第254話 煽られ耐性はないようです
クリスマスイベントが決まったきっかけについて。
『空と海と。』で催したことのない、クリスマスを利用したこれまでにないイベント。
イベントという名を冠しているのだから、可能な限り多くの方に参加して頂きたい。
けれど普段の客席数では限界がある。
さて、どうしたものか。
「みんなで話し合いましょう――」
美空さんが発した言葉をきっかけに始まるブレーンストーミング。
略して『ブレスト』によって、従業員全員でクリスマスイベントについて決まっていくことになった。
万 代「席をどうにかしねーといけねーよな」
八千代「増やすには消防法がありますからね。ケガの原因にもなりえますし」
紫竹山「離れの倉庫に小さなテーブルがあるわよね」
莉 子「取り換えるのですか?」
美 海「んー……みすぼらしいと思うなぁ」
美 空「でも、人を呼ぶにはそれがいいのかなぁ」
新 津「言い難いけれど人員の限界もあると思うのぉ」
「「「「「「「んー……」」」」」」」
万 代「いっそのことソファ席まるごと撤去するってのは?」
美 海「店内を広く使うってこと?」
美 空「席がなくなったら落ち着けないんじゃない? クリスマスなのに」
美 海「食事はゆっくりとりたいよね」
八千代「……いえ、逆にありかもしれません」
莉 子「と言うと?」
八千代「逆にそっちへ振り切ってしまいましょう」
「「「「「「振り切る?」」」」」」
八千代「ええ、何も落ち着いて食事を取るだけがクリスマスではないと思うんです」
美 空「つまり……例えば賑やかなパーティのような形を取るってこと?」
八千代「そうです。面白いと思いませんか?」
莉 子「面白いかもしれませんね。パーティはワクワクしますし」
美 海「落ち着いた雰囲気を好んで来てくれるお客様が反対したりしないかな?」
美 空「完全予約制にして行うのはイヴだけ。25日は臨時営業日にして大変だけど限定メニューを用意しましょう。出来ればみんなにも出勤をお願いしたいのだけれど……」
「「「「「「もちろん」」」」」」
美 空「ありがとうっ!!」
莉 子「イヴだけだと不公平になりますからね」
美 海「あと、予約制なら計画もしやすそうだね」
万 代「けど準備や片付けがやばそうだな」
紫竹山「前日の夜から……朝も早く来ないとダメそうねぇ」
美 空「……午前中は準備に充てて午後から三部制で計画しましょう」
美 海「いいのお姉ちゃん?」
美 海「ありがたいことに、お店の料理が大好きな常連様が多いから、普段のメニューにない料理を用意して満足度をあげたら喜んでもらえるかなって」
新 津「それなら最低限の椅子だけを用意して、ビュッフェのような立食スタイル形式にしたらいいかもしれないわね」
美 空「いいわね、せっかくだから利益度外視でやりましょう」
万 代「それなら満足度も跳ね上がんな!」
紫竹山「やる気出て来たわね」
八千代「以前から計画していた音楽祭を実験的に行ってもいいかもしれません」
美 空「
「「「もちろんっ!!」」」
莉 子「決まりですね」
美 空「残りは少しずつ詰めていきましょうか――」
否定……とまではいかないが、
反対意見もあり、ブレストのルールから逸した場面もあったが――。
こうして決まったクリスマスイベント。
全員で話し合い決めたことで、やる気も十分。
美空さんから特別手当も頂けるため、万代さん、紫竹山さんのやる気はさらに跳ね上がった。
1カ月超の準備期間を経て開催された第一部目となる13時から始まったクリスマスパーティ、お客様の割合は古町先生を含む常連様が多くを占めていた。
落ち着いた雰囲気を好むお客様からの反対を懸念していた美空さんだったが、それは杞憂に終わった。
ほとんどのお客様が友人と共に来店してくださり、普段と異なったお店の雰囲気に頬を緩め、料理はもちろんクリスマス限定料理やケーキ類に舌鼓を打ち、クリスマス演奏会を楽しんでもらえることができた。
お見送りのさい、嬉しそうに焼菓子を受け取ってくれていたし最後まで楽しんでもらうことはできたと思っている。
中には声を掛けてお礼を言ってくださったお客様もいた。
「私たち夫婦は、こう言った催しに参加するのは避けていたけど楽しかったわ」
「ありがとうございます。楽しんでいただけたなら、頑張った甲斐がありました」
「私の妻は君の大ファンなんだよ。以前、君が働いていたお店から追っかけてしまうほどの」
「ちょっとあなたっ! 余計なこと言わないでよ」
「……光栄に思います」
以前アルバイトをしていた『ヴァ・ボーレ』からの常連様だと言う、このご夫婦のことは存じている。
静かに食事を楽しみ、決まって最後は『バナナの天ぷらバニラアイス添え』を注文して、夫婦仲良く分け合い食べているため印象に残っている。
ただ、余計な会話など一切したことがないため、ファンだと言われても返答に困ってしまう。
「大抵は、暫らく通うと店員さんが話し掛けてくれたりするんだけど、私たちはそれが億劫でね。けど、君やこのお店の人はそんなことがないから過ごしやすいんだよ」
その気持ちは痛いほど分かる。
通っていれば顔を覚えられることは仕方がないと思うけど、知られているとハッキリ分かると居心地が悪くなってしまうのだ。
紅茶屋さんや、三穂田さんが働くパン屋さんなど、腰を落ち着かせることのないお店はその限りではないが、カフェなどのゆっくりした空気を楽しみたい場所では、声を掛けてほしくはないと思ってしまう。
だから僕は、常連様から声を掛けられない限りは話し掛けたりしない。
美空さんも同じ考えのため、万代さんを始め他の従業員にもそれを徹底している。
「それを暴露されたら、私、もう通い難くなってしまうんだけど……」
陽気に笑う旦那様には悪いが、全力で奥様に同意したい。
「僕は……これからも何か対応を変えたりすることはないので、どうか、いつでもいらして下さい」
この返答が正解かは分からないけど、恥ずかしそうにしながらも柔和な表情を浮かべてくれた奥様を見るなら、間違いではなかったと思いたい。
「……今度、娘と息子も連れてこようかしらね」
「下の2人は反抗期真っ盛りだから、大人しく付いて来るかは怪しいがね」
このお店を知るお客様が増えることは嬉しいけれど、反抗期なら難しいかもしれない。
度合いにもよるだろうけど、期待せずに期待しておこう。
矛盾した気持を胸に抱き、最後に礼を言って仲良く腕を組み去って行く素敵な夫婦の後ろ姿を見送る。
「素敵なご夫婦ね。郡くんも、あんなご夫婦を目指したり?」
「確かに素敵なご夫婦でしたね」
「それで?」
僕にどうしても言わせたいのか、美空さんは揶揄うようなイタズラな表情を向けてくる。
「僕は美空さんのことも幸せにしたいと考えていますよ?」
「……へぇ? でもそれって、美海ちゃんが私を大切に思っているからって意味なんでしょ、どうせ?」
さすが美空さん、当然のように的中させてくる。
だがそれだけでは解答としては不十分だ。
「もちろんです」
「もう、生意気!!」
綺麗なお姉さんにデコをちょんと弾かれるのも悪くないよな。
「ですがそれは、僕が美空さんを大切に思っているのが根底にあるからですよ?」
「み……美海ちゃん一筋にしてあげてくださいっ」
不意をつけたのか、変な日本語になっている。
美空さんは意外と抜けていると言うかポンコツな面もあるよな。
そこがまた魅力的なのだけれど。
「赤くなっていますよ?」
「つ――!? もう、ほんと生意気っ!! あと、傲慢っ!!」
最後に頬を抓られてから、第二部へ向けての準備に取り掛かる。
普段、揶揄われることの多い僕が美空さんを揶揄うなど滅多にない状況。
そのため、このまま美空さんとの会話を楽しみたい気持ちもあるけれど、キッチンでは延々と調理がなされている修羅場と化しているから、僕だけが楽しむ訳にもいかない。
使用済みの食器の片づけや清掃、お出迎えするためのセッティング等、することは山ほどあるうえ、時間は30分の猶予しかない。
新津さんや莉子さんからも『早く働け』と言った視線が届いているし、きびきび働くとしよう。
アルバイト開始前に体で返すと誓ったことを思い出し、急ピッチで準備を整え迎えた第二部は、常連様も見受けられたが、見覚えのないお客様も多数いらした。
楽しんでもらえるか多少の不安はあったが、第一部での経験もあり、問題も起きないまま1時間30分が終了となった。
出入り口で見送りつつ焼菓子を手渡す時にお礼を言って下さったから、楽しんでもらえたと分かった。
すぐに第三部の準備に取り掛かってもいいけれど、さすがに通しで働くには体力の限界もある。
そのため、清掃をしてから全員で1時間の休憩を取ることに。
キッチン組が賄いを用意してくれていたため、美味しくお腹を膨らませて体力の回復をはかった。
第一部が始まる前に約束していた美海のサンタ姿を拝ませてもらったことで、精神的疲労も完全回復するに至った。
ミニスカートを履き、頬を染めながら恥ずかしそうにもじもじする姿は、何と言うか、庇護欲が生まれて守ってあげたいと思わされた。
悪ノリした美空さんや莉子さんに『今だ』『押し倒せ』『キスしろ』など、揶揄われたりもしたが、人前でキスなど出来る訳もなく抱きしめるだけに留めておいた。
「美海、抱きしめてもいい?」
「え、いまここで?」
「そう、今すぐ」
「……ちょっと恥ずかしいかも」
「ダメ?」
「いいけど……」
ならば――と、そう思ったが、美海の言葉には続きがあった。
「でもね……そう言うのはね、訊かないでしてくれた方が……私は嬉しいな」
つまり強引に抱きしめてもいいということだろう。
許可を得ると同時に美海を抱き締めると、美海もすぐに僕の背中へ両手を回してくれた。
ずっとキッチンにいて油の臭いがついているはずだというのに、美海からは石鹸のいい匂いしかしないから不思議に思う。
それと、美海を抱き締めることで幸福感を得ると同時に、背徳感が生まれてきてしまう。
サンタさんの原型は確か神学者でもあり守護聖人でもある人だ。
その姿に扮している美海を抱き締めていると、悪いことをしている気分にさせられてしまったのだ。
だが、止めることはできない。
そう考え、さらに強く抱きしめようとしたが、ストップが入ってしまう。
「あの、ここは職場なんですけど?」
「煽った莉子たちにも非はありますけど、まさか本当にイチャイチャするとは思いませんでしたよ」
「お前ら家でやれ」
「やっぱり歌にしたいと思わない?」
「今度、歌詞書いておくわね」
最後に理不尽なことを言われる結果になったが、1時間の休憩でしっかり英気を養うことが叶い、第三部へ向けて準備を始めることになった。が――。
「もう一度だけ……」と美海にせがまれたことは、みんなには内緒だ。
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