


「美海がいてくれたから、過去の上書きができた。今が楽しい。明日が楽しみ。そう思える。僕は美海に染められたから、前を向いていられる。だから美海、そんな悲しそうな顔をしないでほしい」


「……わかった」


「本当に分かった? そうは見えないけど?」


 そう言ってから、両手で美海の頬をムギュっと挟む。

 冷えているのに、とんでもなく柔らかい。

 抓んだり、つついたり、もう一度挟んだりするけど、美海は一切の抵抗もせず、好き放題触らせてくれる。


 すぐに怒られると思っていただけに、少々怖くなってくる。

 恐る恐る、頬から手を離したら、保留にされていた返事が戻ってきた。


「私は新光さんのことをどうでもいいって思うことはできない。でも、こう君がもう気にしないって言うなら……心の片隅にしまっておく。あと――」


 美海は仕返しとばかりに、僕の固い頬をムギュムギュさせてきた。

 同じくらいの時間好き放題してから、続きの言葉が出てきた。


「あと、私の方がこう君色に染まっているんだから」

「そこって張り合うところなの?」


「もちろん。凄く大事だよ」


「そっか――それにしても、陸美むつみさんと同級生だったんだね。まだ交流とかあったりするのかな」


 母親同士が幼馴染だったから、僕と美海は昔新潟で出会うことができたのか。

 偶然の出会いと考えていたが、僕と美海の出会いは必然だったのかもしれない。


「うん、お母さんは友達が凄く多いんだけどね、新光さんとは幼馴染だったみたい。今は交流がないみたいだけど……」


 美海はどこか遠慮気味な目を向けてきた。

 おそらくだが、僕が母について質問したものだから気にしてくれているのだろう。

 陸美さんに聞けば母について詳しく知ることができるかもしれないって。

 確かにいつかは陸美さんから当時の話を聞いてみたいが。


「まあ、そのうち気が向いたらかな」


「そっか……。ねぇ、こう君?」


 そんな間を作り、真剣な眼差しをさせて、如何にもこれから言いますって表情をしていたら、美海が何を言おうとしているのか分かってしまう。


「好きだよ、美海」

「……私が言いたかったのにな」


「年末のお返しだね」

「いじわるっ!」


 怒った振りをする美海の手を取り、もう片方の手で頭を撫でる。

 相も変わらず、すぐに頬を柔らかくする美海はやっぱりチョロ可愛い。

 僕に気を使いチョロ可愛くなってくれる美海に、もっと気持ちを伝えたい。


「どこかに木の棒か何か落ちていないかな……」

「え、木の棒? やんちゃなこう君も可愛いけど何に使うの?」


「いいから美海も探して」

「えぇー……でも、手繋いでいたら探しにくいよ?」


 離した方がいい? 美海はそんな顔で僕を見ている。


「やだ、離したくない」

「やだ、私の彼氏がとってもかわいい――あ、こう君、あそこに枝っぽいのあるよ」


 美海の指差す方へ目を向けると、確かにあった。

 でも、その枝は雪だるまの腕となっているから、さすがに取るのは忍びない。


「さすがに腕をもぐのはちょっと……」

「ち、違うよっ! その足元に腕になれなかった残骸らしきものが見えない?」


 腕になれなかった残骸とは、中々にパワーワードと感じる。

 酷い言い草でもあるが、残骸の中から手頃な腕になれなかった枝を選び、有効活用させてもらおう。


「何に使うの? 見つけたんだから教えてよ」

「教室で書き忘れたなって」


「何を?」

「相合傘」


「え、相合傘?」

「そう、相合傘。落書きとかの定番じゃない?」


「ふふ、こう君ってこういうところが子供っぽくて可愛いよね」

「自覚してるよ――っと、できた」


「ハートは書かないの?」

「じゃ、はい。美海が完成させて」


「共同作業だね――はい、完成!」


 綺麗なハートだ。僕が書いたらこうも上手く書けなかったかもしれない。


「なんか、こうして見るとちょっと恥ずかしいかも」

「確かにちょっと恥ずかしいね。すぐに消えるんだろうけど、それはそれで寂しいかも」


「写真に残そう」

「いいね! あとで私にも送って」


 ――カシャッ。

 と、小さなシャッター音が公園に響く。


「教室の窓に書いたのも撮っておけばよかったな」


「失敗したね。でも――あの時の、こう君の気持ちは凄く嬉しかった。私の心にしっかり残っているよ」


「僕が美海をめちゃくちゃ好きだって、ようやく伝わったか」


「うん、これでもかって! 伝わってきた。面倒な私を好きになってくれてありがとう」


「それを言うなら僕の方だよ。面倒な僕をいっぱい好きになってくれてありがとう」


「うん! ……そろそろ帰ろうかな。風邪ひいたら大変だし」


 時間は17時を過ぎたところ。まだ早い時間に感じるけど外は真っ暗だ。


「じゃあ、はい。どうぞポケットの中へ」

「ていっ!」


「やんちゃな美海も可愛いね」

「真似っ子は、めっ!」


「はいはい、可愛い可愛い」

「てきとうも、めっ――――ん!?!?」


 おざなりに返事を戻せば、美海が僕へ顔を向けると読んでいた。

 そして僕の予想した通りに、美海は顔を向けてきた。

 僕はそのタイミングを見計らい、歯や鼻をぶつけたりしないように気を付けて。

 美海へ軽く触れるくらいのキスをした。


「ご馳走様」

「そ……そんなの反則だよぉ……」


「美海って不意打ちに弱いよね」

「ずるいずるい、こう君のいじわる」


 頭をグリグリ押し付けて不満の意を表してくる美海。


「そんな僕も嫌いじゃないでしょ」

「ん……どちらかというと大好き、です」

「僕もそんな美海が大好きだよ」


 聞かれた僕たちよりも、

 聞いた人の方が恥ずかしくなるくらい好きを言い合う時間。

 正真正銘のバカップル。

 僕と美海はその言葉を見事に体現してみせることになった。

 そして――。


 僕は、美海を送り届けた後の帰り道で気付いた。


 未だ気恥ずかしは抜けないけれど、

 キスとは心を伝えあう行為でもあるけど、交わす事で優しい気持ちになれるし何でもできる気持ちになれる。「好き」の気持ちがさらに溢れるということを。



 それともう一つ――。


 手袋とは、両手にめた時よりも、

 片手に填めた時の方が暖かいということを、この冬休みで僕は知った。


「温もり溢れる冬休みになったな――」


 最後にそんな呟きを漏らしつつ、填めたばかりの左手の手袋を取り外す。

 そして、裸の左手をポケットへ入れ余韻を思い出し帰路へ就いたのだ――――。





 ――――僕らは気付いていなかった。


 翌日の教室で起こる公開羞恥刑が待っていることを。


 今日書いた、クラスメイトに見せるには恥ずかしい恋文言ラブラブレター

 それを消し忘れてしまった。失念していたのだ。

 中と外の寒暖差がなくなれば、書いたものなど見えなくなるだろう。

 だがそれは、見えなくなっただけで消えた訳ではない。


 クラスメイトが集まり、中と外の寒暖差が生じれば。

 再び、窓ガラスが曇ることを。

 それによって、書いた恋文言ラブラブレターが現れることを完全に失念していたのだ。


 つまり。ぼくと美海は、クラス公認の――いや。

 学校公認のバカップル認定される喜劇と言う名の悲劇が訪れることを。


 微塵も気付いてすらいなかったのだ。



 第六・五章 ~完~



【あとがき】

 こんにちは。山吹です。

 間章となる第六・五章完結までお読みいただき、ありがとうございます。

 これまで以上に郡と美海へスポットを当てた章となりましたが、皆さまにも楽しく読んでもらえていたら嬉しいです!!


 また、評価欄から「★〜★★★」を付けての応援や、作品のフォローも大歓迎です!

 少しでも面白いと思ってくれた方は、応援お願いします!!


 さてさて。

 残すところ最終章のみとなりました。

 どうか最後までお付き合い頂けると幸いです。

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