第272話 小学生じみた告白をしました

 美海には僕の席に座ってもらい、僕は長谷の椅子を借りて着席。

 それから始まった昼食の時間。

 控えめに言っても最高だった。

『あーん』したりされたり。

 人の目がないとはいえ、バカップル丸出しだったと思う。

 けれど、美海は僕に嘘をついていた。


『凝ったものは作れない』、美海はそう言っていたのに、

 箸をつけるのが惜しいと思えるお弁当だった。


 色、形、共に芸術のように綺麗な玉子焼き。

 素材の甘さが活かされたカボチャの煮物。

 彩りを意識したのだろう、白だしベースで作られた白色に光る蓮根のきんぴら。

 凄くちっちゃな新じゃがいも、ウズラの卵が刺さった串は、どこかピクニックのようにも感じた。

 茹でたブロッコリーやミニトマト、パセリで彩を演出。

 メインのおかずとして、醤油だけで下味したとは思えない程に美味しいから揚げ。

 このから揚げは冷めても美味しい、それを意識して作ったらしい。

 つまりお弁当向きのから揚げということだ。


 さらに、スープジャーからは温かいコンソメスープ。

 ご飯は、シャケと梅干を具にしたおにぎりが用意されていた。

 最初から教室で食べることを想定していたのだろう。

 電子レンジで温めずとも美味しく食べられるお弁当だった。


「ふー……ご馳走様。凄く美味しかったよ。お腹いっぱいだ」


 お腹をさすってみると、胃腸の辺りがパンパンに膨れている。


「ふふ、お粗末様です。凄く美味しそうに食べてくれるから、私も嬉しくなっちゃった」


「いや、本当に美味しかった。でも、朝から作るには大変だったんじゃない?」


「喜んでもらえて良かった。作るのは、そうだね。ちょっと急いで作ったから大変だったかな。でもね――」


 煮物や揚げ物、炒め物から焼き物など、品数もさることながら調理方法もさまざまだ。

 一つ増えるだけで、その分の洗い物だって発生する。

 大変じゃない訳がない。


「――でもね、こう君が美味しく食べてくれたらいいなって、想像していたら私も楽しくなっちゃって。そうしたら、つい作り過ぎちゃった」


「そっか。僕は美海の想像を超えられたかな?」


「お弁当の蓋をあけた時から飛び超えてきたよ」


 芸術のように完成されたお弁当だったからな。ある種の感動を覚えたのだ。


「その時の僕は子供みたいに目を輝かせていたかもね」

「ふふ、かわいかったよ? だから私の方こそご馳走様でした」


「よく分からないけど、お粗末様でした?」

「うんっ――あ、こう君ちょっと横に向いて。頬に何かついているから、取ってあげる」


「え、うん。じゃあ、お願い――」


 子供のように無邪気に食べて、子供のように食べかすか何かを付けてしまったのだろう。


 恥ずかしいったらありゃしない。


 そんな恥ずかしさなど顔には出さず、身を乗り出してきた美海から顔を逸らして横を向く。

 すると、指の感触とはまた違った柔らかい感触が頬に伝わってきた。

 ゆっくり、顔を美海へ向き直すと、美海はどこか照れたように笑っていた。


「美海さん、今のって……」

「んー……つい?」


「本当にイタズラ好きだね、美海は」

「嫌だった?」


「なわけないでしょ」

「それなら良かった。お弁当箱、片づけちゃうね」


「改めて、ご馳走様でした。帰りに何かお礼させて」

「私が作りたくて作っただけだから、お礼とか気にしなくていいよ」


「それなら、僕の頬にキスをしてくれたお礼ってことで」

「もう! それも別にいいけど……」


 お弁当箱を片付ける手を止め、恥ずかしそうに不満を訴えた美海。

 それから、同じ理由で断ろうとした。

 けれど僕が譲るつもりはない、そう思っている事が分かったのだろう。


 言葉を止め、『んー』と言って考え始めた。

 美海が考えている間、お弁当箱の片付けを引き継いで机の上を綺麗にしておく。


「頑固なこう君にお願いがあります」


「どうぞ言って下さいな」


「こう君がよく行く紅茶屋さんあるでしょ? その並びにある焼菓子屋さんのクッキーが食べたいかも」


 以前、元樹先輩がOHANAでご飯をご馳走してくれたお礼にクッキーを買ったお店だ。


「分かった。帰りに寄ってみようか。でも、珍しいね?」


 美空さんはコーヒーや料理の腕前だけでなく、お菓子作りまで器用にこなせる。

 その中でもクッキーが一番得意で、美空さんが焼いたクッキーはとても美味しいのだ。


 すぐ身近に、自分好みのクッキーがあるため、美海はあまり市販のクッキーを購入したりしない。


 だから少し意外に思ったのだが、理由を聞くと納得できた。


 前に美海や書道部のみんな、美空さんから紅茶をいただいた。

 その時に、紅茶を選ぶのにアドバイスをくれた女性が焼菓子屋さんで勤めているらしい。


 アドバイスをくれたお礼として、焼菓子屋さんに顔を出す約束をしていたと。

 昨日も行ってみたけど、タイミングが合わないのか、はたまた辞めてしまったかは分からないけど、いまだに女性と会えていないようだ。


「なるほどね。それなら僕にも関係しているし、何か売上に貢献できそうな物でも買おうかな」


「それがお姉さんの手当て? とかになったらいいのにね」


 美海が言いたいのは歩合給のことだろう。


「確かに」

「でも、こう君? そのお姉さんね、凄く綺麗な人なの」


「え、うん。それが?」

「私も望ちゃんも莉子ちゃんも、他のお客様もつい見惚れちゃうくらいなの」


 それは、また――とんでもない女性だな。

 美空さんや美緒さんを普段から見ている美海でさえ見惚れてしまうなら、よっぽど美人なのだろう。


「僕の気持ちが美海にはまだまだ伝わっていないようだから、これからはもっともっと伝えないといけないね」


「そんなことは――って、こう君?」


 今朝見た天気保予報では、今日の最高気温は5度と言っていた。

 だからきっと、駅前によくあるビル風も相まって、外を歩く人たちは凍て付く様な寒さに襲われているだろう。


 そして名花高校はビルの中に入る特殊な学校だ。

 そのため隙間風もないから、室内に人がいれば自然と外よりも温かくなる。


 故に、今の教室の中は僕と美海の2人によって、外よりも高い室温となっている。

 その寒暖差が、窓ガラスを白色に染めている。

 要は曇っているのだ。

 その自然にできた曇りガラスを利用して、僕は小学生じみた愛の告白をしている。


 ――ぼくは、みうがすきです。

 と、書きこんだのだ。


 いつものように『もう!』と言って呆れたように笑われる。

 そう予想していたけれど、美海は物凄い勢いで顔を染め上げた。

 目を合わせたら、これまた凄い勢いで逸らされてしまった。


 この様子から容易に察することはできるが、僕がした告白に照れたのだろう。

 美海を嬉しくさせた詳細な理由は分からない。

 けれど、何かしらの琴線に触れたことは間違いないということだ。


「美海の返事が聞きたいな」


 僕がそう告げると、チラっと目を合わせてきた。

 ほんの一瞬だけの『チラッ』だ。

 すぐに目を逸らされてしまったが、美海は窓ガラスと言う、大きなキャンパスに小さな字で返事を書いてくれた。


 ――バカ!

 と。理不尽な、とは思うがその下に新たな返事が書かれていく。


 ――わたしも、こうくんがすきです。

 と。それに対する僕の返事は。


 ――ぼくのほうがすきだよ。

 と。お返しとばかりに、美海からも同じ返事が戻ってくる。


 ――わたしのほうがすき。すき。すき!!

 と。同じどころか3倍になって戻ってきた。


 それなら、僕はその3倍の気持ちを書いてやる。

 そう思い、人差し指を窓へ伸ばしたのだが、その人差し指ごと手を美海に掴まれたことで阻止されてしまう。


「美海を不安にさせないくらい好きって言い続けるよ、僕は」

「ん――ありがとう……凄く、嬉しい……です……」


 依然として美海の頬は赤く染まったままだ。

 今もなお、直接目を合わせてくれない。

 だがそれはあくまでも直接、だ。

 僕が窓ガラスに書いた愛の告白。

 それであらわになった窓ガラス。

 その窓ガラスを通して、美海は間接的に僕と目を合わせてきた。


 けれど次には――ようやく、直接目を合わせてくれた。

 数分ぶりに合った目は少し潤んでいるように見える。

 綺麗な瞳に吸い込まれるように。

 外すことのできない、外すつもりなどない視線。


 それは美海も同じなのかもしれない。


 そのまま重なり続ける視線だったが。

 徐々に、徐々に――距離が近付いていく。

 美海が目を閉じたことで、視線が外れてしまう。

 けれど、距離はさらに近付いて行き――。


 唇が重な――――ることはなかった。


 重なる寸前に美海が顔を横に向けたのだ。

 おかげで、美海の赤く染まる頬に唇を当ててしまった。


『どうして?』あるいは『嫌だった?』。


 そんな意味を込めて、美海へ視線を送り続ける。

 その視線を頬に浴び続けていた美海だが、観念したのか理由を教えてくれた――。


「そのね? 今……ご飯食べたばかりでしょ? まだ、その、歯も何も磨いていないからね、その……ちょっと、恥ずかしいなって。急に思ったの。だから嫌とかじゃないからね? 私はもっといっぱい、こう君と……キスしたいって思っているから…………もうやだ、私学校で何言っているんだろ、恥ずかしい――――」


 恥ずかしさのあまり両手で顔を隠す美海。

 美海は僕の家でもっと恥ずかしいことを言っている。


 けれど美海自身が言ったように、この場は学校であって、普段クラスメイトたちと過ごす教室なのだ。

 歯磨きをしていない、それに加えて公共の場ということを思い出し、急激に羞恥の心が込み上がってきたのだろう。


 美海に言われたおかげで、その羞恥の心が僕にまで伝播してきている。

 同級生が周りにいないとはいえ、僕は教室で何をしようとしたのかって。

 もはや明鏡止水の心など忘れてしまっていた。


「……一度、手洗い行こうかな」


 頭を冷やそう。そう思っての発言だった。


「っ――!? わ、わかった……こう君が言うなら……歯、磨いてくるね」


 どうやら美海は僕の言葉を『キスがしたいから歯を磨いてくる』と意味で受け取ってしまったみたいだ。


「あ、ちが――」


 咄嗟に否定の言葉が出てきそうになったが思い留まる。

 これでは美海に恥を掻かせてしまう。と、分かったからだ。

 でも遅かった。伝わってしまった。美海は小さく。


「もぅ、やだぁ…………」


 と、今にも消え入りそうな声で呟いたのだ――。

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