第266話 美海さんの独占欲を侮ってました
三日とろろの始まりは、定かではないが一説によれば昭和50年前後と言われている。
1年の健康を願って食べられるようになった三日とろろ。
それと似た風習が他にもある。
それが何かと言うと、毎年多くの子供が楽しみにしているお年玉だ。
現代の風習を考えると、三日とろろとお年玉は似ても似つかないものである。
けれどお年玉とは本来、年神様から
神様が宿った鏡餅を
それが昭和30年代後半になると、お餅からお金に変わり、大人が子供にお金を渡す風習へと変化していった――。
『だから本来のお年玉って言うのは、鏡開きを差すと思うんだ』
『へー、そうなんだー』
『ちょっと美海? 凄く棒読みに聞こえたのは気のせい?』
『だって、私はただ、私も三日とろろ食べたよって言っただけなのに、こう君ったら急にうんちくを語るから』
今日は1月4日。午前中にクロコを連れてマンションに戻って来てから、美海と約束していた『通話しながら勉強』。その約束を果たす為に電話を始めたところだ。
そして開口一番に美海は『三日とろろを食べたから今年は元気に過ごせるかな』と報告してきた。
だから僕は美海が健康を意識しているのかと考えて、もう一つのうんちくを語ってしまったというわけだ。
『まあ……そうだね、僕の悪い癖かもしれない』
『知らなかったことを知れたのはいいことなんだけどね』
『悪い癖もお役に立てたなら何よりだよ』
『でもね、こう君? こう君から聞いたうんちくを私も気付かぬ間に披露しちゃうのが悩みなの』
分かる、知ったばかりのことって言いたくなるよな。
『ご両親に三日とろろについて語ったりしたの?』
『そうなんですよ。おかげで恥ずかしい思いしたんだからね』
『そっか、それは悪かったね。今度会ったらお詫びに頭撫でてあげる』
撫でてあげると言いつつ、僕がただ美海の頭を撫でたいだけなのだが。
『ん――』
『美海?』
『ん、ふふっ、嬉しいなって!! いっぱい撫でていいからね?』
『会えなかった分も撫でさせてもらうから覚悟しておいて』
『わかった!! いっっっっぱいっ!! 覚悟しておくね』
テレビ通話をしている訳ではないけど、声色からでも美海が相好を崩している姿を簡単に想像できる。
『ちなみに美海はどうして恥ずかしい思いをしたの?』
語るだけなら別に恥ずかしい思いなどしない。
そう思ったから単純な疑問が浮上したのだ。
『聞きたい?』
こんな風に聞き返される時は、僕をも巻き込む何かがあるパターンが多い。
覚悟した方がいいかもしれない。
『そうだね、聞こうじゃないか』
『こう君はそんなに構えなくても平気だと思うよ』
『そうなの?』
『うん、だって――私がお母さんに揶揄われただけだからね。どうせ彼氏の受け売りなんでしょって』
どこが平気なのか、しっかり被弾しているではないか。
美海は家族を大切に思っているのだから不思議ではないけど、当然のように彼氏ができたことを話していることに衝撃を受けたのだ。
『美海さんはご両親に彼氏ができたって伝えたんだね』
何をどこまで伝えたのか、反対されたりしていないか、どう思われているのか気になってしまう。
特に、父親が僕をどう思っているのかが一番気になるところだ。
『お母さんね、八千代くんに会いたい! 会わせて! 夏に会いに行く!! って、聞かなかったよ』
そうか、名前まで知られているのか。それに会いに来てくれるのか。
今から挨拶の準備をしておかないといけないな。
そう考えるなら早い段階で知れて良かったのだろう。
緊張でどうにかなってしまいそうだけれど。
あと、名前が伝わっているということで、もう一つ疑問が浮上した。
『光栄だけど緊張するな。でも、僕も久しぶりに会える日を楽しみにしていますって伝えてもらってもいいかな?』
『こう君、私のお母さんのこと覚えているの?』
『いや、まったく。でも、新潟に旅行で行った時にいたでしょ?』
『そういうことね。お母さんがね、こう君の連絡先知りたがっているんだけど教えたらダメ?』
彼女の母親と連絡先を交換するのはやぶさかではない。
けれど、一体何を連絡しあうのかは不明だ。
まあ、卒業後を見据えて今から親交を結ぶのは、僕にとってもありがたい話なのだが。
『教えてもらって大丈夫だよ。ちなみに、お父さんも夏にこっち来るのかな?』
『ありがとうっ、あとで教えておくね。お父さんはお仕事の都合もあるから分からないけど、凄くこう君に会いたがっているよ』
ふー……。
今から緊張しても身が持たないけど、一応の覚悟はしておくか。
『今年の夏は大変な夏になりそうだな』
とても暑くて熱い夏になりそうだ。
『そうだね、でも私も光さんのご両親に会うの緊張なんだからね?』
『お互い様ってことか。でもなんかこれって顔合わせみたいだね』
何の気なしに言ってしまったが、どことなくプロポーズにも聞こえたかもしれない。
『もう……こう君の無意識爆弾にはまだ慣れないよ、私』
『美海だって無意識爆弾をたまに投下するでしょ?』
『私の場合は意識的に投下している時もあるけどね』
僕と美海どちらの方が、
『美海さん、今の発言は小悪魔的でしたね』
『ふふっ、こう君は大人の女性に弄ばれることは嫌いじゃないでしょ?』
無邪気に子供っぽく悪戯に笑う美海も好きだけど、大人ぶって僕を揶揄おうとする、また本当の大人のように僕を弄ぼうとしてくる美海も好きだ。
『嫌いどころか、美海になら弄ばれれば弄ばれるほど好きかもしれない』
『ふふ、手の平の上でコロコローって?』
『悪くないね』
『こう君は仕方のない人だね』
『そんな僕も嫌いじゃないでしょ?』
『嫌いどころか、こう君のことを知れば知るほど嵌っていっております。まるで底なし沼みたいだね、こう君って』
『比喩というか例え方が悪くて、褒められている気がしないんだけど』
『ふふ、勉強始めようか――』
美海は言い逃げるように勉強の開始を告げてきた。
いつまでも話していたいけれど、今日の目的はあくまで通話を繋いだ状態での勉強会だ。
それなら、勉強をしなければならない。
母さんに宅建士試験の参考書を持たされたから、その勉強もしたいのだが。
もうじき冬休みが終わる。
そろそろ2月に行われる後期末試験に向けて勉強を始めた方がいい。
だから今日は、予習の時間にあてることで美海と話している。
幸いにも僕と美海は得意不得意が分かれている。
だから、分からないところはその都度互いに教え合うことで勉強を進めていく――。
(なんだか凄く青春している気がするな)
約2時間、カップルらしい会話などなく勉強を続けたところで集中が切れた。
その時に、そう思ったのだ。
美海は明後日にはこっちへ帰ってくる。
だから、もう少しで美海に会える。
だと言うのに、僕へ向けて顔全体をくしゃっとさせて笑う美海を思い出すと、今すぐにでも会いたくなってしまう。
考えることは悪いことではない。
むしろ、増々好きになるのだから良いことだ。
けれど、どこか誤魔化すように部屋を見渡してしまった。
クロコはキャットタワーの上で熟睡しているのか、だらしなく後ろ足がはみ出ている。
寒くないかな、ブランケットでも――と思ったが、寒くなればコタツに入ってくるか。と考え直す。
とりあえず、伸びをして体をほぐすか――あ、背骨が鳴った。
ちょっと気持ちよかったな。
次に首を揉んでいると、電話の向こうからページを捲る音が聞こえてきた。
美海は今も集中を切らさず勉強を続けているようだ。
それなら――と考え教科書に目を向けるが、すでに集中力が切れているため、全く頭が働かない。
(紅茶でも淹れ直そうかな)
そう考えると同時に、美海が驚くべき能力を発揮してきた。
『こう君、今絶対紅茶でも淹れ直そうかなって考えているでしょ』
『美海っていつの間に超能力が使えるようになったの?』
『そんな気配がしただけだよ』
聴覚だけでなく、第六感まで磨かれてしまったのか。
『美海には隠し事できなさそうだ』
『何か隠す予定でもあるのかな? こう君は私に後ろめたい事でもあるのかな?』
『いや、言葉の綾と言うかなんというか』
『それで? どうなの? こう君は私に何を隠しているの?』
上手い質問の仕方だ。
美海に嘘をつけないため、正直に答えざるを得ない。そんな質問の仕方だ。
僕個人としては、言ってしまってもいいのだが。
美空さんとの約束でもあるから、内緒にしなければならない。
加えて、美空さんと約束したということ自体も言ってはならないから、返答に悩んでしまう。
『いくつか隠していることはあるけど、何も後ろめたいことではないから信じて欲しい』
『あ、本気でこう君を疑っている訳じゃないよ? ただ、今度はどんな悪いイタズラを隠しているのかなぁーって気になったの』
僕が真面目に真剣な声色で『信じて欲しい』と伝えたからだろう。
どこか焦ったように美海は訂正してきた。
疑われていないことは嬉しくさせられるが、そう発想するということは、美海は何か僕にイタズラしようと隠し事をしている可能性が浮上してくる。
『僕を信じてくれてありがとう。でも僕はイタズラも何も考えていなかったから、美海が僕と違ってそういう発想に至ったことが驚いたよ』
軽いジャブだ。遠回しで厭らしい聞き方だと思う。
『……時計見たら、もう2時間が過ぎているんだね。ちょっと休憩しよっか』
美海にとってはジャブなどではなく、カウンターになってしまったようだ。
一体どんなイタズラを考えていることやら。
驚かされることになるのだろうけど、けして嫌な感じはしない。
だから指摘したりせず、驚かされるその時を楽しみに待つとしよう――。
『こう君が淹れてくれる紅茶が恋しいなぁ』
『そう言ってくれるのは嬉しいけど、大して変わらないでしょ?』
美海は実家に帰省してから、お母さんに教わりながら初めて自分で淹れてみたと言っていた。
僕よりも紅茶歴の長いお母さんに教わりながら淹れた紅茶なら、もしかすれば僕が淹れる紅茶よりもずっと美味しい可能性だって考えられる。
『ぜんぜん違うよ! 美味しく淹れられたとは思うんだけどね、やっぱり何かが足りないと思うの』
『ふーん?』
『はいはい、私の真似がしたくなるくらい、こう君は私が恋しいの?』
『恋しい』イコール『真似がしたくなる』の方程式は理解できないが、恋しいのは肯定だ。
『当然だよ』
『ん……ふ~ん?』
『でも美海は僕なんかよりも紅茶の方が恋しいみたいだね?』
『もう揚げ足取るように意地悪なこと言わないの。メッ!』
『分かった、反省する。でもどっちなのか教えてほしいな』
『それは会った時に分かると思うよ? 私、多分こう君を見たら溢れちゃうもん』
『……今のは意識的? それとも無意識で言った?』
『ふふ、どっちでしょう?』
それの答えが分かったとしても、どちらにせよ僕が嬉しくさせられた事実は変わらない。
その代わりに、美海を悩ませていることの答えを教えることにする。
『美海が淹れた紅茶を飲んでみたいな』
『え、別にいいけど……あれ? 私がした質問への返事は?』
『美海が淹れてくれた紅茶を飲んだらさ』
『え、うん? あれ、これってもしかして久しぶりの怖いやつ??』
美海の話には一切応えず、言いたい事を伝えていく懐かしいやり取りだ。
『多分、美海が淹れた紅茶を一度でも飲んだら、僕が自分で淹れる紅茶も物足りなく感じなくなるかもね』
『えっと、それはないんじゃないかな? ドキドキ、ワクワク』
怖いと言いつつ、何を言われるのか楽しみにしている様子だ。
と言うか、効果音? を口にするとか反則級に可愛かった。
思わぬ不意打ちでにやけてしまった。
『美海はきっと、美味しく飲んでほしいって気持ちも一緒に淹れてくれるでしょ?』
『……なるほど。だから私が淹れても物足りなく感じるんだ』
『そうそう、隠し味を含ませているからね』
根拠など何もない理論だ。
けど、美味しい紅茶を物足りないと感じた理由として僕はそう思いたい。
『そんなこと言われたら、さっきよりもずっとこう君の紅茶が恋しくなっちゃうでしょ』
『ふ、勉強を再開させようか』
『もうっ、またそうやって』
『ところで美海は後期末試験ではどのくらいを狙っているの?』
前回の美海は学年で9位だ。
それでも充分誇るべき成績だと思うが、今回の目標はまだ聞いていなかった。
だから、手にペンを取りつつ何の気なしに質問したのだが。
負けず嫌いの美海がする返事は聞かずとも分かっている。
そう思ったのだが、美海は予想外の返事を戻してきた。
『もちろん2位だよ』
『どうしてもちろんなの? てっきり1位を狙っているとばかり思っていた』
『ふふ、聞きたい?』
『……そうだね、聞こうじゃないか』
『私ってやきもち妬きでしょ?』
美海が2位を狙う理由説明は始まっているのだろう。
けれど、やきもちからどう結び付くのか全く読めない。
『そうだね?』
『うん、だからね? 1位を取るこう君の隣を譲りたくないの』
『なるほど……でも、それって――』
テストの順位ですら隣を独占したいと言った美海。
ここまでくると、やきもち妬きもなんというか極まっているように思う。
普通なら『重たい』発言にも捉えられてしまうのだろうが、交際初日に指輪を渡してしまう程『重たい』僕は違う。
美海が言ったことの意味が理解ができた時、当たり前のように嬉しいという感情が沸き上がってきた。
だがそれと同時に凄まじいプレッシャーが圧し掛かってきた。
ある意味で期待が『重い』かもしれない。
美海が2位を狙うことの意味は、すなわち――。
『うんっ! だからね、こう君には絶対に1位を取ってほしいの。ダメかな?』
他の順位だと独占できない。片側が空いてしまう。
美海に独占してもらうためには、僕が1位を取るしかない。
可愛い彼女から鬼のようなお願いをされたことで、
『集中力が切れた』などの甘えが許されなくなり、
勉強漬けの日々が始まることになったのだ――。
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