第251話 内出血の治療法は……あ、なんでもないです

 リビングに戻ると、美海も食器を洗い終わったところだった。

 昨晩に続き、1人で先に雪を見てしまったことを怒られるかなと考えながらも、美海へお礼と一緒に注意を促す。


「朝食も、食器もありがとう。紅茶淹れるから、今度は美海がゆっくりしていてよ。あと、思ったより雪も積もっているみたいだから12時になったら出ようか」


「ありがとう。お言葉に甘えて、ゆっくりさせてもらうね」


 触れないということは、予想に反して雪についての不満はないようだ。

 それならそれでいいのだけれど。


「あの、美海さん? 僕に気にせずゆっくりしていいんだよ?」

「んー? してるよ? こう君にくっつくのがゆっくりだもんっ」


「そっか、それなら仕方ないのかな?」

「うんっ!」


「でも熱湯を注ぐときは危ないから離れてね?」

「はぁーい!」


 背中へ抱き着いている美海。

 そのため後ろから元気な返事だけが聞こえてきた。

 どんな表情を浮かべているのか気にはなるけど、熱湯を取り扱うのだから紅茶へ集中しよう。


 ただ、ちょっとな。

 頭をグリグリしてくるのとか可愛いなって思う――。


「あとは注ぐだけだから、先にソファに行ってて」

「寂しいけど、危ないもんね」


 カーテンの時もそうだが、今は同じ室内にいる。

 キッチンとソファも目と鼻の先と言ってもいい距離だ。

 それなのに、チラチラと後ろへ視線を送って来る美海のいじらしさに僕は悶絶寸前である。


 前に美海を含めた書道部のみんなから頂いた『オータムナル』をカップへ注ぎ、食後のティータイムを楽しむ。


 天気予報やニュースを確認するため、少しだけテレビをつけたがそれも5分程で消した。

 今日の天気は晴れ。今の時間も陽が差しており、クロコは食後の日向ぼっこを楽しんでいるようだ。

 尻尾もゆらゆら揺れているからご機嫌なのだろう。


 ご機嫌と言えば、美海も同じくご機嫌に見える。

 手を繋ぎ、僕の肩に頭を乗せ鼻歌を歌っているからな。


 繋ぐ手はいつもと同じ。僕が左手で美海が右手。


 昨晩から、美海の右手薬指には僕が贈った指輪が嵌められている。

 装飾が施されたいかつい指輪じゃなく、シンプルな指輪。


 それでも僕の指には美海の指と違った感触が伝わってきている。


 率直に言えば、慣れないため違和感がある。

 だが、その違和感も含めて言い様のない多幸感の波が押し寄せてきている。

 簡単に言えば、嬉しいのだ。


 贈った指輪を美海が大切に身に付けてくれていることが。


「そう言えばこう君? さっき部屋で何かしていたの? 少し戻って来るまでに時間がかかったように思ったけど」


 していたことと言えば換気と外へ向けての一礼となるが、そうだな。

 今日は美海に驚かされてばかりでもあるし、意趣返しではないが少し仕掛けてみるか。


「美波が触ったのか、中学のアルバムの並びが変わっていたんだよね」


 並びを直したのは昨日だけど、さっき直したとは言っていないから嘘は言っていない。


「そ……そうなんだ? 相変わらず細かい所まで見ているんだね」


「背の高さが揃っていないと気持ち悪くて。だから、そこまで細かいと思わないけど?」


「わ、私はあまり気にしないな。それより、こう君はアルバム見たりしないの?」


 普段の僕なら、言葉を詰まらせている美海を指摘したりするが、今はまだ我慢だ。

 それよりも垂らした釣り針に引っ掛かったことで、思わずにやけてしまいそうになる頬を抑えることに集中しよう。


「時間もあるし見てみようかな」

「ほんとっ!? 私持ってくる!!」


 今日一番の勢いで僕から離れて行く美海に少しばかり寂しい思いにさせられたが、1分としないうちに僕の前へ戻ってくる。


 どうしてかアルバムと一緒にサインペンまで持たれている。

 うん、分かっている。

 きっと最後に、僕へ書き込みをお願いするつもりで持ってきたのだろう。


「こう君、体勢を横にできる? あと足は胡坐あぐら? を組む感じで」


「えっと、こんな感じ?」


「うんっ! ちょっと失礼します」


 そう言って美海は、胡坐を組む僕の脚の上に座り、僕を背もたれにするような感じで体を預けてきた。


 要は、僕が後ろから美海を抱き抱えるような体勢だ。


「大丈夫? 重くない? 見える?」


「美海は全然重くないから大丈夫だよ。美海があと2人いても平気かも」


「ふふ、それはさすがに重いんじゃない? でも、平気なら良かったっ」


 まったく重くないし、たとえ重いと感じても重いなどと言えるわけもない。

 重さよりもだ、美海の頭がすぐ目の前にある方が問題だ。


 匂いが良すぎるのだ。


 美海の柔らかく華奢な体も合わさり、僕を誘惑してくる。

 おかしいな、美海をからかうつもりが何故か僕の方が不利な状況になっている。


「じゃあ、私が開いていくからこう君は後ろから見ていてね。こう君や美波、幡くんの写っているページは全部覚えているから」


「え、全部? それは凄いね」


「あ……愛の力?」


 耳まで染めて言ってくれる気持ちは嬉しいけれど、恥ずかしいなら言わなければいいのに。


「ありがとう。好きだよ、美海」


「ん、私もこう君が好き」


 やっぱりおかしいな。ただ、アルバムを見るだけ。

 そのつもりだったのに、何かもう愛しさが込み上げてきている。


「アルバムを見ている間はね、こう君も暇でしょ?」

「いや、暇どころか美海を抱き締めるので忙しい」


 もう少し言えば匂いを嗅ぐのでも忙しい。


「うう……そ、それならね、私の頭を撫でたりなんて?」


 返事もせず、ただ無言で撫でてしまう。


「なんか……なんだか、すごく幸せだなぁ」

「僕も一緒。美海、ちょっとだけこっち向いて」


 意図を察してくれたのだろう。

 頬を少し染めながら振り向き、目が合うと、その目を閉じてくれた。


「「――――」」


 一度だけ唇を重ねてからアルバムを見ることに。

 美海は宣言した通り、僕が写るページに集中して開いて見せてくれた。


 とは言っても、僕が写るページはほんの少し。


 写真映えのいい幸介や美波のおまけのように写っているくらいだからな。

 それでも美海は楽しそうに、僕よりも詳しく説明をしてくれた。

 それだけでアルバムを見て良かったなと思えた。


 ただ、これから美海へ意地悪なことをすると考えると、少しばかりの罪悪感を覚える。


「これで終わりっ。あとは……寄せ書きのページだけかな。開いてもいい?」


 いよいよ来てしまったようだ。


 美海の表情は悪戯とはまた違う、少し緊張したような面持ちにも見える。


 僕を驚かせたい気持ちもあるけど、見せるには恥ずかしいことも書かれているから緊張もしているのかもしれない。


「うん、お願い」


 本来なら、幸介と美波だけに寄せ書きされているページ。

 でも今は、7月を始めとしたお泊り会から、僕の気付かぬ間に美海が追記している。


 その内容は、

 まるで僕と美海の足跡にも思えてしまうことが書かれている。


 7月3日

 こう君、友達になってくれてありがとう。ずっと友達でいようね! 美海


 9月26日

 私は、こう君と友達の先に進みたいです。こう君はどうですか? 美海


 12月23日

 こう君、私を彼女にしてくれてありがとう。凄く、幸せです。これからもよろしくお願いします。好きだよ、こう君。追伸 年上の人に目移りするのは我慢するけど浮気はダメだよ? 美海


 7月も9月も気付かなかった。

 12月に関しては昨日の事だ。


 昨晩、僕が脱衣所で聞いた扉の閉まる音。

 あの音は、美海がこっそり部屋でアルバムに追記していた時の音だったのだろう。


 そして今度は僕が、美海がお風呂に入っている間に追記したことだ。

 こうして見ると、かなり恥ずかしいことを書いているな。

 美海だって固まってしまっている。

 引かれたりはしていないだろうけど、どんな感想がくるか怖くもある。


 12月23日

 こらからの未来、僕は美海と歩んで行きたいです。

 だからこれからも、そばにいてください。 八千代郡


「返事が聞きたいな?」

「――!?」


 集中し固まる美海の耳元で話し掛けたせいで、驚かせてしまったみたいだ。


「こう君のイジワル……分かっていてアルバム見たいって言ったでしょ」


「昨日、驚かされたから今度は美海の番かなって」


 すぐに返事は戻ってこない。

 手に持っていたアルバムを閉じ、ソファの端へ置いて、正面へ向いていた体勢を横へ向き直して僕を見上げてくる。


 声など上げていないけど、『ウゥー』と聞こえてきそうな、悔しそうな表情をしている。

 潤ませた瞳や悔しそうに結ぶ口、その表情を見ていると嗜虐心がくすぐられてくる。


 今度は僕が美海を攻めるターンなのかもしれない。

 そう思ったのはこの時この一瞬だけだった。

 直後に美海が起こした行動で僕のターンなどないと悟ったからだ。


「あの……美海さん?」

「…………」


 返事はない。それもそのはずだ。

 美海は僕の首元に唇をあてているのだから。


 再度声を掛けることも動くことも出来ず1分くらいが経過すると、満足したのか、ゆっくりと美海が離れていく。


「ちょ……ちょっと目立つかも?」

「えっと、キスマークがってこと?」


「うん……ごめんね? 思っていたよりも簡単につくんだね?」


「別に構わないけど、そうだな――これって見られたら揶揄われるよね?」


 僕も揶揄われるだろうけど、多分、美海の方が揶揄われることになるだろう。

 今日はクリスマスパーティが開催されるため、多くの人が来店する予定でもあるからな。


 その分だけ見られることになる。


 まあ、首まで隠れるインナーを着れば済むだろうけど。

 もしもこれが夏ならどうにもならなかったが。

 いや、内出血と考えれば家庭の医学レベルの知識でどうにでもなるけど言う必要はないか。


 付けてくれたって言い方も変だけど、付けてくれたこと自体を僕も嬉しいと感じているからな。


「こ……こう君も私に……付けてくれても……いいよ?」


 なるほど、巻き込みたいというわけか。

 喜んで巻き込まれたいけど、

 首に唇を当てる行為は中々どうして刺激的な気がするな。

 それを声に出せば美海に恥を掻かせてしまうから言えないけれど。


「今日の美海さんはやけに積極的ですね?」


 僕としては両手で大歓迎したいが、抑えるのも大変だから悩みどころでもある。


「……だって」

「だって?」


「やきもちを妬くことも含めて、9月からずっと我慢していたんだもん」


 頬を膨らませ不満を訴えるとともに、その瞳には不安が映し出されている。

 無意識なのか、僕が着ているシャツをギュッと握りしめてもいる。


 僕が美海の思いを真に拒絶することなどあり得ないのに、美海は受け入れてもらえるか不安でいるのかもしれない。


 それを考えたら僕はもう狼になるしかなかった。


「んっ――」

「――――」


「え、こうくんっ――??」

「――――」


「……もう」

「――――」


 美海の首元へ計3回。

 唇をあててから僕らは仲良く洗面所へ移動した。


 互いに苦笑いを浮かべながらも、確かな幸せを感じて今度は仲良くリビングへ戻り、『どうしよっか?』と言いつつ、アルバイトまでの時間を過ごしたのだ。

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