第267話 ミッションを与えられました
街に広がる正月特有の朝の静けさも、
かくいう『空と海と。』も本日5日が仕事始めとなり、お昼12時から営業が再開される。
12時開店と言っても、6日もの間お店を閉めていたのだ。
やることは山ほどある。
そのため、実家に帰省している美海。
それと親元の実家へ里帰りしている莉子さんを除いた従業員は、朝8時に出勤して、慌ただしく開店準備を進めている。
美空さん、
ソース作りなどできることから準備を進めていく。
僕はと言うと、ウインドブレーカーを着こみ、
その理由は簡単だ。
新年一発目に僕へ割り振られた仕事が雪掻きだからだ。
30日から晴れの日が続いていた為、莉子さんと冬休み明けにはランニングを再開できそうだね。
なんてメッセージのやり取りをしていた。
けれど、その期待を裏切るかのように昨晩天気が急変した。
その結果、ドカ雪が降り積もったというわけだ。
幸いにも今日1日は晴れの天気予報だが、溶けた雪が氷る前に雪掻きをしなければならない。
だから、出勤してからひたすらスノースコップとスノーダンプを使い分け、ザックザック音を立てながら、お客様の歩く道を確保するため頑張っている。
間違いなく明日には、いや下手したら夕方には筋肉痛に
ようやく治ったと思ったが、これも仕事の一つだ。
仕方ないと割り切ることにしよう――。
昨日身に付けた超集中力を発揮して、除雪作業を進めること約3時間。
どうにか、お客様の通り道と裏口の通り道を確保することが叶った。
美空さんは最悪正面だけと言ってくれたが、今日はいろいろ荷物も届く。
搬入口となる裏口を確保しておかなければ、取引先にも迷惑を掛けるし、何か不都合が起きても面倒だ。
時間に余裕もあったから、裏口まで手を伸ばした。
運動、それも体を酷使するほどのものだ。
身に着けていたニット帽、手袋、ネックウォーマーも途中から外している。
その理由は白いオーラのような湯気が立ち上るほど、僕の体が燃焼していたからだ。
(疲れたな……)
超集中力が切れたことで襲ってくる倦怠感と不快感。
倦怠感の正体は単純に疲労からだ。
それと不快感の正体は汗だ。
額に髪が張り付いているうえ、背中もグショグショだ。
今すぐシャワーを浴びたい。
体中の汗に気持ち悪さを覚えつつ、ネックウォーマーや手袋、ニット帽を回収する。
足回りに付着した雪をしっかり落としてから店内へ戻る。
「ただいま戻りました」
「あ、郡くんお帰りなさい――って、凄い汗!? 頑張ってくれたんだね、ありがとう」
「いえいえ。表も裏も外は大丈夫だと思います。ちょっと着替えるついでに、汗を拭いてきてもいいですか?」
「もちろんよ。飲み物は冷たい方がいい? 大きめのタオルと一緒に持って行くから、更衣室に入る前に休憩室で待っていてちょうだい」
「ありがとうございます。助かります――」
店内でアイスコーヒーを作っていた美空さんと別れ、バックヤードへ進むと新津さんからも美空さんと似た労いの言葉を掛けられた。
それから2階へ上がり、先に手洗い場でうがい手洗いを済ませてから休憩室へ移動する。
タイミング良く美空さんが来てくれたため、水を1杯分一気飲みする。
それから今度はアイスティを1杯いただく。
『塩分補給もしっかりね』と言って、塩レモン飴まで用意してくれていた。
気遣いがありがたい。
それからバスタオルと、汗を拭くようのホットタオルをお借りして更衣室へ。
バスタオルでわしゃわしゃっと、乱暴な手つきで汗で湿った髪の毛を拭う。
次にホットタオルで顔や首回りを拭き、上半身から拭いていく。
完璧に汚れが落とせたわけではないけど、思ったよりスッキリした気分だ。
濡れた髪を放置したら風邪を引きそうで不安だが、ドライヤーなど持って来ていないし、お店に置いてある訳もない。
仕方ないから、今度は丁寧にポンポン当てながら出来る限り水分を拭っていく。
最後に、美海が転んだあの日から常備するようにしている替えのシャツに着替えを済ませる。
『グゥーッ』とお腹を鳴らせながら更衣室を出て休憩室へ移動する。
借りたバスタオルをクリーニングBOXに入れる。
それから1階に下りようとしたが。
「おう、郡! みくねぇが下は平気だから、ちょっと休んでろだって。あと、ほれ――お腹も空かせているだろうからって、みくねぇが米も握ってくれたから食っとけ」
朝食は昨晩作った雑煮汁にお餅を二つ入れた物で済ませた。
お腹は空くだろうけど、夕方まで耐えられる予定だった。
それが、予想していた以上の重労働により、摂取したエネルギーなど使い果たしていた。
塩レモン飴もそうだけど、この気遣いは本当にありがたい。
砂漠を彷徨い歩いている時にオアシスを見つけたような気持ちになった。
この場に美空さんがいたら思わず『愛しています』と言ったかもしれない。
だが、それは嬉しさを表現する比喩のようなもの。
僕には美海という彼女がいるのだから、本当に愛しているなどと言ったりはしない。
美空さんでなくて、美海だったら間違いなく叫んでいたし抱き締めただろうけど。
「ありがとうございます、万代さん。お言葉に甘えて、いただいてから下におりますね」
「おう、食っとけ! みくねぇやまややもコーヒー淹れて一服してるから気にすんな!!」
それなら、気にせず休むことができるな。
座ったら立てなくなりそうで怖いけど、この光り輝くおにぎりは腰を下ろして食べたい。
だから着席したのだが、やはりドッと疲労の波が押し寄せてきた。
「俺はサイダーでも飲もっかな~」
そう言って万代さんは、休憩室の中に設置されている自動販売機に歩いて行った。
不自然にこの場に残る万代さんを疑問に感じながらも、僕は用意されていた使い捨てのおしぼりで手を拭き、『いただきます』と言ってから、海苔を持ち手にして、三角おにぎりを口まで運ぶ。
「うまっ……」
炊きたてのお米。ふわっと握られたおにぎり。普段より濃い塩加減。
汗を流した僕にとっては、最高で絶妙な塩加減だ。
『オアシス』そう思ったのは、過大でも誇大でも虚飾でもなかった。
はしたない。けれど、大して噛んだりせず飲み込むようにして、あっと言う間に一つ食べてしまった。
もう一つのおにぎりに手を伸ばす、大きく口を開いてかぶり付く。
一つ目は具無しだったけど、今度はシャケが入っていた。
美味しさのあまり、やはりすぐに食べ切ってしまう。
「ごちそうさまでした――」
手を合わせ、完食を宣言すると。
「郡がめちゃくちゃ旨そうに食べるから、俺もおにぎり食べたくなったな」
「今日の賄いにしたらいいんじゃないですか?」
「そうだけど、それだと少し勿体ない気がしねーか?」
万代さん、そして紫竹山さんは万年金欠だ。
そのため、文字通りに賄いで食事代を賄っている。
万代さんは別におにぎりを侮っている訳ではない。
他にも選択肢が山ほどある中で、おにぎりだと物足りない。そう言っているのだろう。
「お味噌汁やおかずも添えたらいいじゃないですか? まあ、美空さんが許可すればですが」
特別贅沢にさえしなければ、従業員の働く環境を大切にする美空さんなら許可するだろう。
万代さんは『聞いてみるか』と言いながら、飲み干したサイダーの空き缶をゴミ箱へ捨てた。
僕も休ませてもらったし、万代さんと一緒に1階へ下りようか。
そう考えて立ち上がると、万代さんが珍しく真剣な表情を向けてきた。
「郡、あのさ……ちょっとお願いっつーか頼み事? が、あるんだけどいいか?」
頼み事があったから不自然に残っていたのか。
どうしておにぎりを握った美空さんではなく、万代さんが2階まで持って来てくれたのか疑問に感じていたが、その理由にも繋がるのだろう。
「万代さんにはお世話になっておりますし、僕にできることなら言ってください。でも、珍しいですね?」
「さんきゅ。郡に悩み? とか打ち明けんのも初めてか……でさ、俺と
「ええ、そうですね。確か
何曲か聴かせてもらったが、正直に言って『良かった』。
当店を代表する残念な2人が作り上げた曲とは思えないほど、耳に残るいい曲だと思った。
忙しい日々が続いていた為、ライブには行けていないが、聴きに行きたいとさえ考えている。
「そうそう、よく覚えてんな?」
「ええ、まあ」
個性的な名だから、そうそう忘れたりしない。
「あ、でさ! 歌詞は俺が書いて、音はまややと香に作ってもらっているんだけどな?」
「美海から聞いてます。凄いですよね、3人で曲を作り上げるって尊敬します」
満更でもなさそうに、後頭部を掻きながら照れたように笑っている。
万代さんがする女の子らしい仕草など初めてみた。
乱暴な口調と違って、見た目は女の子らしく整った顔立ちをしている万代さん。
だから照れ笑いが似合い過ぎている。
変なキャラ付けでギャップなど狙わず、普段からこうしていればいいのに。
と、余計なお世話間違いなし、なことを考えてしまう。
「それでな、ここからが本題なんだけど――気付いたんだ」
「何にですか?」
「いや、気付かされたんだ。みくねぇに」
「美空さん?」
「ああ――みくねぇに言われたんだ。『
「お断りいたします」
「まだ何も言ってねーんだけど!?」
「いや、どうせ僕と美海のことを曲にしたいとか言うつもりですよね?」
以前に言われているからな、これくらいならお見通しだ。
「いや、ちげーけど?」
「それは失礼しました」
冷静に努めて返事を戻したが、心の中では『違うのかよ!』と叫んでしまっていた。
「んでだ! 郡さ、歌詞書いてみないか?」
話の流れから察するに『かし』とは歌詞なのだろう。
それを僕に書けと提案しているのか、万代さんは――。
「――いや、バンドどころか楽器の知識も全く持っていないド素人ですよ? それに、最近まで世間一般の曲すらまともに聴いていなかったんですから、お力添えするには役不足かと」
「それっぽく書いてくれたら、あとは俺がちょちょちょいってまとめるから! な! いいだろ?」
何もよくない。
想像力が乏しい僕が書くとしたら、己に起きた実体験を書くことになる。
それはいけない。何を嬉々として、世間に実体験を打ち明けなければならないのか。
そんなことは恥ずかし過ぎて、一考の余地もない。
「万代さんや紫竹山さん、新津さんが書いた方が絶対いい曲になりますって。いつもみたいに3人で作ったらいいのではないですか?」
「いや、それが……な? んー、なんて言うかな? あれなんだよ、やっぱ若者のな? 感性の方が響くと思うんだ」
目を泳がせ、煮え切らない言葉。
さては、何か煽られて、調子に乗って『余裕』とかそんなことを言ったな。
「どうせいつものように深く考えず突っ走るように安請負でもしたんでしょ」
「うっ……」
図星のようだ。
万代さん、紫竹山さんは嘘が苦手なのだから、下手に隠したところで意味がない。
「別に恋愛経験がないとかじゃないんだけどな? なんというか、ビビビってこないんだよ。でも、郡と美海の関係は歌詞にしたらいいのが出来ると思うんだよなぁ……ダメか??」
子犬のような目だ。その目に涙を溜めて訴えてくる。
普段の万代さんと比べると、とんでもないギャップだ。
狡い、その目は狡い。本人に自覚はないのだろうが、本当に狡い。
童顔を前面に押し出し、あどけなさを利用した庇護欲を訴えてくるその目は狡い。
まるで弱い者いじめをしているみたいに感じてしまうではないか。
「はあ……。仕方ありません」
「やってくれるのか!?」
「ええ――ですが、三つ条件があります」
「なんだ!? 金はないぞ!?」
万年金欠の人に
「お金じゃないです。条件を言いますけど、いいですか?」
「ああ、金じゃないなら言ってくれ」
「一つ目が、僕が関わったと公表しないこと。僕が認めた人以外には誰にも言わないでください」
「まかせろ!!」
即断即決はいいことだが、万代さんの場合は不安な気持ちの方が勝ってしまう。
「本当に分かっています? 紫竹山さんや美空さん、新津さんにも言ったら駄目ですよ?」
「むしろ言えないから大丈夫だ」
それはそうか、言えないから僕に頼んできたのだから。
「分かりました、信じましょう。二つ目ですが、時間がある時でいいので僕にギターかベース、どちらでもいいから教えてください」
「余裕でオッケーだ!!」
美海がギターを弾けるなら、僕も弾けるようになりたい。
後夜祭での演奏、格好良かったからな。
いつか一緒に演奏してみたいと思ったのだ。
「最後が難関です」
「(ごくっ)なんだ、言ってみろ」
「事の経緯を美海へ正直に話して、承諾を貰ってください」
美海は恥ずかしがり屋だからな。説得は難しいだろう。
それでも、万代さんの熱意に絆されて、美海が許可するなら僕も協力する。
もしかすれば富士山よりも高い、高難易度ミッションかもしれない。
ある意味では、断り文句に近い条件だろう。
まるでかぐや姫のような。
そうすると富士山すら超えて月にまで届く高さの難易度になる。
文句を言われても仕方ない。
僕はそう思ったのだが、万代さんはあっさりとしたものだった。
「分かった! 今日にでも相談してみる!!」
「……美海の説得は難しいと思いますよ?」
「そうか? 公表しない条件なら、美海だったら乗ってくると思うけど?」
「恥ずかしがり屋ですよ、美海は?」
「けど、要は郡のラブレターみたいなもんになるだろ? だったら、郡大好き美海はそっちの気持ちが勝つと思うぞ??」
なんという説得力だ。そう言えば間違いなく美海は許可することになる。
むしろ期待を寄せてくる可能性だってある。
月にまで届く高さではなく、足元に転がっている難易度だった。
灯台下暗し――ちょっと違うか。何に例えたらしっくりくるか――。
いや、そんなことよりもだ。
たとえ創作物であろうと、美海への気持ちは誤魔化したくない。
つまりは、誤魔化しなどすることもできなくなったと言う訳だ。
僕1人がただただ恥ずかしい思いにさせられるのか。
(早まったかもしれないな)
「じゃ、そういうことで! 夏のロックフェスで歌いたいから、3月末までに頼んだ!」
「は? ロックフェス? それってどれくらいの規模なんですか?」
「割と有名なやつだったかもな? 多分。最近調子よくてさ、『君たち、出てみないか』ってダンディ~~!! な、おっさんに誘われたんだ」
そんな話は聞いていない。ビブラートも利かせていないでほしい。
ちょっとイラッとした。
もしも全国的に有名なレベルなら、テレビ放映さらには映像に残ることにもなってしまう。それは阻止したい。
「ロックフェスで歌わないって条件も……」
「郡の名前は出さないから平気だろ?」
その通りなのだが、精神的には認めたくないのだ。
「じゃ、頼んだぞ!!」
『待って――』の静止も叶わず、万代さんは軽い足取りで去って行ってしまった。
伸ばした右手を虚しく宙に固定した状態でひと言。
「安請負は僕の方だったか……」
後悔先に立たず――と、猛省することになったのだ。
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