第259話 スキップは得意です

「よいお年を!」


「また来年も、どうぞよろしくお願いしますね」


「美空、美海、八千代くん、莉子、今年もお世話になりました。また来年もよろしくお願いします。後のことはお願いね、よいお年をお過ごしください」


『空と海と。』の仕事納めとなる12月29日の金曜日。

 万代さん、紫竹山さん、新津さんの3人は17時退勤のため、一足早く年末の挨拶をそれぞれの言葉で残して帰宅して行った。


 お店は17時閉店のため美空さん、美海、莉子さん、僕ら4人も退勤してよさそうなものだが、一番大切な仕事が残されている。


「では、大掃除の時間です」


「こう君張り切っているね」

「郡くんに粗を探されそうでお姉さん怖いかも」

「郡さんは潔癖とは違いますけど、本当に綺麗好きですよね」


 僕は別に粗を突いたりする小姑ではない、と美空さんへ突っ込みをしてから、普段から気になっていた箇所を徹底的に掃除する為、3人へ指示を出して行く。


 美空さんには事務所と休憩室。

 莉子さんには更衣室から清掃して終わったらキッチンへ。

 美海は最初からキッチン、そして僕は店内を。

 手が空いた順から、倉庫やストックの清掃をする流れとなる。


 責任者である美空さんではなく、僕が指示した理由は、掃除や片付けの苦手な3人から頼まれたからだ。


 それなのに『細かい』と声を揃えて言われたのは、少々不満である。


 雑談を交えつつ約4時間、退勤時間となる21時まで大掃除を行った。

 掃除とは日頃使わない筋肉を使ったりする重労働でもある。


 さらに営業終了後の為、疲労困憊となってしまったが綺麗にすることができた。

 これでスッキリした気分で年を越すことができるだろう――。


「じゃあ、莉子さん。雪が溶けたら、また朝一緒に走ろうね」


「体力がなくなりそうですし、早く溶けて欲しいですね」


「走る時間と同じだけ筋トレしたらいいよ」


「そうします。ですが、美海ちゃんと郡さんの熱々バカップルパワーで雪を溶かしてくれたっていいのですよ?」


『はいはい』と流してから、莉子さんと迎えに来た莉子さんのお母さんへ挨拶をして、今年最後のお見送りをする。


 それから美空さんと美海をアパートまで送り届ける。


「お姉ちゃんもうクタクタだから先に部屋へ入っているわね」


「私はもうちょっとだけこう君とお話してから入るね」


「寒いでしょ? 部屋に上がって貰えば?」


「いえ、長居はしませんので――」


 美空さんは明日から年明けまで美緒さんと一緒に、美緒さんの実家がある新潟へ旅立つ。

 そのため、この場でお世話になったお礼と挨拶をしてから別れを済ませる。


「寂しいなぁ……」


「次に会えるのは早くても5日になるね」


 美海は明日から1月5日まで実家へ帰省するため、約1週間会えないことになる。


「……こう君はあまり寂しそうじゃないね?」


「美海に僕の心が見えたらいいのに」


「こう君の心を覗いてみたい気持ちはあるけど、私が欲しかった返事と違う」


 いじけた表情をして『ジッ』と見上げてくる。

 僕が映りこんでいるのが分かる綺麗な瞳。唇も艶がありとても綺麗だ。


「寂しいに決まっているでしょ。繋ぐ手を離さないで、連れて帰りたいって考えたりもしたし」


「そうなの?」


「嘘なんか言わないよ」


「ん、そうだよね……こう君――」


『好き』と小さく漏らすように呟いた美海は、僕の胸へ頭や体を預けてくる。

 その美海を包む様に、右手を美海の背中側へ回し込み抱き締めてから、倍以上の気持ちを乗せて、優しい声色を意識して同じ言葉をお返しした。


 暗くても見える白い息。


 23日ほどの量ではないが、度々雪が降っているため未だに雪が残っている。

 ただでさえ寒いのに、積もっている雪を見るだけでもっと寒く感じてしまう。


 けれど、こうして美海と体を寄せ合っているとその寒さも和らいでくる。


「ねぇ、こう君? ちょっと恥ずかしいこと……お願いしてもいい?」


 右手には手袋を嵌めている為、残念ながら美海の柔らかな髪を堪能することはできないが、『どうぞ』と言いながら美海の髪を撫でる。


「何か、その……こう君の身に着けている物をね、お借りしたいなぁ……なんて?」


「いいけど条件があるな」


「いいよ。その条件を呑ませてもらいます」


「僕はまだ何も言っていないんだけど?」


 抱き合っている為に美海の表情は見えないが、僕の返事に不満を抱いたことが伝わってきた。


「……早く言って?」


 やはり予想は正しく、美海の声はどこか不機嫌色がこもっている。


「僕にも何か、美海が身に着けている物を貸してほしいな?」


「…………」


 あれ、返事がない。気持ち悪いと思われたのかと不安になってしまう。


「美海さん?」

「キス――」

「え?」

「キスして欲しいって言われると思ってた」

「そうな、の?」

「だってさっき、こう君私のお口を見ていたから」


 確かに見ていた。乾燥している僕と違って、美海の唇は綺麗だなって。

 思わず美海を撫でる手を止めてしまったら、美海は僕の胸から頭を離し、上を向いて不満の目を僕の目にぶつけてきた。


 タイミングが合わずに……は、言い訳かもしれない。

 どことなく気恥ずかしくて、24日を最後にキスをしていない。


 いや、これも言い訳だ。


 人の目がないとはいえ、一度でも外でキスをしてしまったら見境なくなってしまいそうで怖かったのだ。


 でも、そのせいで美海に不安を抱かせてしまうくらいなら――。


「――いい?」

「いいに決まっているよ?」

「目、瞑って?」

「うん――」


 半歩だけ美海から体を離して、軽く触れるくらいのキスを交わす。


「……こう君の唇が冷たいかどうかも分からなかった」


 要は遠回しにもっとして欲しいと訴えているのだろう。


「……僕がいいって言うまで瞑って?」


『うん』と返事をもらってから、先ほどの行動をなぞるが――。

 今度は、温かくなるまで僕が『いい』と言うことはなかった。


「ん、ふふふ」

「可愛く笑ったりしてどうしたの?」

「んー? 嬉しいからに決まっているでしょう?」

「それなら良かった」

「こう君は?」


 美海の緩んだ頬を見れば、分かっていて聞いていることが分かっている。


「僕の緩んだ頬を見れば分かるでしょ?」


「『いい』って言うまで目を開けるなって言った強引なこう君も悪くなかったけど、ふふ、今の可愛いこう君もやっぱり好き」


「そ……ありがとう」


 僕がする精一杯に強がった返事など美海にはお見通しなのだろう。

『可愛すぎ~』と言いながら美海は頭を僕の胸に押し付けグリグリしてきた。


 僕としては美海がする行いの方が『可愛すぎだろ』って思っていた。


 グリグリ攻撃が止んだタイミングで、繋いでいた左手を離す。

 それから美海の乱れた前髪を軽く整えてあげて、再度ポケットの中で繋ぎ直す。


「ありがとうっ」

「いえいえ。それでどうする?」


「んー、マフラーとか借りたらダメ?」

「それじゃあ、マフラー交換といきましょうか」


「はいっ、喜んで!」

「先に外して? 僕のマフラー巻いてあげるから」


「え、やだ。止めて」

「やだ……」


 僕のマフラーを巻きたくないのか、僕に巻かれるのが嫌なのか不明だが、美海からの拒絶は僕に少なくないショックを与えてきた。


「あ、違うの。そんな悲しそうな顔しないで」

「やだなんでしょ?」


「えっとね、その……引いたり、しない?」

「しない」


 僕が美海に引くことは限りなくゼロだろう。


「そのね……身に着けるものを借りたい理由は、こう君の匂いのする物が欲しくて」

「つまり?」


「今、私が身に着けたら私の匂いが付いちゃうでしょ? それが嫌だったの。会えない日ように取って置きたくて」

「かわいい」


「え――きゃ――」


 あまりにも健気で、あまりにも可愛すぎて、抱きしめられずにはいられなかった。

 美海を疑った自分を殴ってやりたい。


「ふふふ、今はこう君の匂いでいっぱいだね」

「僕は反対に美海の匂いでいっぱいだ」

「あまりいっぱいは嗅いでほしくないかも」


 一仕事終えてからシャワーを浴びていないことを気にしているのだろう。


「気にしないで。いつだって良い匂いだから」


「そう言ってくれるのは嬉しいけどね、女の子としては複雑なの」


「乙女心ってやつだ」


「そうそう。だからね?」


「でも、僕だって汗臭いはずだと思うんだ。だからお相子ってことで」


「こう君は……むしろ汗を掻いている方が落ち着く匂いかも」


「美海さんはいつの間に変態さんになったのか」


 そう言いつつも、僕も美海が汗を掻いたあとの匂いが好きだったりする。

 つまり僕らは変態カップルなのかもしれない。


『うぅー……』と唸るように文句を訴えてくる美海を宥めながら、暫し匂いを堪能する。


 1週間分の補充を済ませてから、

 言いたくないけど言わなくてはならない言葉を発する。


「そろそろ……帰らないと」

「うん……」


「夜、電話するから」

「夜だけじゃなくてもいいよ」


「通話しながら勉強するのもいいかもね」

「うん、楽しそう」


「なんか、遠距離恋愛中みたいだね」

「ふふ、確かに」


「美海?」

「なぁに?」


 僕を見上げる美海と目を合わせる。

 右手に着けていた手袋を外し、冷たくなった美海の髪を撫でる。

 髪から耳や頬の辺りへ移動させると、甘えん坊の時に見せるクロコのように頬を手の平へ擦り寄せてきた。


「美海」

「なぁに?」

「好きです」

「ん、私も好きです」


 静かに瞼を閉じた美海と今年最後のキスを交わす。

『んふふふ』と笑い、相貌を崩した美海に見送られ――。


 気が付けばスキップしそうになる気持ちを抑えながら、帰路に就いたのだ。

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