第265話 会いたいなぁ

 我を忘れて語ってしまった私を、お母さんは顔を崩壊させて見ていた。


 ニマニマなんかでは表すことができない。

 目とか口とか頬とかぐにゃぐにゃってしていた。

 あと、墨も作り過ぎて私の指先も真っ黒。

 すずりから溢れそうなほど墨ができている。

 私は一体どれだけの時間語ってしまったのだろうか。

 怖くて時計を見たくない。


「ふぅぅー……美海が彼をどれだけ好いているのかは、よぉーく、分かった。好きにならない方がおかしいってくらい彼が素敵な人ってことも分かった。でもお母さんの顔がリアル福笑い、しかも失敗バージョンになるから、ちょっと休憩しようかな」


 私も頭を冷やしたいから、素直にお母さんの提案を受け入れる。

 手を拭いて、ドラ焼きを食べながら書初めの字をこう君と同じ『明鏡止水』にすることを決めた。


「交際に至るまで仲を育んだとはいえ、交際初日に指輪を渡す彼は、そうね……将来についても真剣ってことなのかしら?」


「うん……そう思ってくれているみたい。18歳になったら、お揃いを付けたいって言っていたから」


「美海も満更ではなさそうね?」


「当然でしょ?」


 呆れた表情をしている。楽天家なお母さんにしては珍しい。

 そんなことを考えていたら、お母さんが突拍子もないことを言ってきた。


「そっかそっかそっか……将来を誓い合っているならお母さんも反対したりしないけどね? 学生のうちはしっかり避妊はしてね?」


「ちょ――ゴホッ――――」


 お茶が変なところに入ってしまって苦しい。

 こんなみっともない姿は絶対こう君に見せたくない。

 でも――こんな姿でもこう君なら喜んでくれそうだなって思えちゃう。


「お母さん、私たち付き合ってからまだ10日くらいだよ。それに、こう君にはまだその気がないから」


 私はすぐに自分の失言に気付いた。

『こう君には』と言ってしまった。

 私はいつでもいい、そう捉えられても仕方ない……まぁ?


 それは本音なんだけど……さすがに、雰囲気とか場所の希望や憧れはあるけど……。


 こう君が望むなら、私はいつでも――――と、とにかく!

 人をおちょくるのが大好きなお母さんに、みすみすネタを提供する様な真似をしてしまった。

 言い訳を考えないと、そう考えを巡らせたのにお母さんは『驚愕』、そんな表情を私に向けていた。


「こーくん……って、言うのかしら? お名前――フルネームは?」


「え? あ、言っていなかったね。八千代郡くんだよ。郡だからこう君」


「ねぇ、美海? その子ってもしかして新潟の――」


「あ、お母さんも覚えていたんだね。そうだよ、私の初恋の人」


『そう――』と言ってから、瞬き一つせず固まるお母さん。

 でもすぐにいつもの調子に戻して質問を再開させた。


「本当に奇跡みたいな運命の相手だね。偶然で鳥肌が立ったのお母さん初めてかもしれない。それにしても八千代くんは、本当に真面目な子なのね。もしかして美海が18歳になるまで手を出さないとか言い出しかねないんじゃない……って――あ、だから明鏡止水を書いたのかな」


「真面目なってことは否定しないけど、書いた理由は違うんじゃない?」


「そんなことないと思けどな?」


「ううん、違うと思う」


 お母さんの言っていることは半分あっている。

 多分、その……私の体に反応してくれていたこととか考えると、一生懸命我慢しようとしていることは伝わってきた。

 だからきっと――それだけじゃないと思うけど、大部分は『明鏡止水』を選んだ理由としては当て嵌まると思う。


 でも、それを肯定すると私が明鏡止水を書けなくなってしまう。

 だから否定するしかない。



 あとは――――。



 こう君は実際に18歳になるまでって言っている。

 私が我慢したくない、先へ進みたいと言った時、こう君に断られたことは少なくないショックを私に与えた。

 けれどそれは、私の為を思って言ってくれたことも理解している。

 私と同じ気持ちでいてくれていることも理解している。


 でも――。


 でも、こう君は怖いんだ。


 もしかすれば子供を授かる行為をすることが。

 自分が父親になれるのか、なっていいのかって。


 私がした質問へ答える、そしてあの時に見せたうれいを感じさせる表情。

 そのことが、こう君の心を如実に物語っていた。

 そしてそれを今度は、こう君はしっかり考え始めている。


 考え過ぎてしまうことはこう君の悪い癖。

 悪い癖だけれど、私はそのこう君を尊重したい。

 こう君なら真剣に考えてくれる。向き合ってくれる。


 だから、私はその答えが出るまで待ち続けたい――。


「ふふ……いろいろあるのね。でも、ガンコちゃん美海はポイってしちゃえ」


 そう言いながら、紙を丸めてグシャグシャってするようなジェスチャーをしている。


「じゃあ、切りもいいし私はちょっと集中するから邪魔しないでね」


「そうね、お母さんはお昼ご飯のご用意でもしてこようかな」


「私、とろろが食べたい」


「お隣の梁川やながわさんから大和芋やまといもを頂いたから大丈夫だけど……」


 一月三日の『三日とろろ』。1年を健康に過ごせるように願いを込めて食べる、東北地方に伝わる風習の一つだ。


 お正月にとろろを食べたいと言ったことのない私が、とろろを食べたいと言ったのも、風習を知っている理由も、お母さんが言葉を溜めている理由に繋がるはず。


「また八千代くんの影響?」


「そうだよ、こう君から昨日聞いたから食べたくなったの」


「あら、開き直ったりして――。でも、八千代くんはどこか年寄りくさいのね?」


 新品の靴を午後に下ろさないとか、冬至の日にゆず風呂に浸かるとか、確かに思い当たる節はある。


「そこもこう君の良い所だよ」


「もう……のろけちゃって。でも――」


「はいはい、もういいですから。出て行って下さい」


 この時私は墨に筆を浸しそれを見ていた。

 だからお母さんの顔は見ていなくて、どんな表情をしていたか分からない。

 どうせまた私をおもちゃにするつもり。そう思っていたのだ。


「さっき言ったあの子が、今は美海と同じように元気に過ごせているって知れて嬉しかったな」


「それって……?」


「ふふ、ご想像にお任せします」


「ちょっとお母さん詳しく教えてよ!」


 和室から出て行こうとするお母さんの腕を掴んで引き留める私。


「八千代くんを見習わないとかな――お母さんとお父さんも」


「やっぱりその子ってこう君のことなんだ!? ねぇ、いつ? いつお母さんは会ったの?」


「新潟からこっちに越して来てすぐのことよ。それより美海?」


『それより』と言って話を変えようとするお母さんには悪いけど、『それより』も私はその時のことが知りたくて仕方がない。


 でもお母さんはそれを上回ることを告げてきた。


「美空はお母さんとお父さんを許してくれるかな?」


「――!!」


「ずっと勇気が出なかったけど、謝りたいの」

「お姉ちゃんは……多分、今でもお母さんたちに怒っている」

「そうよね、それだけのことをしたのだから」

「でもね、嫌っていたりなんてしていない」


 ケンカばかりしていたけど、お姉ちゃんはお母さんとお父さんのことが好き。

 あの時のことをずっと後悔していた・・・・・・


「……そっか。美空は元気で過ごせている?」


「元気に楽しく過ごしているよ。お姉ちゃんに刺さっていた棘もね、こう君が抜いてくれているから」


「――!? 本当に……八千代くんは凄い男の子なんだ」


 私が笑顔を忘れてしまった為にお姉ちゃんはずっと自分を責めていた。

 でも私がこう君のおかげで、また昔みたいに笑えるようになったからお姉ちゃんの心の棘も一緒に抜けている。


 だから今のお姉ちゃんなら、お母さんたちが正直な気持ちを打ち明ければ、きっと許してくれる。


「言っているでしょ? こう君は凄く格好いい男性だって」


「そうね、素敵な男性ね。美空と八千代くんに伝えてもらえない?」


「なにを?」


「夏にでも会いに行くって」


「分かった、任せて。でも、2人に聞いて『いいよ』って言ったら連絡先教えようか?」


 だから――。会いに行くということは自分で伝えてほしい。

 大切な一歩なのだから、私に任せないで、自分で気持ちを伝えてもらいたい。


「ありがとう。その時は教えてちょうだい」

「ん、わかった――」


 連絡先の交換を繋ぐだけの簡単のこと。けれど大切な使命ができた。

 何年も家族4人が揃うことなかったけど。

 こう君のおかげで、また集まることが叶うかもしれない。

 そう思うだけで、凄く心がポカポカしてくる。


「今度こそお母さんはお昼ご飯の用意に――」

「おい、入るぞ!!」


 お母さんが和室の扉襖へ手を掛けようとしたら、その前に襖が開いてお父さんが入ってきた。


「美海、彼氏って? いつから付き合っているんだ? どんな人なんだ? 危ない人じゃないだろうな? お父さん、そういうのはな、高校生の内からは早いんじゃないかと思うんだ。写真はないのか? 美海――」


「はいはい、山人やまとさん。行きますよ。美海の邪魔をしたら悪いでしょ。それに美海が選んだ人ですから、何も心配いりませんよ」


「いや、でもな――」


「いくつになっても仕方のないお人ですね、まったく」


「一言、一言でいいからどんな人かどうか――」


 お父さんの腕を引っ張り、連れ出してくれようとしているお母さん。

 でも、一言だけ教えてあげてといった目を向けてきた。


「ひと言かぁ――ん、そうだなぁ……ちょっと似ているところもあるから、お父さんみたいな人? かな」


 正直に言えば似ていない。

 お父さんは娘の私から見ても綺麗な顔をしているけど、どこか残念な性格をしている。


 トータルで比べたら絶対的にこう君の方が格好いい。

 それに……こう君は『そんなことない』と言うけど。

 私はこう君のことを本当に格好良いと思っている。


 こう君には内緒だけど、あの切れ長の目で『ジッ』と見られると、心臓を掴まれたかのようにドキッとする。ときめいてしまうのだ――。


 ちょっと脱線しちゃったけど、『似ている』と言ったことは別に嘘でもない。

 心配性で細かい性格とかはそっくりだから。


 そして私は狡いことに、私に甘く単純なお父さんにはこう言えば静かになると確信していた。


 案の定『そ、そうか』と、満更でもなさそうにして出て行ってくれた。

 これをこう君に言ったら、きっと『美海は悪女だな』って言うのかな。

 でも、こう君ならそんな私でも好きでいてくれる。


 そんな想像をしてから1時間ほど掛けて――。


「――明鏡止水」


 うん、上手に書けたかな。


 写真を撮り、こう君に送信したら凄く上手だと褒めてくれた。

 お父さんのことは言えない、私も単純だ。

 それだけで嬉しくなってしまったのだから。

 欲を言えば、褒めながら頭を撫でて欲しい……。


「……早く会いたいなぁ」


 会いたい気持ちは募るばかりだけど、こう君のことを考えている時間は結構好きだ。

 会えない時間の大切さも、なんとなく。

 なんとなくだけど、分かった気がする。


 でもやっぱり――。


「会いたいなぁ」


 私を見て、切れ長の目をくしゃっとさせるこう君。

 私が好きな、こう君の可愛くて優しい表情。


 その表情を、こう君を、考えてしまうことは暫らく止められそうにもない。


▽▲▽


【あとがき】

こんにちは。山吹です。

カクヨムで本作の公開を始めて1週間が経ちました〜!!

おかげさまで、ラブコメの週間ランキング77位にまでなれました。

いつもありがとうございます〜!!

残り僅かとなりますが、これからもどうかよろしくお願いします。




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