第264話 私は欲張りだ
「お母さーん、お習字セットってどこにしまってあるっけ?」
「確か2階の和室の押し入れにあったと思うわよ?」
「そっか、ありがとう!」
「なぁに、美海? 書初めでもするの?」
「うん、することもないし久しぶりにしてみようかなって」
「もしかして――」
書初めとは本来、1月2日に行うもの。
それなのに1日遅れ、しかも突拍子もなく私が言うものだからお母さんは何かを疑う目で私を見てきた。
私はこの目をよく知っている。
お姉ちゃんが私を揶揄う時に向けてくる目だ。
嫌な予感がする。
だから、逃げるように背を向けて2階に向かおうとしたが。
お母さんはそんなの関係なしに後ろから言ってきた。
「どうせ彼氏さんが書初めをして、その話を聞いたから美海もしたくなったんでしょ」
「かっ、彼氏だとッ!? 美海に彼氏!? お父さん、そんな話は聞いていないぞ!?」
「もう、お母さんもお父さんもうるさいっ。ちょっと2階で集中してくるから放っておいて!!」
「ふふ、あとでお茶でも持っていくわね」
「美海、話を聞かせなさい。美海――」
図星だ。昨晩こう君と電話した時に美波と2人で書初めした話を聞いたから、私も書初めをしたくなったのだ。
見事に言い当てられてしまったから、つい反抗期の娘みたいに言い返してしまった。
これではいつまでたっても、こう君が好きな大人の女性に近付けない。
目標はお姉ちゃんと美緒さんを足して二で割ったような女性。
私には難しいことだと分かっているけど、どうしても憧れてしまう。
こう君は、好きなタイプは100パーセント私だと言ってくれたけど、包容力のある女性を無意識に好いている節がある。
だから私はそれを目指したい。前以上に憧れる気持ちが強くなってしまった。
「せめてあと10センチ背が大きかったらなぁ」
それは欲張り過ぎか――と、息を吐き出す。
背が低いから、頭上を気にせず押し入れの中に頭を入れても平気だ。
お姉ちゃんや美緒さんは私と背格好を代わりたいと言ってくる。
それらを考えると、ない物ねだりだと理解できる。
けれど、つい願望が漏れ出てしまう。
こう君は頭を撫でやすくて丁度いいって言ってくれる。
それは嬉しい。嬉しいけれど、ちょっと複雑。
あと、言うほどこう君は私の頭を撫でてくれない。
どこか遠慮がちに聞いてから、撫でることが多い。
別に許可なんて取らなくてもいいのに。
遠慮とかしないで、もっと撫でて欲しいのに。
そう思ってしまう。
私が撫でてと言えば済む話だけど、それはちょっと――やっぱり複雑。
「あ、これかな――」
見つけ出したお習字セットを押し入れから引っ張り出し、中身を確認する。
「半紙はあるけど、墨がない……かな?」
どうしよう。ここは
ヨークベニマルになら売っているかもしれないけど、三が日はお休みだ。
でも、
そう、頭を悩ませているとお母さんがお茶を持って来てくれた。
「お茶、ありがとう」
「いえいえ。硯で磨ってまで今年の抱負を書きたいのね」
「うん」
「彼氏さんは何を書いたの?」
「
明鏡止水を選んだ理由は、欲に溺れず常に冷静でいられるようになりたいからと言っていた。
桜梅桃李は、それぞれがその人らしい花を咲かせられる。その意味が名花高校らしいからと言っていた。
「書初めをする性格も、選んだ文字も――真面目な男の子なのね?」
「うん、とっても真面目な男の人だよ」
こう君は、もう少し砕けてもいいと思えるほど真面目だ。
そこが好きなところでもあるのだけれど。
「へぇ、それってつまり、美海はそこが好きってことなんだ?」
「揶揄う人にはもう答えません」
「えぇー、お母さんはただ、美海が選んだ人がどんな子なのか知りたいだけなのに」
「からかったりしない?」
「しない! 指輪についても聞かないから!!」
「もう、そういうところだよ」
「お口、チャックしまーす――」
お口はチャックされたけど、お母さんの目は相変わらず爛々としている。
その目を見ると、信じてあげることが難しい。
「私、下から水を持ってくる」
「あ、いいよ。母さんが行く。階段の下でお父さんがうろうろしているから。美海は待ってて」
それは面倒な予感しかしない。だから素直にお願いすることにする。
「……ありがとう」
「どういたしまして――でも、戻ったら美海のお話を聞かせてね」
「うん――分かった」
私だって別にこう君との交際を隠したい訳ではない。
むしろ大好きな両親に話したい。自慢したいとさえ思っている。
でもお母さんはすぐに揶揄ってくる性格だし、お父さんは過保護で細かい。
だから知られたら面倒になると思って、
最終日に『好きな人ができた』って伝えるつもりで敢えて言ったりしなかった。
指摘されても嫌だから、指輪はこう君がプレゼントしてくれたチェーンに通して首から下げていた。
本当は外したりしたくなかった。右手薬指に着けていたかった。
それなのに――。
我慢してまでした私のささやかな抵抗などお母さんには通用しなかった。
帰省初日、お母さんと2人でお夕飯の用意をしている時だ。
首に掛かるチェーンに気付いたお母さんが、今も見せた目をして言ってきたのだ。
――彼氏でもできたの? それ、指輪でも通しているんでしょ?
って。
そこから質問の嵐。
同じ学校の人なのか。出会いはいつなのか。年齢は年上、年下、同い年とか。どっちが先に好きになったのか。どっちから告白したのか。いつから交際が始まったのか。彼の好きなところは。反対に彼は私のどこを好きになったのか。もうキスをしたのか。その先の事についても――――。
『面白い物を見つけた』って表情していたお母さんに、私は何一つと答えなかった。
真面目に……とまでは言わないけど、茶々とか入れないでくれたら私だって素直に話せるのに――。
「お待たせしました。ついでにドラ焼き持ってきちゃった」
朝ごはん食べたばかりだから、お腹いっぱいなんだけどな。
「ありがとう、お母さん」
「墨を磨る間でいいから、美海のお話聞かせて?」
「この間キッチンでされた質問を一つずつ答えたらいい?」
そう聞き返しながら、硯の陸の部分に水を掛けて磨り始める。
「んー……それでもいいけど、そうだなぁ――」
目を瞑り、腕組み、首を傾げる。
何かを真剣に考える時、お母さんが見せる癖だ。
「美海が……昔みたいに笑えるようになったのはその子のおかげ?」
予想もしていなかった質問で、磨る手を思わず止めてしまう。
私は平常心を装い、お母さんへ質問する。
「……昔みたいにって? 気付いていたの?」
「もちろん……って言いたいけど、気付いたのは美海が美空と同じ名花高校に行きたいって言ってからかな。それからは『あぁ、美海は無理して笑ってくれていたんだ』って知っていたの」
中学3年生になったばかりの頃だ。
名花高校に行きたい。お姉ちゃんと一緒に住んで、名花に通いたい。
私はお母さんとお父さんにそう願い言った。
でもその時、お母さんとお父さんの2人は揃って悲しそうな表情を見せた。
私はその理由について、お母さんたちよりお姉ちゃんを選んだ。だから悲しい表情を見せたのかなって勘違いしていた。
「そっか。でもどうしてその時に気付けたの?」
「……昔にね、似た顔を見たことがあるの」
「似た顔って?」
「美海が名花に行きたいって言った時……美海は『ダメかな?』って聞いたでしょ?」
「うん……多分」
嘘、よく覚えている。あの頃の私はもがき苦しんでいたから。
何かを変えたくて。でも方法など分からなくて。
環境を変えたら何か変わるかもしれない。
お姉ちゃんや美緒さんと一緒なら、変われるかもしれない。
でも――。
お母さんが反対するなら仕方ない、諦めよう。
そう考えて、心配させないように『ダメならこっちで探すからいいよ』と笑って言ったことを覚えている。
「諦めて、でも諦めきれない――苦しそうに笑った子がいたなって。美海とその子が被って見えたのよ」
「そう、なんだ……」
その子がいなければ、お母さんとお父さんはきっと反対していたかもしれない。
そう考えると顔も名前も知らない、その子に感謝しないといけない。
「ちなみにその子の今は?」
静かに首を振るお母さん。つまり知らないのだろう。
「美海と同じように、その子も元気に過ごせているといいけど」
「そうだね、そうだといいな」
優しく、まさに『母』のような笑顔で遠くを見ている。
お母さんはその子の幸せを祈っているのかもしれない。
無関係の偶然出会った子ではないのかもしれない。
まったく知らない子ではないから、
お母さんはこんなにも優しい顔をしているのだ。
「はいっ! それで質問への返事を聞かせてください」
どこかセンチメンタルな空気が漂っていたのに、そんなものは始めから無かったと言わんばかりにお母さんは声のトーンを明るくさせてきた。
感傷的になることは、けして悪い事ではないけど今は明るい気持ちでいたい。
だから私はお母さんに乗っかり、墨を磨るため手を動かし始める。
「えっと、そうだね……彼と仲良くなれたことがきっかけかな?」
「ふむふむ、なるほどなるほど――その詳しい
「んー、いろいろあるからなぁ。何から話せばいいかな」
「そうね、例えば――俺の為に笑ってくれ! とか言われたり? ――なんて、ドラマの見過ぎかしら」
「ふふっ――」
「えっと、美海? まさか本当にそんなことを?」
「似たようなことを言われたなって。僕が安眠できるように、笑って欲しいって。私の笑った顔を見ないと隈が出来て仕方ないからって」
懐かしいなぁ――もう5か月も前のことなんだ。
こう君の口から素っ頓狂で我儘なことを言われるなんて考えてもいなかった。
だから思い出したら可笑しくて、つい、笑っちゃった。
「随分と……オレオレな王子様キャラ? でもぼくっこなら、ボクボク王太子キャラ??」
「ちょっとお母さん、おかしなこと言わないでよ」
「だって我儘じゃない? 安眠したいからって」
「ちゃんとね、凄く優しい理由があるの」
「そう――それならやっぱり、始まりから聞かせてもらいたいな」
「うん、でも墨ができるまでだよ」
「話が終わるまで墨にならない魔法を掛けなくっちゃ」
それから――。
入学前に行った学校見学から話し始めた。
同じクラスになれたから、話し掛けてみたら忘れられていたこと。
クラスメイトから嫌われていた人で、でもそれは勘違いで本当はいい人だということ。
毎日無意識に目で追っていたから気付けたこと。
6月に学生証を拾ったことで、一緒にアルバイトすることになったこと。
私が笑えるように――って、努力してくれたこと。
バス旅行で同じ班になったこと。
その旅行がきっかけで、また笑えるようになったこと。
友達のために一生懸命になれること。
体育祭で本当のドラマみたいなことをやってのけたこと。
奇跡を信じるロマンチスな性格で、簡単に奇跡を起こしてみせる凄い人だということ。
関わった人がみんな幸せになっていること。
今では学校一番の有名人で、一番モテていること。
ルールを守る真面目な人。意地悪な人。ちょっと細かくて心配性な人。
仕方ないなって思わせる可愛い人。
頼りがいがあるのに、実は甘えん坊で可愛い人。
私の変化にすぐ気付ける人。
器用にたくさんのことができるけど、自分の事には鈍い人。
友達、家族を大切にできる人。
他にもたっ――――くさん。
私は語ってしまった。
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