第六・五章 「冬休み」

第249話 刺激的な朝となりました

 昔交わした約束から11年の月日が経ち、僕と美海は交際する関係に至った。

 名花高校へ入学した当初は、互いに初恋の相手だと分かってすらいなかった。

 それどころか、友人にすらなれていないただのクラスメイトの関係だった。


 関係に進展を与えるきっかけは6月最後の土曜日のこと。

 アルバイトをクビになったことから始まった。

 その時に落とした学生証を美海が拾い、アルバイトとして雇ってくれただけでなく僕の過去を受け入れ救ってくれた。


 バス旅行では同じ班となり、新しい友達とともに思い出を作り、帰りには美海の過去の話を聞かせてもらったりもした。

 体育祭でもいろいろあったな。

 尊敬する友人のおかげで、僕と美海は気持ちに気付くことができた。


 気持ちに気付けたはいいけど、交際するには名花高校にある制度が邪魔となった。

 生徒会や風紀委員会、四姫花、騎士などの問題も多く、解決するにあたり紆余曲折とあったが、たくさんの人たちの協力を得てようやく、僕らは交際することが叶った。


 昨日を思い返しても、幸せだと感じる出来事で溢れている。

 僕の不甲斐なさが原因で危険な場面もあったかもしれない。

 だが、それを乗り越えることもできた。

 むしろさらに絆が深まったとさえ思える。

 全ては美海が寛大なおかげだ。


 その天使のように優しい美海はと言うと、一晩中僕の左腕を枕に眠り続けていた。

 ふさふさで長いまつ毛、その1本1本が見えるほどの至近距離から見る寝顔は、文字通り天使のように見えてしまう。


 撫でた方が気持ちよくさせられる綺麗な髪を撫でると、段々と顔が上向いてくる。

 その様子も可愛くて、撫でる手が止まらなくなってしまう。

 上向いたことで自然に映りこんできたものがある。

 血色も良く、潤いやハリもある柔らかそうな唇。


 昨晩――キスしたんだよな。


 柔らかかった。そんな感想を抱く事すらできないほんの一瞬ではあったものの、確かに触れ合ったことを覚えている。


 見続けていたせいか『もっと欲しい』という感情が沸き起こって来てしまう。

 今、キスしたら怒られるだろうか――とも考えてしまう。

 思春期の男子らしい正常な証拠でもあるけれど、付き合いたての関係としては正常でない証拠ともなる。


 何より朝から考えることでもないし、

 いくら僕が美海の彼氏だとしても寝込みを襲うなど言語道断だ。

 僕を信頼して、寝てくれている訳なのだから。その信頼を裏切るわけにはいかない。


 今は、幸せそうに眠る彼女の寝顔を見て楽しむ時間としよう――。


 左腕に感覚はないけれど、幸せの代償と割り切れば済む話だ。

 そんなことを考えていると、瞼を開いた美海と目が合った。

 実は起きていたのだろう。

 寝起きでないことが分かるくらい、パッチリしている。


 ひと先ず、朝の挨拶を送るつもりで口を開こうとしたが、昨晩に続いて僕の想像を裏切ることを美海は言ってきた。


「……しないの?」

「…………いいの?」


 コクッと頷く美海。そして。


「そのつもりで、目――閉じて待っていたんだよ?」


 僕が美海の寝ている振りした寝顔に夢中となっている間。

 その、キスをしたいと考えている時だな。

 僕の気持ちを察した美海は待っていてくれたらしい。

 その気持ちは嬉しいけど恥ずかしくて仕方がない。

 でも――今は美海の厚意に甘える……いや、好意を受け入れるとしよう。


「閉じて?」


 たった一語だけ僕が呟くと、美海の瞼はゆっくりと閉じられていく。

 右手を美海の顎に添え。


「んっ――」


 昨晩よりも確実に触れたと分かるキスを交わす。

 でも、もっと欲しい。そう思ってしまった。

 欲張るような目をして、美海の目を見てしまった。


「こう君……もっと――ん――」


 僕だけでなく、美海も欲してくれていたと分かってしまえば、止める理由などなくなってしまう。


 唇を通して、美海の体温が伝わってくる。

 それだけじゃない、美海の唇の柔らかさがハッキリと分かる。

 それが分かるくらい長く――――。


「「――――――――」」


 もっと長く、もっと深く――繋がりたい。

 そう思うけれど息が続かない。呼吸をする為、ゆっくりと唇を離す。

『はぁっ――』と聞こえる荒い呼吸音。


 美海も苦しかったのだろう。


 でもその荒い呼吸音は、とてつもない色気を醸し出していて、僕に劣情を抱かせ、情欲を掻き立ててくる。

 このまま先へ進みたくなる気持ちになってしまうが、それはよくない。

 理性を働かせ我慢しなければならない。

 美海を大切にしたいなら、段取り踏まなければならない。そう思ったのに――。


「はぁっ……その、いいよ? 私は、こう君と――」




 ▽△▽




「――――っと、今日はここまでに……しておきます」


 ここまで――などと偉そうなことを言ったが、頭が回らなかったのだ。


「はぁっ、はぁっ――どう、して?」


 まだ呼吸が整っていないうちに唇を塞いでしまったせいで、美海は今も苦しそうにしている。

 頬も上気しており、瞳も潤んでいて、その可愛さや魅力は留まることを知らない。

 凄まじい破壊力に思う。

 よく我慢したと自分を褒めてあげたい気持ちだ。


「今はまだ……かな」


 美海と家族になれるまでは我慢したい。


「我慢、しなくてもいいよ? それに……私は、我慢したくない」


 あまりの可愛さに、美空さんへ誓った意志が揺らいでしまうところだった。

 いや、揺らぎはした。耐えたのだ。


「…………ちゃんと責任を取れるようになってから、先に進みたいなって」


 たとえ――どんな事になろうと責任は取るし、昨夜、心に誓ったように美海を幸せにする。


 それに変わりはない。


 けれど一歩一歩、美海と歩んで行きたい。

 これは本心を隠す建前なのかもしれない。

 建前であると同時に本心でもある。

 そんな矛盾を含んだ説明のできない感情だ。

 だから上手に説明ができないがゆえに、美海はどこか納得のいかない表情をしている。


 そんな美海には悪いが、そうだな――。

 健全さがそれに当たるのか全く分からない。でも――。

 要は、美海の前で僕は格好つけたいのだと思う。


「大切にしたいんだ」

「ん……ずるい」

「知っているでしょ?」

「うん……分かった」

「僕の我儘を聞いてくれてありがとう。少し早いけど――」


 ――起きようか?

 と、言いたかったのに、美海に唇を塞がれてしまい言葉が続かなかった。


「「――――――――」」


 徐々に唇が離れていくけど、僕は少し戸惑っている。

 美海が僕の上へまたがり、見下ろしているからだ。


「えっと、美海さん?」

「……18歳になるまで――ううん、こう君の覚悟ができるまで我慢する。でも――」


 下から見上げているから、余計にそう見えてしまうのかもしれないが、決意を秘めるような、力強い目をしている。


「でもなんだろう?」

「私はこう君の初めてを独り占めにしたい」

「――なるほど」

「もっと言うと、最後も独占したい」

「あの……それってさ、どちらかと言うと僕のセリフじゃないかな?」


 僕は美海の最初で最後の男になりたいと考えているからな。


「ふふっ――起きよっか? クロコも起きたみたいだし」


「…………」


「私は和室で着替えてくるね」


 返事を戻さぬうちに、美海は部屋から出て行った。

 僕はと言うと金縛りにあったかのように、

 はたまた蛇に睨まれた蛙にでもなってしまったのか、僕を見る美海の目があまりにも妖艶で、美しくて、動くことができなくなってしまっていた。


 昨夜までは少し唇が触れただけで顔を隠してしまう。

 花も恥じらう乙女。

 まさに純情そのものだったのに、たった一晩でこうも大人な雰囲気を纏えるようになってしまうとは――女性って凄いな。


 でも、美海の手の平の上でコロコロと転がされるのも悪くないかもしれない。

 むしろいいとさえ思えてきたな。

 昼間は可愛らしくて愛らしい彼女で夜は大人な魅力を放つ彼女。


 うん、悪くない。


 想像が膨らんでくるし、もう少しさっきの余韻に浸りたくもなるが、これ以上はまずい。

 余計なことを考えないためにも上体を起こすとしよう。

 立ち上がる前に感覚のない左腕を揉みつつ、軽く伸びをする。

 それから枕へ移動して来たクロコをひと撫でして気持ちを落ち着かせる。


 美海が18歳になるまでは残り2年と数カ月。

 果たして僕は。


 ――18歳になるまで耐えられるのか?


 美海が見せてきたさっきの目。

 あの目を思い返すと自信がなくなってきてしまう。

 昨晩、美海を世界で二番目に幸せにすると心に誓ったのだから、耐えるしかないのだけれど。


 負けず嫌いで、意外と攻めっけのある美海の性格を考えると、あの手この手で攻めてきそうにも思える。

 とんでもない修業になりそうだけど、まあ、それも含めて付き合うってことかもしれない。


 そんなことを考えながら、『ふー……』とゆっくり呼吸を吐き出す。


 咄嗟に膝を立てたとはいえ、美海はきっと上にまたがった時に気付いたよな。

 仕方ないとは言え、どう顔を合わせていいのか分からない。


「素数……いや、円周率を――」


 数え始めること5分してようやく。


 すでに彼女の居なくなった洗面所へ続く朝となった。

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