第244話 夜のデートを楽しみました

 初めは思春期男子に無闇に髪を触らせない。無防備が過ぎる。今回だけだからね。ドライヤーくらい自分でやってほしい――等々。

 他にも何かと理由をつけて断ったこともあったけれど、気付けばなし崩し的にお泊り会では当然になったドライヤータイム。


 今回も美海からお願いされるばかりと考えていたが、気分もしくは心境の変化でもあったのか分からないけど珍しくも脱衣所でドライヤーを済ませてからリビングへ戻って来た。


 自分でドライヤーをかけてほしいと言い続けてきたことだし、良いことの筈なのだけれど、少しばかり寂しさを覚えてしまった。


 ただ、何と言うかその寂しさも忘れてしまうほど、左隣という定位置へ腰を下ろした美海からはいつも以上に石鹸の、サボンの香りというのだろうか、お風呂上がりの爽やかな匂いが鼻から脳へと侵入して頭をクラクラさせてくる。


 さらには、しっかり湯船に浸かり体を温めてきたからか頬が桃色に上気していて、匂いも合わせると、とんでもない色香であり僕をとりこにしようとしてくる。


 このままでは危険だ。


 時間も遅く、クロコはすでに僕の部屋へ移動している。

 今は2人きりなのだ。

 正面に視線を固定することしかできない僕の横顔へ、一心に見つめて来る美海と目を合わせてしまえば、本当に危険だ。


 自分でもどうなってしまうのか分からないから怖くもある。


「美海……雪でも見る?」


「うん……そうしようかな。バルコニーに出てもいい?」


「そう言うと思ったからブランケット用意しておいた。使って――」


 用意しておいたブランケットを美海の肩へかけるのに、ここでようやく固定していた視線を解除して美海へ視線を送る。


 けれど、目が合ったのはほんの一瞬だけであった。

 意をけして目を合わせたら、今度は美海が反らしたのだ。


「ん、ありがとう――こう君はしっかりカーディガン羽織ってきたんだね」


「風邪を引いたら大変だからね。美海はお風呂上がりなんだから、外に出るのは少しだけだよ?」


「うん……でも寒いと思うから、くっついていてもいい?」


「そうだね、そうしようか――」


「うんっ」


「では、夜のデートをしゃれこむとしよう。お手を」


「なぁに、それ?」


 クスクスと笑いながら差し出してきた手を取り、その手を繋ぎ、それから腕を組む。

 言葉は途切れ、互いに視線を前に固定して1歩ずつゆっくりとベランダへ向け足を進める。


 カーテン、続けてレースを開け鍵も開錠する。

 アルミフレームのガラス戸はとても冷たく湿ってもいた。

 それだけで外は冷たい空気が支配しており、とてつもなく寒いということが分かってしまう。


 これ以上くっつきようもないが気持ちさらに美海へ肩を寄せる。

 それから、扉を開き入り込んでくる冷たい風を体で受け、ギュッと身を寄せ合いながら、ようやくバルコニーへと出る――。


「さ、寒いね。平気? 美海。ブランケットだけだと結構寒いよね?」


「ちょっとね。でも、せっかくバルコニーに出たからもう少しだけ」


 そう言った美海は先ず上へ顔を向ける。

 水分をあまり含んでいないように見える綿わたのように軽そうな雪。

 本来なら、舞うように降っている景色が見られたかもしれない。 

 きっとそれは、雪が深深しんしんと降る様子は、この静かな時間をどこか非日常で幻想的にも見させてくれたことだろう。


 けれど現実では風が強く、その幻想的な景色を見ることは叶わない。


「見て、こう君? 結構積もっているね」


 上へ向けていた視線はいつの間にか正面へ向いていたようだ。

 美海が指さす方へ視線を向けると、暗闇で見えにくくはあるが、建物や車の屋根には確かに雪を被った様子が見えた。


「明日は、気持ち早く出ようか」


「そうだね。慌てて転んだりしたら大変だもんね――あっ」


「どうしたの?」


 返事を戻しながら美海を見ると、今度はまた視線を上へ向けていた。


「流れ星が見えた気がしたんだけど、多分気のせいだよね」


「雪が降っているから星は見えないと思うけど――」


 先日のニュースでは、明日クリスマスイヴの夜に”ふたご座流星群”を観測できると言っていた。

 だから前日である今日も、雪が降らず晴れていればその恩恵にあずかることが出来たかもしれない。


 そうしたら、新月でもあるため月の光は届かず、より一層綺麗な星空を観ることも出来たかもしれない。


 だが現実は、雪を降らせる雲が空を覆い、星を隠している。

 だから見える筈がない。

 そう思ったのだが、確かに何か流れたように見えた。


「確かに何か流れたね。なんだろう」


「なんだろうね。一応、何か祈ってみる?」


 正体不明の物に何かを願うのは少し怖いかもしれない。


「やめておこうかな。もしも流れ星だって分かったら、美海はどんな願い事をする?」


「んー……この幸せが続きますように、とか?」


「それなら星に願う必要はないよ」


 星になど願わず僕に願って欲しい。

 まあ、願わずとも美海のことは幸せにするけれど。


「ん、そっか――ねぇ、こう君?」


 理由を聞き返さないということは、僕の気持が伝わったのだろう。

 そして美海は何か伝えたいことでもあるのか、そのまま目を合わせてきた。

 だから返事は戻さず、そのまま言葉の続きを待つ。


「――月が綺麗ですね」


 今、美海の瞳には僕の姿が映っている。月など見ていない。

 そもそも新月なのだから、月など見える筈もない。


 それなのに、そのセリフを言ったということは、”夏目漱石”が訳したと言われる有名な一説を伝えてくれていると考えられる。


『あいしている』


 と。もしかしたら『すきだよ』かもしれないが、大きな違いはない。

 それよりも、とんでもない多幸感の波が押し寄せてきている。


 このまま強く抱きしめて、直接言葉を伝えたくなる気持ちが込み上げてきている。


 けれど我慢しなければならない。

 美海は間接的に伝えてくれたのだ。

 それなら僕も同じように返したい。


 ならばどう返すかだが、これに対する返事はいくつか思い浮かぶ。

 一番知られている言葉で返答してもいいのかもしれない。


 他にも『今なら手が届くでしょう』『月はずっと綺麗でしたよ』などでもいいかもしれない。


 僕は、美海が僕に向けている以上に、美海へ向いている気持ちの方が強いと思っている。

 そう考えるならば、候補の返事から一つとは言わず欲張って全部言ってもいいのかもしれない。


 けれど、夏目漱石が訳したと言われるこの文言は、俗説であり都市伝説的な扱いでもあるということを僕は知っている。


 これは都市伝説だよ。


 などと言ってしまえば雰囲気をぶち壊してしまう。

 それならば返事を戻すべきなのかもしれないが、

 知っているだけにこの候補の中から僕の気持ちを伝えきるには、

 適当でないと考えてしまうため悩んでしまう。


「美海?」


「ふえっ!? あ、はいっ?」


 すっとんきょうな声を出して驚いた理由はおそらく、本好きの僕ならやり取りを知っていて、返事を戻してくれると考えていたのだろう。


「ああ、ごめん」


「ううん、どうしたの?」


 期待と違う返事だったからだろう。

 少しばかり不安そうな表情を浮かべている。


「月が綺麗だ。それはそう思える人がすぐ隣にいますから。それと――」


「……はい」


「僕からもいいですか?」


「……はい、なんでしょうか」


 なんて言えば一番気持ちが伝わるだろうか。

 今、思い浮かんでいる言葉で伝わるだろうか。


 でも――。


 言うに恥ずかしいけれど、これが一番しっくりくる。


「雪の中でも――」


 美海の視界を僕が見ることは出来ない。

 けれど、今、互いの瞳に映るは互いの姿だけだと分かる。


「はい」


「――向日葵が綺麗ですね」


「――――っ!?」


 意味を理解するまで僅かに時間は必要だったようだけれど、急激な勢いで耳を染め始めている様子から判断するなら、しっかりと届いたようだ。


 それなら、ロマンチスト溢れるセリフを言ったことも浮かばれる。


 ただ、美海は僕以上に恥ずかしい思いに晒されているようで、僕の胸に顔をうずめ、かくれんぼを始めてしまった。


「雪も綺麗だけど、今は美海の顔が見たいな」


「今は恥ずかしいからダメ」


「そっか。じゃあ、仕方ないや」


 恥ずかしがる美海の様子が可愛くて、大事にしたいと思わされて、自然と笑みがこぼれてくる。


 右手で絹のように柔らかな髪を撫でつつ僕は1人景色に目を向ける。

 するといつの間にか風が止み、雪が舞うように降っていた。


 視界が穏やかになったことで気付いたが、

 風で流れたのか雲には隙間が出来ており、少しばかり星が見えていた。

 そのことで、正体不明の流れる物の正体が、流れ星だと判明した。


「なんだろう? こう君の右の胸に何か硬い物が――」


「美海! 見て、凄く綺麗だよ!」


「え――わぁぁ、流れ星! キレー……」


 それは、想像していたよりもずっと幻想的な景色だった。

 山の上は別かもしれないけど、本来街中では、雪が降る光景と流れ星を同時に観測することは難しいだろう。


 けれども、今降っている雪は穏やかであり雲の隙間から星も見える。

 新月のため、より流れ星の輝きが見やすいのもあるかもしれない。

 強い風が吹いていたが、今は止んでいるせいもあるだろう。


 そういった複数の偶然が重なり、観ることのできた幻想的な景色かもしれない。

 奇跡と呼んでもいいかもしれない。


 前に美愛さんに例えで言った奇跡が、今、目の前で起きている。


 だから僕は傲慢にも、

 まるで天が僕と美海を祝福してくれているように感じてしまった。


「美海が18歳になったとき」


「え?」


 佐藤さんに言われたように僕は重いのだろう。


「美海が今と変わらない気持ちでいたなら」


「……はい」


 僕が何を言うのか察したのだろう。

 今なら間に合う。

 けれど、傲慢から燃えてしまった気持ちが溢れて止まらなくなっている。

 要は、反省もせずまた『暴走』しているのかもしれない。


「僕と家族になってもらえませんか」


「…………」


 返事がない。

 交際初日からこんな重いことを言われて、さすがに引いているのかもしれない。


「ごめんね、それは約束できない」


 そうだよ、な――。さすがに重かったよな。


 本当はプレゼントを渡すだけの計画だったけど、偶然が重なり起きた奇跡が見せた幻想的な景色にあてられて盛り上がってしまった。


 今日はやらかしてばかりだ。


「ごめん。今のは――」

「だって――」


 言葉が被ってしまった。

 それよりも『だって』ってなんだ。


 だって重いから。やっぱり交際はなしにしようとか言われたりするのか。


 雰囲気に流された僕が悪いけど、そんなこと言われたらちょっと立ち直れないな。


 そう落ち込みかけたけど、

 ここでも美海は僕の予想を裏切る返事を戻してきた。


「今よりもっと、もぉっと! 好きになっているから。変わらない気持ちではいられないよ」


 それはつまり……。


「やきもち妬きで我儘な私ですけど、それでもよければ――不束者ですが、よろしくお願いします」


 嬉しさや幸せな気持ちが溢れて限界を超えると、

 呼吸が止まってしまうということを僕はこの時に初めて知った。


「こう君?」


「ごめん、もう無理」


「え――きゃっ――」


 初めて、こんなに強く抱きしめたかもしれない。

 人よりも小さな体は、僕がもっと強く抱きしめたら壊れてしまいそうに感じた。

 そうならないように、大事に、大切に包んでいきたい。


「もぉ、どうしたの? 寒かったの?」


「好きが溢れただけ」


 自信をもって、世界で一番幸せだと言える。


「ふふっ、そっか。なら仕方ないね。でも、こう君の体凄く冷たくなっているから、そろそろ中に戻ろう?」


「美海が温めて」


 だから誓おう。


「もぅ、今日のこう君は甘えん坊だなぁ……嬉しいけど」


「僕は美海が好き」


 美海を世界で二番目に幸せにすることを。


「え? ふふ、ありがとうっ。私はこう君が好きです」


「ありがとう、美海。僕と出会ってくれて」


「こちらこそっ。でもいい加減、中にもどろう?」


「そうだね、白湯さゆを飲んでから寝ないとかな」


「うんっ」


「寒いね」


「すっごく寒い! でも温かくて暖かい」


「寒いのに美海のおかげで温かくて暖かい」


「じゃあ、私はこう君のおかげで温かくて暖かいっ」


「変なの――」


「ふふ、おかしいね――」


 考えていたデートプランにあった、告白したのち『寒いね』って言い合いながら手を繋ぎくっつきながらマンションへ帰る。


 それが、少しばかり形を変えて達成されることになった。


 暴走した結果のため、反省しなければならないことも多い。

 けれど、昔交わした約束。


 約束の上書きがなされ、僕と美海の絆をさらに深める夜のデートとなった。


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