第260話 お兄ちゃんとは呼ばないで

「さて――大掃除よやるわよ


『空と海と。』の大掃除は済んだ。


 けれど僕が住むマンションの部屋の大掃除は終わっていない。

 そのため午前中の時間を使用して、大掃除することが決まっていた。

 やる気を漲らせた掛け声を出したのは僕以上に綺麗好きな母さんだ。


 つまり今日は母さんがする指示の元で大掃除が行われるという訳だ。


 大掃除が終わった後はクロコを連れて実家に帰省する予定なのだが、24日のクリスマスの日から母さんと美波は実家を留守にしている。


 当然に大掃除は終わっていない。

 だから僕の住むマンションの掃除が終わってもゆっくりすることはできない。


 それが意味するのは、

 今日の大掃除は午前午後の二部制となっているということだ――――――。


「綺麗になったわね」

「……勉強になりました」

「疲れた――ママ――細かい――」


 コタツで横になり、ぐったりした様子を見せている美波。

 それもそのはずだ。

 普段から綺麗にしている母さん。

 だから大掃除と言っても、そこまで大変ではないだろうと甘く考えていた。


 けれど実際は鬼のような細かさだった。


 天井の拭き取りから始まり、照明の蛍光灯、カバー、カーテンレールの上、カーテンの丸洗い、壁紙の拭き取り、家具家電一つ一つのチェック。


 普段から綺麗にしているキッチン油汚れや水回りまで徹底する有様だ。

 そして最後は床清掃――と。


 他にもたくさんあるが今は頭が働かない。

 それくらい疲れを感じているというわけだ。


 勉強になったと言った感想に嘘はないが、内心では全力で美波に同意したい気持ちだった。


「例年以上に徹底してた? もしかして」


「そんなことないわよ? 毎年、お使いを理由にしてまなぶさんを含めあなた達を追い出していたでしょう?」


「まさかその短時間のうちに母さん1人で掃除していたの?」


「そのまさかよ――って言いたいけれど、1日では無理よ。少しずつ時間を見つけて掃除していたに決まっているじゃない」


「つまり追い出した時に残りを掃除していたってこと?」


「そ。でも今年は郡という戦力が増えたから、一緒にすることを決めたの」


 なるほど、僕と母さんが互いの本心を打ち明け合い『家族』になったことで、大掃除の戦力として数えられることになったというわけか。


「むぅぅ――」

「いや、美波? 僕のせいじゃないからね?」


「そうよ美波。それに貴女だってお兄ちゃんと一緒で楽しそうに掃除していたじゃない」


「あの、お兄ちゃんって言い方は背中が痒くなるから止めて欲しいんだけど?」


 正直な気持ちを述べただけなのに。

 この直後に居た堪れない気持ちとさせられる口撃こうげきを浴びる事になった。


「どうしてお兄ちゃん?」

「お兄ちゃん――?」

「ナァ~」


「いや、だから――って、どうしてクロコまで?」


「お兄ちゃんのおかげで母さんは楽をさせてもらえたわ。ありがとう、お兄ちゃん」

「お兄ちゃん――いい子いい子――して――?」

「ナァ~」


「いつもみたいに兄さんって言ってくれたらね。あとクロコ? 僕を裏切るの?」


「可愛い妹がお兄ちゃんに頼んでいるのに? 冷たいお兄ちゃんね」

「お兄ちゃん――ダメ――?」

「ナァ~?」


「母さん? 美波? クロコもいい加減に――」


「あら、お兄ちゃんが怒っちゃったわね美波」

「ん――お兄ちゃん――怒ったら、め――!!」

「ウナァ~」


「…………」


「ふ――ふふふ、ごめんさない、郡。少し揶揄い過ぎたわね」

「ごめんね――兄さん――?」

「ナァ~」


 黙り続ける僕に対して、クロコは僕の脚に頭を擦り付け、美波は僕の右手を擦り、母さんは頭を撫でてきた。


 見事なまでの手の平返し。

 と言うよりも、まるで僕が悪いみたいな扱いだ。


 こんなところで反抗期を迎えている子供の気持ちが分かってしまったことは複雑だが、怒った振りをしていたことは確かだ。


 あちこち撫でられ続けるのも、いい加減に恥ずかしくもなってきた。


「もう、いいから。それより買物に行かないと。冷蔵庫空っぽなんだから」


 僕の家から持ってきた余り物と呼ばれる僅かばかりの野菜たち。

 これで年末年始を過ごすには侘びし過ぎる。


 そう思っての提案だったのだけれど、生温かい目を向けられることになった。


「えっと、その目は何?」


「いいえ。私の息子は可愛いなって目よ。それより外は寒いから、ちゃんと暖かい格好をしていきましょうね。美波も着替えてきなさい――」


 どこか納得のできないまま、母さんの運転する車でイトーヨーカドーへ移動する。

 年末という時期もあり、平面駐車場を始めとして立体駐車場の4階部分までもが満車に近い状態だった。


 空きを求めグルグル10分ほど回ったところで、2階部分に駐車することができた。

 自宅からイトーヨーカドーは徒歩数分しない距離にあるため、歩いた方が早かったかもしれないけど、荷物を抱えて雪道を歩くのは危険でもある。


 それに車内で美波とあっち向いてホイをしていたから、あっと言う間でもあった。


 エスカレーターで2階から1階へ降り、食品売り場の青果コーナーから順に回って歩くことになるのだが――。


「いちご――」


 僕の手を引いた美波が果物売場へ直行する。


「甘い匂いがして美味しそうだけど……まだ高いね」

「ダメ――?」


「んー……いいんじゃない? ダメって言われたら僕が買ってあげるよ」

「ん――ありがとう――」


「可愛い妹の頼みだからね」


 いちごを1パック手に取り、野菜を見て歩く母さんの元へ行くが、特に反対されることもなかった為、そのまま買物カートへ入れた。


「郡は食べたい果物ないの?」


「りんごとみかんが食べたいかも」


「みかんは今年も千葉の実家から箱で届くから、りんごだけ持って来なさい。あ、母さんは王林おうりんが食べたいからそれも一緒にお願い」


 今度は僕が美波の手を引いて果物売場へ移動して、サンふじと王林を二玉ずつ持って、買物カゴへ追加した。


「あのね、郡。みかんは明日届く予定なのだけれど、今日食べたかった? それなら持って来ても――」


「1日くらい平気だよ。気にしないで」


「そ。それならいいのよ。それより夏にでも遊びに連れて来いって言っているから、来年は郡も連れて行くから覚悟しておいてね」


 中学2年の冬。一度だけ母さんのご両親が福島へ遊びに来たことがある。

 母さんに似て、厳格なご両親かと想像していたが全く違った。

 むしろ『奔放』。そんな言葉が似合う自由人だった。

 おそらく母さんはご両親を反面教師にしたから、しっかりした性格になったのだろう。

 そう思わされる日々だった。


「クロコに負担が掛かるから、僕は遠慮したいかな」


「郡は私に似ているからね、痛いくらい気持ちは分かるけど我慢なさい……でも、そうね。確かにクロコも歳だから心配よね」


「それにバイトもあるから少し厳しいかも」


「美海ちゃんにも会えなくなるものね」


「確かに。それは嫌だな」

「恥ずかしげもなく言ってのけるのね? でも、母さんには断っておくわ」


「別に恥ずかしい事じゃないから。あと、僕とクロコは留守番するから2人は行って来てもいいよ?」


「何言っているの? 郡と美波に会いたがっているのだから、向こうに来てもらえばいいのよ。そうだわ、せっかくですし美空さんや美海ちゃんを紹介してもいいかもしれないわね」


「お泊り会――?」


 美海や美空さんに迷惑じゃなかろうかと思ったが、美波が乗り気なら聞くだけきいてみるか。


「ちょっと今から聞いてくるよ」

「後にしなさい。せっかちね」

「それもそうか。あと、せっかちなのはきっと母さんに似たんだよ」


 美海と美空さんの意思を確認して、もしも2人が乗り気なら母さんから美空さんへ挨拶をする。


 母さんから割と本気のデコピンを食らってから、諸々の流れで決まった。


 それから今日の夕飯となるお鍋材料や年越しそば用の海老など天ぷら材料、お正月に食べるお雑煮の材料が次々に買い物カゴへ追加されていく。


「今日はお鍋でしょ、明日の昼はお寿司を取って夜は年越しそばにするけどいいかしら?」


 文句など何一つとないメニューだ。

 今考えるとお寿司も随分と食べていないから楽しみでもある。


「もちろん」

「おせち――?」


 今年の2月に父さんが他界しているため僕らは喪中でもある。

 新年の挨拶はもちろんのこと、お節料理を食べることも避けた方がいいことである。


 美波は頭がいいけど、まだ15歳なのだ。

 当然ながら知らないことの方が多い。

 そのため、母さんも怒ったりはせず、言葉を選び優しく諭すように美波へ説明する。


「兄さん――」

「気にしないで。来年はいっぱい食べようね」

「うん――」


 シュンとした様子で頷いた美波だったが、お腹から『グゥー』と音が鳴った。

 マイペースな性格で大抵の事には動じず、毅然きぜんとした態度を崩さない美波にしては珍しく、ちょっと恥ずかしそうにした様子だ。


「その前に今晩だね。帰ったらいちご食べよっか?」

「食べる――!」


「美波の誕生日は3月だから、いちご狩りに行ってもいいかもね」

「行く――絶対に――行く――!!」


 興奮する美波の頭を撫でてから、約束を結ぶ。

 満車に近い駐車場、混み合う店内を見て予想はしていたが、レジは大行列だった。


 美波の携帯で、おっちょこちょいな動物の映像を見ながら並ぶ事10分。

 それから買物を済ませて、家族3人1袋ずつ買い物袋を持ち車へ戻る。


 母さんが夕飯を用意してくれている間、順番にお風呂を済ませ、美波と互いにドライヤーを当て合い髪の毛を乾かす。


 体のあちこちに筋肉痛を感じながら夕飯をいただく。


 疲労からか美波が寝てしまったため早めの就寝となり、今も残されていた自分の部屋で美海に今日の話をしてから眠りに付いて、1日が終了となった。

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